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ブレスユー 4

 この世界は、ひとりの男が滅ぼした。

 そんな噂が流れたことがあった。

 ありえない、とそれを聞いたアキラは笑い飛ばした。できるわけがない。いったいどうやおるんだ。 自分だけ生き残れるの? そもそも何の得が?

 だが、今は違う。今はもうそれを笑い飛ばすことはできない。

 その噂を思い出した時に、あり得ると思ってしまったからだ。ヴァルを見てしまい、ヴァルという男を知ってしまい、それを想像してしまったからだ。

 こんな世界で全く生活に困らず、ひたすらに自分の望むことに没頭し、世界がどうなろうと関係ないと言わんばかりに、優雅に生を謳歌するヴァルを。

 冷静になれと理性が囁く。

「違う。そんなわけない。一人でいったいどうやるんだ。そんなわけないだろう。そもそも、そんなことする理由がないじゃないか。彼は狂っているようにも世界を憎んでいるようにも見えない。僕にだって優しくしてくれた」

 それに対抗するように感情が叫ぶ。

「怖いよ。あの笑みの下に何を隠してるかなんて誰にも分からない。彼は天才だ。この家を見ればわかる。彼だったらできるかもしれない。運が良かったなんて言ってたけど、運がいいだけであの災害を避けれるわけないだろう。彼がやったんだ。僕を助けたのだって、きっと何か打算があるんだ」

 そもそも。

 一体何の研究を?

 考えようとすると、すーっ、と体の芯が冷える感覚がする。実際に震えはしないが、指先の感覚が心もとなくなる。

 考えなくてもいいことだが、考えようとしてしまう。しかし、深く考えようとすると、思考が止まる。気分が悪くなって考えることをやめようとしてもできない。典型的な悪循環。現実逃避さえできない辺りが、特に質が悪い。

「……駄目だなぁ」

 恐い。

 この異常な家に来て初めて、アキラはそう思った。

 緩慢な動作で寝床から出る。冷気が肌をチクチクと刺した。酷く寒い。段々と寒くなってきていたが、とうとう冬が来たようだ。

 この寒さでは野外は、と崩壊した街を思い出す。そして、目の前で溶けていった男のことを思い出し、また妙な思考に陥る前に頭を振る。

 眠気の強さからまだ朝早いことが分かるが、何かしてないとおちつかない。アキラは、とりあえず、いつも通り家事をすることに決めた。

 そこで、アキラはふと目を擦る。心なしか部屋が明るい気がするからだ。あの分厚い雲が晴れ渡るなんてことはあるはずがないのに、何故だろうか。

 ――まさか、なわけない。

 アキラはドキドキと胸を高鳴らせながら、カーテンを開けた。

 しかし、そこから覗いた景色は、期待していた光景とはかけ離た、予想外なものだった。

「……雪。だから寒いのか」

 見渡す限り、辺り一面に積もる白銀の雪。それが、植物の生えない荒れ果てた地面を、崩れて意味をなくした建物を、覆い隠して敷かれていた。

 明るいのは、その雪のせいだ。僅かな雲の切れ目から差し込む日の光や家から漏れ出る照明を、きらきらと反射している。ふわふわとしたクリームのようなそれが、僅かな光を広くばらまいている。

 降り落ちる雨はあれほど濁った色なのに、それが冷えて固まっているだけでこんなにも白くなる。知識として知っていたことだが、それと実際に見るのとでは大違いだ。あまりの衝撃にアキラは思わず見蕩れてしまった。

 できることなら、あの雪の中に飛び込んで、あの純白を荒らしてやりたかった。だが、普通の雪と毒の雪の見分けはつかず、うっかり敷地内から出てしまったらことだ。どんなにきれいでも毒の固まりなのだから、万一そうなってしまったら即死である。

(後で、少しだけ……少しだけ触りに行こう)

 先程とは一転してなんとなく浮き足立つ心を押さえつけ、アキラは軽やかな足取りで台所へむかった。寒さは全く気にならなかった。

 保冷器に詰め込んである立方体の万能餅ケーキを取りだし、ざくざくと食べやすい大きさに切って焼く(ヴァルによるとこれと水だけで生きていける万能食らしい)。浄化された水が自動で溜まる瓶から水を汲み、ポットに注いでコップと共にお盆に乗せる。いつもならこのあと万能餅に色々と手を加えるのだが、今日はその代わりに、珍しく肉を加える。

 たまになら食べてもいいと言われても全く手をつけずにいた肉を食べようとしているのは、特に心境の変化があったからというわけではない。ただ、雪を見たら何となく肉が食べたくなっただけだ。

 そんな言い訳を心の中でしながら、アキラは肉と調味料を取り出す。その言い訳は恐らく自分へ向けたものだが、本当のところはアキラ自身にもよくわからない。

 今、万能餅の隣の発熱板で焼こうとしている肉は、ヴァルが手ずから捌いた家畜の燻製肉だ。ヴァルなら全自動で肉を加工する陣も組めそうなのに、と不思議に思った記憶がある。アキラも手伝ったのだが、正直なところ退屈しのぎなはなったな、程度の感想しかわかなかった。

 適度に温まった肉を皿に盛り付け、ナイフとフォークを棚から取り出す。それらを万能餅と共にお盆に乗せ、アキラはヴァルの部屋へと向かった。

「良ーい匂いー」

 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

「でーも我慢ー」

 思わず唾液を飲み込んでしまう。

 人はやはり栄養だけでは満足できないようだ。肉だと言うだけで自然と溢れてくる唾液が、アキラの本心を表している。

 鼻唄と共に気分ののってきたアキラは、お盆を抱えたまま廊下を走り出す。お盆の上の食べ物がバランスを崩せば大惨事なのだが、アキラは気にせず駆けて行く。

 そして、ヴァルの部屋の前まで来た時に急には止まれないことを思い出し、そこから二部屋先の扉の前でようやく停止した。

 アキラは今度は落ち着いてヴァルの部屋まで歩く。お盆の上の料理は無事。ポットに入った水も蓋をしていたお陰で溢れていない。

 やや騒がしい心臓を落ち着かせようと息を吸い、アキラはそこで初めて、部屋の扉がわずかに開いていることに気づいた。

 普通に入れば良いものを、そうした隙間を見つけると覗いてみたくなるのが人の性。アキラはお盆を両手に持ったまま、隙間から内部の様子を窺った。

 そう、窺ってしまった。

 隙間からはヴァルの背中が見える。ひょろりとして肉のついていない体の上に、いつも通りの白衣を纏っている、アキラを背に乗せて運んだこともある、意外と力強い背中。

 ヴァルはアキラに背を向けたまま、何かを弄っている。その手元をよく見ようとアキラは背伸びをした。

(よく見えない……)

 位置の調整に四苦八苦する間に、ヴァルはよどみない手つきで作業を進めている。その動きはこれ以上ないほど自然で、そういった動作に慣れていることが分かる。

 ふいにヴァルが横を向いた。気付かれたのか、とアキラは慌てて顔を引っ込める。

 激しく跳ねる心臓を押さえつけながら、息を潜めるアキラ。別に悪いことをしているわけでもないのに何をしているのか、と笑いがこみあげてくるが、それでもなんだか楽しくなってきて、そのままスパイごっこを続けた。

 少しして再び部屋の中を覗き込むと、ヴァルは扉の陰から除く視線に気づかずに作業を続けていた。それも、丁度良い塩梅に位置をずらし、手元が見えるようになった状態でだ。

「ん……?」

 アキラはヴァルの額に濃い皺が寄っていることに気付く。それはいつもとはまるで違う表情で、深い悩みごとの色が見て取れる。まだ陽も登り切ってない――と言っても登ってもほとんど変わりないが――上に、部屋の明かりは天井に吊り下がった一つの黄光灯ランプのみ。囲まれた空間が作り出す闇と小さく仄かな光源が作り出す陰影は、ヴァルの彫りの深い顔をくっきりと塗り分けていた。

 ヴァルが持っている、小さな卵程の大きさの赤い珠が、鮮やかな光を放つ。アキラにはその輝きに見覚えがあった。

「あれは、陣を起動してるの……?」

 よくよくみれば、ヴァルの手からその珠へマナが流れ込んでいる。そして、その光は珠にある無数のひびから漏れている。どうやら、その小さな珠には遠目にはわからないほど細かな陣が刻んであるようだ。

 ヴァルが珠を机に置くと光は消えた。しかし、赤い珠にあったひびは、しばらくの間炭火のように柔らかな灯りをもらし、机に影を残した。

 完全に光が消えるとともに、ヴァルは反対の手に持っていた器具をいじり、机の上の紙に猛烈な勢いで何かを書き始める。ぶつぶつと言いながら何かを書き散らし、低い声で唸りながら乱暴に頭を掻く。その光景にアキラは当初の目的を忘れ、ただ黙って見つめることしかできなかった。

 しばらく何かを計算するかのように何か書き殴っていたが、やがて、鬼のような恐ろしい形相をすると、ぼそりと呟いた。

「足りない。駄目だ、丁度人間にして一人分足りない。時間が、時間がないっていうのに……!」

 唐突に、ヴァルはその激情を表すかのように両手を振り上げ、渾身の力を込めて机に叩きつける。

「足りない」

 もう一度。

「足りない」

 さらにもう一度。

「足りない足りない足りない足りない足りない足りない」

 ドン、ドン、ドン、とただひたすらに両手を叩きつける。髪を振り乱し、背を曲げ、何度も何度も打ち付ける。その狂気に満ちた暴れようにユキヤは言葉を失うが、ヴァルが気づくそぶりは全く見せない。

 ヴァルは机の上のペンに乱暴に手を伸ばす。そして、その鋭い切っ先を自分の首へと向けると、思い切り振りかぶった。

「――――!!」

 一瞬後に起こるであろう凶行を恐れ、思わずユキヤは両目を閉じる。だが、一秒たっても二秒たっても、人が倒れるどころか血の吹き出る音さえ聞こえない。

 ゆっくりとユキヤは目を開いた。するとそこから見えたのは、見えない壁でもあるのかと錯覚するほどギリギリで止まったペンと、表情と言うものが一切残ってないヴァルの顔。

 アキラの背筋に冷たいものが走る。その理由はわからない。

「む。そうか。あるな。何も問題はない。ある。あるんだ。そうだ。何を迷っていたのか。あるものは使わなければもったいない。やらなければならないんだから、やらなければならない。そうだ、これは」

 だが、ちゃちな人形のように口だけがぱくぱくと動くヴァルから目を離せない。遠いものを見つめているような、その実何も見つめていないようなその目が、アキラには怖くてたまらない。

 酸素を求めてあえぐ魚のような口で、ヴァルはその言葉を吐き出した。

「仕方ないんだ」

 ペンを放り投げると共に、ヴァルの顔が醜く歪む。それが笑ったのだと気付くまでに、アキラの心臓は十回鼓動を打った。

 体は微動だにしないまま顔だけがゆっくりと入口の方を向く。そして、そこから顔をのぞかせるアキラを発見する。

「やあ、アキラ。丁度いいところに来たね」

 頭が真っ白だ。

「朝食を持ってきてくれたのかい? 呼んでくれればいいと言っているのに、まったく、よく気が利く子だ」

 さまざまな言葉が頭の中で瞬く。

「どうしたんだい? 遠慮せずに入りなさい。ああ、この部屋は空調をきかせているから、扉を占めることは忘れずにね」

 なんとか動揺を表さないように口を開くが、口から意味のある音は漏れず、ひゅーひゅーとただ空気だけが出入りする。

 手からはお盆の感触が消え、足からは床の感覚が消え、頭は働かないまま、ただ視覚と聴覚だけが鋭敏になる。

 激しい動悸と共に、耳の奥で重低音が鳴り響く。

 呼吸は速く、浅くなり、瞬きすらできずに目が乾く。

 何か答えなきゃ、という一心からアキラが動かした口から出たのは、アキラの夢を覚ます一言だった。

「ヴァルが、この世界を壊したの?」

 途端に、ヴァルからすさまじい殺意が発せられる。だが、その強烈な感情の発露も一瞬のことで、すぐにいつも通りの笑顔になって肩を竦めた。

「そうだよ。多分、僕が滅ぼしたんだ」

 妖しく輝く目と目が合う。

「何のために?」

 ヴァルは軽くウィンクをした。

「知的好奇心」

「ちてき……?」

 できるだけ端的に、と思ったのだが、考えてみればアキラはまだ子供だ。知らない言葉も多いだろう。ヴァルは苦笑しながら言い換えた。

「興味だよ。興味があったからだ。それだけさ」

 絶句するアキラを見つめたまま、ヴァルは右手を宙に浮かべた。そして、そのまま右手の指先を小刻みに動かしながら、アキラへと足を踏み出した。

 指先からマナが流れ、指先の軌跡に沿って半透明の陣が描かれる。マナで描かれた陣は端から滑らかに光を放ってゆき、ヴァルが進むにつれてその青白い帯を伸ばしてゆく。サインでもするかのように簡単に行っているがが、常人には到底できない業だった。

 ヴァルが一歩踏み込むと、アキラが一歩後退する。アキラが一定に保とうとした二人の距離は、背後にある廊下の壁によってすぐに縮まった。

「ても、大丈夫だ。もう少しで皆救われる」

 ピッと指先が跳ねると共に陣が強い輝きを放ち、それの完成を告げる。陣の効果によって現れた虹色の泡が、アキラの額に向かって飛んだ。

 アキラは首を閉められたような声を出してさらにさがろうとし、足を滑らせて尻餅をつく。まだ手に持っていたお盆が音を立てて地面に落ち、上に乗っていた料理を派手にまきちらす。転んだお陰で虹色の泡をよけることはできたが、服がずぶ濡れになってしまった。

 アキラの歯がガチガチと音をたて始める。寒さなんて感じないのに震えが止まらない。

 やれやれ、と呆れた顔で見下ろすヴァルと、蒼白な顔で見上げるアキラ。

 ヴァルはアキラへと顔を近づけながら、壊れたラジオのようにいびつな言葉を発した。

「皆みーんな、すくわれる」

 それを聞いた瞬間、アキラの体は勝手に動いた。

「うわああああ!」

 片足を引くと同時に両腕で上体を跳ね上げ、背を丸めた状態でヴァルに体当たりする。そして、勢いあまってヴァルの方へと倒れ込みながら、無防備な腹部にいつの間にか拾っていたナイフを――突き立てた。

 荒い息のまま、ナイフを突き刺した体勢で固まるアキラ。何が起こったのかわからない。自分が何をしたのかすらわからない。ただ、自分が何か取り返しのつかないことをしてしまった、という事実だけは混乱しきった頭でも理解できる。

 今のは何?

 僕は何をした?

 何をされそうになった?

 今どうなっている?

 アキラが状況を把握しようと顔をあげた、そこには。

「……っ」

 普段と全く変わらぬ様子のヴァルがいた。

 ヴァルは不思議そうに腹から流れる血に触れ、指先についたそれの臭いを嗅ぎ、吟味するように少しだけ舐める。そして、その傷の深さを確かめようとするかのように、ナイフの周りの皮膚をぐにぐにと伸縮させる。常時ならば痛みに悶絶するような行為だが、ヴァルは平然とした顔でその行為に没頭する。

 しばらくの間そうやって自身の怪我を弄り回していたが、ヴァルはやがて納得したように頷くと、刺さっていたナイフを抜いて捨てた。

「ああ、そういえば、こっちにもあったな」

 そう呟いて、ナイフを捨てた。

 からん、と乾いた音が響く。どこまでも白々しいその音がアキラの頭のなかで反響する。

 ヴァルは呆然としているアキラと目を合わせ、先程までのことが幻だったかのような柔らかな笑みを浮かべた。

「アキラ、すまないがお使いを頼みたい。今晩、僕の体を君と初めて会った丘まで運んでほしいんだ。目印はつけてあるから、そこにこの珠と一緒に置いてくれればいい。簡単だろう?」

 思わず頷いてしまうアキラ。その言葉の意図も意味も理解せずに、いつもしていたように、頭を揺らして了承を伝える。

 えぇと、とヴァルにしては珍しく言い淀んだ。だが、それもやはり一瞬のことで、次の瞬間にはヴァルの口からは言葉が溢れ出ていた。

「水は水瓶から補給される。あれは十年は壊れることないから、当面問題はないだろう。万能餅はレシピが張ってあるはず。材料を粉砕攪拌器ミキサーに入れればいいだけだ、これも大丈夫だろう。書斎の鍵はそこの机の二番目の引き出しに。蔵書はくれぐれも大事に扱ってくれ。家畜たちは好きな時期に絞めてくれていい。もちろん、ペットとして飼ってもいい。畑はできれば続けてほしいけど、難しそうなら止めてもいいかな。最低限、穀物畑さえあれば生きていける。野草とかはあまり食べないように。図鑑のものと似たような植物でもどう変異しているかはわからないからなぁ。照明等は同時使用に気を付けて。マナが足りなくなることも、今後はあるかもしれないからね。あと……何か変なものを見つけてしまったら、見ないふりをしてほしい。例えば僕の日記とかね」

 燃やしてくれてもいい、というか燃やしてくれ、と口角を上げるヴァル。それは珍しく自虐的な笑みで、自身の行動に心底呆れたような苦笑いを見せている。ヴァルのそんな表情を見るのは初めてで、アキラの喉へと何かがこみあげる。

 長くて短いヴァルの小言に、アキラは口を挟もうとはしなかった。例え挟もうとしても挟む隙はなかったが、そもそも何も言うことがなかった。疑問こそ頭の中には漏れ出そうなほどあったが、それを質問という形に纏めるには、それらは複雑に絡みすぎていた。

 少しだけ呼吸を乱して、ヴァルは続ける。

「君は、これから大変だろう。だが、頑張って生きてくれ。ここから東に三キロの地点にそこそこ大きな生存者の集団があることは確認済みだ。そこのリーダーとは少しばかり話したことがあるが、優しく誠実で中々頭も切れる。何か困ったことがあったらそこを頼りなさい」

 無意識に地面について体を支えていた左手を動かすと、ぴちゃりと血が跳ね服に染み込んだ。アキラが手元に目を向けると、床はいつの間にか血の池になっていた。

「そして、最後に一つだけ」

 ヴァルはゆっくりと手を伸ばしてアキラの頬に触れる。そして、優しく優しく頭を撫でると。

 ――ありがとう。

 そう囁いて、ヴァルは静かに目を閉じた。

 ヴァルの上半身がゆっくり傾ぎ、音もなく地面に横たわる。その長い髪に血が染み込み、白衣の襟を赤く染め、その体から熱を奪って行く。

「なんだよ」

 アキラは虚空を見つめ、呆けた顔で呟く。

「わけがわかんないよ、ヴァル。一体何がしたかったの? 何をしようとしたの? 何を考えてたの……?」

 わからない。何もわからない。

 先程まで浮かんでいた疑問は何一つ解決することはなく、ヴァルは逝ってしまった。何を質問しても、もうヴァルが答えることはない。だが、こうした独り言に意味はないとわかっていてもなお、アキラはその疑問を吐き出すしかなかった。

「あなたは悪い人だったの? 世界を壊したの? 今の泡は何? 何が足りなかったの? ヴァルは何を研究してたの? その紅い玉は何? さっきの言葉は? なんで助かろうとしなかったの? ね、ヴァル。なんで? 意味が、意味がわかんないよっ!」

 そして、アキラの中で最もわからなかったのは。

「なんで、笑ってるの?」

 その顔が、幸せな夢でも見ているかのように穏やかなこと。

 焦燥が、不安が、後悔が、困惑が、疑問が、葛藤が、絶望が、憤怒が、悲哀が、虚無が。

 すべてがない混ぜになって、アキラの心を掻き乱す。

「あ、ああ、ああああ」

 声が勝手に漏れる。

 ヴァルを刺した右腕が震える。

 視界が何かで滲んで歪む。

「嫌だ、嫌だよ。まってよ、ヴァル。ごめんなさい。謝るから死なないで。そんな傷、ヴァルなら治せるでしょ。冗談だよね、さっきのも、今のも。ごめん、ごめんなさい。ほら、起きてよ。反省してる。謝ったから、目を開けて。嫌だ。一人にしないで、一人は嫌だよ」

 ヴァルが言ったことに嘘はないとアキラは理解していた。それが示すことの意味も、はっきりと。

 だが、それでも、アキラは怖くてしかたがなかった。世界が、孤独が、ヴァルがいてくれないことが。

「ヴァル……!」

 怖くて怖くて泣いてしまいそうだった。 




沚月三日

 時間はもうない。決断の時だ。選択肢はいくつかあるが、最も多くの人を救う方法はあれしかないだろう。問題は私にやれるかどうかだが、おそらく問題はない。なぜなら私は既に本物の「狂った人殺し」なのだから。

 成功すれば雲は散り、毒はゆっくりと浄化されて行く。この陣は上手く動いてくれるだろうか。不安はあるが、この家に施しているものを星全体に施せば良いだけだ。そう考えると、不思議と大したことがないように思える。この家の安らぎを、この星の安らぎに。そのためならこれから行うことも、ためらわずにできる気がする。

 救界級魔法陣『地珠』。この小さな希望が世界を救ってくれることを信じて。

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