陰謀
それから一週間ほど経った頃、将維は父に居間へ呼ばれた。父が切った期限まであと4日…。将維はそのことかと思い、炎託を連れて行くか否か悩んだが、常に連れて歩くようにとの父の言葉を思い出し、炎託を伴って居間を訪れた。
「父上、お呼びでしょうか。」
維心は顔を上げた。
「将維。」
今日は、維月は居ない。維心は一人で、正装に身を包んで居間に座ってこちらを見ていた。どこかに出掛けるところのようだ。その父は言った。
「…そろそろ炎託の処刑の日も近付いておるの。」と維心は炎託を見た。炎託は表情を変えない。「そんな時にどうかとは思ったのだが、今朝方月の宮より、蒼が次元の裂け目を見つけたと伝えて参った。」
将維は思い出した。月の宮も龍の宮も、人からも他の神からの攻撃からも宮を守るため、別次元に空間を開いて、そこに宮のほとんどを建てている。この龍の宮もそうだった。それで、見た目の大きさより、内部の方が数段大きかったりするのだ。月の宮は、龍が力添えして作り上げた新しい宮。建立の際には、義心と維月が工事中の宮の次元の裂け目に入り込み、命を落とし掛けたことがあった。将維は言った。
「それは大変なことでございまするね。被害は出ておらぬのでしょうか。」
維心は頷いた。
「今のところは大丈夫なのだそうだ。だが、早急に閉じねばならぬ。維月の里のことであるため、あれも大変に心配しておるのだ。なので本来なら我が行くところなのだが、我は今から維月と共に麗紫の所へ婚儀の祝いに行かねばならない…今、維月の準備が終わるのを待っておるところよ。主ならあんなものお手のものであろう。急ぎ蒼の所へ行って来てくれぬか。」
将維は頷いた。
「はい。早急に対処して参ります。母上にもご安心なさるようお伝えください。」
維心は頷いた。
「伝えておこう。頼んだぞ。」
将維は頭を下げて、急ぎ踵を返して宮の回廊を歩き抜けた。炎託がその後ろを、半ば走るようにして追い掛ける。
「おい将維。次元の裂け目と言えば、専門知識がないと危ないのではないのか。主、一人で行って大丈夫なのか。」
将維はちらりと炎託を振り返った。
「義心を連れて参るつもりであったが、あれは父付の筆頭軍神であるしの。父に付いて参るであろうて。まあ、我も知っておる。月の宮には、龍の李関が居るし、力は貸してくれようぞ。案ずるでないわ。」
炎託は何やら嫌な予感がしたが、ついて行くより他ない。どうせ自分はもうすぐ処刑されるのだ。何があろうと恐れることはないが。
炎託は将維と共に、月の宮へと飛んだ。
将維は月の宮が見渡せる場所へとたどり着いていた。いつもなら強大な結界が守っているこの宮が、今は結界が弱まっている…これぐらいの結界があれば、他の神なら阻むことが出来るが、将維や炎嘉など気の強い神…つまりは王レベルなら…難なく破ることが出来るだろう。将維は少し不安になりながら、月の宮へ降り立った。
すぐに蒼が迎えに出てくれた。
「将維!こんな所までわざわざすまない。前に次元の裂け目が出来た時に大変だったことが思い出されて、一刻も早くなんとかしてもらいたいと思って無理を言ったのだ。皆に被害が出てからでは遅いのでな。」
将維は頷いた。
「ここの結界が弱まっているのは、なぜなんだ?」
蒼は眉を寄せた。
「…それが、十六夜がどうも具合が悪いと言って、最近は結界も弱まったり強まったりの繰り返しなんだ。オレも、あの裂け目が出来てからなんだか気が少なくなっているように感じるし。」
将維は蒼をじっと見た。確かに、気が極端に減っているように見える。
「それで、どこに亀裂が出来ているんだ?」
蒼はそちらへ体を向けた。
「こっちだ。案内しよう。」
将維は、炎託に頷き掛けて、共に歩き出した。炎託は、ここが部下達が命を落とした場所かと、複雑な思いで見ながら、後に続いた。
蒼に案内されたのは、北の庭だった。そこの奥には小さな滝があり、それは龍の宮の北の庭と変わらない。
その滝の近くの岩に、その裂け目はあった。
「ここなんだ。」蒼は指差して言った。「ついこの間まで、こんなものはなかったのに。だが、見つけたのが龍の軍神だったから、それがなんなのかすぐに判断して、オレに知らせに参った。おかげで、被害は出なかったのだ。」
将維は頷いて、その裂け目を見た。確かに、別次元の力が感じられる…しかも、あまり良い所ではない。宮を建てる時に使う次元は穏やかで気の流れの良い所であるので、これは間違いなく何かのアクシデントでここに開いてしまったものだ。
炎託は言った。
「…将維。ここに着いてから、我はあまり良い気を感じぬ。我にはそういう勘が働く所があるのよ…ゆえに、これは慎重にしたほうが良いぞ。」
将維は炎託を見た。
「我は感じぬな…鳥の力か?」
炎託は首を振った。
「危機を察知する能力というやつよ。我は一番最後に生まれた皇子であるので、誰よりも弱かった。なので、小さい頃己が身を守る為に、このような勘が身についてしもうたのよ。別に怖がっておるのではないぞ?主のように生まれながらに世継ぎで強大な力を持って居ったら、わからぬのかも知れぬがな。」
蒼は頷いた。
「それはオレも持ってる能力だから、分かる。何が原因とは言えないのに、何かが起ころうとしてるのが分かるんだ。それで、維心様に話しに行ったことはあるが、確証がないので、なかなか信じてもらえなかったものよ…主の気持ちはわかる。」
将維には、よくわからなかった。しかし、弱いものが危機を事前に知ってそれを避ける能力があると、父に教えてもらったことがある。もちろんのこと父にはその能力は無く、将維にもなかった。
「…では、慎重に対処しようぞ。」と蒼を見た。「李関を呼んでくれぬか。」
蒼は頷いて、傍の軍神に頷き掛けた。その軍神は、即座に飛び立って行った。
「十六夜もオレも気が不安定な状態で、心許なかったんだ。頼ってばかりではいけないと思っていたんだが、よくわからないことだらけで、仕方なくね。」
将維は微笑した。
「我に出来ることなら、なんなりと言うてくれてよいぞ。同じ母の子なればな。」
蒼はためらったように微笑した。
「ありがとう。…じゃあ、少し休ませてくれないか。気が減って、立ってるのも少しつらいんだ。」
将維は蒼を支えた。確かにこの気の量なら、倒れていてもおかしくない。傍の岩に蒼を座らせると、将維は気遣わしげに言った。
「…何が原因であろうな?この亀裂であるなら、閉じれば済むことであるが。」
蒼は苦笑した。
「亀裂が出来たからこうなってるのか、こうなる原因があるから、亀裂も生じたのかわからないがな。とにかく、オレは死ぬことはないし。気にしないでくれ。」
将維は頷いたが、落ち着かなかった。そう言えば、自分の気が少しずつ流出していっているような感覚がある。しかしそれは、亀裂に吸い込まれている訳ではないようだ。
将維は、炎託を見た。
「主はどうよ?気は保てておるか。」
炎託は自分の中を探った。
「…いや、特に変わりないの。そういう主は、気がすごい勢いで無くなっておるが、大丈夫なのか。」
将維は頷いた。
「何とかまだ補充が間に合っておるゆえ、大事ない。」
と、何かがものすごいスピードで将維に斬りかかった。将維は驚いて咄嗟に反応し、刀でそれを防いだ。
「将維!」
蒼が叫ぶ。最早気をほとんど失っている蒼は、その一団に弾き飛ばされて地に転がっている。将維は相手を見た。
皆顔を覆った上、気を隠していて何に襲われているのか判断が付かない。しかし、相当な手練れであることは見て取れた。いつもの自分なら何のことはない相手であるが、気の消耗が激しい。足から力が抜け、立っているのもやっとであった。
「我の後ろに居よ。」
それでも将維は炎託にそう言い、気力を振り絞って攻撃を抑えた。
「将維、無理だ!我は気にするでない!どうせ4日で死ぬ身よ!」
炎託が叫ぶ。それでも将維は逃げず、炎託を庇って防戦した。しかし、このままでは二人とも危ない…。
「来い!炎託!」
将維は炎託の腕を掴み、亀裂を見た。次元は無数にあり、危険なものも、宮として普通に過ごせるものもある。蒼も気になったが、蒼は不死、死ぬことはない。将維はあの次元が安全であることに賭けた。
「将維?!戻れなくなるぞ!」
炎託の叫びを無視して、将維は炎託を掴んだままそこへ飛び込んだ。
落ちた場所は、どこかの草原のような、ただ広い大地だった。寂しい場所で、踏みしめる足の下にある草以外は、何も生命を感じられない。しかし、そこは安定した次元だった…将維はホッとして、炎託の腕を離し、その瞬間膝を付いた。
「将維!主、気が…。」
将維は力なく笑った。
「何事であろうか、気の補充が出来ぬの。ここは生命のない場所なのであろう。」
失った気は多い。補充出来ないと、長くこの地で生き延びることは不可能だ。将維は力なく座り込んだ。
「ここからなら、主も脱出可能であろう…次元と次元の隙間に落ちたなら、父にしか助けあげられぬが、次元にきっちり入っておる。主だけでも、戻るが良いぞ。ただ、今はあの場も敵がまだおる。時を待て。」
炎託は将維に近付いた。
「そのような…我だけなど。」
将維はフッと笑った。
「我にはそのような力、もう残っておらぬ。運が良ければ父が助けてくれるだろうが、今は宮に居らぬしの。ここへ来るまで、我の気は残らぬ。己のことは、己が一番わかるのよ。」
確かにそうだった。我を捕らえておる者の一人、残して去れば済むこと。だが、炎託は頷けなかった。
「将維、何を諦めておる。主らしくもない…。」
将維はフフンと笑った。
「真実ぞ。」と思うと、目にも止まらぬ早さで刀を抜いて炎託を突飛ばした。「来よったか!」
将維は座ったまま膝を付いて、相手の刃を受けた。
「…ふん、執着の激しいことぞ!」
相手は刀を離して後ろへ飛んだ。
「お命もらう。炎託様を返してもらおう。」
将維はその覆面の相手に合点がいった。まだ鳥の残党が居ったか。炎託を取り返すため、どうしたのかは分からぬが、月の力を、皆の気を奪っていたのだ。だから炎託は、気を失わなかった。
「…そうか。」
将維はふらつく足で立ち上がった。炎託は茫然とその様を見つめる。これは、鳥の仕業か。我を取り返そうと…。
「こちらへ、炎託様!」
一人が炎託を促す。炎託は立ち上がって、将維を見た。立っているのもやっとのはず。なのに将維からは大きな闘気が沸き上がった。
「そうと知れば、簡単に死ぬ訳にはいかぬの。あの世で父上に顔向け出来ぬようになるわ。」
鳥の刺客達は、一斉に将維に斬り掛かる。将維は、その闘気で相手をなぎ倒しながら、あれほど気を失っていながら多数を相手に防戦していた…攻撃を向ける気の余裕は、最早無いようだった。
将維の闘気がフッと消えた。その場に膝を付く。気が、もうほとんどない。意識を保つのも難しいだろうと、炎託は思った。
将維は、刺客からの刃を刀で受けて、それを最後に、地へ倒れ込んだ。
「お覚悟!」
刺客が将維に刀を突き立てようと構える。
「待て!」炎託はその刀の前に走り出た。「殺すことはないだろう。このままオレを連れてここを出るんだ。」
刺客はフッと笑った。
「炎託様、それでは龍はまた我らを滅ぼしに参りましょう。この機を逃せば、この強大な気は消せぬ。我らにお任せを!」
刺客は炎託を避けて、将維を刺そうを再び刀を振り下ろした。
キンッと乾いた金属音が響き渡った。炎託は、将維の刀を手にし、それを受けたのだ。
刺客は刀を離して後ろへ飛ぶと、炎託を見た。
「…どういうおつもりですか、炎託様!我らは貴方様を助けに参ったのですぞ!このままではあと四日で処刑される。それでもそんな龍を庇うおつもりか!」
炎託は首を振った。そんなことじゃない。自分が死んでも、世界は変わらぬ。だが、将維が死んだら、世は変わってしまうだろう…これは間違いなく次代の王なのだ。地を守るべく精進し、それゆえに強大な力を持って生まれた。自分達の、こんな自分勝手な復讐心などで、消してしまっていいものではないのだ。
「これはそんな簡単な存在ではない。我は死するが、世は変わらぬ。だが、こやつが死ねば、太平の世が変わってしまう…他の神が安堵して暮らせる世を作るため、こやつは生かさねばならぬ!分からぬか!ここでこやつを殺して我らがまた復習に燃えるなら、我らはただの世を乱すだけの愚かな輩でしかないのよ!我らのような思いをする者を出さぬためには、こやつに生きて、地を守ってもらわねばならぬのだ!」
刺客はただ黙っている。向こうに立っていた一人が、こちらへやって来た。
「…ならばそのお命、今頂戴する。その後、龍も殺し、我らは復讐に参ろうぞ。」
相手は構えた。この相手は、間違いなく力を持っている。恐らく自分では勝てないだろう。炎託はそれでも、将維の前で刀を構えた。
「…やってみるがよい。だが、そのような流れに逆らう輩は、必ず滅びようぞ。覚えておくが良い。」
炎託は振り下ろされたその刃を受けた。その重さに驚きながら、将維の立ち合いを思い出した…やつはこんな時、どう動いた?
将維はその立ち合いを、薄れる意識の中で薄っすらと見ていた。あれを相手に、炎託は勝てない。だが、勝てる道は残っている。
「主は我には勝てない。」刺客は言った。「今ならまだ、共に逃げることが出来申そうぞ?」
炎託は黙って相手の刀を受けた。なんと言われようと、ここで退く訳にはいかない。自分は知ってしまったのだ…世の理というものを。それを曲げてまで、生き延びようとは思わぬ。
「我は王族ぞ。」炎託は刃を食いしばって唸った。「王族には王族の道があるわ!」
炎託は追い詰められていた。相手にはまだ余裕がある。だがここは、訓練場ではない。炎託はよろけたフリをして回りを見た。出来る。将維があの時言っていた…我の勝てる道がある。
「そら!脇ががら空きですぞ!」
炎託はそれを待って横へ飛び退いた。相手はすぐに体勢を立て直そうと足を付く。と、よろけた。相手は足元を見た…そこは小さな岩が突き出し、草が絡みついていた。炎託は刀を振り上げた。
「覚悟せよ!」
将維はそれを見て、フッと口の端を上げた。ハッタリ…出来たではないか、炎託…。視界がぼやける。気が極限まで失われて来たのだろう。このままこんな所で、炎託を置いたまま死ぬとは…。




