正妃決定?
それから2か月、将維は、炎託と相変わらず同じ自分の対で暮らしていた。
炎託は身の振り方をまだ決め切れておらず、将維もそれを急がせるつもりもなかったからだ。もっぱら炎託は、毎日訓練場で義心や将維を相手に毎日立ち合いに明け暮れ、その腕を上げることに専念していた。能力を上げるのに、龍の宮ほど最適な場所はない。神の世最強の軍神が揃っている龍の宮は、対戦相手に事欠くことはない。
炎託はその血のせいか、驚くほど上達が早く、既に宮の軍神の中で相手になるのは義心と将維のみであった。将維にはまだまだ及ばないものの、それでも最初に比べればきちんと形になった立ち合いが出来た。義心はたまに裏を掻かれて負けることがある。そんなところが炎嘉にそっくりであった…将維はそれを見るたびに笑ってしまった。
今日も炎託は訓練場に詰めていて、将維もそこに居たのだが、父からの緊急の呼び出しを受けて、慌てて父の居間へ走っていた。あの父が緊急とは何事であろう。
「失礼いたしまする。」
将維が頭を下げて居間へ入って行くと、蒼と十六夜、それに父と母が座ってこちらを振り返った…その様子が何か変だ。困ったような、何かを問いたいような、その雰囲気に飲まれそうになりながら、将維はためらいがちに父に言った。
「…父上?」
維心は維月と顔を見合わせた。蒼が黙って厳しい顔をしている。十六夜がそんな面々を見て、イラッとしたようにフンと横を向くと、将維に言った。
「将維、こっちへ来い。」と将維を手招きした。「ま、そこへ座れ。」
将維は戸惑いがちにそこへ座った。一体何事だろう。蒼は相変わらずだんまりだ。十六夜がしびれを切らせて言った。
「こいつらはなんて言っていいかわからんみたいだからオレが言うが、お前、瑞姫となんかあったのか?」
将維は驚いて十六夜を見た。維月が十六夜を咎める。
「ちょっと十六夜!なんだってあなたはそんなにストレートなのよ!」
「ごたごた前置きなんて性にあわねぇんだよ。仕方ないだろうが、性分なんだから。」と将維を見た。「で、どうなんだ?」
将維はなんのことだかわからない。困っていると、維心が言った。
「…瑞姫が、最近あまりに元気がないようでの。ものを食さずとも神であるから死にはせぬが、気の補充が上手く行っておらんようで、やつれておるのだそうだ。蒼が心配して、瑤姫も居らぬし、こちらへ相談に来ようと準備をさせておったら…、」
「将維を連れて来てくれと、蒼に必死に頼んだんだ」十六夜が言った。「オレもそこに居た。一緒にこっちへ来るつもりで待ってたんでな。理由を聞いても言わねぇし、蒼は仰天して宮を出てからこの調子だし」とだんまりの蒼を見た。「で、こうしてお前を呼んだって訳だ。」
将維はこっちこそ仰天した。何をしたというのだろう。我は…学校で少し話した程度で、あれから何も話してもいない。混乱しながらも必死に考えていると、維心が言った。
「その…別に咎めているのではないぞ。瑞姫ならば気を受け止められるしの、正妃にしても差し支えないゆえ。あれは維月にそっくりであって、主とそんなことがあっても、その、我らは何も言わぬがの。」
蒼がクルリと将維を見た。
「オレも、別に将維だったらいいんだよ。維心様にそっくりだし、次の龍王だし、能力も高い上に性格もいいし。ただ、結婚前にそんなことになったのかと思って、それを知りたくて。」
将維はたじろいた。蒼はものすごく瑞姫をかわいがっている。別にだからどうかというとなんでもないのだが、我は本当に何もしておらぬのに。
将維は居住まいを正した。
「父上。」維心も思わず背筋を伸ばした。維月も横で固唾を飲んでいる。将維は言った。「我が瑞姫と何かあったと思われておるようですが、我は何もございませぬ。だいたい、父上と同じで気が半端なく放出されまするのに、どうやってあんな月の宮のような縁戚だらけの所で、しかも父上も母上も皆揃っておるような時に、誰にも知られずそのようなことが出来るとお思いなのですか。それに、」と維月をキッと見た。「我はまだ、そんな気持ちになれませぬ。誰の息子と思うて居られる。そちらのほうが、我には辛い事でございまする。」
将維は目を伏せたが、その目は青白くほのかに光っていた。維心が怒った時と同じだ。維心は眉を寄せて蒼と十六夜を見た。
「…言うたであろう。将維は有り得ぬわ。」
将維が本気で怒っているのを見て、維心は確信した。確かに我なら有り得ぬ。だから将維も有り得ぬ。では、なぜに瑞姫は将維を連れて来いと言うのか。
維月が立ち上がって将維の手を取った。
「わかっていてよ、将維。でも、こんなことを聞かされたから、あなたも男のかただから、もしかしてと思ったの…ごめんなさい。私は人の感覚が抜けなくて…これだからいつも、父上のことも怒らせてしまうのよ…。」
維月は悲しげに俯いた。将維はそれを見て、慌てて維月の顔を覗き込んだ。目からスッと光が消え、普段の目の色に変わる。
「母上…そのような。我は責めておるのではございませぬ。分かって頂ければよろしいのです。」
蒼はその反応を見て、維心を見た。これは…維心様の反応。もしかして…まさか将維も母さんを?
考えたら思い当たることはたくさんある。維心様と母さんの仲睦まじい姿を見ると、悲しげにしていた…二年近く前に十六夜が、旅行に行く前母さんを連れて帰って来た日、確かに維心様の気がすると思ったのに…居たのは将維だった。あの日、この二人に何かあってもおかしくない。思えば将維に重みが備わったのはあの辺り。どこか影があるような雰囲気になったのも…。
蒼は維心様と十六夜を慌てて見た。二人は気取られたか、という諦めた顔をしている。二人共知っていたのか。
「それって…親子なのに?」
十六夜は苦笑して蒼を見た。
「まあ話せば長くなるが、維月が生んだが維月とは血が繋がってないんだ。で、維心のコピーだからなあ、将維は…それでまあ、な。」
維心はため息を付いた。
「ゆえにな、有り得ぬのよ。十六夜から状況を聞いて、もしかしてとは思ったが…何しろ瑞姫は維月に似て居るゆえ。だがの、我もそうであるが、他は要らぬのよ…他で事足りるなら、とっくにそうしておるわ。これほどにあちこちから狙われて手の掛かる妃であるのに。」
維心は苦笑して維月を見た。
「まあ、維心様…。」
将維は蒼にまで知られたのか少しショックだったが、反対に吹っ切れた気がした。蒼を見て言った。
「我は、幼き時より母しか見ては居らぬのよ。それが母に対しての愛情ではないと知ったのは最近のことであるが…しかし、年季が入っておるゆえ。今更、いくら似ておっても、瑞姫と何かあることはない。母以外に必要を感じぬのでな。だが、父との約束であるので、妃は迎える。何百年後になるか分からぬが…瑞姫の幸せを願うのなら、我には嫁がせぬ方が良いのではないか。」
蒼は知った事実に衝撃を受けて、しばらく口をぱくぱくさせていたが、やっと頷いた。
「…そうだよな。将維に限って有りえない。領嘉でも、未だに紫月と口づけ止まりだって言ってたのに…」
蒼以外の全員が仰天して蒼を見た。
「ええ!?結婚してもう何年になるのよ!それってどういうこと?!」
維月は思わず叫んだ。蒼はきょとんとしている。
「知らなかったのか?紫月はもうそろそろって言ってるらしいんだが、領嘉は神として成人するまで気長に待つと。もしも子でも出来て、若いばかりになんかあったら困るからって言ってたけど。」
十六夜と維心は絶句している。維月は呟いた。
「成人までって…あと150年はあるわ。」
十六夜はやっと声を出した。
「誰かに聞かせてやりたいよ。」
維心は憮然として言った。
「維月は成人しているではないか。確かに領嘉は崇高な考えだとは思うがな。」
蒼はため息を付いた。
「それよりも、瑞姫なんだよ。」蒼は将維を見た。「でも、とにかく将維を連れて来いって言うんだよ。頼むから一緒に来てくれないか。」
皆が一斉に将維を見る。将維は仕方なく頷いた。
「なぜに我と言うのかはわからぬが、我が行ってなんとかなるものなら、行こうほどに。が、妃にとかいう話は無しにしてくれよ、蒼。」
蒼は頷いた。
「わかった。もしも瑞姫が片思いとかしてるなら、オレがそれは無駄だと言って聞かせるから。」
十六夜が立ち上がった。
「よし、決まりだ!行くぞ」と将維を引っ張った。「さあ、早くしな。」
維月がびっくりして言った。
「え、今?」
十六夜は呆れたように言った。
「なんでもいいから早く解決してほしいんだよ。落ち着かねぇじゃねぇか。」
維月は維心と顔を見合わせた。維心は仕方なく言った。
「将維、それで蒼と十六夜の気が済むなら、行って来るとよい。今日中に帰るのだぞ。泊るとまたややこしいことになるかもしれぬ。」
将維は仕方なく立ち上がった。
「はい、父上。」と維月を見た。「行って参りまする、母上。」
「気をつけてね。また何時でも、帰ったら状況を話しに来て。」
将維は軽く頭を下げると、急かす十六夜に引っ張られて窓から月の宮へと飛び立って行った。
月の宮に着いて早々に十六夜にぐいぐいと手を引っ張られ、将維はなす術なく奥の宮へ連れて行かれた。瑞姫の部屋の戸の前に着くと、十六夜は言った。
「さ、話聞いて来てくれ。オレ達は外で待ってる。オレは中の様子がわかるから、別に心配しなくていい。なんかヤバくなったら行ってやるしよ。」
将維はこの強引さに、どこか母に通じるものを感じた。月とは、本当に我ら神とは違う。将維は戸を見ると、仕方なく頷いた。
「では、聞いて参る。」
一言そう言い残すと、将維は戸を開けた。
「瑞姫、我だ。入るぞ。」
入って行く将維を、十六夜と追い付いて来た蒼は見送った。蒼は心配げに言った。
「十六夜…もし瑞姫が将維を好きなんだったらどうしたらいいと思う?」
十六夜は肩をすくめた。
「オレとしてはそのほうが気苦労もなくて助かるが、瑞姫は一生愛されないぞ?なんて言っても維心のコピーの将維だ。妃を探してるのは確かだから、頼めば嫁にはもらってくれるだろうが、将維が言ってた通り、瑞姫にとっては辛い生涯になるだろうな。しかしわからねぇ。もしそうだとしたら、つい最近まで兄弟みたいにきゃっきゃ言って気兼ねなく過ごしてたのに、なんだってあの時を境にこんなことになったのか。」と、十六夜はぴくっと反応した。「瑞姫が将維に駆け寄った。居間へ行くぞ、蒼。オレには見えてるから、状況を話してやるよ。」
二人はその場を離れた。
「瑞姫?」
将維が呼び掛けると、瑞姫は将維に駆け寄って来た。
「将維!ああ我は…我はどうしても将維と話したくて。」
瑞姫は目の前に泣き崩れた。将維は慌てて瑞姫を支えた。
「どうしたのだ。蒼が父上と母上の所へ来て、あのように申すゆえ、驚いて参ったのだ。」とこのままでは話も出来ぬと、傍の椅子へ促した。「とにかく座るのだ。話を聞こうぞ。」
瑞姫は頷いて、促されるままに椅子に腰掛けた。将維は慎重にその前の椅子に腰掛ける。そして、急がせるのもと思ったが、早く帰るように言われていたし、それにいくら従妹とはいえ、部屋で二人きりで変な噂になるのも面倒だ。将維は先を続けた。瑞姫は、深くうなだれていた。
「蒼と十六夜があちらの宮へ参って、我と主の間に何かあったのかと申すのだ。我は何の覚えもないし、何事かと思うての。」
瑞姫は驚いたように顔を上げた。
「まあ、お父様が?…ごめんなさい、我はただ、将維に聞きたいことがあっただけなの…確かにあんなことを言ったら、お父様には我が引きこもっているのは、将維のせいだと思えるわね。そんなことを考える余裕もなかったから…。」
瑞姫は、将維はよく見ると龍王様にそっくりなのだと今更に驚いた。そういえば、小さい時から見ているから兄弟のようで、そんな感じに見たことがなかったけれど。将維は将維だし。いくら美しくて力が強くて優しくても、殿方として見ることなど出来ない。
「我は多大な迷惑を被ったぞ。疑われると男は不利よ。」とため息をついた。「で、どうしたのだ。我になんの話がある。」
瑞姫は、頷いた。
「我は、あの時は何も気づかなかったのだけれど、時が経つほどに思い出されて。」と瑞姫は見る見る涙を溜めた。「なぜにあのまま何も申し上げないままお帰し申したことかと…もう後悔で胸がいっぱいになって…。」
将維は驚いた。いったい誰のことを言っている。我のことではないはずだ。
「誰のことを申しておる?あのままとはなんだ。」
瑞姫は涙を流しながら言った。
「炎託様ですわ…我は、一度だけお会い致しましたの。」
「炎託ぅ?!」
蒼が居間で叫んだ。十六夜は眉を寄せる。
「うるさいぞ蒼。先が聞こえねぇだろうが。」
蒼は慌てて黙ったが、まだぶつぶつと言っている。
「炎託なんて…炎嘉様の血筋だから気を付けなきゃならなかったのに、オレが宮で自由にさせてたから、瑞姫に会うことにもなって…それにしても、手を出しといて知らんぷりはないだろ。皇女だぞ?瑞姫は…。」
十六夜はため息を付いた。
「先を言うぞ。」と目を閉じて言った。向こうの光景を見て聞いているのだ。「なんでもお前と義心と炎託が立ち合いしてた時、瑞姫は観覧席に居たのだそうだ。なのにお前が封じの鍵を掛けて帰ってしまったから出られなくて中をさまよってて、シャワー室にいた炎託に会ったのだと。」
蒼はショックだった。オレが原因を作っていたのか。
「そ、それでまさか、そこで?!」
十六夜はため息をついた。
「何もしとらん。外へ出るには炎託の力が必要だった。炎託は面倒そうだったが、瑞姫が頼んで、連れて出てもらったのだそうだ。」
蒼は、え、と黙った。
「…炎嘉様の子なのに、そのシチュエーションで何もしないって。しかも面倒そうってどういうこと?瑞姫はあんなに美人なのに!」
なぜか傷ついたような顔をしている。十六夜はちらっと片目を開けて蒼を見た。
「…ったくお前はどっちなんでぇ!手を付けてもらいたいのかもらいたくないのか。」と先を続けた。「それで夜の宮なんて見たことがなかったから、喜んでいたら結界すれすれの上空から見せてくれたのだと。それで帰った方がいいと促されて、部屋の横の庭まで送り届けてもらった。」
蒼は息を飲んだ。
「部屋に来てたなんて知らなかった!そこで?!」
十六夜は首を振った。
「部屋には入ってねぇよ。炎託はすぐに帰ろうとしたが、瑞姫が呼び止めて…」と言葉を切った。「ふーん、何もなかったじゃねぇか、期待させやがって。」
蒼はホッとした。炎託はそれなりに良識は持っているのだ。ほんとに送り届けただけで帰ったのだ。
「…なんだ、それなら心配ないじゃないか。」
十六夜はフンと鼻を鳴らして両目を開けた。
「だが、瑞姫は炎託にメロメロだぞ、蒼。呼び止めてから自分を瑞姫って呼べと言ってたな。その時はなぜそんなことを言ったのかわからなかったらしいが、日にちが過ぎてくにつれて、忘れられなくて辛くて苦しくなったらしい。もう一度会いたくて、それでいつも傍に居る将維に頼もうと思って、お前に将維を連れて来てくれと頼んだ訳だ。どうするんでぇ。オレから見ても、炎託はその時のことなんて気にもとめちゃいねぇようだぞ?覚えているかどうかもあやしいもんだ。毎日訓練場で立ち合いしてるのが楽しいみたいでよ。月からよく見てたがな。」
蒼は腕を組んで椅子に沈み込んだ。宮の奥にずっと居た瑞姫にとっては、炎託はそれは珍しかっただろうし、新鮮だったのだろう…箱入りというのも、困ったものだ。大切にと神経質に育て過ぎたんだろうか…。
将維は、目の前で泣き崩れている瑞姫を呆然と見ていた。炎託が。しかし、我の聞いた所、炎託にとっては偶然に出逢って困っていた瑞姫を親切で連れ帰っただけのことだろう。その証拠に、炎託は月の宮の話をする時あのRPGの話はするが、瑞姫の話は出て来ない。覚えているかどうかもあやしい…。将維は眉を寄せた。これは困った。想い人が我でなくてよかったが、それ以上にこんなことで我に頼られるのは一番困る。将維は立ち上がった。
「維月…」
思わずつぶやいて、将維は口をつぐんだ。瑞姫は顔を上げた。
「え、おばあ様?」
「あ、いや、母上に」と将維は慌てて言った。「一度ご相談を。こういうことはあの方に頼る方が良い。我は男女のことは何もわからぬ…待っておれ。」
瑞姫は頷いた。
「そうね、ごめんなさい。将維が最近すごく大人っぽくなってしまったから、なんだかそういうことも何とかしてくれそうに思えてしまって。でも、妃だって居ない将維に、そんなことわかるはずなかった。」
フフッと笑う瑞姫に、将維は苦笑して踵を返した。
「では、我は去ぬ。気持ちを落ち着けて、そのやつれた姿を戻さねば、炎託に会うた時見てもらえぬぞ。」
瑞姫は微笑んで涙を拭った。
「わかったわ。おばあ様によろしく、将維。」
将維は頷いて、その部屋を後にした。




