軍神
結局それから1週間掛かって、やっと甲冑が来た。宮をひっくり返して探したが龍の甲冑で女用などなく、必死に衣装担当の龍が作ったからだ。月の宮の方では女の軍神も居るので早くに瑞姫の甲冑はあったのだが、あちらはあちらで李関相手にともかくも型になるようにと特訓していたらしい。それが思いに反して、瑞姫は蒼より筋が良く、李関も驚いていた。
一方維月は維心から甲冑無しではダメだと言われていたので、その日が全く初めてであった。髪を束ねて甲冑を身に着けた維月は、なかなかどうしてそれが本来の姿のように、とても良く似合っていた。少し気の強そうな顔立ちは、確かに軍神のようだった。しかし、維心はため息を付いた。
「…形ばかり整ってもの。」と、自分の刀を渡した。「せめて我の刀を使うと良い。三本あるうちの一本ぞ。我の持つ中で一番短い刀であるから。」
維月は手渡されてどうしたものかと思案した。侍女が左の腰にそれを装着する。早速維月は抜いてみた。
「まあ、思ったより長いのね。それに結構重いし。」
維心は再びため息を付いた。
「それを振り回すのであるぞ。ほんに…思いやられるわ。」
同じように甲冑を着た十六夜が、苦笑しながら言った。
「さ、行くか。」と後ろの瑞姫を振り返った。「お前もな。」
歩き出す十六夜に、維月は嬉々として付いて歩いた。維心もそれに並んで訓練場へと向かった。願わくば怪我などしないように…。維心はそれだけを願っていた。
訓練場には、将維も炎託も義心もいた。端に並んで立っている。他には知らせていないので、今日はギャラリーはいない。維心は少しホッとして皆に並んだ。
訓練場の中央まで歩いた十六夜が維月に言った。
「さ、オレが相手する。瑞姫はそこそこやるんだ。月の宮で見た。お前がどこまで出来るのか知らなきゃならねぇからな。」
維月は心持ち緊張した面持ちで刀を抜いた。
それを、離れて見ていた将維は気が気でなかった。いくらなんでも、立ち合いをするとは。怪我でもしたらどうするのだ。なぜに父上はこんなことを許されたのか…我なら絶対に許さなかった。将維がイライラと落ち着かずに見ていると、それを知ってか知らずか、炎託が言った。
「主の母はどこまでも気が強いのう。格好は似合っておるが、大丈夫なのか?」
将維は苦笑した。誰のせいでこんなことになっていると思うのだ。隣を見ると、維心はもっと気が気でないようだった。
キン、キンと刀の当たる音がする。将維は慌ててそちらを見た。
最初軽く当てる程度だった十六夜が顔色を変えた…素早く刀を降り下ろす。維月は慌てる風も無くスッと刀を返すとそれを受けた。
「…見えるんだな?」十六夜は言った。「お前、体動くか?」
維月は頷いた。
「大丈夫。皆の立ち合い見てたから…その通りにすればいいんでしょ?」
十六夜はニッと笑った。
「お前も同じか。」と飛び上がった。「付いて来い、維月!」
維月は同じように飛び上がると、すごいスピードで斬り込んで来る十六夜の刀を受けた。全部見えているのだ。それに、維心やほかのもの達の真似をすれば受けられる。わかった!
「わかったわ!十六夜!」
維月は激しく斬り込んで来る十六夜を避けて上へ宙返りすると、上から斬り込んだ。十六夜はそれを受けた。
「…やるじゃねぇか。おもしれぇ!」
十六夜はガンガンと斬り込んで行くが、少しも維月に入らない。二人はものすごいスピードで打ち合った。
炎託は呆然としてそれを見上げた。
「速い…なんとか見えてるが、主の母は今日が初めてだったのではないのか。まるでアデリアを見るような動きぞ。あれほど背がしなるとはの。」
将維は声もなくそれを見上げていた。…我では勝てぬかもしれぬ。それになんと美しい…女の立ち合いとは、こうもしなやかな動きが出来るものなのか。
父が隣で微かに息を付いた。将維がそちらを見ると、まるで夢見るような目で見ている。今のは感嘆のため息だったのだと将維は思った…あんな女は他には居ない。将維は身に染みて母の稀少さを感じていた。
気が付くと、いつの間にかギャラリーが増えて回りはすごい人だかりになっていた。
ザザッと砂ぼこりが上がり、そこに着地したのが分かる。一瞬止まったその動きは、維月が斬り込んで十六夜に向かって軽く飛びながら走って行く事でまたすぐ動き出す。一瞬見えた維月の表情は楽しそうにほんのり笑っていた。十六夜も微かに笑みを浮かべ、維月の刀を受けていた。
「キリがねぇぞ。」と十六夜は回りに気付いて言った。「さあ、お開きだ!」
十六夜が隙を突いて飛び込んで来る。維月はフフンと笑った。
「甘いわよ!体の扱いは私の方が慣れてるわ!」
キンッと音がした。砂ぼこりが立ち上がり、刀が飛んで地に刺さる。その刀は、維心のものではなかった。
砂ぼこりが収まると、維心の刀を、尻餅をついている十六夜の鼻先に突き付けた維月が立っていた。
「…私の勝ちよ!」維月はぜいぜいと息を切らせながら言った。「私、負けず嫌いだもの!」
十六夜は苦笑した。
「お前にゃ勝てねぇなあ。」
刀をおさめた維月は、十六夜に手を差し出した。
「あなたが油断したからよ。でなければ勝てなかったわ。」と十六夜と並んで皆の所へ歩きながら、「でも、面白かった~!もう一回やりたい!」
回りから歓声が上がる。回りを見て、維月はびっくりした…すごいギャラリー! いつの間に?
十六夜は維月の手を握って立ち上がり、維心達が並んでいる所へと歩いた。
維心が維月に手を差し出した。
「維月…なんと主は…我でも勝てるかわからぬの。なんと美しい動きであることか。まさかこんな事が出来ようとは。」
維月は手を取りながら言った。
「私は月ですもの。十六夜と同じようなことは出来ますの。だから、きっと立ち合いもと思ったけれど、思った以上に動けましたわ。これが人の体の時であったら、きっと無理だったと思いますけれどね。とても面白いこと。」と腰の刀を見た。「維心様の刀をお借りしたし。フフ。」
将維が横から言った。
「我も是非立ち合うてもらいとうございます。男では無理な柔軟性でした。」
炎託は横で頷いた。
「我には、まるで舞っているように見えた。このような女が世におるとは…さすがは、龍王妃よ。」
維月は瑞姫を振り返った。
「では私の孫の瑞姫を紹介いたしますわ。この子もまだ始めたばかりでありまするが、そこそこやると十六夜が申しておりましたの。炎託、少し相手になってやってもらえませぬか?」
炎託は瑞姫を見た。
「主…月の宮の?」
瑞姫は頷いた。
「はい。その節はお世話になりました。不甲斐ない己に嫌気がさしまして、武術を始めましたの。これがとても性に合いまして。おばあ様ほどではありませぬが…立ち合い願えまするか?」
これは本当だ。武術などと最初は退いていたものの、祖母からの命とのことで始めてみたら、それはすんなりと体が動いた。何より、体を動かしていると、憂さ事は忘れてしまう。やっと会えた炎託様…せめて共に楽しめれば…。
炎託は驚いていたが、訓練場中央の方へ足を向けた。
「…では、一試合してみようぞ。」
瑞姫は微笑んで頷き、炎託について中央へと出たのだった。
一同は、広間で茶を飲んでいた。
立ち合いが終わって、茶でもどうかと維心が言ったからだ…王が言うことは絶対なので、断ることは出来ない。全員が広間で茶を飲みながらくつろいでいた。
「瑞姫が短期間に大変に上達しているのに驚きましたわ。」維月が言った。「私は月ですけれど、瑞姫は龍でございますから。」
瑞姫はにっこりと笑った。
「ありがとうございます。我は毎日李関に、朝昼夕と、この一週間必死に学びましたの。ですのでまだやっと形になったばかりでございますわ。」
「いや、なかなかに勘の良い動きであったぞ。先が楽しみであるの。」
維心が微笑んで言う。瑞姫は頬を赤らめた。龍王様に褒められるなんて。
「まあ龍王様まで…嬉しゅうございまするが、少し恥ずかしゅうございまする。」
維月はそれを見て笑った。将維が言った。
「母上も瑞姫も、女の立ち合いの動きは男とは、筋は同じであるのに流れが違うのです。男の動きがゴツゴツとした感じであるとしたら、母上達は流れるようにスムーズで…演武を見ておるような。いや、舞踏を見ておるような…不思議でございました。」
維月は微笑んだ。
「力が無いので、なるべく無駄を省かなければならないの…大きく動くと、それだけエネルギーも失うしね。なので流れに乗って体を動かすのよ。動きを読まれそうになったら、急に別の動きをするのだけどね。」
十六夜が横から言った。
「オレはそれに翻弄されちまった。」と残念そうに維月を見る。「流れが見えるから合わせようとすると、クッと別の動きに流れを変えやがる。付いていけねぇ…それに男は背面宙返りなんてしねぇ。」
維月は膨れた。
「自然にああなったんだから仕方ないでしょ?でも、楽しかった。」
維心が横から維月の肩を抱いた。
「では、次は我と立ち合おうぞ。将維も主の速さについて行けていなかったし、我も試してみたいのよ。」
維月は頷きながら微笑んだ。
「まあ維心様、お手柔らかに。」
そんな面々を見ながら、炎託は黙って茶を飲んでいた。確かに、驚いた。まさか現実世界にあのような女がおろうとは。龍王妃と月の宮皇女瑞姫…。女の軍神は何人か見たことはあるが、皆男のような動きだった。それが、この二人はまるで舞姫だ。
炎託は瑞姫をちらりと見た。実際に立ち合ったのはこちらの方だが、始めて一週間とは思えない動きだった。読めないほどに滑らかな動きで、当たりそうで当たらない刀に、こちらがしびれを切らすと鋭く斬り込んで来る。その動きを見ていると、力技だけではないのだと思い知らされた。確かに、有意義だった。将維になかなか追いつけずどうしたものかと思っていたが、道を見つけた気もする。
それにしても、龍王は妃にべったりだ。あのように珍しい女、気持ちは分からぬではないが、あれほどに人目も憚らず溺愛していては、将維もつらいであろうに。
「…では、しばらくこちらへ滞在してはどう?ここには優秀な軍神が揃っているわ。きっと勉強になると思うわよ。」
炎託はハッとした。維月の声がそう言っているのが聞こえたからだ。瑞姫が答えている。
「我ではまだ、こちらの方達には足手まといでございましょう…もう少し、月の宮で腕を上げてから参ったほうがよろしいかと思いまする。」
維月が残念そうに微笑んだ。
「まあ、そう?では私はこちらで一人になってしまうわね。」
炎託は思った。龍王妃は将維でもそのスピードについて行けなかった…きっとあれは月の能力なのだろう。つまり我では相手にならぬ。しかし、瑞姫ならばあの流れる動きに慣れるのにちょうど良い。残って訓練場に顔を出すようになれば、立ち合いも出来よう。龍王妃に対峙することも出来るようになるかもしれぬ。
それで、炎託は言った。
「…残れば良いではないか、瑞姫。」炎託がそう言ったので、皆が驚いて一斉にこちらを見た。炎託は逆に驚いた…どうして、こんなに見るのだろう。「我も、あの珍しい動きに対応出来るようになりたいのでな。」
一番最初に我に返ったのは、維心だった。
「そうであるな。」維心は言った。「この宮は最強の軍神が揃っておるが、女の軍神が居らぬため、あのような動きには慣れておらぬ。今後のためにも、主が居って立ち合いの相手をしてくれたら、お互いに為にもなろうぞ。」
瑞姫はまた頬を染めた。維心にではなく炎託の言葉にだ。自分の拙い剣でも、必要としてくださるのなら…。
瑞姫は頷いた。
「では、父に、許してもらえるよう願い出まする。」と瑞姫は言った。「よろしくお願い致します、炎託様。」
炎託は軽く返礼した。瑞姫は龍王に話し掛けられるたびに赤くなる。龍王に気があるのか。それとも、単に龍王に話し掛けられるのに慣れておらぬのか。あれほど鋭い突きを入れて来る女とは思えぬ反応だ。
なぜか回りは和やかな雰囲気になっているような気がした。炎託は居心地が悪くなって、維心に頭を下げた。
「…大変に汗をかいておりまして、失礼して流したいと思うのですが。」
維心は頷いて立ち上がった。
「では、これで解散としようぞ。我も戻る。」と維月の手を取った。「さあ、維月。」
十六夜は伸びをした。
「そんじゃあ、オレはもう帰ろうかな。」と維月の額に口付けた。「じゃあな、維月。またやろうぜ。」
維月は笑った。
「うん。逃げちゃだめよ?また来てね。」
「すぐ来るよ。」と手を振った。「またな。」
十六夜はあくびをしながら広間の窓枠に手を掛けると、飛び立って行った。
皆、それぞれの部屋へと引き上げて言ったのだった。




