れいん・れいん・ごぅあうぇい
「お、できたぞ」
「ほんと?」
「見せて見せて」
赤い服の少女、ルージュの声を聞いて他の四人がぞろぞろと集まり、手元を覗き込む。
「これは自信作。ぜってー成功するから、まあ見とけって」
そう言ってルージュは足元に描いた円形の陣に両手を当てると、ふん、という掛け声と共にそこにマナを流し込んだ。
陣のラインに沿ってマナが流れ、輝きを放つ。
「おおお」
両手を重ねた陣の真上にぼこぼこと音を立てながら水が湧き、驚きと期待の混じった小さな歓声が漏れる。ここ何日かの間ずっと求めていた現象が目の前で起こっている。
「おい、ミドリお皿お皿。そろそろ止めるからよ、零さないように受け止めてくれ」
「う、うん。えと、あ、はい。いいよ」
ルージュの呼びかけに呆けていた緑の靴の少女、ミドリが応える。ごくり、と唾を呑んで頷くと、脇に用意していた底の深い皿を浮かぶ水球の真下に掲げた。
「よーそろー」
陣の輝きが消えると共に宙に浮いていた水は落ち、ミドリが持つ皿に音を立てて収まった。
ミドリが五人の中心に静かに皿を置く。その皿が湛えている水は澄み切っていて汚れは一切ない。陣を構築したルージュはその結果に満足そうに頷き、自慢げに皿を手に取ろうとする。
「ほらみろ! 大成功だ! やっぱりあのごちゃごちゃした式が余分だったんだって。あれ取り除いたらマナが流れることさえしなかった陣がほらこの通り。これ絶対飲める――」
「待って」
しかし、ルージュの手が水に触れる直前、黒い髪の少年、ヘイがそれを制止する。なんで邪魔するんだ、と不満そうな顔をするルージュを無視して、ヘイはその皿を自分のほうへと寄せた。
ヘイはそのまま黙って横にあった雑巾を手に取ると、端の部分を一瞬だけ皿の水に浸す。そして、それを覗き込んでくる四人の眼前に吊るすと、悩ましげに眉間に皺を寄せた。
「あ……」
「うわわ」
「溶けてる、ね」
熱を発しながらゆっくりと溶けてゆく雑巾を見て嘆息するヘイ。
「なんとなく嫌な予感がしたんだ。あの見本は基礎中の基礎だって先生が言ってたから、削っていい式があるとは思えなくて。腐りと錆びは除けたみたいだけど、酸が残ってるみたいだね」
言い辛そうに説明するヘイも、自分の失敗を指摘されたルージュも、それを眺めて一喜一憂している他の三人も、落胆を隠せない。何せ目の前にある無色透明な液体はのどから手が出るほど欲しい水ではなく、飲んだら内臓から焼け爛れる強酸なのだから。
ルージュは項垂れ、各々は再び作業に戻る。精神的な疲労からか皆どこか動きが鈍い。
暫くの間五人は黙々と手を動かしていたが、ついに耐え切れなくなったのか青い手袋の少年、ブルーが呟いた。
「この腐雨、いつやむのかな」
「……もうすぐ、やむだろ」
ルージュはそう答えたが、それはただの強がりだということはすぐに分かる。
「もう二度と、普通の雨は降らないのかな」
そんなブルーの問いは、静かに虚空に溶けて消えた。
腐雨――『あの日』からずっと降り続く、濁った深緑色の雨が地面を叩く音が響く。同時に、その液体が建物の屋根を壁をゆっくりと溶かす音が、聞こえるわけもないのに聞こえる気がする。時間はまだ正午にもなっていないはずなのに、室内は夜のようにくらい。
ミドリがチョークの代わりに使っていた拳大の石を床に置いた。
「私、お父さん達を探してくる」
「それは駄目だ。やめたほうがいい」
ヘイは間髪をいれずにそれを止める。そろそろ誰かがそれを言い出す頃だと思っていたので動揺も迷いもなかった。
「でも、お父さん達がいなくなってもう五日目だよ。先生だって一日で帰ってくるって言ってたのにまだ帰ってきてない。どこかで怪我したりして困ってるかも。助けに行かなきゃ」
「先生は待っててくれって言ってたじゃないか、絶対に帰ってくるって。それに、まだ丸一日はたってない」
「それでも、心配だよ」
「駄目だ。もし先生が困ってたとしても、先生がどうにもできないようなことを僕らがどうにかできるわけない。先生に任せたほうが確実だ。そもそも、今もまだ腐雨は降ってる。この勢いだとあっという間もなく溶けるよ。たとえ雨足が弱まっても僕たちの服じゃ染みてくる。体中の神経を侵されて動けなくなる」
ヘイはそれを想像したのか強張った顔で断言する。ミドリもそれ以上は何も言わずに黙り込んだ。
はあ、と溜め息を吐いてブルーが呟いた。
「やっぱり、もう駄目なのかな」
「ブルー」
その気弱な言葉にルージュは苛立ったように睨み付ける。しかし、ブルーは手元に目をやったまま続ける。
「だって、食べ物はもうほとんど無いんだよ。最近ほとんど晴れないから植物も枯れちゃった。実をつけるどころか花も咲かせずに。隣の建物も完全に崩れたみたいだし、ここの屋根だって腐雨で大分溶けてきてる。水集めもぜんぜん上手くいかない。このままこの腐った雨が降り続いたら、皆死んじゃうよ。僕らだけで何とかするなんて無理だったんだ」
今度は誰も何も言うことができなかった。
重苦しい沈黙が部屋を覆った。
暗い。
空も、地上も、皆の表情も、何もかもが暗い。何より問題なのは、未来に対する明るい展望が全くないこと。
真っ暗だ。
だが、不意に、そんな漆黒の視界の中に光が差した気がした。
「できた」
今までずっと口を挟まなかった白い肌の少女、ブランカの声に、他の四人はそちらを向く。すると先ほどルージュが集めたのと同じ無色透明な水が宙にふわふわと浮いていた。
慌てて皿を用意するミドリを待たずに、ブランカはいつの間にか起動させていた陣から手を離す。そして、重力によって落下してくる水の塊を自分の両手で受け止めた。
ぱしゃっ、と水が撥ねるが、ブランカは全く気にしない。手の中にある水をじっと見つめると、そのままその水をごくりと飲む。
「ばっ……!」
ヘイは焦って固まる。それが飲用できる水かどうかをまだ確かめていないからだ。
「ん、おいしい」
しかし、ブランカはのどをならして満足そうに頷くと、呆けた顔で固まっているミドリの持つ皿へと残りの水を移す。そして、目を見開いている他の四人に対しての四人に対して、あっけらかんと言い放った。
「腐ってても雨は降ってるんだから集めるのには困らないだろうし、水はもうこれで大丈夫だね。住む場所だって飽きたら変えれば良いし、食べ物は……まあなんとかなるでしょ。先生ももうすぐお母さん達と一緒に帰ってくるんじゃないかな」
ヘイは頭痛でもするかのようにこめかみを抑える。ブランカの行動はいつでも心臓に悪く、無鉄砲で、楽天的で――場の空気を一変させてくれる。
「ほら、なんとかなる気がしてきたでしょ」
そういってにっこりとブランカは笑う。その笑顔に四人は思わず見とれてしまった。
「あ」
ブランカが立ち上がって窓の外を指差す。
もう二度と見ることができないかもしれないと思ってた太陽が、分厚い雲の隙間からのぞいていた。
「晴れたね」
そう言って伸びをするブランカの表情は誰よりも明るく、何よりも晴れ晴れとしていた。
遠くから、大人たちの声が響いてきた。




