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鬼のおじさんと兎のようじょ  作者: 五十鈴スミレ
鬼のおじさんと兎のしょうじょ
11/12

11.気づいてほしい、その呼称



 ススメと想いを通じ合わせてからも、変わらぬ穏やかな日常が続いている。

 もう十年、親子として暮らしてきたのだ。

 今さら何かがすぐに変わるわけもない。

 それでいいとコクヘキは思っている。

 ……と、コクヘキは思っているのだけれど。


「ねえおじさん、いつわたしを食べてくれるの?」


 どうやらススメのほうは、それで納得はしてくれないらしい。

 リビングで手紙を読んでいたコクヘキに、ススメは単刀直入に尋ねてきた。

 今の状況は成人してからの猛攻と似ている。

 そのときほどの勢いはないけれど、たまに思い出したように、ススメはこうして迫ってくるのだ。


「……何を言い出すかと思えば」


 孤児院から届いた手紙から顔を上げずに、コクヘキは眉をひそめる。

 十年前までススメの暮らしていた孤児院からは、今も季節の折々に手紙が届く。

 援助をしたのは最初の一年二年ほど。それ以降は資金のやりくりができるようになり、手を貸す必要はなくなった。

 余裕もできたので少しずつでも金を返していきたいという院長の申し出を断ったのは、だいぶ前のこと。

 孤児院の子どもたちの成長ぶりと一緒に、ススメを案じる言葉が手紙には添えられている。

 近いうちにまたススメと二人で顔を出そうか。

 などと思っていたコクヘキの腕を、ススメは強引に引っ張った。


「だって、わたしはおじさんのつがいなのに。

 いつ手を出してくれたっていいのに」


 見るからに不満そうな顔は、残念ながらまだまだ子どもとしか思えない。

 つがいだつがいだと言うが、まだ今のところ二人はつがいの契りを交わしてはいなかった。

 つがいの契りは血の契約。魔族の血の巡りには月の運行と関わりがある。つまり、日を選ぶ必要があるのだ。

 その他、必要となるものもあるので、正式に契りを交わすのは少し先のことになるだろう。

 とはいえ、もちろんコクヘキはススメをつがいとして見ているし、手を出したくないわけでもない。

 ススメはかわいい。それこそ食べてしまいたくなるほどに。

 もうただの娘として見ることはできないと、他でもない自分が一番わかっている。

 けれど。

 ちらり、とコクヘキはわざとススメの胸元に目をやった。


「お前がもう少しおいしそうに育ったらな」

「今、胸見た? 胸見たでしょ!

 まだちょっと小さいかもしれないけど、これから育つんだからね!」


 恥じらいからか怒りからか、ススメは顔を真っ赤にした。

 すぐに騙されるあたり、やはりススメはまだまだ子どもだ。


「別に俺は今のままでもいいけどな」


 それは別にススメの胸のサイズのことだけを言ったわけではない。

 ススメは今のままでいい。

 そして、二人の関係も。

 しばらくは、今のままでも悪くはないと思うのだ。


「じゃあどうして手を出してくれないの?」


 きょとん、とススメは不思議そうな顔でコクヘキを覗き込む。

 大きな赤い瞳が、コクヘキを見上げる。

 ルビーよりもキラキラと輝く宝石。

 バラよりも色鮮やかにコクヘキの心に咲く花。

 朝焼けよりも夕焼けよりも、ずっと見ていたいと思わせられる、コクヘキだけの空。

 ススメの持つ色彩は、綺麗だなんて一言では言い表せられない。

 だからこそ、たまにまぶしさに見ていられなくなる。

 コクヘキは、ススメほど純粋ではないから。


「……言わない」


 ふいっ、と拗ねた子どものようにコクヘキはススメから視線をそらした。

 すぐにでも孤児院へ返信の手紙を書いてしまおうか。

 きっとその間はススメも静かにしていてくれるだろうから。

 手紙を逃げ道に使うのは悪いとわかっているが、それしかススメの追求から逃れる手段は思いつかない。


「ええー! なんで、どうして?

 教えてよ、おじさん!」

「自分で考えなさい」


 それだけ告げて、コクヘキは自室に向かうために立ち上がる。

 自然と腕をつかんでいたススメの手が離される。

 なくなったぬくもりを、名残惜しく思っていることは、ススメには気づかれたくなかった。


「おじさん、冷たい……。

 わたしたち、つがいなのに……」


 しょんぼり、と目に見えてススメは肩を落とした。

 その姿は哀れみを誘い、思わず抱きしめて慰めたくなるが。

 ここでほだされてはいけないのだ。

 コクヘキは自分の中で決めたのだから。


『彼女が自分から変えるまでは、このままで』、と。


 ススメは気づいていないのだろうか。

 一度もコクヘキの名前を呼んだことがない、ということに。

 もちろん、十年も呼び続けた呼び方に親しみや愛着があるのはわかる。

 けれど、つがいとして望むなら。

 名前を呼んでもらいたい、と思うのは決しておかしくはないはず。

 少なくとも、ススメが自分から変えてくれるまでは。

 自分はまだただの『おじさん』でいようと、そう決めたのだ。


「……早く、気づいてくれ」


 思わず、焦れるように小さな声でつぶやいてしまった。

 まだしばらくは今の関係のままで、と思っているのは、実はススメのほうなのかもしれない。

 自らの想いに蓋をしていた、以前のコクヘキはもういない。

 この関係も悪くはない。変化はゆるやかでいい。

 けれど、自覚してしまった今では、今の状況が生殺しであることも事実だったりする。


「? おじさん、どうしたの?」


 こっちの気などつゆ知らず、ススメは小首をかしげる。

 その白い首筋にはきっと朱が似合うだろう、なんて。

 人より高い声がいっさい高く上がるとき、どれだけの艶を含んでいるのだろう、なんて。

 コクヘキが思っていると知ったら、どんな反応をするのか。

 なんでもない、と苦笑してごまかすものの。

 これはいつ限界が来てもおかしくないな、とコクヘキは自嘲気味に思うのだった。




 鬼のおじさんと、兎のようじょもとい兎のしょうじょ。

 二人が本当の意味で結ばれるのは、もう少しあとのお話。







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