思惑
将維が先に立って、回廊を歩いて行く。炎託は将維をじっと見た。
驚くほどに龍王に似て、それでいて若く、なのに落ち着いている。こうしてただ後ろを歩いているだけなのに、今襲いかかっても勝てる気がしなかった。
その将維が、広く開けた訓練場らしき所へ入って行く。こんなところで何をするつもりなのだろう。
ただ黙って歩いて行くだけだった将維は、そこまで来てやっと、炎託を見て言った。
「…今から我と立ち合ってもらう。」将維は言って、傍の軍神から刀を受け取り、炎託へ投げた。「主も己を押さえておる者が、どれほどの力を持っておるのか興味があろう。我を倒せば出て行っても良いぞ。」
将維はそう言うと、自分も刀を抜いた。炎託はそれを見て、刀を鞘から抜いた。
「そんなことを申しても良いのか。」炎託はニッと笑った。「剣術には自信があるぞ。」
将維はふふんと笑った。
「それは楽しみなことよ。」と構えた。「参れ。」
炎託は腹が立った。まるで自分など相手にしていないような様子に、炎託は最初から激しく斬りかかって行った。将維はフッと笑うとそれを横へ剣で払い除けた。
「力技では我には勝てぬ。頭を使え。」
後ろへ飛んだ炎託は、一旦息を付いて、浮き上がった。将維もそれを見て同じように宙へ舞い上がった。
炎託は、間を置いて、今度は気を込めて斬りかかって行った。
将維はそれを見て目を細めたかと思うと、すっと除けて気弾を炎託目掛けて繰り出した。炎託は身をよじってなんとかそれを除けた…そしてそれが地表に当たったのを見てゾッとした。軽く出したように見えたその気弾は、激しく地表を砕いたのだ。あれが当たっていたら、一溜りもない。立ち合いのレベルではない。
炎託は将維を睨み付けた。
「…立ち合うつもりなんかなかったな。最初から殺す気じゃないか。」
将維は答えた。
「除けられないようなら、一か月など待つ必要はない。おとなしく死するが良い。主も王族であろうが。少しはまともに我と立ち合うてみよ。」
そういう将維からは、まったく闘気は感じられない。自分は手の中で転がされているのか。炎託はますます腹が立った。
炎託の剣術は確かに巧みであった。だが、将維にはその手筋が見えた。将維は軍神として、幼い時から剣術をして来たのでわかるが、炎託の動きは教えられた動きに忠実であるだけで、決して考えより先に身が動いていると言う感じではない。一方将維は、考えなくとも最早体が勝手に動く。自分の出来る技を、数えきれないほどの立ち合いでの瞬発力として身につけており、立ち合いながらも冷静に相手の動きを見て別のことを考えていられる。今も相手を冷静に観察しながら、体は立ち合いに俊敏に動いていた。
将維が最近では珍しくさしで立ち合っていると聞いて、軍神達がわらわらと集まって来ている。確かにそのスピードは、他の者と立ち合っている時よりも数段早く、目で追うのもつらいほどであった。だが、まだ目で追えている分、王と将維の立ち合いに比べたら皆には見えている方だった。見ていると、将維は斬り込みはするものの、決定的な一撃は避け、相手の力を見ているようだ。一方の炎託は、それが気に障るようで、ひたすら一太刀でも浴びせようと躍起になっているのが見て取れた。
「…ほほう、戯れておられるか。」
義心が騒ぎに様子を見に来て、見上げてそう言った。その言葉の通り、将維は口の端を上げて言った。
「…良い暇つぶしであったわ。」
炎託は眉を寄せた。
「何を?!」
「我もそう暇ではないゆえなあ。いつまでも相手をしておる訳には行かぬ。」と刀を返して腕を横に振った。「ゆえに、ここで終いとしようぞ。」
キンッと乾いた音が響いたと思うと、刀が弧を描いて飛び、地表に突き刺さった。炎託が呆然としていると、気が飛んで来て、グッと押さえつけられ、炎託は地上へと押し付けられた。
将維がその横に着地して、炎託を見下ろす。
「主の力はだいたいわかった。だが、主では我には間違っても勝てぬ。ゆえに、我を倒そうなどと考えぬ方が良いぞ。無駄なことであるゆえな。主もこれでわかったであろう。」と傍の軍神を見た。相手はこちらへやって来る。「…だがの、主の勝てる道がない訳ではないぞ。力が相手に遠く及ばぬと思っても、ハッタリをすれば良いのよ。訓練場はこのように地が平らであるがな、戦う場所は、皆このように恵まれた場所ではないゆえ。何かを利用して相手を誘い、小さな機を作る。覚えておけばよい。」
膝を付く軍神に、将維は刀を渡した。そして、炎託を押さえて居た力を解いた。
「…さて、我は仕事に向かわねばならぬ。父は主を連れて歩けと申すので…面倒だが仕方がないの。来るが良いわ。」
炎託は義心に促されて立ち上がると、既に歩いて先へ行っている将維に、慌てて付いて行った。ほとんど化け物のような龍達の中で、オレに何をさせるつもりで龍王は自分の息子に付いて歩かせようとするのか。
よくわからないが、とにかく炎託は将維の背を見て歩いていた。
維月が居間で庭を見ておっとりと座っていると、その窓の外を維心が小走りにこちらへ向かって来るのが見えた。維月はびっくりした。どうして戸口から帰って来ないのだろう。
維月が呆然としてそれを眺めていると、維心が庭の戸から入って来た。
「今、帰った。」
維心は慌てたように維月の手を引いて、自分の方へ引き寄せた。維月はただびっくりして、言った。
「お帰りなさいませ。…維心様、何かありましたか?」
今朝、ここを出て裁きの間に向かう時は、とても機嫌よく出て行った。今も不機嫌な訳ではないが、なんだかおかしな感じだ。しかし、維心は首を振った。
「いや…気にすることはない。」
と維月の手を取って、椅子の方へ歩くので付いて行くと、椅子を通り過ぎて、奥の間の方へ歩いて行く。維月は立ち止まった。
「…維心様。お話しくださいませ。まだお昼間でございます…いったいどうなされたのですか?」
維心は、横を向いた。
「何もないと言うておろう。」とためらいがちに言った。「炎嘉と話して参った…箔炎の昔のことなど聞いての。知らなんだことであったので、少し驚いた。」
維月はじっと維心を見た。嘘はついていないけど、伏せておられることがある。維月はそう直感した。きっと、そのせいでこんなに慌てて帰って来て、そして奥の間へ、こんな昼間っから私を連れ込もうとなさるのだわ。維月は維心を促して、居間の椅子へ座った。
「維心様…そのように何かを気にしていらっしゃる維心様を見ておると、私も落ち着きませんわ。どうなさったのかお教えいただきませぬか?」
維心は観念して、炎嘉が言ったことを、洗いざらい話した。維月は呆れて口を袖で押さえて聞いていた。
「…ゆえに、我は落ち着かんで…」
と、話していてまた思い出したらしく、中腰になってまた奥の間へ向かおうと維月の手を引いた。維月は慌ててそれを押さえた。
「お待ちください、維心様。それでは解決にはなりませぬ…終わってしまえばまた不安になられて、また奥の間へ…となるではありませんか?」
維心はそれを聞いて、確かにその通りなので仕方なくまた座り直した。
「だが、我は…不安なのだ。」
維心は拗ねているかのようにあちらを向いた。維月は困ってため息を付いた。
「維心様…私は十六夜と同じで、体を重ねること自体に重きを置いておるわけではありませぬ。あれは、愛情の延長にあるもの。あれがあるから愛情があるのではないのですわ。愛情があるからお応えするのです。なので、何度しようと同じなのです。それよりも、心の問題でありましょう。」
維心は維月を見た。
「だが、我は主が他の者に触れられるのは嫌だ。我も他の女など要らぬし。」
維月は頷いた。
「私も同じですわ。ですが神の世の妃は、必ずしも己の意思で王とそのようなことをしておるのではないでしょう?大半は生活のためとお聞きしました。なので、あれは心と切り離すことも出来るのですわ。なので、愛情を計るのに、あれは役には立ちませぬ。」
維心はしばし考えて、頷いた。
「そうであるの…確かに。」
維月は維心の手を両手で包んだ。
「維心様、私は維心様をとても愛しておりますの。いろんな事が全て愛おしいのです。十六夜を物心付いた時から愛して来た私が、初めて愛したかたなのですわ。それはご存知でありましょう…今さらこれ以上、一体誰が割り込んで来れるとお思いですの?維心様はお分かりになっておられませぬが、維心様は他に並ぶものが居ないほど恵まれた外見をなさっていて、その上お力も誰より強く、そしてお優しい気質で、責任感も強くてよくお務めも果たしておられまする。それに隠されておられたけれど、とても情熱的で、私だけを深く激しく愛してくださっております。他と比べるなど、はっきり申しましておかしいのですわ。」
維心は驚いた。維月は我をそのように思っておったのか。
「その…我は主がそのように思っておったとは知らなかった。」
維心はためらいながら言った。維月は憮然としている。
「維心様だから、十六夜が居ってもこちらに嫁いだのです。維心様が居ないなら、十六夜の所へ戻るだけですわ。だいたい私の気持ちなど無視して、男同士でそんなお話をすること自体がおかしいのです。人の世でもあるにはありますが、結局は本人の決めること。とうの私が十六夜と維心様しか愛さないと言っておるのですから、維心様が不安になることはありません。心は、そう簡単に変えることは出来ません。まして、私は頑固なのですから。もうさすがにお分かりであろうと思っておりましたのに。」
維月は横を向いて、左手の結婚指輪を触った。維心も自分の左手の指輪に触れ、そして言った。
「維月…怒るでない。分かった…我が悪かった。主は心変わりなどせぬな。我から心を移したりせぬ。」
維月は維心を見上げた。
「…本当に分かって頂けましたか?私は、いきなり唇を奪われたり、急に抱き締められたり、こちらの世に来て初めて経験致しました。人の世では訴えたら相手は罰せられるようなことですわ。あんなことで心が揺れるようなら、今頃私はどこにおるのやら。私の心は、あんなことでは変わりませぬし、簡単に愛したりもしませぬ。維心様、愛しておりますの。ご自分に自信を持ってくださいませ。維心様は、私にはもったいないほどのおかたですわ。」
維心は面食らって、頷いた。なんと言えばいいのか分からない。しかし、維月はじっと自分を見上げている。維心はなんとか言葉を紡いだ。
「その…疑ってすまなかった。主の気持ちは分かった…不安などとは言わぬゆえに。」
維月は真剣な面持ちで頷いた。
「きっとでございまするよ?」と、ため息をついて下を向いた。「…私の方こそ、いつ誰に心を移されるかもしれぬと、どれほどに不安でありますることか。維心様はご立派な王であられるのに…私など人だったしワガママで気は強いし…蒼など未だに、維心様はよく頑張ってるとか言うのに…。」
維月がぶつぶつと言うのを聞いて、維心は何度も首を振った。
「それこそあり得ぬ。我がどれほどに主を愛しておるのか、知らぬはずはあるまい。蒼がそのようなことを言うのは知っておるが、我は無理も我慢もしてはおらぬ。傍に居たいだけよ。維月…分かっておろう?」
維月は恨めしげに維心を見上げた。
「…維心様は私の愛情も疑ってらしたでしょう?分かってもらえないのもつらいと、お分かり頂けましたか?」
維心は頷いた。
「もう分かったと申すに。我が悪かった。」と維月を抱き寄せた。「しばらくこうして居ようぞ。」
維月はそんな維心の腕から、身を離した。驚いた維心は、怒らせたかと不安になりながら、恐る恐る聞いた。
「…維月…?」
維月はじっと維心を見て、微笑んだ。
「ああ維心様、やはりとても凛々しいお姿ですこと。大好きですわ!」
維月はそう言って勢いよく維心に飛び付いた。維心はびっくりしてそれを抱き止めたが、勢いでそのまま後ろへ倒れた。
「…お、驚くではないか…。」
維心は茫然と維月の下敷きになっている。維月はふふ、と笑った。
「お仕置きですわ。私を困らせるから。」
維心はその顔を見てホッとしたのと同時におかしくなって、笑った。
「ほんに主は想像も付かぬことをするの。」と、下から抱き寄せた。「主には勝てぬ。だがの…我にはこれは、誘おておるようにしか感じぬぞ?愛しておるなら…良いであろう?」
「維心様ったら…。」
維月は呆れたようにそう言ったが、維心に唇を寄せた。維心はそれを受けて、心から安堵した。このように愛し合っておるのに。今さらあやつらが割り込めるはずなどないわ。
維心は嬉々として維月と愛し合った。




