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刀と双銃の交奏曲  作者: 赤城宗一
第一章   
3/25

異世界 2

 蒼峰山は美しい山だった。

 暖かい地方に属しているためか、木の枝には果実がたわわに実り、草花も瑞々しく咲いている。


「これで竜がいなかったらねえ」


 フィアーゼは清流の水を飲み干すと、そう呟いた。

 彼女たち「竜討伐隊」は、現在休憩中だ。

 見つけた清流に足を浸しながら、セシリアも「そうだねえ」と同意した。

 水は本当に澄んでいて、とても冷たい。暑いと言っても過言ではない気候の中を進んできたフィアーゼは、疲れた体にたまった熱を逃がすために足を水に浸した。


「はあ……冷たくて気持ちいい……」

「そうだねえ……」


 横で同じような体勢でセシリアが同意する。彼女は輿に揺られていただけなので、フィアーゼほど疲れてはいないはずなのだが、フィアーゼはあえてそこにはつっこまなかった。

 清流沿いに幾人もの戦士が休息をとっている。皇国を出てからずっと緊張を張り巡らせていたのだ。肉体的には頑丈でタフな彼らも、精神的に来るものがあっただろう。そんな彼らにとって、この清流は絶好の憩いの場だった。

 ある者は体の力を抜いて、地面に寝転がっていた。

 ある者は落ちている果実を拾ってかぶりついていた。

 ある者はセシリアたちのように、清流に足をつけて他の者と談笑していた。

 この場所を蒼峰山であると、本当の意味で理解していた者が、果たして何人いただろうか。

 

 つまり。

 

 油断していた。

 

 天にとどろいたのは咆哮。気高き竜の叫び。

 場に緊張が走った。誰一人例外なく、表情が凍りつく。

 耳が痛くなるほどの静寂が辺りを支配していく。清流の流れる音と風が木々を揺らす音が、やけに大きく響いた。

 ドドドドドドドッ

 凍り付いていた刻は、山を揺るがす轟音によって溶かされた。


「竜か!?」


 フィアーゼが跳ねるように立ち上がりながら叫んだ。


「違う!」


 悲鳴に似た否定の声が、音源に最も近い位置にいる男たちの集団から飛んでくる。


「あれは――フォアラッセルの群れだ!」


 声が聞こえたのと、音の正体が姿を現したのは同時だった。

 地響きと共に山の斜面を駆け降りてくるのは、額に四本の角を持った二メートルほどの四本足の獣。その数は――


「……っ、多すぎるっ」


 どこからかそんな声が上がった。

 フォアラッセルの突進は、その四本の角の鋭さもあって恐ろしいものである。しかし、その動きは単調で直線的であり、それなりに戦闘訓練を積んだ者には難なく倒せる獣である。

 当然選び抜かれた武芸者にかかれば、ひとりでフォアラッセルの一匹や二匹を相手にすることなど造作もないことだ。


(でも、この数は……)


 フォアラッセルの群れからセシリアを守るように立ちながら、フィアーゼは思わず歯軋りをした。

 こちらを押しつぶそうとするかのように、広がって迫るその獣の集団は、その総数を知ることすら困難だ。

 そうしている間にも、フォアラッセルの群れは迫ってくる。もうあまり猶予はない。


「ちくしょう!」


 群れにいちばん近い位置にいた男が、自らを鼓舞するかのように吼えながら剣を抜いた。だが彼もわかっているだろう。少数精鋭をうたった「竜討伐隊」は、あの数のフォアラッセルに対処できるはずがない。

 選択肢はなかった。男たちが次々と剣を抜いて、臨戦態勢に入る。勝ち目のない戦いに突入する。

 と、その時――


「ミルミナスよ、わが名のもとに力を貸し与えたまえ。白色の世に誘う標――」


 フィアーゼの後ろにいたセシリアの唇が、言葉を紡ぐ。


(これは……!)


 眼前の敵を忘れ、フィアーゼは思わず後ろを振り向いた。

 セシリアは目を閉じ、祈るように両手を胸の前で組んでいる。そしてその口が、力強く言霊を発した。


「神の加護の光――シャイン!」


 直後、まばゆい光が弾けるように広がった。フィアーゼは反射的に目を閉じる。


(これは……魔法!?)


 魔法は選ばれしものだけが使える能力だ。

 魔法を使うことができる者は、産まれた瞬間から自らの力を自覚し、二本足で立つことと同じように、その力の使い方を知っているという。

 発現できる者はごく少数で、一つの国に百人いるかいないか、と言ったところだろう。

 確かに珍しい技能だ。セシリアが魔法を使える、などということは聞いた覚えがない。フィアーゼが驚くのも無理はない事実。しかし――


(この魔法は……?)


 しかし、フィアーゼが驚いた理由は別にあった。

 魔法という技能を持つ者(魔導士)は、生を授かる際に世界を形作っている四人の精霊王たちに気に入られた者だ、と言われている。

 火の精霊王アージャス。水の精霊王サロウーイ。土の精霊王エギレイト。風の精霊王フズルース。

 魔道士はそれぞれが火、水、土、風の内の、自らに力を貸してくれる精霊王がつかさどる属性の魔法しか使うことはできない。

 だが、今セシリアが使った魔法は、そのどの属性でもなかった。

 創造神ミルミナス。セシリアはその名を口にした。

 四大精霊王の母と言われ、この世界を作り上げたといわれるミルミナス。その光は世界を照らし、病める者の心にまでその光は届くという。

 神の名を冠する魔道士など、現在のマケス大陸はおろか過去にもいないのではないだろうか。

 フィアーゼが驚愕している間に、光は広がりフォアラッセルの群れを照らした。

 生物には毒となるほどに清い光は、暴走していた獣の網膜を、白く染めた。

 双眸に焼けつくような痛みを覚え、獣たちが次々と転倒していく。団子になって転がるフォアラッセルを見て、武芸者たちはほっと息を吐いた。

 絶体絶命と言える危機は去った。


(おかしい……)


 しかしセシリアの表情は硬い。

 自らの魔法に関しては、違和感はない。自分のこの技能は両親すら知らない。誰にも明かすことなく、ひっそりと訓練を行ってきた。

 だから、魔法を実戦で使用したのは今回が初めてだった。不安もあったが、結果は何一つ問題ないと思う。

 セシリアが不審に思ったのは、フォアラッセルの行動だ。

 もともと、フォアラッセルとは穏やかな気性の獣である。自発的に人間に襲い掛かることなど皆無で、農業を営む人には家畜として親しまれている。

 あの狂気に満ちた集団での突進は何だったのだろうか。

 と、不意に――セシリアの背筋がぞくりと総毛だった。


(な……なに……?)


 骨の奥の奥にある、産まれながらにして持っている本能が警告している。逃げろ、逃げろ、逃げろ。


「ほう……」


 背後から、声がした。

 セシリアは駆け出しそうになる足をぐっと抑えて、ゆっくりと声の主へと首を巡らせる。


「小物で時間をつぶしておったら、思わぬ収穫を得たな……」


 腹の底にずっしりと響く声。セシリアの視線の先には竜がいた。

 青い鱗で覆われた、しなやかで美しいその姿は三メートル近く。翼を広げるとそのシルエットは五メートルを超える。

澄んだ翠の瞳がセシリアを睥睨している。何もかも見透かしそうな視線。


「ベル……セリオス……!」


 フィアーゼが呟く。気付けば竜の周りには武芸者たちが各々の武器を構えている。


「ほうほう……単純に食われるのを嫌ったか」


 竜はあくまでセシリアしか見ずに言う。


「久方ぶりの食事だ。そうでなくてはつまらん。しかし……」


 そこで初めて、竜はセシリアから視線を外した。同時にセシリアは背中から嫌な汗がどっと流れるのを感じた。自分の足が無様に震え、目じりに涙が浮かぶのが分かる。


(目を合わせただけでここまで……)


 まさに規格外。張り合おうと考えることすらおこがましい。

 竜はしばらく視線を彷徨わせた後、ぴたりとフィアーゼに目を向けた。

「おい、小娘」

「な、何よ……!」

 声が震えるのを抑えつつ、気丈にも言い放つフィアーゼを鼻で笑うと、竜は言う。


「お前は先ほど『ベルセリオス』と言ったが……それは我の名か?」

「……?」

「いやなに、眠っていた時間が長すぎてな。自らの名さえ覚えておらんのだ」


 竜は自嘲するようにそう言った。瞳の色が濃く、深くなった、とセシリアは思った。


「な、何言って――」

「まあいい」


 フィアーゼの困惑気味の声を遮って竜は言う。


「我の名など、どうでもいいことだ。呼ばれることなどありはしないのだからな。今はそれより――」


 竜は再び、セシリアに視線を向けた。


「今はそれより食事だ。長らく待ったぞ」


 心臓を直接つかまれたような鋭い痛みが、セシリアの体を駆け抜けた。それが、恐怖が限界を超え、心拍数が跳ねあがった痛みだと、セシリア本人は知る術もない。


「う……おおオオオオ!」


 竜のちょうど真後ろあたりにいた武芸者が、吼えながら走り出した。大ぶりの剣を大きく構え、竜の死角から突進する。


「ひとつ、忠告しておこう」


 ヒュッという極少の風切り音と共に、武芸者の体が砲弾のごとく吹き飛ばされた。


「ごぶっ!」


 無造作にふり払われた尾によって宙を舞った武芸者を見ることもせず、竜は続ける。


「接近するときにわざわざ吼える必要はない。場所を教えているようなものだ。死角を突いた意味がない。まあ――」


 ヒュッとまた尾が振り払われる。と同時に人影が二つ、宙を舞った。


「――無言で近づいたところで、気配でわかるのだがな」


 瞬く間に三人を無力化した竜は、その間一度も視線をセシリアから外さない。

 まさに圧倒的。ミリシア皇国屈指の武芸者たちが、恐怖で足がすくんでいる。


「つまらぬな」


 竜が尾を振りながら言う。


「羽虫の一匹や二匹をつぶすのにも飽きた。まとめてくるがいい」


 その言葉に弾かれた様に、武芸者たちの集団が動いた。


「わ……わあああ!」


 言葉になっていない声を上げ、剣を構え、斧を振りかぶり、弓を引いて竜に打ち掛かる。そこに理性の色はなく、子供のようにただただ死地へ飛び込んでいく。


「恐怖に呑まれたか……」


 フィアーゼは「くっ」と歯噛みした。

 彼女もまた、じわじわと体を侵食してくる恐怖を感じている。その恐怖に耐えきれず、飛び出しては散っていく武芸者たちの気持ちはよく分かる。

 それでも彼女が何とか理性を保ち続け、その場に留まっていられるのは、彼女の後ろにセシリアがいるからに他ならない。


(あたしが行ってしまったら、セシリアを守る人が……)


「もういいよ……」


 フィアーゼの肩に手を置いたセシリアが、蚊の鳴くような声で言った。その手が小刻みに震えてるのが、フィアーゼにはわかった。


「もういいよ……これ以上は無理だよ」


 次々と倒れていく武芸者たちを見るセシリアの目が潤んでいる。


「私、みんなを幸せにできる王女になれればって思ってた。そのためなら何だってする気だったし、なんだってできると思ってた。でも、だから……でもこんなのは嫌だよ。みんな傷付いてく。私のために、私のせいで傷付いてく……。そんなの嫌だよ。そんなのはもう、耐えきれないよ」


 セシリアの声が、瞳が、心が訴えていた。セシリアがフィアーゼの前に出る。


「私、行くよ。私が生贄になって全部終わらせることができるのなら、それでもう悔いはないよ」


 決意をもってセシリアは言う。そして一歩、竜の方へ踏み出した。


「させない……」

「え……?」


 セシリアの脳に言葉の意味が浸透するよりも早く、彼女の脇をフィアーゼが駆け抜けた。


「フ、フィア!?」


 セシリアの驚きと抗議の入り混じった声を完全に無視して、フィアーゼは竜に向かって駆けていく。


「うおおおおおお!」


 その足取りは軽い。

 友人を守るため。大義名分を得たフィアーゼは、迷うことなく竜の懐に飛び込んだ。

 そして――


「フィア!」


 セシリアの悲鳴が上がる。

 その巨体をねじるようにして繰り出された尾に弾き飛ばされたフィアーゼは、痛みも忘れて立ち上がる。


「おお……わあああ……!」


 その目には、他の武芸者たち同様に、理性の色がない。


「フィア!」


 セシリアの必死の呼びかけにも、フィアーゼは答えない。


(結局、私はこんなものか)


 セシリアはそう思った。

 フィアーゼに元気づけられて、自分はやれるのだと思っていた。武芸者たちと協力すれば、あの竜王にだって勝てると思っていた。

 それがどうだ。蓋を開けてみればこの様である。

 武芸者たちに先陣を切らせ、大切な友人が傷だらけで戦っている間、自分は離れたところで、無傷のまま心を痛めることしかできない。

 何のことはない。ただ無力なお姫様がいるだけだ。

 武芸者の人たちを守る?おこがましいにも程がある。友人一人守れない者が、何を言えるというのだろう。


「でも……」


 思考が口をついて言葉になる。


「このままじゃ終わらせない!」


 せめて――せめてフィアだけは救ってみせる。

 セシリアの頭の中に、歌のような(うた)のようなものが流れた。聞いたこともない美しい調べ。

 セシリアはそれを、迷わず声に出した。


「ミルミナスよ。わが名のもとに力を貸し与えたまえ。選別せよ、生ける者と死せる者とを――」


 文字だけでは力がない。声だけでは力がない。

 文字と声が一つになった時、その言霊は初めて力を持つ。


「与えよ。死をもってなお生を求める者に裁きの光を――」


 かつてないほどの魔力がセシリアを中心に渦巻く。世界神の力を、余すことなく呼び集める。


「授けよ、わが身に神の力を――」


 桁外れの力が収束する。それが放たれた時、いったい何をどこまで壊すのか。

 と、その時――


 バキン……!


 甲高い破裂音が響き渡った。と同時に、巨大な一筋の青白い光が、セシリアの背後から飛んだ。


「へっ?」


 間抜けな声を上げて、セシリアはその場に尻餅をついた。

 青白い光は凄まじい速度で竜に迫っていく。


「むっ?あれは……!?」


 光に何らかの力を感じ取ったのだろうか。竜がここで初めて翼を広げ、回避行動を見せた。

 だが、光の速度は竜を圧倒する。


「ぐ……っ」


 竜が苦悶の声を上げた。竜が動くより早く、光が竜の片翼を打ち貫いたのだ。


「グおおおお!」


 苦痛と怒りの声を上げた竜が、大きく咆哮した。

 セシリアは呆然と、眼前の光景を見ていた。

 あの竜王に傷を負わせた光は、セシリアの魔法ではない。確かに強大な魔力が集まってはいたが、それを射出する前にあの光が現れた。その光に驚いた拍子に、セシリアの周囲にあった魔力も拡散してしまった。


(あの光は……一体……?)


 セシリアはここに至って、ようやく後ろを振り返った。


「……え?」


 世界が裂けている。まずそう思った。明らかに異様な光景だった。 

 木も地面も空もない。ただ暗く黒い穴がそこにあった。大きさは人が一人通れるくらいか。

 後ろの風景が、近くにある地面であろうと、遠く離れた空であろうと関係なく空間にひびが入っていた。


「な、何……これ?」


 呆然としたセシリアの耳に、足音が聞こえてきた。硬い廊下を歩いているような、妙に耳に響く足音。

 ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。


(何か……来る……!)


 セシリアはへたり込んだまま、魂を奪われた様に、黒い穴を見つめた


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