ぼくらはみんな生きている 生きているからなんなんだ ―生きることへの5つの断片―
よろしくお願いします。
序
「なぜ生きる」?その質問に答えが見つからない。生まれてもう16年半が経過しているのだが、一向に生きる理由が見つかる兆しがない。なぜ生きているのだろう。今の段階ではただの惰性というほかない。今まで生きてきたからだろうな。ではなぜ今まで生きてきた?これもまた答えのでない質問の一つだろう。とにかく生きる理由が一つも確立してないんだ、僕は。
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別に死にたいとかそういうことじゃない。そりゃ、死にたいと心の底から思うこともある。でも結局今まで死んでない。自殺未遂をしたこともない。でも実際本気で死のうとしたら止めることは、ほぼ物理的な方法でしか行えないだろう。(僕の住んでいる家の近くには踏切があってね。けっこう頻繁に電車も通るんだ。踏切の、あの不安定な音と光とともに、電車がその前を通り過ぎると、こうスイーっと吸い込まれそうになるんだ。そうするとたぶん僕は肉塊になって飛び散るだろうね。それで終わり。)簡単に死ねるけど、僕が心の底から死にたくならないのは生きたいと思っているからにほかならない。でも生きるなら生きるだけの理由が欲しい。
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楽しいことも嫌なこともそれなりにある。ただ重要なのは、それが何一つ生きる理由に結びつかないことだ。おいしいものを食べれば嬉しい気分になる。いい映画を見れば感動して泣いてしまう。テストで悪い点を取れば、自分が嫌になって落ち込んでしまう。みんなと同じように普通に経験している。でもそれが生きることの解答にはならないんだな、これが。
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「『生きてる』ってことが生きてる理由にはならんのか?」とは何度も自分に問いかけたけど、どうもそうはならないらしい。いま生きてる理由を渇望しているのはそういうことだ。「あなたはこの世に生まれてきてくれた、それだけで十分よ」そうだな。でも僕にとってはなんの理由にもならない。そもそも僕が問いかけているのは生まれてきたことの理由でもあり、今生きることの理由でもある。存在していることがすでに理由であるとは、僕は思わない。
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たぶん誰でも、この手のことを一度は考えたことがあるとは思うけど、僕は早急に答えが欲しい。なぜ?生きるだけでリソースを消費してしまうからだ。僕がこうして悩むことは、誰にも迷惑をかけているわけではないが、長期的に見れば、食べ物を摂取し、水を使い電気を使いして、この悩むという行為―食べ物も電気も水も生み出すことはない―を行うことは決定的にマイナスになっていく。僕はそれも耐えられそうにない。別に、「誰にも迷惑をかけず、一人だけで生活していきたい」などと思っているのではない。ただ、リソースを消費し、なにも生み出さない生活を他人の力によって過ごしていくことが、僕の生きる理由にはならないからだ。
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もう僕自身で答えを出すことは無理に等しいと思うので、誰かに代わりに答えを出して欲しいと思うのだが、いったいなんで生きているんだろう?この日々かわりばえのしない世界で、リソースを消費しながら、なにか自分にとって楽しいことを求めながら、無限とも思えるほどの長い時間を生きて、いい人生だったなと思い、周りに悔やまれながら死んでいくのはいったいどういう意味があるの?
―あなたは、そして僕はなんのために生まれてきたんですか?―
誰か教えてください。
ありがとうございました。