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景虎の笑顔

「治ってしまった」

 景虎にぼこぼこにされた翌朝、俺の体は普通に歩けるくらいに回復してしまった。

 もちろん痣はまだ残っているし触れば痛い。しかし我慢できないほどではない。つまり今後も景虎に気まぐれでぼこぼこにされるかもしれないということだ。

「とりあえず、朝ご飯を食べよう」

 治ってしまったものはしょうがない、ここは自分の体の回復力が優れていることに素直に感謝しておこう。


 朝ご飯を食べるためにお部屋を移動中。

 あの女の子にばったり出会った。

「「あ」」

 目の前にいるのは昨日俺が部屋に行くのを手伝ってくれた子だ。

「あ、昨日はどうもありがとうございました」

 やっとお礼が言えた事に一安心、いろいろとお世話になったのにお礼の一つも言えなかったのはやはり気になっていた。

「いえいえ、たいしたことやってないので」

 庭で倒れて動けない人を部屋に運んで、布団も敷いてくれた。たいしたことをしていると思う。これでたいしたことなかったら命の恩人とかまでいかないといけないんじゃないんだろうか。

「それでも、こっちがありがたかったんだからありがとうだよ」

「そ、そうですか?」

 女の子はちょっとおろおろしているリスみたいな見た目と合っていて思わず抱きしめたくなる。

「ところで君の名前は? 昨日聞こうと思ったんだけどその時にはいなかったから」

「は、はい。とらって言います」

「とら?」

「はい・・・」

 とらって言うよりリスなんだけどな~。

 トラなのにリスっぽい、このギャップがいい。

「今度何かお礼させてください」

「いえいえいえ! そんな、お礼なんて頂けません! 本当にそんなたいそうなことなんてしてないので!」

「そうですか・・・それなら今度なにか困ったことがあったら言ってください。できることならなんでも手伝いますから」

 ここ大切、できることだけね、できることだけ!

 何でもするなんて言ったらだめだよ、面倒事はごめんだ、俺は普通に生きていきたい。

「で、ではさっそくいいですか?」

「さっそくですか。いいですよ、言ってみて下さい」

「この場をお願いします」

 そういってとらちゃんはさっと頭を下げてさっと踵を返してしまった。


「どうしたんだろう」

「さあ、どうしたのかしらね」

「おお景虎、いつの・・・間に・・・」

 何でだろう、俺はまだ何もしていない。

 なのに、なのにどうして・・・景虎は笑顔なんだ!

「どう・・・したんだ」

 嫌だなー。景虎さん笑顔だよ。これは怒ってるときの笑顔だよ。

「分からないの?」

「ま、待ってくれ。3つ数えてみよう、たぶん思い出すから」

「3つ」

「早い! 早すぎる!」

 三つ数えるって一つ二つ三つって数えるんじゃないのか!?

「黙りなさい」

 景虎の顔が真剣な顔になった。

「貴久、あなたの私に対する接し方は今まで通りで何も問題ない、むしろ好ましい方よ。

 でも仕事をしない怠け者を許したりはしないわ」

「仕事をしない怠け者・・・俺のこと・・・ですか」

 俺の仕事って何だ? 草履取りだから景虎の草履を用意することだ。

 で、仕事をしていないということは・・・。

「お出掛けでしょうか、御大将」

「ええ、そうよ。

 でも草履がなかったからお出掛けできなかったの」

 どうやらすでに出かけようとしていたようだ。

 草履取りの分際で主の行動を制限してしまうとは・・・打ち首。

「申し訳ございません。

 この度は私の不手際で御大将にご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございませんでした」

 俺は顔を蒼くして額を床に擦り付ける。

 威圧感というものを始めて実感した。

 ただここに俺がいる、ただ目の前に景虎がいる。

 ただそれだけ、なのに、だからこそ、景虎のことを大きく感じた。

 体が重い、息が苦しい、頭がくらくらする。

 怖い、ただ怖い。逃げ出したくてたまらない。なのに足が、手が、震えが止まらない。

「・・・」

 俺はただ土下座をしたまま小さくなって震えている。

「・・・頭をあげなさい」

 俺は必死の思いで頭を上げる。それでも景虎の顔を見ようなんて気は起こらなかった。

「こっち見なさい」

 俺は景虎の言う通りに顔を上げる。

 逆らってはいけない、俺の生き物としての直感が強者に逆らうなと告げている。

「・・・ぷ」

 景虎は・・・笑っていた。

「ひどい顔してるわよ・・・ぷふ」

 俺は景虎の顔を見たまま固まっている。

「あははは! 面白い! あんな、あんなふうにプルプル震えちゃって! ははは! おかしいー!」

 景虎は大きな声で笑っている。

「は・・・ははは・・・」

 俺は乾いた笑いを返す。

「はぁはぁ・・・ふー」

 景虎がひとしきり笑い終えても俺は動けなかった。

 今は笑っているが景虎が俺の失敗を許したわけではない。

 ここで調子に乗って気軽に笑い返せるほど俺は強い人間では無いようだ。

「・・・何も言わないの」

「・・・怖い」

 訂正、少しは強いようだ。

「怖いってなによ」

 景虎の目がまた少し厳しくなる。

 正直怖いがさっきと同じように俺の何かしらの直感が告げている。何か言えと!

「お腹がすきました」

「ぁ・・・・・まだ食べてなかったの」

 ふっと、景虎の雰囲気が和らいだ気がする。正解を言えたのだろうか。

「まだ起きて30、じゃない四半時もたってないと思います」

「遅すぎるでしょう。もうみんな起きて仕事してるわよ」

 言い訳はできない。

 今が何時なのかは分からないが日は出ているのだから明け六つは過ぎているだろう。俺が起きたのは昨日までの起床と同じくらいだとすればおおよそ7時、しかしこの時代の人が働き出すのは明け六つだろう、朝日が出たら明け六つだから多少の時間差はあるだろうが少なくとも俺の起床がこっちに感覚だとかなり遅いということは理解できた。

「まあ今日のところは昨日私がやりすぎたからってことで見逃してあげるわ。

 明日からはちゃんと起きるのよ、いいわね」

「・・・」

「ちょっと、どうしてまた黙るのよ!

 ・・・そんなに怖かった?」

 景虎が少し声を沈ませて問いかけてくる。

「いや、そうじゃないんだ。さっきのはもちろんまだ怖いし、たぶん明日以降もしばらくは景虎を見るたびにおびえてしまうくらいに怖かったけど。今黙ってたのは違って・・・起きられる自信がなくって」

「そのくらい気合で何とかしなさいよ!

 だいたいどうして起きられないのよ!」

「だって、昨日までの俺は明け六つからさらに半刻くらい遅く起きてたから・・・習慣というものが」

 俺は家から学校までが微妙に遠かったから朝練には参加していなかった(参加しようと思ったら毎日朝5時起き・・・断固拒否する)。

「あんた・・・そんな時間に起きていて恥ずかしくなかったの」

 ものすごく見下した目をしている。ゴミでも見ているようだ。

「いやいや! 俺のいたところでは俺くらいの年の子はこのくらいに起きるもんなんだよ!」

「本当に~」

「疑われてもなー」

 このことはどうやっても証明できない、どういっても俺が怠け者だからで片づけられてしまうだろう。

 ・・・このままいくと俺は怠け者→景虎が怒る→さっきみたいに怒られる→怖い!

 どうしよう・・・想像するだけでもう怖い。

 そんなことを考えていたら血がサーと引いていく感じがしてきた。

「ちょっと、何勝手な想像して蒼くなってるのよ」

「い、いや・・・その」

 ちょっとまずいぞ・・・本当に怖い。また手が震えてきた。

「そんなに怖いの・・・私のこと」

 また声が沈む。

 今度は泣きそうな顔をしている・・・また直感が働いた、今回は男としての直観が働いた。 

「こ、怖い、けど・・・好きだ!」

「いいわよ、無理しなくて」

「無理なんて・・・」

「してるでしょ! 私のこと怖いんでしょ! 一緒にいるだけで顔が蒼くなって震えだしちゃうくらい怖いんでしょ!」

「違う、俺は・・・」

「何が違うのよ、何が! 怖いんでしょ! 違うなら何か言ってみなさいよ!」

「・・・・・ぉ」

「どうしたのよ! 何か言いなさいよ!」

 ・・・カチンときた。

「何か・・・言いなさいよ」

 景虎の目じりに涙が浮かんでいる・・・ように見えるが今の俺はとりあえず無視。

「五月蠅いんだよ」

「え」

「五月蠅いんだよ景虎、少しは黙って人の話聞けよ。人が何か言おうとするたびにギャーギャー喚きやがって。主だからって調子に乗るなよ? 主なら俺たちの言葉にも耳傾けろよ? 喚くだけなら誰だってできるだよ餓鬼かお前は?」

 俺は景虎の前に真っ直ぐに立つ。

 腹が立つ、俺の家族がそうだったが、みんな人が話している途中で割り込んでくるくせにこっちが言おうとしていることを何一つわかっていない。

 今の景虎のことははっきり言って嫌いだ、さっきのやり取りを思い出すとさらに腹が立つ。

「ゎ、私は・・・」

「声が小さい」

「・・・私は! 餓鬼じゃない!」

「嘘つけ、餓鬼だろ? 無気になっちゃってまあ。声が小さいって言ったら今度は声張り上げちゃって、恥ずかしくないの?」

「・・・五月蠅いわよ・・・」

「ならどうする? 首を落とすか?」

 ・・・あ、やばい。思ったより怖い。

 さっきみたいな威圧感をもう一度向けられたら今度は気を失うかもしれない。

「う・・・五月蠅い・・・」

「・・・あれ」

「ぅ・・・うぅ・・・」

「(あ、あれーーーーーーー!!!)」

 お、おかしい⁉ 景虎が泣いてる⁉ そんな馬鹿な‼

 景虎の頬には目の端からこぼれる雫が一筋に小さな川を作っていた。

「ごごごごめん! え、でもなんで⁉ なんで泣いてるの⁉」

「私・・・餓鬼で何がいけないのよ」

 そこーーーーーーー⁉

 何で長尾景虎ほどの人がそこで泣くの⁉ ていうか餓鬼なのは認めてるんだ⁉

 どどどどうすればいい、まずは景虎がどうして泣いているのか考えろ。

 俺が餓鬼だといった→景虎が傷ついた→景虎が泣いた

 ・・・終わった・・・俺は何をしているんだ、好きな女の子にひどいことを言って泣かせてしまうなんて・・・。

「うっ・・・うう・・・」

「ごめん・・・泣かせたかったわけじゃないんだ、その・・・ちょっと頭に血が上っちゃって・・・」

「ううん。私が餓鬼だからいけないの」

「違う、そんなことない・・・景虎は餓鬼じゃ・・・いや、餓鬼でもいいさ、昨日の夜も聞いてたんだろ、恋は盲目、惚れた方が負け、いろいろ言うが・・・その、なんだ・・・餓鬼みたいな景虎でもいいんだ、俺が好きな景虎なんだから・・・変わらなくていいんだよ、むしろそのままでいてくれ」

「・・・」

「・・・」

 また俺は恥ずかしいことを・・・。

 何なんだ俺は、こっちに召喚されたから主人公じゃね? とかひと時変なことを考えていたような気もするがそんなことはないと昨日一日で納得しておいたはずなのに、なんだ今の俺は? 可愛い女の子を前にして何を言っている・・・主人公じゃないんだからこんな主人公が言うようなこと言うなよ。

「私のこと・・・好き?」

「ああ」

 なのにどうしてすらっと答えてるんだよ。

「愛してる?」

「ああ、愛してるよ」

「どのくらい愛してる?」

「どんだけでもだよ、この世の誰よりも愛してるよ」

 ああ、恥ずかしい。さらっと言ったよ、本当にやめてほしい、俺はどうなってしまったんだ・・・。

「ずっと愛していてくれる? ずっと傍に居てくれる?」

「ああ、ずっと愛してるし、ずっと傍にいるよ」

 ・・・まあいいか、景虎が笑顔なら。

 ・ ・ ・笑顔?

「ふっ・・・勝った」

「おい、今勝ったとか言わなかったか?」

 気がつかなかった・・・いつの間に景虎は笑顔になっていたんだろう。

「ええ、言ったわよ。嬉しいわ、ずっと愛してくれるのよね、ずっと傍に居てくれるのよね」

「何が言いたい、さっさと言え」

 またやってしまった、今度は何を言われるのやら・・・景虎には一生勝てそうな気がしない。

「言っていいの?」

「どうせ言うんだろ、さっさと言え」

 さあ来い、わかってるぞ、とんでもないこと言うんだろ?

 本で読んだ景虎のことを思い出してみろ?

 参考になるかわからんがとりあえず思い出してみろ。

 俺の知ってる本で読んだ景虎なら何をするか・・・恐らくは・・・。

「貴久、私と祝言を挙げなさい」

「・・・」

 甘かったか。

「貴久、これはお願いじゃないわ、命令よ」

 本の景虎と目の前にいる景虎は違う、前に景虎から気持ちを伝えられたときにこれを理由に断ったはずなのにな。

「逆らったら?」

 無駄なあがきだと分かっていても聞かないわけにはいかない。藁にも縋るというやつだ。

「罰を与えるわ」

「その罰って何だ」

 打ち首とかなんだろうな~。

「貴久が私と祝言を挙げることよ」

 やっぱり俺が甘かった。

「それじゃ、行きましょうか」

「どこにだよ」

「春日山城よ、盛大に挙げないとね」

「景虎はいいのか、さっきのは流れでいっただけで本心から言った言葉じゃないかもしれないんだぞ」

「そんなことないわ、さっきのは確かに流れで発言したけど、言った言葉はあなたの本心よ。違っていてもその時は私の見る目が曇っていたというだけよ」

「それって結局俺は景虎と祝言を挙げているよな」

 流されていいことじゃない、それでも。

「そうね、何か問題があるの?」

 景虎と祝言。

 どうやら俺の中途半端な強さの心では断ることはできそうにない。

「いいのか、本当にこの先、景虎以外の女の子のことを好きになるかもしれないぞ」

「あなたがそうなったらそれは私が悪いのよ、あなたが私以外の女が見えないほどに私のことを好きにさせればいいだけなんだから」

「・・・はあ、知らないからな」

 一言だけ言い訳をして景虎の命を受けることにする。

 流れで受けるわけじゃない、自分の意志で景虎と祝言を挙げることを決める。

 だからこの先、この祝言を元に何が起きようとそれは俺の責任だ。

「腹が決まったならさっさと行くわよ」

「どうなっても知らないからな」

 そう言って俺は昨日と同じように景虎の後に続いて春日山城に向かって歩き出した。

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