守るもの
ガンッと鈍い音がした。相手は膝を付きながら、左腕の甲冑でその刀を受けていたのだ。炎託は歯ぎしりした…こんなに素早いとは!
相手の突きが来る前に、炎託は後ろへ飛び退いた。相手はゆっくりと立ち上がり、刀を降ろしたままこちらを見た。
「…そうか、僅かな間に、大層成長したものよな。」
と、他の刺客達に合図をした。一人は将維を担ぎ、他の刺客はこちらへやって来て、目の前の相手に膝を付く。
「王、月の宮へ戻りまする。将維様には只今、月が気を補充しながら運んでおりますのでご安心を。」
炎託は訳が分からず、目の前の相手を見た。相手は、覆面を取った。
「…主の覚悟は見た。」覆面の下からは、気を極限まで抑えた龍王が出て来た。「主を試したのだ。思ったよりやりよるの。我は地上戦には慣れておらなんだゆえ。足元とはの。」
炎託は眉を寄せて、気を失っている将維を見た。
「…将維は知っていたのか。」
龍王は首を振った。
「あれは真正直ゆえ芝居が出来ぬ。なので知らせてはおらぬ。だが、主の真価を問うためには、あれを追い詰めねばならなかったのでな。だがあれほど気を失って、まだ動けるとは思わなんだ。我にそっくりであるわ…そのうちに抜かれるのではないかと思うほどよ。」
龍王は傍の覆面の者に頷き掛けた。その相手が覆面を取ると、そこには義心が膝を付いていた。
「…では、お戻り頂きまする。」
義心は炎託の腕を引っ張った。それを見た龍王は、自分も踵を返し、飛び上がって行った。
戻った場所は、月の宮の奥の、王の居間であった。蒼の気は元通りに戻っており、心配げに駆けて来る。
「維心様!どうでしたか…皆、無事に?」
将維を担いでいた男が覆面を取った。
「こいつがあんまり頑張るからよ~時間取っちまって。殺しちまったら駄目だし、維心は後ろで見てるだけだし。」
十六夜は恨めしげに維心を見る。維心はふんと横を向いた。
「我がこやつの相手をするわけにはいかぬだろうが。見抜かれてしまうわ。」
十六夜は、傍の寝椅子に将維を寝かせた。驚いたことに、将維はまだ朧気ながら意識があった。
「しぶといヤツだな。さすがにお前の息子だよ。」
維心は将維に歩み寄った。
「王はこうでなければならぬわ。」と手を翳した。「すぐに回復するゆえ。」
ドンッと音がしたかと思うと、激しく気が将維に向かって流れ込んだ。炎託がそれを驚いて見ていると、将維がカッと目を見開いてカバッと身を起こした。維心は大きく気の膜を張って将維を抑えた。
「…もう大丈夫だ。落ち着け、将維。」
将維の光っていた目が元へ戻る。将維は回りを見渡した。
「…父上。」と炎託を見た。「炎託…。」
維月が飛び込んで来た。
「将維!」
将維は驚いてそちらを見た。維月は将維を抱き締めた。
「ああ将維…!怪我を」維月は頬の傷にソッと触れた。「あなたに何かあってはと、私は反対したのです。なのに…!」
維月は涙を流しながら、頬を擦り寄せて将維を抱き締めた。将維はその言葉に、全てを察した…そしてため息を付いて、維月を抱き寄せた。
それでも、このためにあんな思いをしたなら、良かったかもしれない…。
その姿を見た炎託は、複雑な気持ちになった。母だと聞いているのに、あの二人はまるで恋仲のようではないか…将維は、あの気に己で気付いているのか…?
維心が眉を寄せて維月の手を引いた。
「将維はもう大丈夫だ。我の気を分け与えた…既に元気であるわ。我は失敗はせぬ。」
将維は維心を見た。
「炎託を試して、そしてどうなさるおつもりだったのですか?」
維心は将維を見下ろした。
「炎託の考えを見たかった。我は元より、こやつの資質を見て考えておったのよ…こやつは愚かではない。相応の場があれば、学ぶ事が出来るのだとな。ゆえに1ヶ月の猶予を与えておったのだ…将維、主と共に行動させ、王がなんたるかを考える時間を与えた。」と炎託を見た。「こやつはやはり、王の器よ。個より多数を見る事が出来る。こやつは殺すことは出来ぬ。」
将維は維心を見上げた。
「では…炎託の処刑は?」
維心は首を振った。
「処刑はせぬ。どこに身を預けるかは…まだ考えておるがな。」と炎託を見た。「龍の間では仕えたくないであろう。我だけでは決められぬな。将維、主も案を出せ。」
将維も炎託を見た。
「はい、父上。」
維心は頷くと、維月を引っ張って抱き寄せた。
「十六夜、蒼、手間を掛けたの。また宮へ来い。話がしたい。」
十六夜はふんと鼻を鳴らした。
「こんだけ面倒掛けといて維月は連れて帰るのかよ。まあ、また連れに行くけどな。その時話を聞かぁな。」
維心は維月を抱き上げた。
「まあ、どっちでも良いわ。聞きたくなければ来ずともの。」と将維を見た。「いつまで寝ておる。帰るぞ、将維。」
将維は寝椅子を降りた。それを見て維月が言った。
「そのような!まだ回復したばかりでございますのに…!」
維心は眉を寄せて歩き出した。
「伊達に軍神なのではないわ。主は過保護が過ぎる。帰るぞ。」
維心は不機嫌に飛び立った。軍神達が後に続く。将維も慎重に飛び上がったが、父の言うように問題ないようだった。炎託が無言で将維に続く。
将維は少し振り返って言った。
「…主を試すためとはな。我もまだまだよ。」
炎託は将維を見た。
「我のせいで、主には大変な思いをさせてしもうた。」
将維は首を振った。
「父の思惑に気付かなんだのだから、仕方ないわ。我の責よ。主こそ、あんなことになって悪かったの。だが、主はその命の価値を己で証明して見せたのよ。我にははめられた事より、主が生き延びることほうが大きい。せっかく出来た友人が、処刑されるのかと残念でならなかったゆえな。」
炎託は将維に追い付き並んで飛びながら、言った。
「主もか?我もそのように思っておった…今まで回りは臣下達と兄弟しかおらなんだゆえ、友人が居らんでな。居ったらこんな感じなのかと思うておった。もっと話してみたいものと。死するゆえ無理だと思うておったが、まだ話せるの。」
将維は笑った。
「主は諦めも早いのう。命のために、もう少しもがいても良かったものを。」
炎託はブスッとした顔で答えた。
「主達最強の龍に囲まれて、諦めるなと言うほうが無理よ。我は義心にだって勝てぬ。もっと精進せねば。」
「我が指南しようぞ。」と声を潜めるように炎託に近付いた。「…父が地上戦が苦手とは知らなんだわ。油断して足元を見ないなど父らしくないことよ。面白いものを見せてくれた、炎託。」
炎託はププッと吹き出した。
「こら将維、聞こえたら余計に不機嫌になろうぞ。やめよ。」
二人がひそひそと笑い合うのをずっと後ろに感じながら、維心は落ち着かなかったのだった。
維心が、居間の定位置に座って将維と炎託に向かっていた。
「…つまり、父上がお出かけになるというのも嘘であったのですね。」
維心は首を振った。
「あれは事実よ。本当は行かねばならなかった。だが、維月があまりにうるさいのでな、将維に何かあった時、助けられるのは我だけであるかもしれぬのにと。」とため息をついた。「主らがここへ来た時も、着替えておったのではなく拗ねて奥の間に篭っておったのだ。結局我は折れて月の宮へ向かった。麗紫にはまた明日にでも改めて向かうと知らせを出した。」
将維は眉を上げ、炎託は驚いた。この王の決断を覆すなんて。
「…あの気の喪失も、父上であったのですか。」
「あれは十六夜よ。」維心は手を振った。「奴に出来ぬことはない。我だってあやつに掛かれば赤子のようなものであろうな。今日は切実に思うたわ。だが、あの次元の亀裂を作ったのは我だ。なるべく危険でない地を選ばねばならんかったゆえ…そんなことが出来るのは、我しか居なかったしの。何しろ、あの次元に将維が飛び込むだろうことは予測していたのでな。」
将維は小さくため息をついた。なんでもお見通しか。
「全て仕組まれたものだとわかって、安堵致しました。あんなことが実際にあっては、それこそまた戦になりまするゆえ。」
維心は頷いた。
「我は、炎託の本心を聞かねばならなかった。主が共だと、全て主が処理してしまうであろうが…主に立ち合えるのは我しかおらぬ。それでは意味がない。なので主から気を奪おうたのよ。こうでもせねば、主を押さえることは不可能であるゆえな。主が動けなくなった時、炎託が自分を助ける刺客達にどう対応するかも見たかった。見れば分かる…我の目は節穴ではないゆえな。もちろん、我が満足する域に達していなければ、あの場で処刑しておったわ。あの場には義心も十六夜も居った。逃げることは不可能よ。」
炎託は下を向いた。そんなこととは思ってもいなかった。だが、そんなことより、自分はこんなことも見抜くことは出来なかった…いくら龍王に許されたって、それが王族だろうか。将維は、気を失って立ち上がるのがやっとでも、自分の誇りを守ろうとした…あれほどの闘気を上げて。自分は太刀筋もおぼつか無くて、なんと情けないのだろう。炎託は恥じていた。自分は将維より200年も年上なのに、何をして来たのだろう…。
「…我は、何もして来なかった。将維のように、責務を考えることもなく…何が必要なのか、考えればわかったはずであるのに。」
維心はフッと笑った。
「それに気付いたことこそ、主は愚かではないと言うのよ。」と将維を見た。「では、今日はこれで下がるがよい。炎託の身は、もうしばらく主に預けようぞ。身の振り方は、先ほども言ったように主も案を出せ。ではな。」
将維は立ち上がった。
「はい。では、父上。」
将維は頭を下げて炎託を見た。炎託も立ち上がって維心に頭を下げると、将維についてそこを出て行った。維心はそれを見送って、自分も奥の間へ戻ろうと立ち上がった。維月が湯殿から帰って来た。
「維月、早かったの。」
維心がパッと明るい表情になって言った。維月はきょろきょろしている。
「二人は?もう戻りましたの?」
維心は眉を寄せた。
「話しは終わったぞ。なんだ、それで慌てて戻って参ったのか。」
維月はぷうと膨れた。
「労ってあげようと思っていたのに…。」
維心は手を差し出した。維月は膨れたまま維心の手を取った。
「維月、もう将維は主のことを考えぬようにしようとしておるのよ。そのように構うのではない。せっかくに離れておるものを、そのようにまとわり付いたらまた…ということにもなりかねんぞ。」
維月は不満げだったが、渋々頷いた。
「はい…わかりました。」
維心はホッとして維月を抱き寄せた。
「では、明日こそ麗紫の所へ行ってやらねば…祝い事は遅れるのは良くない。もう奥へ参ろうぞ。」
維月は将維を思った。炎託の命が助かったことは良かった…あの子には友人が居なかったし。あのように冗談を言い合うなんてあり得なかったのだもの。
これで、全てが良い方向へ行きますように…。
維月はそう願った。




