嫌がらせ
「ひとまずはここで一緒に住んでもらうよ」
やってきたのは俺の部屋。景虎の許可をもらって、今日からしばらくこの女の子にはここで生活してもらう。
ちゃんと佐渡で金山が見つかったら、俺がこういった不幸な境遇にあっている人たちを連れてこられるように専用の長屋を建ててくれるとのことだ。
「貴久様も一緒に寝るの?」
「そうだよ、ちょっと狭いけど長屋ができるまで我慢してくれ」
屋敷に帰ってくるまでに互いのことを話した。
俺のことは名前と仕事しか話していないしそれ以外に話すこともない。
女の子のことだがまず名前は「りょう」というらしい。聞いた瞬間「両」を想像したのは出会い方のせいだろう。生まれたときは商人の家に住んでいたそうだがある日突然親が「このお家はなくなるんだよ、りょうもこれからは好きに生きなさい」と言い残して忽然と姿を消してしまったらしい。
なんて親なんだ! と思わなくもないが心中しなかっただけでもその親なりの優しさだったのかもしれない。
「あんた、りょうと一緒に寝泊まりする気なの?」
「そうだけど」
それを聞いた景虎の顔がいつぞやのゴミでも見るような顔に変わる。
「まさか貴久の好みがこんなに小さい子どもだったなんて」
「まて、誤解だ!」
冗談はよしてくれ、確かにりょうは可愛い、それは確かだ。だがこの可愛いというのはあくまで親が子どもを見るときみたいな目線であって決して恋愛感情みたいのものは含まれていない。
「ならどうして同じ部屋で寝ようとしてるのよ」
「だって、まだ長屋はできてないし俺が使える部屋はここだけだし」
他にどうしろと?
「他にもいろいろあるでしょう? 例えばここで働かせて他の奉公人と一緒に寝かせるとか」
「りょう、それでいいか?」
思いつかなかった、俺が連れてきたんだから俺が面倒を見るものだとばかり思っていた。
だが景虎の景虎の案の方が明らかにいい。
『働かざるもの食うべからず』いつの時代でも通用する人類にとって普遍の法則だ。
「兄ちゃんがやれって言うならやるよ!」
「そうか、ならやってみなさい」
こうしてりょうが長尾家の屋敷で働き始めた。
りょうが長尾家の屋敷で働き始めて3日、りょうは思いのほか優秀だった。
「意外にやるわねあの子」
「ああ、俺もびっくりだ」
りょうは計算が得意だった。もちろん最初からできたわけではないが、出会い方や名前からなんとなく教えてみたらあっという間に覚えてしまった。今も元気に長尾家の帳簿を見ながらそろばんをはじいている。
「乞食の中にこんな子がいるなんて驚きね」
「人は見た目や身分だけではわからないものだよ」
この時代は乞食がどれだけ能力を持っていようとそれが世に出ることは十中八九ない。りょうがここで能力を認められているのはまさに奇跡と言える。
「佐渡の金山の帳簿だけど、全部りょうに付けさせようかな」
俺も理系だったからもちろん数学、計算は得意だが残念なことにこの時代の数字は全部漢数字で書かれているから、俺だとそれをアラビア数字に治すのに手間取ってりょうより遅くなってしまったので今は全部りょうにお任せだ。
「冗談のつもりかもしれないけど、たぶん本当にそうなるわよ」
まあ、楽ができるならいい? いやもっとポジティブにりょうに仕事をあげたと考えておこう。
「兄ちゃん、できたよ!」
そうこう言っているうちにお仕事が終わったようだ。
「りょうはすごいな~」
立ち膝になってりょうと目線を合わせてからよしよしと頭をなでる。
りょうも気持ちよさそうにはにかむ。
やはり子どもの笑顔は癒される。
「そんなに子どもが好きなの?」
「そんなに特別ってほどではないけど、それなりには」
好きか嫌いかの二択なら間違いなく好きと答えるが。
「ならさっさと祝言挙げて私との子を授かればいいじゃない」
「さ、さらっとすごいことを言うな」
びっくりしたー。
顔が熱い、心臓の音がうるさい、景虎の顔もだがりょうの顔もなんだか俺と景虎の子に見えてきてなんだか直視できない。
「どうしたの兄ちゃん?」
いかん、「兄ちゃん」が「父ちゃん」に聞こえてくる。
「りょう、今貴久に向けておと」
「やめろーーーー!」
変なことするんじゃない。この先りょうのことを娘にしか見えなくなりそうで怖い!
このままここにいると辛そうだったので俺は立ち上がって部屋を出ようとした・・・が。
「ちょっと、どこ行くつもり?」
「どこって、別に・・・」
「仕事を放り出してどこに行くつもりなのかを聞いてるんだけど」
どうやら俺に逃げ場は無いようだ。
そしてついにやってきましたよこの日が、景虎が景綱さんに佐渡の調査を命じてから10日。
景綱さんは言った通り10日経った今日の朝のうちに春日山城に戻ってきた。
その知らせを聞いた景虎は自ら景綱さんの屋敷に足を運んでいた。
「どうだったの景綱」
景虎は景綱さんに会うなり、いきなり本題をぶつける。
「はい、御大将が言っていた佐渡の金山ですが・・・ありました」
本当にあったようだ、これで日ノ本の金の4~5割ほどを越後が牛耳っているといえる。
「正直信じられません、どうして今まで銀ばかり掘っていて金が出てこなかったのか」
「そんなの今はどうでもいいわ」
その通りだ、今重要なのは今佐渡の金が見つかったことじゃない、この莫大な量の金をどう管理していくかであって・・・。
「今重要なのは私と貴久の祝言の日取りよ!」
しまった~、話すのを忘れていた~~~~~~。
景虎の中では佐渡の金が見つかる→俺との祝言! という流れの約束ができていることになっている。
「いやそれよりも佐渡の金山のことを考えろよ!」
言い合いで景虎の勝てない以上、話題を変えなくては!
「いえ、これよりも大切なことはありません」
「なん・・・だと⁉」
味方だと・・・そう思っていた、信じていたのに・・・景綱さん!!
「なんだと、ではありません。我らの御大将の祝言ですよ、日ノ本一の祝言にしなくてはいけません」
「景綱さんは俺と景虎の祝言に反対だったのではないのですか」
「まさか、色恋に興味がないだけならまだしも、自分より強くない男とはそういった話はしないなんてわけのわからないことを言っていた御大将が自ら祝言を挙げるなんて言い出したんですよ? これを逃したらもう二度と祝言なんて話は出てきません。越後の未来のためにも御大将には跡継ぎを産んでもらわないといけないのです、夫がいて困ることなんてありません、御大将の機嫌がよくなって私の苦労が減る、越後の未来も明るくなる、言うことなしですね!」
「でもこの前祝言を挙げるなら刺すって・・・」
「この前言ったじゃないですか『婿殿』って。私は最初から御大将と貴久様の祝言に賛成ですよ」
駄目だ、この人は本気で俺と景虎の祝言を望んでいる。
「景虎はいいのか! こんな・・・」
「私がいいって言ってるの、黙ってうなずきなさい」
いかん、まさに四面楚歌という言葉がしっくりくる状況だ。
「待て景虎、言っただろ、俺はたぶん武田晴信のことも好きだって、祝言は武田を破った後でいいんじゃないか?」
本音では武田に負けてなんて欲しくはないが今を切り抜けるためには仕方がない。
「あ、それいいわね! 武田を倒した祝勝会と一緒に祝言を挙げれば人もたくさん集まってるし、きっと日ノ本一の祝言になるわね!」
「え、ちょっと」
「そうですね、では早速川中島に火種を巻きに行きましょう」
「あら、菜種の苗はもうそろったの?」
「はい、佐渡で出る金の利益を少し前借する形で公費を出しました。これは菜種による利益でも十分返済できる程度の出費ですので菜種が足りないようでしたら言ってくださいね、すぐに用意しますから」
「なら景綱、今すぐ準備しなさい、明日中にはここを発つわ」
「はい、準備しておきます」
「おいまさか本当に川中島に菜種を植えるつもりか⁉」
「ええそうよ」
「それで戦になったらどうする・・・」
「私は何の理由もなく越後を危険にさらしたりしないわ」
「信じていいんだな」
「自分の妻の言うことくらい信じなさい」
「・・・わかった」
他ならぬ景虎が言いきったんだ、大丈夫なはずだ。
「景綱、今の聞いたわね?」
「はい、今間違いなく貴久様は御大将のことを妻であると認めました」
「え、なんのこと?」
「妻の言うことくらいちゃんと聞いておきなさいよ」
「ああ!」
「もう少し人の話は注意深く聞くようにしなさい」
「・・・こういうことして楽しいか?」
「ええ、最高の気分よ」
そんなわけで、やってきました川中島!
今回はここ川中島に菜種を植えるためにやって来ました。
我々長尾方の構成は兵7000人に農夫2000人となっています。
対する武田方は兵15000人。
こっちが農夫を戦わせることはないので武田は長尾の倍の兵をそろえてきていることになる。
「景虎、このまま武田と戦が始まるなんてことはないよな?」
「さあね、それは武田次第よ」
当たり前だが俺たちは現在、川中島にて武田の軍勢とにらみ合いをしている。そりゃあ敵国の軍勢が「菜種植えに行きま~す」とか言いながら堂々と領内に入ってきたら・・・追い返そうとするだろうな。
「これからどうするんだよ」
「夜中にこっそりと植えて驚かすわ」
「小さい戦だな・・・ていうか嫌がらせ?」
「大きな戦、してもいいの?」
「・・・今夜は張り切って菜種を植えよう」
「ならあなたも夜に向けて準備しなさい」
そうして俺たちの『対武田 嫌がらせ大作戦』は決行された。
日が暮れた。
電気もなく、わざわざまきを薪を燃やしたり油を使ってまで明かりをとったりはしないのであたりは真っ暗だ。
「夜になったが、これからどうするんだ」
夜になったらこっそり植える、とのことだがあたりは真っ暗だ、俺たちのいる陣の中はさすがに篝火のおかげで一応何があるかは見て取れるが・・・。
「どうもこうもないわ、さっそく始めるわよ」
「さっそくやるのは構わないが、どこに植えるんだ?」
「ここよ。
さあみんな! 始めなさい!」
景虎の指示に従って農夫の皆さんが陣の中に菜種を植え始める。
「景虎、何で陣の中に植えてるんだ?」
「あんたは今からどこかの畑なり田んぼなりに言って植えてくるつもりなの?」
「あ、いや・・・」
確かに暗くて菜種を植えることなんてできないように思えるが、なんとかする方法を思いついたから夜にやろうと言い出したのかと思っていたのだが・・・。
「今から外に出えて菜種を植えるなんてことできるわけないでしょう? でも、だからといって火を起こして作業なんかしていたら武田の邪魔が入るに決まってるじゃない?」
「そりゃそうだ」
「でも、火を焚いていてもおかしくないところがあるでしょう」
「そうか、陣の中なら火を焚いていてもおかしくない」
「そうね、それでも深夜まで焚いていたら流石に怪しいかもしれないから時間との勝負になるわ。分かったらあんたも手伝いなさい」
なるほどな~、まさか陣の中に菜種を植えるとは。7000人も兵を連れてくるなんて武田を挑発するだけだと思っていたが、逆に7000の兵で守られたこの陣の中こそが一番安全で一番武田にばれる可能性が低い場所だといえる。
「やりますか」
言いだしっぺは俺だ、俺が一番多く菜種を植えよう。
「終わった~、疲れた~」
やっと終わった。
2000人もいたのに・・・何でこんなに時間がかかるのか、鍬使って耕したりしてたらそりゃ時間もかかるか。
「こら、そんなところで寝ている暇なんてないわよ。移動するんだから」
「移動? こんな時間にか? せっかく菜種を植えたのに移動してしまったら朝には武田に見つかって抜かれちゃうんじゃないか?」
「そんなに遠くに移動するわけじゃないわよ。ほんの少し、陣一つ分後退するだけよ」
「・・・あーなるほど」
なるほど、そうやって毎日陣一つ分ずつ菜種を植えていくのか。そうすれば武田としては菜種を何とかしたくても敵陣の目の前に菜種は植えられているからうかつに手を出すことはできない。
「嫌なやり方するな」
「最初に言ったでしょ、嫌がらせだって」
いい笑顔してるねー、景虎。
そして菜種を植え始めて5日、結構な数の菜種が植えられた。
俺たちの目的は果たされたから明日には帰り始められるとのことだ。
「結局武田は一度も邪魔をしてこないし一本も菜種を抜かなかったな」
最初に植えた菜種なんかはもう結構遠くになっていて仮に武田が抜こうと思って兵を出しても恐らくこちらが追い払うよりも早く菜種を抜いて逃げていくことができるくらいの距離だ。
「一回くらい何か仕掛けてくるかと思ってたけど、一切手を出してこなかったわね」
「戦が起こらないのはいいことだからいいけどな」
武田の軍勢は俺たちがここに来てから一度も兵を動かしていない。本当にただそこにいるだけだ。
「なあ、ちょっと最初に植えたところの菜種を見てきてもいいか?」
「別にいいけど、武田からの攻撃が万が一にもないとは限らないんだから気を付けていくのよ」
「はーい」
なんとなく気になって、俺はこの作戦の初日に植えた菜種のところに向かった。