過去を夢見て
前の世界はこことはまるで真逆の、科学と魔法、そして戦争にあふれた世界だった。ひとたび外に目を向ければ、家を失った者や飢えて頽れた者が道端に沢山転がっていた。
彼女はその世界で、”レイア”ではない名前を持ち、血の匂いがむせ返るほど漂う中で、女の身でありながらその身を赤く染める生活を送っていた。
彼女はその世界では類まれなる”力”を持っていた。大国が放つ弾丸を、著名な魔術師が放つ攻撃を、たった一人で受け止めるほどの力だった。
小さな島国で生まれた彼女は、その力を最初隠匿しようとした。しかし、周囲がそれを許してくれなかったのだ。
彼女には守るべき存在がいた。それは、両親を幼いころに無くし、本来ならばあるはずの庇護を失った少女に残された、たった一人の大切な”妹”であった。
人間はたった一人では生きていけない。それはどんな力をもってしても、変えられることのできない真理であった。魔法でどんな奇跡を起こそうとも、幼い少女が乳飲み子一人を世話するのには限界があったのだ。
だから彼女は取引をした。彼女らが住まうこの国の安全を守ることを条件に、”政府”に妹の保護を求めたのだった。
科学と魔法。この二つが栄えた世界では、国の間はもちろん、民族間、宗教間で争いが絶えなかった。そして彼女の物心がつくころに、大規模な世界戦争が始まったのだ。
小さな島国は、大小の海を挟んで大きな国に取り囲まれていた。憲法に平和を掲げた国ではあったが、周りはそうはいかない。国民の戦争に対する反発にあいながら、防衛のためにといつしか戦争に巻き込まれていき、そして国内にもその戦火が及ぶのだった。
「いってらっしゃいませ、おねえさま」
その国の人間がおおよそ持ち合わせる、黒い髪と同色の瞳。妹はそれを最大限に美しくした物を持って、姉である彼女に微笑むのが日課だった。
対極といってもいいほどその子には似ても似つかない金と蒼を持っていた少女は、その国ではひどく目立つものだった。
姉妹の顔だちは色こそ違ったが、ともに酷く絶賛されるものであった。しかし、戦争の中ではそれは不要であり、戦いにしか興味がない少女は、戦いのために愛しい妹と同じ色に擬態した。
偽の色も本物の色も、どちらも好きだという妹は、己を守るために染められた色をどこか悲しいげな目で見ながら、毎日戦場に出る姉を見送ったのだ。
その鈴の音のような声を背に、いつも彼女はこの生活が長くは続かないことを予感していた。
毎日毎日、人の、他人の命を奪う生活。
――――どんな人間でも、ひとたび人を殺してしまえば、その人はもう”人間”ではなくなる。
彼女がまだその手を血で染めていない頃に読んだ、本の一説。その頃は想像もできなかったが、凶器をふるうことになれてしまった今ではもう十分に理解できた。
もう、自分は”人間”ではない。矛盾を抱えた少女が長く生きられないことは、想像にむずかしくなかった。
けれども彼女は生き抜こうと思った。
世界でたった一人の家族。無力ながらも己を見守る、妹の為だけに。
死を間際にすると、人は弱くなるものだ。
レイアは踏み台にしていた箱を元の場所に戻し、前世の今際の際に思いをはせた。
あんなにも、妹を守るために生きて戦わねばと思っていたのに、死の間際にそれが鈍ってしまった。そう思い返し、悔しさに歯をかみしめた。涙は出ない。それはもう先日に一生分ほど流しきってしまっていたからだ。
では次にすることといえば? レイアは窓の外を流れる雲を見た。洗われるような蒼穹を甘い白が泳いでいく。
おそらく妹は、己の間違いを笑って許してしまう。ならば、自分がするべきことは懺悔ではない。
室内を見回して思案していると、ある仮説が浮かぶ。
――自分が転生したということは、妹もいずれこちらにやってくるのではないか?
確実とは言えない、曖昧な仮定。
それでも決断するには十分だった。
前回はできなかったが、今度は確実に成し遂げよう。
――今度こそ、”あの子”を幸せにして見せる。
呪いのような重たさを持ったそれは、死という絶望を目にした少女には確かな福音であった。
弱冠三歳の子供は決意した。
”世界を平和にして、妹を迎える”という、その身に余るような目標を掲げて今世を生き抜くことを。そして、”妹”が求めていた”あるもの”も、その中で見つけようと。
――夢ではなく、この現実を楽土にして見せる――と。
「ん、……あ、あら、リーア?」
目覚めたばかりで現状が把握できず、困惑したように辺りを見回す母に、レイアはにこりと笑いかけた。