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鬼のおじさんと兎のようじょ  作者: 五十鈴スミレ
鬼のおじさんと兎のしょうじょ
6/12

6.大切なものを失う、その痛み



 ススメを養子に迎えてから、早六年が過ぎた。

 ススメは十二歳となり……ユキが、死んだ。




 抜けるような晴天とは、今日のような空を指して言うのだろう。

 雲一つない、青々とした空を、ススメは見上げている。

 そこに雲があったなら、それは兎の形をしてススメの目に映ったのだろうか。

 優しい色をした春の空が、少しでもススメの心を慰めていればいい。


「ねえ、おじさん」


 こちらを向くことなく、ススメはコクヘキに話しかける。

 答えを期待しているのかどうか、彼女の横顔からはうかがい知れない。


「ユキは、しあわせだったかな」


 震える声で、問いかけてくる。

 悲痛で、寂しげで、あきらめも含んだ、複雑な思いのこもった声だった。

 コクヘキが言葉に迷っていると、ススメは目の前の、庭に作ったユキの墓に目を落とす。


「わたし、ユキをちゃんと、しあわせにして、あげられたかなぁ」


 声と一緒に、ぽろり、ぽろり、と涙もこぼれ始めた。

 透明なしずくに動揺してしまいそうになる自分を叱咤する。

 今、誰よりもつらいのはススメだ。

 コクヘキはススメを支えなければならない。


「大丈夫だ」


 しっかりとした声で、コクヘキは断言する。

 なんとか動揺を隠しきることができた。


「だんだん、ユキの考えてることがわかんなくなってっちゃったの。

 成長すると、違いがおっきくなっていくから、なんだって。

 わたしが子どものままなら、ユキが具合悪いのも、気づいてあげられたのに……」

「気に病むな。

 元々、ユキも年だった」


 ユキはススメのいた孤児院で飼っていた兎だ。譲り受けたときにはすでに生まれて数年が経過していた。

 もっと早く別れが来ても、おかしくはなかった。

 むしろ、長生きしたほうだろう。

 ただの動物であるユキは、ススメと同じ速度では生きられない。

 一人と一羽の間には、寿命の違いが横たわる。

 ……それは、魔界の種族差にも言えることだった。


「悲しくて、悲しくてしょうがないの。

 おじさん、どうすればいい?」


 涙に濡れた瞳が、コクヘキを見上げる。

 ズクズクと、胸が痛みを訴える。

 己はなんと非情なのだろう、とコクヘキは思う。

 ユキが死んでしまったことよりも、ススメが泣いていることのほうが、コクヘキにとってはつらいのだ。

 喜びも悲しみも痛みも、ススメがもたらす。

 彼女と暮らすようになってから、コクヘキは久しく忘れていた感情を揺り動かされていた。

 今はただ、悲しみに心を染めたススメを、慰めてやりたい。

 慈愛とはこういった思いを言うのだろうか。


「好きなだけ泣いてやりなさい。

 それがユキへの手向けになるだろう」


 力なく垂らされた耳には触れないよう、小さな頭をなでてやる。

 泣くな、と言うことは簡単だ。

 だがそれでは、いつまで経っても心のしこりはなくならない。

 涙は悲しみを溶かし、癒してくれる。

 ユキの死を乗り越えるために、今は涙が枯れるまで泣けばいい。


 獣人ではなく、子どもでもないコクヘキには、ユキの思考など理解できるはずもない。

 けれど、ユキが心からススメを信頼していたことは、見ていればわかった。

 ススメが本当にユキをかわいがっていたことも、一人と一羽が姉妹のような関係を築いていたことも。

 大切な存在の喪失は、とてつもない痛みを伴う。

 死は、誰にでも平等に降り注ぐ。

 別れを、別れの痛みを、ススメは知っておかなければならない。

 その痛みを癒す手段も。


「ふ、ふぇ、ふぇぇええぇんっ!!」


 ススメはくしゃりと顔を歪ませ、泣き声を上げながら抱きついてきた。

 子ども特有のかん高い声を、不快に思うことはなかった。

 ただ、ススメの痛みが和らぐようにと。

 今すぐには無理でも、ユキと過ごした日々を、きれいな思い出にできるようにと。

 華奢な背をなでながら、コクヘキにはそう願うことしかできない。


「気がすむまで泣け。

 すべて受け止めてあげるから」


 コクヘキの言葉に、ススメの泣き声はさらに激しくなった。

 これではしばらく泣き止むことはないだろう。

 身体は大きくなってきていても、まだまだ子どもだ。

 小さなぬくもりを抱きながら、コクヘキはある願いを抱く。


「お前は……」


 お前は、死なないでくれ、と。

 言葉にはせずに、心の中でつぶやいた。

 いつか、コクヘキとススメにも、永遠の別れが来るだろう。

 鬼族のコクヘキは獣人のススメよりも寿命が長いが、今の年を思うと、きっと置いていくのはコクヘキのほうだ。ススメが早死にさえしなければ。

 コクヘキは、ススメを永遠に失う痛みに耐えられるとは思えない。

 それだけ、この小さないのちを愛してしまっているという自覚がある。

 できるだけ長生きしてくれればいい。

 そして、いつか来る命の終わりに、こうして涙を流してくれたなら。

 それだけでコクヘキは幸福に逝けるのだろうと、ススメには決して言うことのできないいつかを思い描く。




 こんなに惜しんでもらえるユキを、少しうらやましく思ってしまったことも。

 ただ純粋に悲しむススメには、絶対に言えなかった。







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