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ワナビィ・ア・ヒーロー(前)

 不精髭を生やした壮年の男が、曲がり角から恐る恐る顔を覗かせた。

 途端に、相手が持つ(サークル)の刻まれた巨大なステッキから鉄球が飛び出し、侵入者たちを蜂の巣にしようと飛んでくる。一人につき一発ずつしか飛んでこないが、如何せん相手は数が多く、横に並ぶのは三人がやっとの通路に、最低でも二十人は犇めいている。それだけに、降り注ぐ鉄球はまるで嵐のようだ。

 慌てて曲がり角に隠れるが、盾にしている壁ごと壊してやるとでも言わんばかりに壁の角が削られてゆく。砕かれた壁の破片が頬を掠め、ひぃ、と男は間抜けな声を上げてしまった。

 少しの間だけ掃射が止んだ隙に、男は角から万年筆(当然、これも陣が刻んである)を突き出して鉄球を撃ち返すが、次の瞬間にはその何倍もの鉄球が飛んでくる。真面目にやるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいの戦力差だ。

 最初は互いに曲がり角に隠れて交互に撃ち合っていたが、だんだんと相手の攻撃が激しくなり、今では防戦一方。相手は既に隠れることなくひたすら攻撃をしてきている。

 このままでは埒が明かないと思った男は、懐から一本の巻物を取り出す。そして、鉄球の雨が止むのを見計らって相手の真正面へと躍り出た。

「『ライトニングボルト・レベルⅣ』!」

 巻物に書かれた図に沿ってマナを流し、陣を一瞬で起動させる。そうして引き起こす現象は、叫んだ言葉のとおり、放電だ。

 飛び出してくるような奴がいるとは思っていなかった相手は、電流を食らってバタバタと倒れる。その様子に男は満足そうに鼻を膨らませるが、得意気になるのは少々早かった。雷撃の被害を受けたのは前方にいた数人で、後方のメンバーはすかさず反撃をしていたのだから。

 殺傷能力を十分に秘めた鉄球が、すさまじい速度で眉間を貫かんとする。

「げっ――おおおおお!?」

「何やってるんですか、死にますよ!」

 間抜けな声を上げて今まさに死にそうになっていた男を助けたのは、怜悧な美貌を持つ二十代中ごろの女性。警棒に刻んであった圧力の陣を起動させ、自分の方へと引き寄せたのだった。

 敵の数を三分の一ほど削いだにも関わらず褒められるどころか罵倒された男は、普段ならば目一杯不貞腐れるだろう。だが、たった今あの世を覗き込んだ男に、そこまでの精神力は残ってなかった。

 しかし、男も無駄にこれまで年を重ねてきたわけではない。すぐに気を取り直すと、再び壁の向こうの相手の気配を探り始めた。

 壁に張り付く男に、同じ服装をした男性達が口々に報告する。

「班長! 敵の攻撃が激しくて進めません!」

「馬鹿野郎! そんぐらい見てりゃあ分かる! 相手は数が多いだけで単発ばかりだ! 隙を狙ってなんとかしろ!」

「班長っ、退路を確保していたⅡ組からの連絡が絶えましたっ!」

「なんだとぉ! ……まあいいっ、元々特攻隊みたいなもんだ! 前方の敵にだけ集中して、あとのことは目標を達成してからだ!」

「これ以上時間がかかると挟み撃ちにされますよ! どうしますか! 指示を!」

「それも分かってる! お前、ちょっと突っ込んで敵の数減らしてこい!」

「遠慮します!」

「上官の命令が聞けんのか!」

「後ろから刺しますよ!?」

 後半は勿論、軽口を叩きあっているだけだ。だが、ぺらぺらと軽く動く口とは対照的に、精神の方はどんどん圧迫され、重くなる。

 相手の撃った鉄球が天井近くを這う鉄管の一つに直撃し、黄土色の水が噴き出てきた。それは量が多いわけでもなく、怪我をするわけでもなかったが、男の心をさらに乱させるには十分すぎるほどだった。

「チクショウ、とんだ厄日だ!」

 特設天煌破壊隊攻撃部Ⅷ号地破壊班班長である男――サブロー・火伏(ひふし)は、何かの液体で濡れた頭髪を振り乱しながら叫んだ。


   :-(


 朝、国境を無視して世界の治安を守る組織、国際警備隊の警備部長であったサブローは、上司であるマルコ・昇窯(のぼりがま)特務長に指令室に呼ばれた。そして、そこで聞かされた言葉に耳を疑った。

「『天煌』が構築された」

 サブローは敬語も忘れて訊き返してしまう。

「今、何と?」

「天煌を知らないか? 流石に博士は知っているよな?」

「知っています! そうではありません。それは本当の話なのですか?」

「事実だ。でなければお前如きを司令部に呼んだりはせん」

「何故そんなに落ち着いているのですか! 世界規模の緊急事態ですよ! 死界級の(サークル)ではないですか!」

 口角から泡を飛ばしながら、サブローは食って掛かる。左遷されないようにと上司には最大限の気を使っているサブローが礼儀を忘れるというのは、それだけの事件だということだ。

 博士というのは、全世界の人間が知っている天才学者の通称。本名や性別などの個人情報を知っている一般人は少ないが、その頭脳をたたえる噂は、どんな人でも一度は聞いたことがあるほど。

 曰く、十にも満たぬ歳で魔術八学を修めた。

 曰く、発見や発明の数は千を超えた。

 曰く、賢人の学位を鼻で笑った。

 曰く、たった一人で世界を変えることができる。

 そんな博士が戦時中に戯れに掘り出したといわれる、最終兵器的陣。この星全てを回路として活用した、破格の規模を誇る陣。それが天煌だ。

 天煌は起動すれば世界が滅ぶとされているのだ、当然構築した本人も無事では済まない(というよりは、確実に死ぬ)。そんなことも理解できない狂人が一個人で構築できるようなものではないし、天煌の内容を把握しているのはごく一部の人間のはず。一般人はその存在さえ知らない。それが構築されるなんて、冗談にしても笑えない。

 いや、そもそも――。

「天煌の図面は焼失したのではなかったのですか!?」

 十年前、それを保管していた国際警備隊本部を襲ったある宗教組織のテロによって、その資料は失われていたはずだった。

 飛び散る唾に顔をしかめながら、マルコは静かに答える。

「こちらもそう判断していた。しかし実際に、治安維持やらなんやら理由をつけて長年監視していた大森燐・神の水瓶(ビッグポッド)・魔石盆地坑道跡地の三つのキーポイントがクリアされ、天煌が構築されたことを確認した。これは、疑いようのない事実だ」

「っ、その警備隊の監視は何をしていたのですか? 本当の理由を教えることまではしなくても、その任務の重要性は十分に説いといたのでしょう?」

「長年の見せかけの平和が仇になったな、すっかり平和ボケしていたらしい。どうやら、昨夜は任務をサボって街で呑んでたようだ」

「そんな他人事のように……! 大体、どこのどいつが天煌の構築なんて馬鹿なことをっ!」

「分からないか?」

 マルコの目が、冷ややかなものとなる。

「宗教団体『死屍司教(プリンス)』。こんな気違いじみたことをするのは、あいつらしかいないだろう」

 十年前のテロの時に持ち出されていたのだろうな、とそう付け加えた。

 大国と呼ばれる四つの国は、個人がどんな宗教を信仰していようと基本的に口を出すことはない。どの国も比較的に新興国で、特定の宗教を遇していたりはしないからだ。しかし、唯一、信仰していると発覚しただけで犯罪者扱いされ、死刑に処される宗教がある。

 それが、死屍司教。

 その理由は簡単で、人は死ねば皆楽園に行けるという教えのもとに、教義で()()()()()()()()()から。

 できるだけ多くの人を殺した後に、最終的に自らの命を絶つこと。それが教義であり義務であり、死屍司教の布教活動になる。そうすれば楽園で楽ができるとそう信じて、ひっそりと、または大胆に、周囲の人間を殺戮する。まさに狂気の集団だ。

 そんな危険な集団が、天煌を構築してしまったという。

 あり得る。現実であれば悪夢のような話だが、可能性としては、大いにあり得る

 そう思ってしまったサブローの心に、じわじわと現実が浸み込んできた。

「き、期日は? 起動までの猶予はどれだけありますか?」

「分からん。なんせ資料がこちらの手に無いからな。まあ、少ない情報を統合したところ、公国時間で六日以内の正午という予想が有力だ。あれは陽光を起動の条件としているから、雨乞い小僧でも作り溜めしておくか?」

 淡々とそう答えた後に、僅かに口元を歪ませるマルコ。どうやら最後の部分はジョークだったらしい。上司の珍しいジョークに溜息の一つでも返して見せるべきだったのかもしれないが、サブローは衝撃のあまり言葉をなくしていた。

 追い打ちをかけるかのように、マルコが問いかける。

「天煌の本当に恐ろしいところ。お前はそれが分かるか?」

 ぐわんぐわんという耳鳴りを聞きながら、上司の質問には答えなければならないという条件反射にしたがって、役に立たない脳を半ば自動的に働かすサブロー。縦社会で生きていくうちに自然と染み着いてしまった悲しい習性だが、それを嘆く余裕はない。

 世界を滅ぼすほどの威力? 陣の構築の容易さ? いや、そうではない。サブローの頭の中で結論は既に出ていた。

「陣の、確実性」

「その通りだ」

 正答して見せサブローに、マルコは少し驚いたように片眉を上げた。

 一般的な陣ならば、回路の一部が破壊されれば起動しなくなる。定められたマナの流れが乱れ、配置された字が纏まりをなくし、一つの陣として描くはずの(イメージ)が描けなくなるからだ。

 しかし、天煌は違う。

「天煌の陣を見たことのある奴は、必ず無駄が多いと思うという。執拗なほどにパスが多く、非効率であまり適切ではない字を使用していたり、機能するために必要のないポイントが散見するかららしい。だが、それこそが天煌の肝だ。その一見無駄に見える部分が役に立つのは、実際に回路の一部が破損した時。詳しいロジックは分からんが、回路が破損するとマナの流れるルートが変わり、まるで破壊された部分など最初から組み込まれていなかったかのように陣を再構築する……と研究班は言っていた。要するに、何重にも死界級迷界級の破壊属性陣が重なっていて、回路の一部が破損してもその破損した回路に合致した陣が構築される、というわけだ。博士はこれに万華鏡式という名称を与えた。まあ、今まで万華鏡式を実用に耐え得るレベルで作れたできた人間は博士しかいないがな」

 万華鏡は傾きを変えれば模様が変わるが、綺麗なのには変わりない。天煌も回路の一部を破壊すれば現れる現象は変わるが、大規模な破壊属性陣が起動するのは変わりない。

細かい内容など瑣事だ。目的を果たすことが目的なのだから。

「天煌の回路は大自然の地形――山脈や河川、砂漠や潮流などを利用している。それらの破壊は容易ではない。他に利用している場所も、天煌の起動を邪魔しようとする者が現れても迎撃できるような場所ばかりだ。破壊は困難で、仮に一か所の破壊が成功しても万華鏡式だから無意味。陣の起動を完全に阻止することは非常に難しいことになる。……それをお前が知っているとは思っていなかったがな」

 そう言ってマルコはふん、と鼻を鳴らした。

「一から組み立てるのではなく、そこに有るものから意味を見出す掘り出しで、ここまで馬鹿げた性能の万華鏡式を組む。確かに博士は天才で、その証である天煌は傑作だ。しかし、そこではいそうですかと諦める訳にはいかない。だから、我々は国際警備隊を主軸とした三カ国連合で天煌の破壊作戦を行うこととなった」

 その言葉にサブローは不思議そうな顔をする。いくらあまり仲が良くないといっても世界の危機であるというのに、四大国全てが協力していない理由が分からなかった。

「三カ国? 残りの一国は何をしているのですか?」

 そんなもっともなサブローの問いに対して、僅かに口の端を歪めるマルコ。

「それがな、グライス帝国は何を血迷ったかこの事実が判明するなり鎖国を始めた。首都に優秀な自国民を呼び集めて引き籠ったと情報が来た。全くもって意味が分からん」

「……あの愚帝が」

「滅多なことを言うな、と言いたいところだがこればかりは同意見だな。今代の皇帝は流石に頭がおかしいとしか言いようがない」

 先ほどまでの自嘲気味な笑みを消して無表情にそう告げるマルコに、まったくだ、とサブローは頷く。皇帝に権力が集中しすぎているせいで暴走迷走することが多いという帝国の悪癖が、最悪のタイミングで発揮されたようだ。

 一度にもたらされた情報を一度整理するためにサブローは黙り込む。マルコはそれを無言で見つめた。

サブローはふと思う。何故自分はまだこんなところにいるのだろう、と。

 天煌の被害範囲は全世界だ。今の話を聞く限り起動の阻止は相当難しいようであるのに、起動したら巻き込まれることは確定的。三ヵ国の連合隊を編成するのならばサブローにできることは無さそうだ。そして何より、使う機会のなかった有給が溜まっている。

 助からないかもしれないならばさっさと要件を済ませて、最後の六日間を有意義に過ごそうと、そう思った。

「で、何のご用件で? めんど、ごほん、私めは急用ができたので、用事をさっさと済ませて帰りたいのですが」

「……随分と正直になったな」

「これが素でありますので。というか、世界が滅ぶのならばどうでもいいではないですか。あ、あと、念のために有給の申請をしたいであります、特務長殿」

 あまりにも露骨な態度の急変に、マルコは呆れを通り越して笑いそうになる。命令にはひたすら従順で上官に媚びへつらうことしかしないサブローが、こんな素顔を見せるとは思っていなかったからだ。まあ、ただ自棄になっているだけかもしれないが。

 しかし、マルコは驚きを表情に出すことはなく、淡々と告げる。

「先ほど、国際警備隊総帥からこう指令があった。『この度の死界級の危険事項に対し、我々は総力を持って危険の解消に努めることになった。またその際、ピィシ公国、マネア共和国、フームード連邦の協力を得られることとなった。我々はこの事項の緊急性のために、専用の隊を特設し、そこに三ヵ国の兵を組み込み、危険の解消にあたる』とな。で、何故お前を呼んだかというと」

 そう言ってマルコは少しだけ溜めを作り。

「お前が特設天煌破壊隊攻撃部Ⅷ号地破壊班班長に任命されたからだ」

 見事にサブローの唾を吹き出させた。

「な、なんで俺が!」

 サブローは狼狽した様子で目を剥く。今までの話を聞く限り――と言うよりはその役職名を聞く限り、酷く危険で面倒臭い任務なのは間違いないからだ。やる気に溢れていた若いころならばまだしも、そろそろ安定を求める四十に差し掛かろうという今、実戦を含む任務など受けたいはずがない。

「そう指示が来たからだ」

「理由があるでしょう! 俺はただの中間管理職ですよ! 三ヵ国のまとめ役ならば他に適役な上官がいるはずです」

 どうにかして断ってやる、と鼻息を荒くするサブローだが、マルコは淡々と事務的に対応する。その声には若干の困惑が籠っている。

「そうは言ってもな。最も武闘派な総帥は全体の指揮を執っておられる。イワン提督はご老体であるし、ベール提督は先月の事故で戦闘ができる状態ではない。ホッシュ提督は南の島でバカンスの真っ最中だ」

「そうだとしても特務長がいるじゃないですか」

「特務長は現在一名欠員が出ている。そして、一名は情報管理だ。四名しか居ない」

「監察官は?」

「グライス帝国出身の二名は本国に帰還してしまった。で、心身衰弱一名、行方不明一名、ケートン国の刑務所に一名。六名しか動けない。これで十名」

「っ、Ⅰ級特務員は? 彼らも警備部長と同じ序列のはずでは?」

「同じではない。厳密に言えばⅠ級特務員は警備部長に準じる序列だ。攻撃部は十一に分け、重要度の高いと思われる十一か所を同時破壊する。バランスを保つという役割も兼ねて班長は警備隊内から選出するのだから、お前が必要だ」

「消去法でそう言われても嬉しくないです!」

 耐えられなくなってサブローは叫んだ。例え消去法でなくても嬉しくはないが、マルコの言葉の端々に妥協と諦めが混じっているのだからやってられない。

 自分が選出された理由は分かった。しかし、だからと言って死地に向かうことに納得したかというとそうではない。今までの説明を聞いておいて、成功するだろうから行って英雄になってくるぜ! なんて思考に辿り着く方がおかしいだろう。

「ほ、他の部長にだって」

「火伏警備部長」

 サブローの苦し紛れな言葉は、マルコの強い声によって遮られる。怒鳴ることも叱り飛ばすこともしないマルコが、我がままな部下を窘めるときのそれだった。

 しばらくぱくぱくと口の開閉を繰り返していたサブローだが、やがて観念してがっくりと項垂れる。

「なんで俺が……」

「総帥直々の指令だ」

 子供が駄々を捏ねるように呟くサブロー。帰ってくる答えは素っ気ないもので、マルコは一切表情を崩さない。マルコだって戦場へ行くはずなのに、その態度は普段と変わらず、冷静で、理知的で、とっつきにくい。

 しかし、不意にマルコの纏う雰囲気が柔らかいものとなる。

「なに、心配するな。たった一つで城が建つようなお高い魔石を使って、古代闘技場を破壊してくるだけのお仕事だ」

 そう言ってマルコは滅多に動かない表情筋を無理やり動かして、不器用な笑顔を作って見せた。

 それが、自分の指示で死地へと向かわせることになる部下への精一杯の餞だった。

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