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後編


「なぁにが『必然だよ』だ。万人に分かる答え方しろってんだ」


 警備の詰め所に寄ってから自分の研究室に戻ったラウネは、いらいらと悪態を吐いた。引き出しから取り出した金平糖をがりがりと噛み砕きながら、彼はサンの帰りを待つ事にした。


「……にしても、ニルが来てたとはなぁ」


 帰り際、ジャスパーは「そう言えば君はニリィに会ったかい?」とラウネの肩を叩いた。

 ニルとは、一年程前にパートナーの妖精と共に別の研究施設に移った研究仲間だ。短い間だったが、ニルもまたラウネと同じ研究室に所属していた。余談だが、ニリィとはジャスパーが付けたニルの愛称である。

 そのニルが、三日前にこの研究所を訪ねて来たらしい。ラウネは朝早くに街から出ていた為に、ニルに出会う事はなかったが、ジャスパーが言うにはニルが研究所を後にした直後から泥棒騒ぎ――俺らはそうは思ってないけれどね、と彼は何度も念を押してきた――は始まったそうだ。

 金平糖をひとつ口の中に放り込み、ラウネは眉を寄せた。


 ――フィッチ、ジャスパー、ノットン、アルヴィーにニル。


 かつての仲間の名がずらりと脳内に並ぶ。偶然にしては出来過ぎている。ジャスパーが言った様に『必然』と呼ぶ方が相応しい様な気がしてきた。


「必然、必然……」


 呟いたところでどうなるわけではないのだが、ぶつぶつとラウネは唇を動かした。ざらりと金平糖の欠片が舌の上を滑る。


「………そーいや、フィーちゃんからちゃんと話聞いてなかったよな」

「僕?」

「……ノック」

「したけど気付かなかったでしょ。ちゃんと声もかけたよ」


 ぐるりと椅子ごと背後を振り返る。扉を開けたままの格好で首を傾げたフィッチに、ラウネは金平糖の袋を投げ渡した。

 複雑そうな顔でそれを受け取ったフィッチに、ラウネは小さく笑った。彼は甘いものが大の苦手なのだ。チョコレートは大好物なのになと呆れつつ、ラウネは口を開く。


「苦手でも貰ったら食うんだろ?」


 貰ったものは嫌いでも食べる、が彼の身上だ。なんとも食い意地が張った取り柄である。

 そうだけどね、とフィッチは心底嫌そうな顔で金平糖をひとつつまんで口に放る。さっさと飲み込んでしまおうと、がりがりと乱暴に噛み砕きながら、袋をラウネに投げ返した。


「他の人にしちゃダメだよ。……で、ラウは僕に何か用だった?」

「ん、あぁ、そうだけど。そっちもだろ?」

「借りてた本を返しに来たんだよ。これ、ありがとう」

「あぁ……適当に置いといて」


 辞書並みに分厚い本を掲げてみせたフィッチを部屋の中へと招き入れる。

 室内に乱立する、少しの振動で不安定に揺れる本の塔達を眺めしばし考えた後、フィッチは手にした本を本棚の上に置いた。そちらもそちらで不安定な場所だったが、本の塔を高くするよりはいいだろう。

 

「そう言えば、サンは一緒じゃないの?」

「オルヴィーんトコ」

「なんで?」

「俺が頼んだんだよ。泥棒騒ぎの事、詳しく知りたくてさ」

「あ、それで僕に用だったの?」

「そ。話してくれるよな」

「答えられる範囲でならね」


 まぁ、座れよ。そう声をかけると、フィッチは勝手知ったるなんとやら、戸棚からチョコレートの箱をひとつ取りだすと、もぐもぐやりながら適当な場所に腰を下ろした。

 彼が部屋を横切った際、不意に煙草が香った。今朝話していた新商品の煙草だろう、甘いものが苦手と言いながらいやに甘ったるい香りだ。

 ふ、とラウネの脳裏にジャスパーの研究室を訪ねた時の記憶が蘇った。


「なぁ、最近ジャスパーに会ったか?」

「この間、ニルが来た時にね」

「……どこで?」

「僕の研究室だったかな、確か。それがどうかした?」


 いや、とラウネは首を振った。


「そういえばニルは何しに来たんだ?」

「えぇと、………そうそう、近くに寄ったから顔出しただけって」

「ふーん…ま、らしいっちゃらしいか」


 そうだね、とフィッチは笑った。

 ラウネは金平糖の袋をがさがさと弄びながら、それで、と話題を泥棒騒ぎの方へと戻していく。


「鍵はかけたのか?」

「しっかりね」

「窓も?」

「うん」

「壁とか扉に穴があいてたりとか……」

「……流石にそれはないと思うけど」

「だよなぁ。……そうだ、ノットンとアルヴィーもやられたってのは聞いたか?」


 あぁ、とフィッチはチョコレートの銀紙をはがしながら頷いた。そして、少し考えた後首を傾げながら、ジャスパーもだよね? と、ラウネに尋ねた。


「今朝やられたって」

「それ、誰に聞いたんだ?」

「―――」


 フィッチは手元から顔を上げると、ひたりとラウネを見つめた。眼鏡のレンズの向こうから、一対の橙色がラウネを射抜く様に見据える。

 軽くたじろいだラウネにフィッチはふっと笑い、警備の人に、と呟き銀紙をはがし終えたチョコレートをかじった。


「疑われているのかな」


 疑問、というよりは確認といった風にフィッチは問い掛ける。彼は白衣のポケットから新しい煙草を一本取り出したが、火は付けずにくわえるだけにとどめた。

 ラウネは首を振ったが、それでも否定の言葉は口にしなかった。


「…ジャスパーは今朝、部屋を荒らされたって言ってた。アンタんトコも今朝だ」

「順番に行ったんじゃないかな」

「………。で、警備がジャスパーに事情を聴きに行ったらしい。『あなたの研究室が荒らされたと通報がありましたので』ってな」

「ジャスパーが警備の人に頼るなんて珍しいね」

「ジャスパーが部屋に行く前に、通報が来たんだとよ。ノットンの時もそうだったらしいぞ」


 ちなみにアルヴィーの時は偶然、巡回中の警備が通りがかったらしい。

 フィッチは眼鏡を押し上げると、続きを促すように首を軽く傾げた。橙色の瞳は今はラウネを見ておらず、少し外れた先を眺めていた。


「通報したのは誰かって警備の奴に聞いたら、レオニー先生ですって正直に答えてくれたよ」


 ラウネは伏せた瞼を持ち上げ目の前の友人――フィッチ・レオニーを見た。

 彼は困った様に笑い、ずれてもいない眼鏡を押し上げる事でラウネから表情を隠す。それが困った時の癖だという事を、ラウネは知っている。


「………アンタなのか?」


 小さな声だったが、静かな室内には十分過ぎる声量だった。フィッチはゆっくりと瞬き、他は? と、微笑んだ。

 それは肯定か否定か。ラウネは意味を受け止め損ね、気まずさから視線を逸らす。穏やかな声音なのに、まるで自分が尋問を受けている気分に陥り、慌ててラウネは首を振った。

 落ち着け、と自分自身に言い聞かせ、息を吸う。そして、溜息の様に言葉を吐き出した。


「匂い」


 フィッチは何も言わず、ただラウネを見ている。


「煙草の匂いがジャスパーとノットンの部屋に残ってた。アルヴィーんトコは分からねぇけど、多分、残ってる」

「確かに僕はヘビースモーカーだけど、煙草を吸う人は他にもいるよ」

「でも、その煙草を吸う奴はいねぇだろ」


 フィッチがくわえたままの煙草を指さすと、彼は笑った。そして、ひとつ訂正、とラウネを一気に奈落の底へと付き落とす台詞を吐いた。


「アルヴィーの部屋には残っていないよ。あの時はまだ、煙草の封を切っていなかったから」


 他は否定できないね、とフィッチは肩をすくめた。

 ひゅう、と北風が体の中を吹き抜けたようだ。急激に体温が下がっていく様に、血液がすべて冷水に変わった様に、ラウネの体は冷えていく。

 対するフィッチは穏やかに微笑み、夕焼け色の瞳を細める。それはとても優しい笑みなのに、ラウネには背筋が凍るほど恐ろしく感じた。


 ――泥棒、犯罪者。……よりにも寄って、目の前の、彼が。


 ラウネはぐっと拳を握り、…理由は、と急に掠れてしまった声で尋ねた。風邪をひいたときの声に似ているな、とラウネの中の冷静な部分が静かにそう告げた。ぐらぐらと視界が揺れるのは、驚愕か失望か。額を押さえながらそれをやり過ごす。

 フィッチは火の付いていない煙草を上下させ、眼鏡を押し上げながら立ち上がった。


「!」

「大丈夫、逃げない逃げない」


 ひらひらと手を振り、フィッチは部屋の扉を開ける。

 彼の事は信用しているが、今この瞬間もそうかと問われれば、頷ける自信がない。ラウネは立ち上がりかけたが、頭も体もショックから立ち直りきれていない彼は、そのまま椅子へと逆戻りした。

 扉を開けたフィッチは、廊下を漂っていた妖精――あの金髪はサンだ――を招き入れると、静かに扉を閉め、元いた場所に戻ってきた。


「……逃げないのかよ」

「? なんで?」

「なんでって……」

「逃げてほしかったの?」


 耳に入った言葉に頷こうとし、眉を寄せたままラウネは首を振った。フィッチの言葉ではなく、今の自分の行動を否定する様に。


「逃げるって何の話?」


 話が見えない、と言いたげにサンは頬を膨らませながらラウネとフィッチの間を行ったり来たりする。少し鬱陶しかったので、軽くはたいて視界から追い出した。


「ちょっと!」

「悪い、後でな」


 サンの方を見ずに謝ると、ラウネの声の硬さに気付いたのか、彼女は何も言わなかった。それでも、ラウネの後頭部を蹴飛ばす事は忘れていなかったが。

 地味に痛む後頭部をさすり、マジついてねぇ、と舌打つ。サンと別れた後、ジャスパーに似たような事をされた記憶まで蘇ってきた。


「アンタが、」

「ん?」


 そこで、ラウネは言葉を切った。

 そう言えば、サンは『泥棒=フィッチ』と知らないのではないか、と思い至ったからだ。

ラウネはこちらを窺う小さな妖精を見た。じっとこちらを見上げる姿に、彼女は何も知らないのだろう、と確信した。

 遅かれ早かれ知る事実だ。誰がそれを口にしようと、サンに伝わる事には変わりはない。


「………アンタが、そんなに…その、金に困ってるとは知らなかった」


 それでも、ラウネはその事実を口にする事が出来なかった。


 ――多分、まだ自分でも信じ切れていないんだ。


 そう言い訳して、自分の言葉で誰かが傷付く事から、――自分を傷付ける事から、逃げた。


「? 別に困ってないよ。研究費だってちゃんと管理してるし、ね?」

「え? …えぇ、フィーはちゃんと貯金してるわよ?」

「………アンタら、人の一大決心を何だと思ってんだ…」

「「?」」

「なんで俺、ひとりでこんなシリアスやってんだろな……ったく、じゃあ理由は、」


 何だよ、と問おうと口を開いたラウネを遮ったのは、


 ――コンコンコン


 ノック、だった。


「あ、お客さんだ」

「……っとにどいつもこいつも!」


 空気読めよ! そう憤りながら、ラウネは乱暴に扉を開ける。


「悪いねぇ、空気が読めなくて」

「……何の用だよ、ジャスパー」


 扉を開けた先にいたのはジャスパーだった。彼はくるりと人差し指に髪を巻きつけ、不機嫌そうだねぇ、と肩をすくめた。

 そのまま中に入ろうと足を踏み出したので、ラウネはジャスパーの前に立ちはだかりそれを阻止した。これ以上厄介事を増やしたくないのだ。


「今取り込んでんだ。後にしてくれ」

「しかも取りつく島もなし、と来た。まったく、」

「分かった、後で聞くから帰れ」

「何の用だって言ったのは君だろう。俺は遊びに来ただけなのに、なんでこうも邪険にされるのだろうね」

「……意味わかんねぇ」


 がん、と苛立ちを――目の前の男にぶつけるわけにもいかず――手近な本棚にぶつける。


「! 危ない!」


 フィッチの叫びに、ラウネは反射的に振り返る。視界の上部にばらばらと崩れ落ちる本の山が現れた。

響くサンの悲鳴、フィッチが手を伸ばす、息を飲むジャスパー。一気に情報と驚きが脳内を駆け巡り、ラウネは身動きが出来ない。


「ラウ!」


 がつん、と鈍い衝撃と共にラウネの意識は一瞬で闇に溶けた。


 * * *


 じわりじわりと冷えた指先に体温が戻って来る様に、霧散していた意識がラウネに集まり出す。


「……で、まだ――」

「部屋が――…自業自得――」


 聴覚が誰かの声を拾うと、途端に残りの五感も機能を始めた。鼻につく甘い匂いに、掌に感じるさらりとした布。瞼を持ち上げれば、視界は白一色だった。


「……?」


 それに内心首を傾げながら起き上ると、パサリと白が顔から落ちた。首をよじって音のした方を見れば、そこには白いハンカチが一枚。

 なんでハンカチ? と、眉を寄せていると、ラウネの右隣りのカーテンが開いた。カーテンレールが軋む音と、あー、とやけに間延びした声が耳に入った。ずきずきと痛む頭を押さえつつ、そちらを見やると、妙に悲しそうな顔のジャスパーと目が合った。


「生きてるー…」

「……よし、歯ァ食いしばれ」

「え、なんでいきなり喧嘩してるの?」


 ラウネ、ジャスパー、フィッチの順に声を上げ、揃って顔を見合わせる。

 フィッチは少し気まずげに視線を落としたが、ラウネが声をかける前に顔を上げた。申し訳なさそうにハの字になった眉に、思わず噴き出してしまった。


「ラウ?」

「や、悪い。……なぁ、何があったんだ?」

「本の山が崩れて落ちて来たんだよ。その中で一番分厚い本――聞くところによると、フィーが借りてたそうじゃないか――が、がつーんってね」

「ごめん、僕が適当に置いた所為で…」

「適当にっつったのは俺だし、気にすんな」

「そうそう、起こるべくして起きた事故だよ。そもそもの話、あの部屋の汚さが――」

「「……ジャスパー」」


 はいはい、とジャスパーは両手を上げると、真っ白なカーテンの向こうへと消えた。ラウネはそこでやっと、自分が今研究所内にある医務室にいるのだと気付いた。この鼻につく薬品の匂いは清潔感の表れだ。街で喧嘩をするたび、フィッチに此処に連れて来られた事を思い出し、ラウネは小さく笑う。

 ぐるりと辺りを見回すと、あの頃と変わらぬ白い部屋だ。その白の中で、白衣を着るフィッチはまるで生首だけだそこにある様で、なんだかおかしかった。

 フィッチはうろうろと視線をさまよわせ、重い息を吐いた。


「本当に、ごめん」


 そうして突然深々と頭を下げるものだから、ラウネは泡を食って目を丸くした。わたわたと手を振りまわし、気にしてねぇから、と言うのが精一杯なのがなんだか情けない。

 すっと顔を上げたフィッチがまっすぐに視線を合わせ、ラウネは思わず身を正す。


「あ、そっちじゃなくて…その、泥棒の話……ちょっと面倒って言うか、ややこしいって言うか…」


 段々と弱くなっていく言葉につられる様に、フィッチは徐々に俯いていく。

 あー、もう! と、ラウネはがしがしと頭をかく。その拍子にまた痛みが走ったが、今は無視だ。


「分かって欲しいなら全部話せ。『言葉なくして理解はなし』だろ」

「…ニルに言わない?」

「? なんでアイツが出てくんだよ………分かった。言わない。言わないから話せ」


 やっぱやめようかな、とこの場を去ろうとしたフィッチの白衣を掴み、ラウネは溜息と共に投げやりな約束を口にする。フィッチはそんなラウネを見て、困った様に笑った。

 眼鏡を軽く押し上げると、彼はラウネの左隣のベッドに腰かける。フィッチの体重分、シーツが沈んだ。


「この間、ニルが来たのは知ってるよね?」

「俺が旅行行った日だろ?」

「うん。さっきは『顔を見せに来ただけ』って言ったけど、本当は新しく契約した妖精を見せに来たんだよ。研究所の皆にね。僕とジャスパー、ノットン、アルヴィーの部屋に行った後、最後に皆で僕の部屋でしゃべって、その後ニルは宿に帰ったんだけど」


 ふぅ、と息を吐き、フィッチは白衣から煙草を取り出す。様々な薬品のある医務室は、言うまでもなく禁煙だ。ラウネが軽く睨むと、肩をすくめて煙草を片付けた。


「夕方……もう夜だったかな。新しい妖精の子が僕のところに来てね、大切なものを失くしたから一緒に探して下さいって言ったんだ」

「大切なもの?」

「なんか、ニルから貰ったものだって。どんなものかは聞かなかったんだけど」


 一緒に探すなら聞くべきだろう、とラウネは思ったが、黙って続きを促した。


「アルヴィーの部屋は鍵が開いてたから勝手に入って中を探して。でも見つからなくて慌てて、片付けもしないで僕の所へ来ちゃったって。で、それはいくらなんでもまずいからアルヴィーのトコに行ったら…」

「警備が居たってか」


 フィッチはこっくりと頷いた。それから、すごい騒ぎだった、と悪戯が見つかった子供の様な笑い方をした。


「ちゃんと説明をしようとしたんだけど、泥棒に違いないって……ジャスパーが煽っちゃって…」

「……………」

「しかも妖精の子が――落とし物をして慌てたんだろうね――ニルの香水を頭からかぶったみたいで、匂いが凄かったんだ。アルヴィーは香水なんか付けないし、だからこの匂いがする奴が犯人だってなっちゃって……」


 はぁぁ、とフィッチは肩を落とした。

 片付けた煙草を再度取り出し、くるくると指先で回す。それを見つめながら、再び口を開いた。


「ニルが帰るまでに見つけなきゃいけなかったんだ。それで、悪いとは思ったけど、皆の部屋に入らせてもらった」

「…鍵は?」

「……警備の人に言ったら簡単に合鍵を貸してくれたよ。元々僕らは一緒の研究室にいたからね、勝手にお互いの部屋に入る事は今までもあったし。部屋に入るのはあの子が香水の匂いを落としてからにしたんだけど、やっぱり取れ切れてなくて、ちょうど僕の煙草があったからそれで誤魔化す事にした」


 あの甘ったるい匂いの煙草か。

 ラウネは小さく頷いた。


「ニルには言わないで欲しいって言われたから、……って言ったら言い訳だね」


 フィッチは瞼を伏せ、自嘲する様に笑う。


「警備の人が泥棒だって思ってるなら、そうしようって思って。研究なんて何処でも出来るけど、やっぱり追い出されたくなかったんだ」

「だからでっち上げたのか?」

「でっち上げ……そうだね。あとはラウが知ってる通り、僕が警備の人に報告した。ノットンもジャスパーもそういうの、面倒臭がってやらないかもしれないからね」

「自分の部屋を荒らしたのは、疑いの目から逃れる為、か…」

「え、違う違う」


 きょとんと眼を丸くし、フィッチはぶんぶんと手を振る。


「あれはあの子が勝手にやった事だよ。多分、ジャスパーか警備の人から聞いたんだろうね。僕が疑われているとか、そういうのを」

「は…?」

「だって探し物はジャスパーの部屋にあったんだよ? 僕の部屋が荒らされたのはその後」

「妖精がそう言ったのか?」


 ううん、と今度は首を振る。僕の予想だけど、と慌てて付け加えた。


「聞いてみようとは思ったんだけどね、宿に行ったらニルはもう出発した後だったんだ。もちろん、妖精の子達も一緒にね」

「聞けずじまいってか……後味悪ぃ」


 そう言って舌打つラウネに、まぁまぁ、とフィッチは笑いかける。


「探し物が見つかったからいいじゃない」


 そういう問題じゃない、とラウネはフィッチを睨み上げる。元々の目つきの鋭さも相まって、それは迫力のあるものなのだが、フィッチには全く怖がる様子がない。慣れているからと分かっていても面白くない。

 もうひとつ舌打ち、ラウネは深い息を吐いた。


「なんでそんなことしたんだよ」

「? だから、頼まれたから――」

「『頼まれたから』。頼まれればアンタは犯罪まがいの事もやるのか?」


 ぎくりとフィッチの肩が揺れたが、彼の瞳は揺らがなかった。ラウネが見つめている間に橙色の瞳に深みが増し、底が見えなくなる。

 夜闇の様な濃紺の髪と同色のまつげを伏せ、フィッチはそろりと微笑んだ。


「わからない」

「……アンタは優し過ぎる」

「僕にはラウの方が優しいと思うけどなぁ」

「抜かせ」


 にっこりと無邪気に笑う友人に、行き場のない苛立ちの代わりに枕を投げつけてやった。

 枕と共に眼鏡が吹き飛び、途端に慌て出すフィッチにラウネは肩を揺らして大笑いした。

 もう、となんとか眼鏡を見つけかけなおしたフィッチは、仕返しとばかりにラウネに枕を投げ返す。それを難なくよけ、ラウネはもう一度フィッチ目掛けて枕を投げる。

 流石に二度目は予想されていたらしく、フィッチは枕を受け止め、堪え切れなかった様に笑った。


「もー、医務室で遊ばないの」

「………、なんもかんも背負い過ぎんなよ」

「?」

「俺もサンもいるんだ。頼りなくても頼れ」

「………ラウ、」

「そして俺もいるしねー!」


 しゃっとカーテンが開いたかと思えば、その向こうからジャスパーが、じゃじゃーん! と叫びながら飛び込んできた。フィッチは目を丸くし、聞いてたの!? と叫んだ。

 そもそもの原因はニルの妖精だが、事態を悪化させたのは目の前の男だ。冷静にそう考えたラウネは、ひく、と頬を引きつらせながら、フィッチから奪った枕を力の限り投げつけた。


「ぶっ」

「ジャスパー!?」

「急に出てくんな! 大体お前の所為でややこしくなったんだろーが!」

「ふ、ふふ……俺に枕投げで勝とうだなんて、君ほど命知らずな若者はいないだろうね!」

「えええ!? なんでいきなり臨戦態勢!? ちょ、ちょっと、ここは医務室だから喧嘩なら外でやってよ!」

「そういう問題か!」

「望むところだ!」

「なんでそうなる!?」


 言うが早いか、ジャスパーはひらりと白衣を翻し、窓枠を飛び越えはためくカーテンの向こうへと消えてしまった。

 えー…、とラウネとフィッチはしばらく開け放たれた窓を茫然と眺めていたが、外から聞こえたジャスパーの声に我に返った。フィッチはベッドから立ち上がり窓へと近付くと、外にいるジャスパーに手を振り、ラウネを振り返る。


「ありがとう」

「……何が」

「ふふ、なんとなく。あ、おなか減ったなぁ……サンも呼んでお昼に行こうか」

「…奢りなら」

「いいよ、今日は特別だからね」


そう言って、にっこり笑ったフィッチは窓を閉めると、何のためらいもなく鍵を掛けた。


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