本気
瑞姫は息を乱して着地した。もうどれぐらい経っただろう。炎託は確かに腕を上げていた。隙が無いどころか、どんどんと追い詰められる。速さは、将維に匹敵するのてはないだろうかと思われた。驚くほどすんなりと瑞姫の動きについて来る。もうとっくに一本取られていても遅くはない…。瑞姫は思った。
一方、圧倒的な炎託の力に、会場は水を打ったように静まり返り、固唾を飲んで見守っていた。炎託は息を切らせてもいない。流れを止める必要など無いはずだが、まるで瑞姫を気遣うかのように、時に睨み合って動きを止めた。
「…そろそろ、限界であるな、瑞姫。」炎託は言った。「まだ動けるか?」
瑞姫は刀を振り上げた。
「…まだ…動けまする!」
炎託はフッと笑った。
「良い根性ぞ!」
炎託はそれを受けた。瑞姫はその炎託から、楽しんでいるような気を感じた。そこには、あれほどに憧れた、龍王の維月に対する愛情を、確かに感じた。瑞姫は手元を狂わせた。まさか、炎託様…本当に、我を…。
「…終わりだな。」
炎託はそれを見逃さなかった。瑞姫の刀は宙を飛び、炎託は膝を付いた瑞姫に刀を突き付けた。
「一本!勝敗は決しました!」
観客の割れるような歓声が聞こえる。刀をおさめた炎託は、瑞姫に手を差し出した。
「…さあ、我が妃ぞ。もう諦めよ。」
瑞姫は炎託を見上げた。
「本当に我でよろしいのですか?こんな…我で…。」
炎託は微笑んだ。
「主でなければならぬのよ。そのためにここまで来た…我の手を取れ、瑞姫。」
瑞姫はその手を取らなかった。代わりに、涙を流しながら炎託に抱き付いた。炎託は驚いてそれを受け止め、瑞姫に問うた。
「…瑞姫?」
瑞姫は抱き付いたまま言った。
「ああお慕いしておりました…初めてお会いした時から…我はそのために軍神になり申したのです…!」
炎託は驚いてその言葉を聞いた。まさか…では、この宮に来たのは、我に会うためであったのか。そして我と接するために、軍神になったというのか…!
「おお瑞姫…もう離さぬぞ。何も気づかなかった我を許してくれ…!」
炎託は浮かんで来る涙を隠すように、瑞姫を抱き締めた。観客の歓声はまだ、鳴りやまなかった。
貴賓席では、維月が涙を拭った。
「まあ、よかったこと…。まさか炎託も、瑞姫を望むようになっていたなんて…。」
維心が横で微笑した。
「将維め、知っておったの。あれが瑞姫の立ち合いもと言った時、なぜにそのようなと思うたが、これで合点がいったわ。すれ違っておったあやつらを、なんとかしようと思うたのだろう。」とため息を付いた。「…己が望みを己で掴み取らせようとするところは、将維らしいよの。これが決まった折りから一日中、立ち合いに付き合っておった…ほんに、やってくれるわ。」
蒼が横で大袈裟にため息をついて見せた。
「これで瑞姫も嫁ぐのか。炎託には早く身の振り方を決めてもらわねばな。いっそ月の宮の軍神にでもなってくれた、オレも安心なのに。」
維心は笑った。
「主も過保護よの。今少し待ってやれ。あれも考えることがあるのだろうて。」
瑞姫達が揃って貴賓席へと飛んで来る。維月が立ち上がった。
「私の番ですわ。」
維心も居住まいを正した。これが挑戦者の最後、志心だ。志心は維月と白虎の宮で立ち合ったこともある。動きは知っている。
「…油断するでないぞ。白虎は主らと同じように動きが滑らかで掴みづらい。それにすばしこいのだ。」
維月は頷くと、飛んで来た瑞姫に微笑み掛け、表情を引き締めて闘技場へと降りて行った。
志心は、既にそこで待っていた。維月を見て、微笑する。
「疲れてはおらぬか?我を最後とは、維心殿も懐の深いことよ。」と維月の刀を見た。「どうするのだ?その刀を使うか?」
維月はためらった。白虎の宮では、双剣も使った。そちらのほうが、志心とは相性が良く、やりやすかった…確かに維心の言う通り、志心は日に日にすばしこくなり、刀では受けるのが危ういことがあったからだ。
「…では、双剣を。」
維月は刀を軍神に渡した。そして、双剣を受け取って、両手に構えた。これは腕に沿うように持つので、大降りになるが、受けるのはとてもやりやすかった。
維心は上からそれを見て、息を飲んだ。それを使うのか。主がそれを使うところは、我はまだ見たことがない…。
もちろん、維心自身もそれを使ったことはなかった。刀ばかりを使っていたし、それ以外を使う必要を感じたこともなかったからだ。維心は不安になった…見たことがないような立ち合いをすることが、感じ取れたからだ。
一方志心は、それを見て頷いた。
「では、参るぞ。主が掛かっておる。我も真剣に立ち合うゆえの。」
志心は構えた。その構えは、今までの誰とも違った。維月も片腕を前に出して構える。維心は身を乗り出した。維月…本当にそれで立ち合えるのか…。
維心の不安を余所に、立ち合いは始まった。確かにスピードは他とは落ちる…だが、その分良く見えるその立ち合いは、維月の動きにぴったりと付いて、一歩も譲らない滑らかさで、太刀をぶつけ合う回数は他の誰よりも多かった。
志心は、維月が宙返りをしようと、その動きを見逃さなかった。維月にも匹敵するその柔軟性は、体を逸らせることで維月を見失わないようにひたすら志心を維月の動きに合わさせていた。避けても避けても追って来る太刀を受けながら、維月はスピードを上げた。志心様は、今は、見えているはず。でも、これ以上のスピードになったら、見えなくなって来る…私は、今までの立ち合いで、それを学んだ。志心様の限界は、知っている。
だが、志心は維月を追って来た。観客にはもはや見えている者も少ないはず。それでも、志心はこちらを追っていた。維月は戸惑った。志心様…もしや見える…?
維心は嫌な予感がした。志心は必死だ。一方、維月はこれまでの立ち合いもあって、疲れている。それに、志心とは立ち合ったことがあるという油断もあったはず…あの慣れぬはずの武器で、ここまでうまく立ち合っているが、あの武器では相手に斬り込むためにはギリギリまで近寄る必要がある。腕の長さから見ても、不利だ。
維月は、疲れが来ているのを感じていた。足がうまく動かない。月から力を呼ぼうにも余裕がない。地上へ降りると不利だと感じた維月は、ひたすら足を休ませるために、地上に降りる時間を減らした。重い剣が両腕にのしかかるようだ。自分は体力がない。素早さはあるが、いつも早くに決して、長時間立ち合うことが少なかったからだ。早く決しなくては…維月は焦る気持ちで志心に斬り込んだ。
「…駄目だ!」
維心は立ち上がって言った。あの位置では斬り込まれる…!
思った通り、志心は刀を素早く振った。維月はそれを見て咄嗟に身を後ろに倒して除け、地上へ尻を付いた。それを逃さず上から突いて来る志心の刀を、維月は片手の剣で払い、もう片方の剣で足を狙って横から振り切った。
志心がそれを避けようと飛び上がった隙に、維月は転がって立ち上がって宙へ舞い上がった。
維心はホッと胸を撫で下ろした…危なかった。だが、このままでは維月は負けるかもしれない。維心は気が気でなく、立ったまま闘技場を見降ろした。
維月は息が上がって来ているのを感じていた。このままでは、負ける…!しかし、志心も斬り込む手を緩めない。ここで力を緩めれば、勝てない…!
維月は足に力が無いのを感じた。着地した時、右足がよろめく。志心がそれを見逃さずに刀を振った。
維月はそれを受けて、左手の剣を振ろうと腕を構えた。維心は目を逸らした…駄目だ、長さが足りない…次の太刀で、志心が取る。
「…一本!勝敗は決しました!」
歓声が湧きあがる。維心は椅子に崩れた。負けたのか。維月を手放さねばならぬのか。蒼が横から維心の肩に手を置いた。維心が蒼を見ると、蒼は闘技場を指差している。維心はそちらへ目を向けた。
維月は、双剣の左を、腕から縦に前向きに持ち直して志心に突きつけていた。志心は、振り上げた刀を、力なく降ろした。
「…勝てなかったか。」と維月を見た。「主は大したものよ。スピードが無くとも、技術で勝る。その瞬発力と判断力は我にも勝てぬの。」
維月は息を乱しながら立ち上がった。
「運が良かっただけですわ。甘く見ておりました…動きが他の軍神と全く違うので、しかもとことんついて来られるので、もう駄目かと何度思ったことか。」
志心は愛おしげに維月を見つめた。
「これで良い。我も諦めが付く…精一杯戦うたゆえな。願わくば、また立ち合おうてくれるか?」
維月はにっこり微笑んだ。
「はい、志心様。何度でも、また立ち合いとうございます。私も得るものが多うございました。」
志心は頷いて、控えの席へと戻って行った。その背に、まだ歓声は鳴りやまない。維月にとことん付いて行った志心は、確かに優秀な軍神であったからだ。
維心はホッとして力が抜ける思いだった。危うく維月を取られるところだった…もう、こんなことは二度とごめんだ。維心は立ち上がって叫んだ。
「勝敗は決した。志心は本当に良い立ち合いをした…我も胆を冷やしたほどよ。」観客はシンとして維心の言葉を聞いている。「では、この後、我が妃は月へ戻って力を戻し、こちらへすぐに降りて参る。我と立ち合う為にの。しばしの休憩を入れる。」
維月は疲れてふらふらだった。維心の言葉が終わってすぐ、光になって月へと昇り、力を戻した。まるで温泉にでも浸かっているかのように、力が身に補充されて来るのがわかる。
十六夜が言った。
《維月、危なかったな。オレも見てて冷や冷やしたぞ。維心なんて、もう負けたと思って一瞬うなだれてたんだからな。》
十六夜は月に居たまま、見ていたのだ。維月は笑った。
《ほんと、甘く見てたのよ。志心様とは立ち合いしたことあったけど、あの時はこれほど必死ではなかったのよね。本気の闘神がどれほど怖いか分かったわ。でも、それぐらい想ってくれてたと思うと、少し複雑。》
十六夜は少し焦ったような声を出した。
《何を言ってるんだ。まさか負けてやろうとか考えたんじゃねぇだろうな。お前はすぐに情に流さるからよ…それじゃあ駄目だぞ?オレが許してるのは、維心だけだ。》
維月はふふんと笑った。
《わかってるわ。同情と愛情は違うから。分かってる。じゃあ、維心様と立ち合って来るわね。この勢いで勝ってしまうかもよ?》
十六夜は笑った。
《ああ、やってしまえ。あいつ、自分が最強だからってお高くとまってやがるんだ。月が最強だってわからせてやれ。》
維月は、皆が待つ訓練場の闘技場へ、実体化して降りて行った。




