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ブレスユー 3

 アキラはとても暇だった。なにしろ、なにもやることがない。

 最初のうちはそこまででもなかった。一変した生活に慣れようとするだけで一日が終わっていた。少したってからもそうだ。自分にできることを少しずつ増やしてゆき、より生活を自分に合ったものにするように努力していたら、時は過ぎていっていた。しかし、生きることに死力を尽くさなくてよくなり、それらに慣れてしまうと、もう駄目だった。退屈が一日中付きまとい、心を突っつきまわした。

 ヴァルは部屋にこもりっきり。アキラに手伝えるようなことはないらしい。

 掃除も行える範囲は行った。料理の工夫にも限りがある。

 娯楽が必要だった。

 それでも贅沢は言うべきでないと我慢していたアキラだが、それも何日何十日と続くと耐え切れなくなり、少し遠出してみることにした。それに関する許可を申し出た時のヴァルは渋っていたが、アキラは頼み込んで押しきった。それは、どちらにとっても初めてのことだった。

 ヴァルは不安そうな顔をしながらも、アキラにしっかりと準備をさせる。耐食性があり、サイズが合うように調整された長靴。腐雨を弾き、頑丈で、他人が無理やり脱がすことはできず、全身(覆っていない部分まで)を保護する合羽。ヴァルとどれだけ離れていても通信できる指輪。どれもこれも優れものだ。ただし数はない。

「いってきます」

「気を付けてね」

 アキラは元気に外へ飛び出した。

 今日はいつもよりはるかに雲が薄い。普段は正午であっても暗い空が、鮮やかな茜色をしている。こんなに晴れている空を見たのは、本当に久しぶりだ。夕暮れのようにきれいな空に、アキラは小さく口を開けたまま空を見上げた。

 キーキーと甲高い鳴き声がする。声のした方を見ると、驚いたことに頭が三つある鳥が群れをなして飛んでいた。体色を見る限り、都会でよく見る鳥のようだが、頭が複数いるような種ではなかった。早くもこの異常な世界に適応したらしい。

 自然と溜め息が漏れてしまう。

(逞しいなぁ)

 アキラは開けっ放しだった口を閉じると、さて、と気をとりなおす。アキラにはすることがたくさんあった。さしあたって、どこへゆくか行先を決めなければならない。

 遠出とはいっても、家に帰ってこれなくなるほど遠くへ行っては駄目だ。一応ヴァルと連絡は取れるが、無理して頼んだからそこまで面倒をかけるわけにはいかない。しかし、近すぎてもつまらない。折角腐雨が降っても大丈夫なほどの装備をしているのだから、家から見えない範囲にはいきたい。

 そこまで考えて、アキラは思い付いた。生き残りを探してみよう、と。

 生き残りがいるかどうかはわからない。だが、いる可能性はある。アキラの居た一団が破綻したのは、腐雨で住処が崩壊したときに対処が遅れ、多くの人が死んでしまったからだ。それさえ対処できればまだ辛うじて生き延びれていたはずだ。それなりに食糧を確保できてさえいれば、まだ生き残っている可能性はある。

 しかし、懸念はある。勝手に人を連れてきてヴァルが困らないかどうかだ。まだそこまで長い間一緒に暮らしたわけではないが、アキラはヴァルなら笑って許してくれそうな気がしている。しかし、はっきり断言できるほど確証はない。

 アキラは迷った。だが、すぐに決定した。

(数人ならきっと大丈夫だよね。そんなにたくさん残ってるとは思わないし、そもそも多くの人が生き残ってたらヴァルが放っておくわけない。大丈夫。とりあえず様子見するだけ。もし多くいたら、ヴァルに相談したらいいし、連絡取るだけでもできたら……)

 よし、と決意を固めるように握り拳を作ると、ユキヤは歩き出す。自分が歩いてきた丘とは反対の方角。まだ見たことのない場所へ。何かやるべきことを求めて。

 長靴がぱしゃりと水溜りを踏む。以前だったら踏み場もないほどに広がっていた水溜りが、最近は随分とまばらになっている。雨が減ってきているのかもしれない。

(今日みたいに――)

 ぽつり。小さな音と、軽い衝撃。

 粘性を持った雨粒がアキラの手の甲で跳ねた。

 恐怖から反射的に身が竦んでしまう。じゅうじゅうと衣服や皮膚が溶ける音がするんではないのかと、頭の奥が痺れるような感覚に襲われる。

 アキラは恐る恐る手の甲を見た。大丈夫だった。合羽と一体なった手袋は、その強烈な毒に耐え、アキラの体を守っていた。ほっと安堵の息を吐くとともに、改めてヴァルの異様な知識と技術に感嘆した。

 跳ねる心臓を落ち着かせながら、あたりをきょろきょろと見回す。もし生き残っている人がいたとしても、腐雨が降ってきたら住処に引きこもる。ヴァルのような異常な人でない限り、腐雨の中で歩くことはできない。つまり、これからは歩き回るだけでは会えなくなる。それらしい建物を探しては、中を探索しなければならない。

 危ないかな、とためらいながらも、遠くへある建物の塊を眺める。そして、意を決したようにそちらに踏み出し。

 人を踏んだ。

「ひっ」

 俯せに倒れた男にアキラは足を掴まれる。

 まず感じたのは驚き。

 次に感じたのは恐れだ。

 アキラはすっかり忘れていた。余裕をなくした人がどれだけ必死かを。死を体感している人がどれだけ危険かを。人は凶暴な生き物なのだと、理性を失えば簡単に獣になるのだと、何度も何度も実感していたことを。こんな世界では人は生きることに邪魔なことは捨てなければ生きていけない。道徳など、なんの役にもたたない。

 今アキラは何を持っているのか。腐雨を弾く衣服だ。この世界で生き延びるのに、これ以上便利で重要なものはない。それを非力な子供が持っていることがどんなに危険か。アキラは強い後悔に襲われた。

 アキラは足首を握りしめてくる手を引きはがそうとする。しかし、男とアキラの間には予想以上に大きな力の差があるようで、全く動かない。

「おぅ、ぼっちゃん」

 泥にまみれ乱れた髪。何日もまともに栄養をとってない痩けた頬。白いを通り越して青白い肌。今にも死にそうな男だが、しかし、眼だけは爛々と輝いている。生きることに執着した、強い意志を秘めた眼。

 男はアキラの目をまっすぐに見つめる。がさがさの唇が、ゆっくりと形を変えた。

「助けてくれや……」

 それに対してアキラは何も答えられない。先ほどまでの思考は彼方へと消え、ただ男の気迫に圧倒されている。

 怯えるアキラを見て、男は自嘲するように口の端を歪める。

「そう怖がんなくてもとって食いやしねぇよ。うっかり水溜まり踏んじまってなぁ、動けねぇんだ」

 男が示した方を見ると、確かに右足の足首から先がない。その様子を見る限り、太もも付近までの神経もおかされているだろう。アキラはその言葉の意味を吟味するようにじっくりと観察し、ようやく相手が自分に助けを求めていることに気付く。そして、相手無力だと気付いた途端、金縛りにでもあったかのように動かなかった体が動くようになった。

 アキラは裏返った声を出す。

「は、はい! わかりま――」

「あーやっぱいいわ。ぼっちゃんはさっさと帰りな」

 しかし、それは少々遅かった。

「本降りだ」

 むせ返るような、雨の匂い。男の視線を追って空を見上げれば、そこは黒い雲で覆い尽くされていた。

「走れ!」

 凄まじい形相で男が叫ぶ。男はこの状況下でも信じられないことに、理性的な判断をした。冷静に自分の死を悟り、アキラだけでも逃がそうと声を上げた。

 しかし、アキラは混乱していた。どうしよう、という意味を持たない単語が、ずっと頭の中を駆け巡っていて、何も行動を起こせない。

 雨が降る。雨粒が地面を叩く断続的な音が、次第にその密度を上げてゆく。

 男が苦悶の声を上げる。分厚いコートも、柔らかい皮膚も、白い脂肪も、筋張った筋肉も、あっという間に溶けてゆく。痛みは一瞬で麻痺して消えるが、体が溶け穴が開く感覚に吐きそうになった。

 アキラの脳内で恐ろしい記憶がフラッシュバックした。

 人が溶ける。

 濁った雨に。

 腐った毒に。

 ゆっくりと、ゆっくりと、溶けてゆく。

 顔は絶望に染まり。

 口からは助けを求める声が飛び出る。

「早くっ……! に、逃げ――」

 男が苦悶の表情でアキラを見上げる。同時に、呆然とした表情になる。

 それは当たり前のことだろう。酸の雨の中、厚いとはいってもどう見ても革の服を着たアキラが、溶けずに悠然と立っている。それはどう考えてもおかしい。何が起きているかわからないのも無理はない。

 男の表情が次第に変化して行く。理解できない呆けた面に理解の色が染み込み、憤怒と憎悪のこもった鬼のような形相に、ゆっくりと変化する。

 アキラは混乱した。そんな視線を向けられる理由が思いつかない。一瞬前までアキラの心配をしていた男と同一人物とは思えない。

 それは嫉妬ではない。もっと攻撃的で、はっきりしていて、まるで親の仇を睨むかのような。

 ――憤怒。

 男が、アキラの耳にも届くほどはっきりと呟く。

「仲間なのか。あの――」

 雨が滝のように降り注ぐ。連続して響く地鳴りのような雨音が、すべての音を塗りつぶした。

 男は砂糖がとけるように、雨に流されて消えた。

 呆然と立ち尽くすアキラに、人魂のような黄緑色の燐光が巻き付く。それはまるで呪いをかけられたかのようで怖気が走る。だが、震えが止まらないのはそのせいだけではなかった。

 男が最後に言った言葉。雨が地面を叩く音は大きかったが、アキラは確かに聞き取った。

 髪が剥げ、皮膚が溶け、瞼がなくなって剥き出しになった眼球をギョロリとアキラに向けて。

「世界を滅ぼした、あの男の」

 男は、確かにそう言った。





α月くぃなゎ錏絲蠡日

 あの日から、もう二週間が経つ。だが、未だにユキヤはよそよそしい。こちらの様子をそれとなく窺っているようだ。いや、もっとはっきり言えば、怯えている。恐れている。どうしてもと遠出したあの日以来、ユキヤはまるで天敵を目の前にした草食動物のようだ。

 もうそろそろ、ごまかすのは難しそうだ。いや、既にばれているのかもしろない。どちらにせよ、潮時だ。そろそろ終わらせるとしよう。

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