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炎託は文字通りずっと将維と共に歩き回っていた。政務で会合に出る時も、結界外の領地の見回りに出る時も、謁見の時も、龍王の代理で神の会合に出る時も、他の宮の法要などに出掛ける時も、とにかくずっと、まるで従者のように一緒だった。

会合の時の発言などを毎回聞いていたので、将維の考え方はよくわかった…何よりも地の安定や宮の平穏な日々を優先し、その考え方は既に王だった。

神の会合の時も、代理であるのだから王ではないのに、回りに集う王達は皆、将維にまるで王であるかのように接した。頭を深々と下げ、その様子は兄王の炎翔に対していた時より、ずっと敬う眼差しであった…将維はまだ僅か50歳で、成人には程遠いにも関わらずだ。

炎託はため息をついた。こいつは、生まれながらの王だ。ただ龍王に似ているからと言うのではない。考え方も、自分を律して厳しく精進する様も、己よりも臣下達や他の神を見ている所も…一体何が楽しくて毎日過ごしているのかと思うぐらいだ。

炎託は将維の対の、将維の隣の部屋へ入れられていたが、将維の対の中なら基本自由に動き回れた。それは、将維の対には将維の結界が龍王とは別に張ってあり、炎託がそれを破れないからだった。死ぬまでの一か月ぐらい気楽に過ごしたいと思っていた炎託にとって、それは願ってもないことだった。

毎日朝早くから、将維が出掛けると有無を言わさず呼びに来る召使いが居た。それは本当に待ったなしで、将維が出掛けるのだから待たせることは許さないと、着替えも中途半端で連れ出されてしまったことがあった。

なので炎託は、毎朝早くに起きて、準備して待っていた。事前に何も知らされることがないので、その日が何の日なのかもわからないことがあるのだ。

しかし、今朝はいくら待ってもまったく呼びに来る気配がない。炎託は訝しんで、自分から部屋を出て、将維の部屋へと歩いて行った。

将維の居間は、開放的な作りになっている。炎託がその近くまで行くと、将維は部屋着で何かの巻物を読んでいた。どう見ても、寛いでいるような風情だ。炎託は眉を寄せて、声を掛けるか否か迷っていると、将維が気付いて顔を上げた。

「…なんだ、炎託ではないか。どこかへ出掛けるような格好だな。」

将維は炎託を見て言った。炎託は腕を組んだ。

「今日は休みなのか?我にもそれぐらい知らせてくれよ…もう少しゆっくり寝たであろうに。」

むくれているような表情に、将維は笑った。

「ああ、すまぬな。今日は我は非番よ。父上が政務を全て担ってくださる。我も少しは休まねばやってられぬゆえな。」

炎託は居間へ入って行って、将維の前の椅子に座った。それが龍の宮では不作法かどうかも知らないが、もう数週間の命なのだ。気を使うこともない。

「いつも思うが、なぜに主がほとんど政務をやってるんだ?王が年寄って言うならわかるが、主の父親は主と歳がそう変わらないような若さではないか。しかも結構暇そうにしている。主に付いてていつ見ても、居間に居て妃とべったりって感じだった。せめて半分ずつとかにすればいいのではないのか。」

将維は首を振った。

「我は父上に聞かないと分からないことばかりで、結局ほとんどの決断は父上がやってるのだ。我は考える材料をお渡しして、指示を仰ぐ。そんな決断のひとつひとつを見て覚えて行ってる最中よ。父上は早く譲位なされたくて仕方がないんだが、我がこの調子だから、出来ないでいるんでな…なるべく多くの仕事をこなして、慣れて行かねばならぬのよ。」

炎託はへ~?と言う風に、力の抜けた顔をした。

「主、本当に真面目なのな。それじゃあ息が詰まるだろう。我がもしも世継ぎだったとしても、そこまで精進したか疑問ぞ。」

将維は苦笑した。

「真面目とはどういうことだ。我は責務に忠実なだけよ。これが出来ぬのなら、王になる資格はないであろうが…臣下を生かすも殺すも自分次第であるのだぞ。我だって、世継ぎでなくば楽に生きておるよ。王になど、誰もなりたくはないであろうが。」

炎託は黙った。…確かにそうだ。炎翔は皇子の頃からそんな感じではなかったから…そんな当然のことを、我はすっかり忘れていた気がする。

黙っているとおかしいと思い、炎託は何か話そうと話題を探してきょろきょろとした。そんな炎託を、将維は青い目でじっと見ている。何も思い浮かばなかったが、炎託は将維の袿を見て言った。

「…父王と違う色合いだな。わざとそうしてるのか?」

将維に呆れられるかと思ったが、意外にも大真面目に頷いた。

「我と父はそっくりであるのでな。臣下が間違えて困ると、母がこのように選ぶのだ。」

なぜか、将維からは愛情のような、それでいて悲しいような気が伝わって来る。炎託は聞いた。

「母って…主の母は、あの今の龍王妃か?どう見ても300歳になってるようにも見えない…」

将維は苦笑した。

「父には他に妃が居ったことはない。あれが我の母よ…まだ100歳にもなっておらぬわ。」

炎託は仰天した。

「またえらく若い女を迎えたのだな、主の父は。せめて成人するまで待てなかったものか。あれでは主のほうが歳が近いではないか。」

将維は頷いた。

「そうであるな。まあ元は人であったゆえ。成人はしておるのだがな。」と将維は話題を変えようとした。「主の母は、どんなかただったのだ。戦で亡くなったか…?」

炎託は少し黙ったかと思うと、首を振った。

「…いや。母はとうにおらなんだ。」

将維は思った。そう言えば、炎嘉殿の妃となればそれ相応のお歳であったろう。将維の表情を見て、炎託はまた首を振った。

「主が何を考えておるのかわかるぞ。我の母は、父の最後の妃だった。父が死んだ時、母はまだ400歳であったのだ。」

将維は驚いた。

「では、病を得られたか。」

炎託はまた首を振った。そして、何か迷っているようだったが、顔を上げた。

「これは一族の恥にもなろうかと、我は黙っておったのだがな、母は己で命を絶ったのだ。」

将維は言葉を詰まらせた。

「…炎嘉様が亡くなられたゆえにか。」

炎託は遠い目をした。

「そうであるとも言えるな…将維、母は大変に美しい人だった。月の宮の華鈴が、我の実の妹になるのよ。華鈴は母にとてもよく似ている。我と華鈴を生んだのが、我の母、凛華(りんか)よ。父が亡くなった折り、母は大層悲しんでおった。他の妃達が次々と宮を辞して里へ帰る中、母も里へ帰ろうとした…だがな」と将維をじっと見た。「炎翔がそれを止めた。自分の妃として宮へ残すために。」

将維は眉を寄せた。父の妃を…。

「母はそれを拒んだが、女の身でどう刃向えただろう…結局、炎翔に手籠めにされ、その夜自ら命を絶った。きっと耐えられなかったのであろうな。我は男ゆえわからぬが…しかし、炎翔にはそのことで恨みを持っておったのは事実。あのような王なら要らぬとまで思うておったわ。…どうせもうすぐ我も死するゆえ、今主に言うたがの。」

炎託はしばらく黙った。窓の外を見ている。将維はその横顔をじっと見つめた。あと二週間足らずで、炎託は処刑される。確かに、炎託はこの宮の中を引っ掻き回してくれた。だが、一人の神として知る内に、結構話しの分かる神なのだと思うようになっていた。基本口出しはしてはならないことになってはいるが、将維が考えあぐねていると、横からぼそぼそと自分の意見を言ったりして、決断するのに助かったこともあった。性格は全く違う気がするが、考え方が良く似ているので、話していて楽であったりするのだ。自分には、友人というのが居なかった。蒼は家族だし、他は皆臣下。もしも居たら、こんな感じなのかもしれない。

そんな事を考えていると、炎託が立ち上がった。

「我は何を言うておるのか…今更であるの。」と将維の手にある巻物を顎で示した。「読んでる途中だったのであろう?邪魔をした。ではな。」

炎託は、微かに笑うと出て行こうとした。

将維は、立ち上がって炎託に言った。

「…我は本日中に出掛けようと思うておった。今でも良いわ。しばし待て。」

炎託が驚いて立ち止まると、将維は侍女を呼び、さっさと着替えを済ませて歩き出した。

「我もたまには遊びに参らねば息が詰まるわ。ゆっくりしようとしておったのにすまぬが、付き合ってもらうぞ。」

将維は義心を呼び、宮の結界を出て南へ飛び立った。


向かった先は、南の領地だった。

炎託も何度も後から足を運び、遠くから見ていた鳥の宮のあった場所…。今は、父の炎嘉が龍として、この砦を守っておるのだという。

父が再建にも関わったと聞く通り、そこは前とは比べ物にならないほど強固な守りの中にあり、そして龍の力を見せ付けるかのように、大きくしっかりとした造りであった。

その中を、将維は慣れた様子で歩き抜けて行く。炎託は初めて見るその中にきょろきょろとしていたが、遅れないように小走りで将維を追い掛けた。

「よく炎嘉殿に手合わせ願いに参るのよ。」

将維は炎託に言った。

「息抜きが、立ち合いであるのか、主。」

炎託が驚いて言うと、将維は笑った。

「他に娯楽は知らぬなあ。我は酒もそう好きではないし、女も興味はない。強い相手と立ち合うと新しい発見があって、楽しいと思う…主には、何か他に娯楽があるのか?」

そう言われてみると、確かに炎託にも娯楽とは思い浮かばなかった。いつも政務や軍務ばかり考えていた…ここ数年は特に復讐のことばかり考えていたのだ。

「…ないな。そもそも主らを倒すことばかり考えておった。」

将維は笑った。

「ならば娯楽があるだけ、我のほうがましよの。」

奥の訓練場らしき所に到着すると、炎嘉が既に待っていた。

「主は父と同じよのう、いきなり来て立ち合おうなどと」と炎嘉は腕を組んで立っている。「維月でも連れて来るなら我も機嫌良う迎えてやるものを。」

将維は少し眉をひそめた。

「またそのようなことを。母はそうそう宮を出ることは出来ぬゆえな。」将維は言った。「本人は遠出したくて仕方がないようであるが、父が共でなければならぬのでな。」

炎嘉はフンと横を向いた。

「維心にも困ったものよ。まあ良い、我から訪ねて参るわ。」と面倒そうに顎を振った。「それ、立ち合うのであろう?」

将維は頷いた。

「よろしく頼む、炎嘉殿。」

二人は距離を置いてしばし睨みあったかと思うと、宙へ舞い上がり立ち合いを始めた。

炎託はそれを端に寄って見ていて、思った…目が追い付いて行かない。父上が全開で戦っている様などそうそう見れるものでもなかったが、今、確かにそうなのだと炎託には見て取れた。

将維は、恐ろしく素早かった。そして身が軽く、考えられないような動きをする。ところどころやっと目が追い付いたかと思うと、また追えなくなった。

将維の気からは、まだ余裕が感じられた。楽しんでいるのがわかる。この状態で楽しめる神経がまた炎託にはわからなかった…おそらく、それだけ力があるのだろう。これでは自分との立ち合いなど、将維にとっては戯れに過ぎなかった…。炎託はそう思うと、もっと自分も力を付けたいと思った。まだ、この手には力がある。

…しかし、自分はもうあと少しで処刑される身。もう今生ではそれは叶わぬだろう。せっかく恵まれた能力を持って生まれたものを。神の王族として、その血に強大な力を秘めて生まれ、精進すれば、こうして将維を羨望の眼差しで見ているだけではなかったものを。

炎託は悔しかった。望んでも与えられることのないものを持って生きて来たのに、自分はなんと時間の無駄遣いをしてしまっておったのか…。

そんなことを考えていると、勝敗は喫した。将維が炎嘉の喉元に刃を突き立て、止めている。炎嘉はため息を付いた。

「…既に我では相手にならぬであろうが。父に立ち合ってもらえ。あやつが最強よ。主に勝てるのは、最早あれしか居らぬわ。」

将維は刀を鞘に収めた。

「父上は滅多に訓練場になど入られぬ。それに我では全く相手にならぬゆえに…もう少し精進せねば。」

炎託はそれを聞いて仰天した。この将維すら叶わぬとは。ならば、鳥が滅んだのも道理であるな…。

「出し惜しみし過ぎよの。そんな所も我とは合わぬわ。…ったく、なのに我はあやつが気になって仕方ないのよ。」

炎嘉はぶつぶつと言うと、炎託を見た。

「…主と会うのも、これが最後であるかもな。我は今や龍ではあるが、記憶の中では我が息子よ。今だから言うが、主は一番我に能力が近かった。末の皇子であったのが悔やまれるわ…我がもう少し世にあればのう…」とため息を付いた。炎託は驚いて父を見た。「ま、先の無いことであるの。一度死んでおるゆえ、あちらがそう悪くもないのは知っておる。またあちらで会おうぞ。ではな。」

炎嘉は振り向きもせず歩き去った。炎託はただ、それを見送るしか出来なかった。

将維は炎託を振り返って言った。

「今日は一度しか立ち合ってもらえなんだわ。どうも機嫌が良くないようだの。」と出口を示した。「他にも行きたいところがある。付いて参れ。」

炎託は頷いて、将維の後について、少し消沈気味に歩いて行った。


将維は、外へ出てどんどん北側へと歩いて行く。こちらの方向に、何があるのか炎託は知っていた。だが、きっとあの戦で崩れて何も無くなってしまったはず…。炎託が尚も心を痛めてついて行くと、そこには、この宮を去った時と同じ完全な形で、鳥の墓所が残っていた。

そこは地下へ向かって建物になっていて、入り口がこちらを向いてある。将維はそこの扉を開けた。

中は、何も変わっていなかった。入ってすぐは天井から光の差し込む祈りの間で、そこから地下へ向かっていくつもの階段が降りている。将維は、天井から差し込む光の中へ歩み寄った。

そこにある台の上には、平和だったときと同様に、花がたくさん手向けられていた。炎託は前へ進み出た。

「…こんな所、もう無いものだと思っておった。」

将維は首を振った。

「父は墓所などには興味はないといつも言って、墓所の方は攻めない。もちろん、そこに軍神の気がすれば別だが、こんな所に潜むような卑怯な輩は鳥には居なかったゆえの。再建の折り、父はここを残すように命じたのだ。なので、主の兄弟達も、それに長明も、皆ここに葬られておる。我もここへ参った折りには必ずここへ一度は足を運ぶようにしておる…自分が奪った命を、忘れないようにな。」と、天井から落ちる光を見上げてため息を付いた。「…命を奪うなど、我には向かぬ。だが、おそらく父も同じであろう…だが、地を平定し、龍どころか他の神の安泰まで守っておる王となると、意に添わぬとも己の手を汚さねばならぬのだろうな。我にはそれが出来るのか、まだ自信がないのだ。その迷いを見透かされておって、父上はまだ我に譲位出来ないのであろうと思う。」

炎託はまだ真新しいその花を眺めた。おそらく今朝にでも持って来られたのだろう…朽ちている花など一つもなかった。

これが、龍王か。地を統べるとはこのことか。父が言っていたのは、これだったのか。炎託は心の底からそれを感じた…そして将維は、それを継ごうとしているのだ。生まれながらに決められた道を、権力に溺れるのではなく、ただ責務を感じて生きている。

炎託は口を開いた。

「…死ぬ前に、わかってよかったのであろうな。」炎託はその花のひとつに触れた。「地を統べるとはどういうことなのか。好きで一族を消してしまう王など居らぬな。特に…主を見ていてわかる。主の父王は、戦のない神の世を作る為に、強大な力を持っている自分がやらねばならぬと、知っておったのだ。」

将維は黙って炎託を見た。炎託は将維を振り返った。

「わざわざ我の為にここへ来てくれたのであろう?」

将維はフンと踵を返して歩き出した。

「我の気分転換であると申したではないか。明日からまた政務であるしの。これぐらいの道楽は許されるであろうて。」と墓所を出て空を示した。「宮へ帰る。ついて参れ。」

炎託の返事を聞かず、将維は飛び立った。炎託は思った。自分には、部下は居たが友人は居なかった。もしかしたら、居たらこんな感じだったのかもしれない…。

しかし将維は、もう遥か遠くを飛んでいた。炎託は慌てた。

「こら、待たぬか将維!我が逃げでもしたらどうするつもりでおるのだ!」

しかし炎託には、それが不可能なのはわかっていた。あの将維から逃げ切れる訳はない…そしてその背を、必死に追いかけて飛んだ。

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