ワナビィ・ア・ヒーロー(後)
(なんで)
破壊目標は全十一か所。その中で古代闘技場の重要度は下から二番目であり、危険度は上から三番目。攻めにくい場所ではあるが、破壊に成功すれば幾らかは威力を削ぐことができるだろうという場所。つまるところ、ハイリスクローリターンのハズレくじだ。
しかし、破壊作戦の全参加人数は一万を超え、ハズレくじとは言っても八号地破壊の任に当たるのは警備隊員と各国の精鋭で計三百三十六名。死屍司教との推定戦力差は五倍強あり、成功率はそう低くなかった。
古代闘技場は有史以前に建造された巨大な建築物で、今回の任務はそれをできるだけ破壊(どの程度まで破壊すればポイントとしての能力を失うかが分からないからだ)すること。方法としては、闘技場内で籠城しているであろう死屍司教ごと破城級の陣で吹き飛ばす、という実にシンプルで大雑把なものが選ばれた。
先の戦争でも猛威を振るったピィシ公国の『グランドアロー』の構築に必要なのは五十人ほど。その他の班員はその護衛に徹することになる。サブローの仕事はただ班員に仕事を振り分け、やれ、と指示を出すだけのはずだった。
はずだった。
(なんでだ)
班員を纏め、役目を割り振り、簡単なブリーフィングを終えた連合部隊が古代闘技場の近くへと拠点を敷いたのが、サブローが班長を任命された日の夕方。サブローは夜襲の危険性を説き、歩哨について素早く指示を出すと、できればもう一度日が昇る前には任務を終わらせたい、とピィシ公国の班員に構築を指示した。
異常なほど迅速な行動だ。世界の危機だと各国が認識したうえで協力したからこそ成し得たことだろう。
ただ、グランドアローの陣の構築には時間がかかった。それは、戦争でこの陣が多用されなかった理由であり、他国の班員も手伝えば時間を短縮できたのだろうが、この陣の内容はピィシ公国では機密扱いらしく手伝うことができなかった。
特に問題が起きることもなく月が昇り、その間に何度か歩哨が交代する。星がゆっくりと流れる中、陣の構築組は不眠不休で働き続け、サブローも眠ることができず一人で何度も見回りを行った。
誰もが――慎重で真面目さが売りである副班長のメイリンでさえ――楽な任務だと考えていた。圧倒的な戦力差が原因だろうか。急ごしらえの混成班が原因だろうか。死屍司教の危険性を身を以て分かっている人が少なかったことも原因かもしれない。
予想は幾らでもできるが、とにもかくにも連合部隊はその慢心に付け込まれた。
事件が起こったのは明け方だった。空が白み始め、もうじき陣が完成する、と油断と達成感が空気を緩ませ始めたころだった。
唐突に澄んだ空気に轟く爆音と響く悲鳴。仮眠をとっていた者は飛び起き、その時起きていた者は音の発生源へと走る。その時丁度自分のテントで早めの朝食をとっていたサブローも、胸に迫る猛烈な焦燥感に背を押されて飛び出した。
音の発生源に辿り着いたものはそこで言葉を失った。そこにあったのは何かの爆発した後であろう数個の窪地と、陣の媒体である燃えている材木。そして、金属片などが突き刺さって悲鳴を上げるピィシ公国の班員。
その光景を見てサブローは思い出す。死を望む死屍司教の十八番ともいえる、世界中の武装機関が最も恐れていた攻撃を。自爆特攻という、狂気に染まった手段を。
事前に自らの衣服で隠せる部分に『エクスプロージョン』の陣を刻んでおき、敵の中に紛れ込む。そして、頃合いを見て自爆する。上手くやれば一人でその十倍以上の人間を戦闘不能にできる、戦力差がある場合には特に有効的な手段だ。国際警備隊は十年前の襲撃の際にこれで大きな被害を被ったので隊員の素性調査を厳しく行っていたのだが、各国の兵士まではそうはいかなかったようだ。まあ、単純に混成班だったので紛れ込まれたのに気付かなかったのかもしれないし、夜陰に紛れた侵入を許しただけという可能性もあるが。
とにかく、普通の組織がそんなことを命じればすぐにでも内部から崩壊が起こってしまうだろう手段だが、死を祝福する死屍司教故にそんなことは起こらず、相手に最悪の形で先手を許してしまった。
(俺は)
ピィシ公国の陣構築に当たっていた班員は三分の二が死亡し、残った全員が負傷。完成しかけていた陣は破壊され、作業に戻れる班員は数名しかいない。グランドアロー再構築には人手も時間も知識も足りず、当初の作戦は実行できそうになかった。
一応、第二案として砦級の爆発系統の陣も用意してある。こちらは構築は簡単なので(エクスプロージョンの威力を大きくしただけ)特別な準備や知識は要らず、必要になる膨大なマナもグランドアローに使うはずだった魔石を使えば間に合う。破壊の任務はまだ続行が可能だ。
ただ問題があるとすれば、こちらは爆発を引き起こす陣ということ。外側からでは破壊力をうまく伝えられないので、闘技場内部に侵入する必要があるということだ。
ここで、対策を考える時間を削って行動を早めたことが裏目に出る。こうなった場合は『敵を制圧しながら侵入し、Ⅷ号地を破壊せよ』としか指示されていなかったのだ。古代闘技場には自然依存型の魔方陣である『戦域』という陣が敷いてあり、強固なエネルギーシールドを発生させることができるので、侵入自体がまず難しい。その上、内部は迷路のように複雑な構造になっていて、制圧することも非常に難しい。例え最後に一人になろうが戦うだろう相手だ。難易度がぐっと上がった。
しかし、この時点ではまだそこまで不利な状態ではなかった。あくまで、安全から危険があるに変わっただけだ。問題は、この後の突入直前に立て続けに起きた。
まず、その場にいる全員の耳を疑うような凶報が来た。それは、ピィシ公国にマネア共和国が宣戦布告したということだった。
全員が唖然とし、呆然とした。サブローも、メイリンも、他の国際警備隊員達も、フームード連邦の兵士も、ピィシ公国の兵士も、マネア共和国の兵士でさえ、だ。当然、両国の班員の間の空気はぎすぎすとしたものとなるし、誰もが共和国への兵士への不信感を抑えることができなかった。確かに両国は非常に仲が悪かったが、何もこんな時に、とサブローは頭を抱えたくなった。
そして、その隙を衝いての二度目の自爆特攻。すわ突入だと古代闘技場の外壁に張り付いていた班員達の混乱に乗じて敵が城壁から飛び降りて来て、たった十人ほどの敵にその十倍近くの班員が戦闘不能にされた。
これによって戦況はひっくり返ったと言っても良い。古代闘技場とは名ばかりで実質要塞の役割も兼ねていたここは、攻める方に圧倒的に不利な場所。敵の人数は五十人にも満たないだろうが、サブロー達もまともに戦えるのは百名ほどだった。
(こんなところに)
しかし、泣き言を言っても仕方がない、とサブローは作戦を開始する。当たり前の話で班員の士気は全く上がらなかったが、それでも戦うしかなかった。自分たちの肩に世界の命運がかっているかもしれないのだから。
サブローは、先頭に立って敵の制圧、挟み撃ちを受けないための後方警戒、外で待機して退路の確保、と動ける班員を三組に分ける(負傷者たちは拠点に撤退させた)。当然最も危険なのは制圧組であるが、味方を鼓舞するためにサブローも制圧組に入った。そうでもしなければ、誰も動きそうになかった。
そして戦闘は始まる。圧倒的な戦力差がなくなってしまった以上力押しするわけにも行かず、小手調べも兼ねて『バレット』の撃ち合いからだ。
ただの鉄球の撃ち合いでも相手は強かった。サブロー達とは違って射撃の訓練などしていないはずなのに、まったく恐れることなく陣を起動させてくる。命中精度はあまり良くないが、全員が重武装ともいえる鉄杖を装備しているうえに、死を恐れないのがこの上なく厄介だった。
また、罠も多かった。死屍司教はこの時のために入念に準備をしていたようで、至る所に感知式の陣が構築してあったのだ。それも、即死するような高レベルの物を少量ではなく、集中力が途切れたり、軽い怪我をするような低レベルの物を大量にだ。一々解除するほどではなく、していたらキリがないが、それでも確実に邪魔になるのがいやらしかった。
死を貪ろうとするように攻め、味方が死ぬたびに祝福する。その表情は恍惚としていて、上がる声は歓声だ。時折、潮が引くようにさーっと後退したかと思うと、あちらこちらに構築してある罠を起動する。誘われていると分かっていても、サブロー達は進むしかない。
班員は次第に減ってゆく。サブロー達の通った後には転々と死体が積み重なっている。それはまさに、死神の行進だった。
そして今、サブロー達は苦境に立たされている。相手の五回目の後退の際に三度目の自爆特攻があり、狭い通路だったが故に避けきることができず、それに巻き込まれた仲間を見て班員がパニックに陥ったからだ。さらにその隙に人数がかなり減らされ、今では相手の方が人数が多い。ほかの組との連絡が途絶えたのも、別働隊に襲われたか、任務を放棄して逃げ出したのだろう。
戦況は絶望的だった。
「ちくしょおおおおおおおおお!」
雄叫びを上げる班員の横で、また一人死屍司教の凶弾に倒れる。屈強な連邦の兵士だったが、喉を打ち抜かれてはどうしようもない。
これで、残りはサブローを入れて八人。それに対して、相手はまだ二十人以上は居る。
「ベスタ」
明るい良い娘だった。はきはきとした動きに跳ねるような声、どんな時でも絶えない笑顔には、短い間だったがサブローも救われた。
「トルル」
まだ若い少年だった。理知的な外見とは反対にその性格は苛烈だったが、将来が期待できるような正義漢だった。
「フレイジー」
飄々とした青年だった。絵と陣は似ていると力説する妙な青年で、画家になるのが子供のころの夢だったとよく話していた。
「リョウマ」
巌のような男性だった。屈強で泰然とした精神を持ち、サブローよりも一回りは年上のはずなのに協力を惜しむことは全くなかった。
「ミスルカ」
たおやかな女性だった。なぜこんな人が軍に入ったのかと不思議になるほど、凪いだ日の穏やかな海のような人だった。
皆死んだ。サブローの目の前で、真横で、すぐ後ろで。
相手は勝利を目前にして、既に相打ち覚悟だったのだろう。サブロー達はこの短い時間で七人仕留めたが、代わりに五人失った。残りは三人しか居ない。街の破落戸ならば三人でも楽勝だったが、狂った死屍司教徒相手では上手くいかないだろう。
残ったのは、ジャックとサブローとメイリン。奇しくも三人とも国際警備隊の隊員であり、サブローにとって二人は右腕のような存在だった。
「は、はは、笑えますね」
「笑えねぇよ。しょんべんちびっちまいそうだ」
「女性の前でそういう話をしないでください」
ジャックが引き攣った笑いをもらし、サブローが軽口を叩き、メイリンが窘める。その間にも撃ち合うことを止めはしないが、その抵抗は相手にとって無いに等しいだろう。
「こういうのを絶体絶命というのでしょうね。まあ、いざとなれば野郎どもが身を挺して守ってくれるのでしょうが」
「おーい、勘弁してくれよ。可愛い娘が家で待ってるんだ」
「班長は独身でしょうがっ。僕こそ愛しの妻が待っているのに……ほんと、嫌になりますよっ」
三人ともこの危機的状況に脳が現実逃避をしかけているらしく、口から出てくるのは軽口だけだ。しかし、全員が既に頭のどこかでは理解している。自分たちがどうにもならない状態になっているということは。
(こりゃあ、今回は死ぬかもしれねぇな)
そう冷静に分析するサブロー。酷く冴えているような、しかし熱に浮かされているような思考で、サブローは他人事のように自分を俯瞰していた。それは不思議な感覚だ。夢を見ている感覚にも似ている。
しかし、思考は高いところから自分を見下ろしているというのに、意識は自分の心の深くに沈んでいた。体は戦うために動いているし、何か言われれば軽口を返しているというのに、そのやり取りが頭に入ってくることはなかった。
諦めているわけではない。絶望しているわけでもない。ただサブローはずっと――答えの出ない自問を続けていた。
(なんで、俺は――)
不意に、一人の死屍司教徒がその身を晒して突っ込んできた。当然サブロー達集中砲火を浴びせるが、相手が頭を庇っているせいで即死させるには至らない。
「足だ!」
サブローの指示にジャックが足を打ち抜き、男が倒れて安堵したのも束の間。走っていた勢いのまま床に倒れてサブロー達のすぐ横に滑り込んで来る。
男はサブローを見上げてにやりと笑う。その瞳は紛れもなく狂気に染まっていた。
サブローの背に悪寒が走る。
「にげ――」
しかし、サブローはその言葉を言い切ることはできず。
次の瞬間に男は爆発した。
鼓膜を突く轟音と共に視界が暗くなり、サブローは全身を襲う衝撃に吹き飛ばされる。頭が感覚をシャットアウトしているのか不思議と温い熱を浴びながら、跳ね飛ばされた小石のように宙を舞う。一人の人間の命を燃やし尽くす爆弾は、それだけの威力を有していた。
浮遊感を感じたがそれも一瞬のこと。サブローはすぐに受け身も取れないまま背中から床に叩きつけられると、そのまま石畳を少し滑って止まった。
衝撃に一時的に思考が麻痺し、くらくらと世界が揺れる。同時に吐き気もこみあげてきたが、上手く呼吸ができず、えずくことさえできない。叩きつけられた時に空気を絞り出された肺が悲鳴を上げている。
サブローは現状を理解するためにのろのろと目を開けようとして、そこで異常に気付いた。
(……何故、生きてる? あれは、自爆……まともに食らったら、死ぬ。体が重い。動かない。けど……痛みがない……? 何故)
力を振り絞って震える瞼を開く。すると、灰色の砂嵐に襲われていたような世界が、ゆっくりと色を取り戻してゆく。
視覚を取り戻したサブローが最初に目にしたのは、自分を庇うように覆いかぶさっているメイリンとジャックだった。
サブローを覆い隠すように描き抱くメイリンと、さらにその上から自らを盾としているジャック。二人の目に既に光はなく、その命の灯が消えていることは明らかだ。二人はあの一瞬でサブローを守るために動き、それを見事に成し遂げたのだった。
「おい、おいおい……、守られる立場じゃなかったのかよ……妻が待ってるんじゃなかったのかよ……チクショウ」
サブローは震える声で二人に話しかける。それに対する返事は当然無い。だが、それでも特に問題はなかった。サブローはその質問の答えを知っていたからだ。
二人サブローを庇ったことに、どうせ大層な理由など無いのだろうからだ。
納得と、悲しみ。サブローはその二つの感情に支配されたまま、空を見つめてうわ言のように呟く。
「なんでだ……」
何故自分はこんなところにいるのか。何故自分は戦っているのか。戦いの中で人が死んでゆき、その最後の声を聞いているうちに浮かんできた二つの疑問は、サブローの頭にこびりついて消えない。
もっと平凡な道もあったはずだ。普通に会社員として働き、結婚して家庭を持ち、老いて死んでゆく、そんな平和な生活もあったはずだ。だが、サブローは国際警備隊に入隊し、独身のまま戦い続け、こうして部下と一緒に殺されそうになっている。平凡とも平穏とも平和とも言い難い生だ。
何故こうなったのかは、サブロー自身にももう分からなかった。
狂信者達の話し声が聞こえる。それは緊張感などかけらもない穏やかなもの。おそらく、全員始末――彼ら流に言うならば導天――したと思い込んでいるのだろう。
「なんでだ……」
分からない、という言葉がサブローの頭の中に響く。何もかもが億劫になって、もうこのまま寝てしまおうか、という強い誘惑に襲われる。
そして、サブローがゆっくりと目を閉じた時。
サブローの頭に巻きつけられたメイリンの腕が。その手からスッと力が抜け、サブローの頭を撫でるように地面に落ちた。
『おかーさん!』
途端に脳裏に過る幼い少年の声。
空耳か。幻聴か。違う、それはサブローの幼き日の記憶だ。
『おかーさん、ぼくね、ヒーローになるんだ!』
『大きくなったら強くなって、かっこよくなって』
『だれにも負けないでね、悪い奴をみんな倒しちゃうんだよ』
『そして、せかいをすくうんだ!』
にこにことほほ笑む母親に胸を張って宣言する少年。椅子に座る母親は、良い子ねぇ、と少年を抱きしめる。そんな幼き日の記憶が、ヴィジョンのように鮮明に蘇る。
そして、それこそが疑問の答えだ。サブローはなんで自分が戦場に居るのか、今ならばはっきりと分かる。
幼い頃、男の子ならば全員が持っているであろう自分がヒーローであろうとする願望を、サブローは年を経ても捨てることができなかった。いつまでも世界の中心で、物語の主人公でありたかったのだ。
だから、幼い頃から体を鍛え、学校の成績を上げ、必死に陣の勉強をし、大会に出て賞を取り、友人と交流し、国際警備隊に志願し、必死に働き、決して低くはないこの地位まで上り詰めたのだ。
警備隊の入隊の時の試験官は現在の総帥だった。面接の時に必ず訊かれる定型句に対して何と答えたのか、サブローははっきりと思い出した。
『世界を救うためです』
勿論、試験管には大笑いされた。そんな機会は無いといいな、と言われ、確かにその通りだ、とサブローは納得してしまった。自分が正義の味方になるんだと意気込んでいた当時のことを思い出すと、今でも顔が赤くなってしまいそうだ。
だが。
「そんな機会が、あっちまったじゃねぇかよ……」
ならば。
――なんとかするしかねぇじゃねぇか。
三人の死亡を確認するためか無防備に一人の女が近づいてくる。サブローは目を閉じたまま静かに息を止めると、女の気配が最も近づいた時に勢いよく起き上がり、その喉をナイフで切り裂いた。
その様子を見ていた男が、サブローに向けて鉄杖を構える。サブローのバレットやその他諸々の陣を刻んだ万年筆は爆発の衝撃でどこかへ消えていた。予備の警棒も同様だ。だから、音もなく崩れ落ちる女には目もくれず、素早く上半身だけを起こしたサブローは、手にしているナイフをその男へと投げつけた。
そのナイフは狙いをたがわず男の喉に突き刺さり、男は鉄杖を取り落して喉を抑える。ゴト、床を叩く重い音を聞いて振り返った死屍司教徒達は、予想外の出来事に目を見開いた。
「なっ、まだ生きて」
驚きながらも死屍司教徒達は素早く杖を構える。狙いは噴き出る女の返り血を浴びて、真っ赤に染まったサブローだ。
仲間の死に同様の無い死屍司教徒らしい素早い対応。しかし、サブローは既に陣の構築を完了していた。
「『トライデント・レベルⅤ』」
少年期にサブロー自ら考案し、国際警備隊に入隊する前まではずっと愛用していたオリジナルの陣。何度も何度も改良を重ね、何年も何年も使い続けていたが故に、サブローはこの陣を物理的な構築をショートカットして発動できた。
端が僅かに重なり合うようにして現れた淡い光を放つ三つの円形の陣から三条の雷光が迸り、正面の五人を纏めて吹き飛ばした。マナの消費の激しい陣だけあって、すさまじい威力だった。
サブローは走りだす。目指すは中心部。ただし、全員を相手にすることは考えない。
正面に三人躍り出てきた。全員が鉄杖を構えている。
「天へと導かれなさい!」
「『アンブレラ』」
一斉に飛んでくる鉄球にも慌てることはなく、サブローは陣を構築する。これもまた本来必要である工程をショートカットしており、見る人が見ればその技巧に感嘆するだろう。
前方に無色半透明で円錐形の盾が現れ、鉄球をそらすようにして弾く。そのおかげで正面からの攻撃は掠めることもなかった。
「がっ……!」
サブローの体に数発の鉄球が食い込み、サブローの口から濁った悲鳴が零れる。先ほど電撃によって倒れたうちの何人かが起き上がり、横からサブローに向かって発砲したからだ。
しかし、激痛に苛まれながらも、サブローは止まらない。止まることはない。
「『ウィルウィンド・レベルⅡ』……!」
またも、サブローは陣を構築する。十本の指それぞれで違う文字を書き、下書きも一切無しに、通常の何倍もの速度で文章を書きあげるに等しいことを、痛みに耐えながらやってのける。
サブローを中心に渦巻くように発生した突風が、前方の三人も含めて周囲の人間を薙ぎ倒す。それは殺傷能力こそない陣だったが、対多数の戦闘においては非常に便利な陣だった。
すかさず、サブローは再び走り出す。相手はすぐに起き上ってくるのだから、その前に進むのだ。できるだけ奥へと。できるだけ中心へと。
突き当りの三叉路でサブローはどちらへ曲がるか迷い、あやふやな記憶を頼りに左折する。撃たれたわき腹と背中が焼けるように痛むが、それで走る速度を落とすことはない。脳内麻薬で痛みが麻痺してくれないかとそんなことを考えながら、薄暗い通路をひた走る。
再び背後から敵が撃ってきた。今度は先ほどまでとは違い無言で、殺意をみなぎらせている。
「『アンブレラ』」
サブローは盾を張ることで無事鉄球を防いだが、ズグズグと痛む頭に顔をしかめる。陣の短縮した起動は便利な反面、難易度が異常に高く、本人の頭の負担が大きい。幼少から鍛え続けてきたサブローでも脳が焼き切れてしまいそうだ。
しかし、やはり止まらない。サブローは全力で戦い続ける。
「『ショック・ダブル』ッ!」
サブローの両手の先にそれぞれ一つずつ陣が浮かび、マナを流した際の発光によりその姿を視認させる。サブローは奥歯を噛み締めて相手へと向き直ると陣を起動させ、その衝撃波で吹き飛ばした。
額に流れる脂汗を拭い、サブローは倒れてうめく相手を見る。そして、相手の戦闘能力を十分に削ったことを確認すると、振り返って再び走り出した。
否、走り出そうとした。
肉を貫き骨を砕く音と共に、サブローの足に激痛が走る。そして、踏み出そうとした足は中途半端にしか動かず、サブローは石畳の床に倒れこんだ。背後から撃たれたのだ。
サブローは、しかし諦めない。歩けないならば、足が使えないならば、その手で通路を這ってゆけばいいと言わんばかりに、必死に前に進む。足をもがれた虫のように、ゆっくりと這い進んでゆく。
不意に、サブローの体が蹴とばされ、その行進が阻害された。サブローはあまりの痛みに古代闘技場の通路で体を丸め、すぐにまた這おうと体を伸ばす。しかし、それはなされることはなく、まるでサブローの体を痛めつけようとするかの如く、連続して蹴りつけられる。
その暴力の嵐に必死に耐えるサブロー。もう少し、もう少しだけと、必死に前方へと手を伸ばしながら、重たい体を引きずってゆく。そして、曲がり角の突き当りまで行くと、ついにそこで力尽きて進むのをやめた。
同時に蹴りも止み、こめかみに固い棒状のものが押し付けられる。サブローが顔を上げると、目の前には鉄杖を握りしめた男。薄ら笑いを顔に浮かべた死屍司教徒がいる。
その男は興奮した顔つきでポケットを探る。しかしお目当てのものは無かったようで、仕方ないとでも言うようにサブローの顔を覗き込むようにしゃがみ込むと、労うように、祝福するように、サブローの眉間に鉄杖を突きつけた。
「今から、あなたを楽園へと導いてあげます」
そう言ってにっこりと笑う男。その表情を見てサブローは、本当に狂っているのだな、という今更な肝臓を抱いた。
不思議と、もう終わりかという諦めはサブローの頭には浮かばなかった。まだある、まだ進める、というその思いだけが、サブローの脳内を占めていた。
死屍司教徒の男は慈愛に満ちた表情でサブローを見つめている。今まで死んだ仲間も、殺した敵も、これから楽園に行けると信じきっているのだろう。そして、それはサブローにとっては狂っている以外の何物でもなかった。
(お前らの言う楽園なんて、糞くらえだ)
サブローは男の右胸に手を押し当て、驚く男に何かする暇を与えずにマナを流し込む。そして、死屍司教徒ならば必ずそこに刻んでいるであろう陣を、自身のマナによって強制的に起動させた。
「『エッグ・レベルⅦ』」
男が爆発し、サブローは爆風で吹き飛ぶ。ただし、自分を覆う球状の盾に熱と衝撃を吸収させたので即死するほどではない。代わりに、先ほどよりは幾分か、空中遊泳の時間が長いが。
その浮遊感に、サブローはどこか清々しさを感じる。宙を飛ぶサブローは、今なら感じ取れる気がした。思い出せる気がした。
――自分が主人公だと本気で信じていた、世界を本気で救おうとしていた、子供の頃の、ひたむきな気持ちが。
着地、というほど綺麗なものではないが、サブローは地面に落ちる。そして、その勢いのまま何回転も転がり、一本の柱にぶつかる。
サブローが朦朧とした状態のまま確認すると、それはやたらと大きな柱だった。大人が十人手を繋いでも到底抱えられないほどの、太く巨大な柱。それはサブローの認識が正しければ、闘技場地下中心部にある破壊目標の大黒柱だった。
サブローの周りには誰もいない。背後から迫ってくる音も聞こえない。もう彼らがサブローを止めることはできない。
「死ぬの……が、嬉しいんだろ……。なら、いっちょ、一緒に死んでみようじゃねぇか……」
そう言って、サブローは『エクスプロージョン』の陣を構築してゆく。それを描くためのインクとなるのは、自分の体の至るところから流れ出る血液だ。
掌ほどの陣の中心にサブローが預かっていた魔石を設置し、起動。真紅で透明な卵大の魔石から膨大なエネルギーは吸い出され、瞬く間に収束してゆくのを感じる。
陣から目も開けてられないほどの光りが放たれ、視界が純白に染まる。
『頑張ったね』
死の直前にサブローが目にしたのは、はにかみながら手を振ってくる、幼き日の自分だった。




