贖罪
炎託ら5人は、牢から繋がる裁きの間へ引き出されていた。
維心は、記憶がなく、もはや何事かと怯えるばかりの炎託を見降ろした。…貴子を探し出して、あのようなことを仕掛けた炎託。一族を根絶やしにされた恨みを晴らす為、罪もない晃花を殺害し、それに成り代わらせた。ツクヨミであった月鈴は、暗い黄泉の門の中で、今どうしておるのか…。維心は、いろいろなことが頭をよぎって、どうしても許せないという思いが湧きあがって来た。
「…記憶のないまま裁いても仕方がないの。返してやろうぞ。」
維心は玉を取り出した。そして目の前に浮かべると、呪を念じた。光が玉を通ってそれぞれの神達の頭に流れ込んで行く。それと共に、表情がはっきりとして来て、炎託の目にも光が戻って来た。そして、維心をしっかりと見返した。
「…そうか。龍王は我の記憶を見たのだな。」
維心は頷いた。
「お蔭で術を解くのに役に立ったわ。」と維心は炎託を見降ろして言った。「主の別働隊は皆、黄泉へ参った。主らも共に参るほうが良いようよの。」
炎託は頷いて下を向いた。
「長明が逝ったか…我も、潮時よ。」
維心はじっと炎託を見た。本当に、これこそ鳥族の最後の王族。華鈴も居るが、あれはもう月の宮の妃なのだ。炎嘉は転生して龍になり、心こそ鳥を遺しているものの、やはりもう龍であった。維心は言った。
「…炎嘉。」
維心の声に、炎嘉が控えていた次の間の方から、戸を開けて入って来た。炎託は息を飲んだ…父上。しかしこれはもう、父上ではない。
維心は言った。
「鳥は実に優秀よ。我はもうこれ以外の鳥は全て滅してしもうた…地の平定のためにの。だが、本当は惜しいと思うておる。箔炎が居らねば、今回もあの短剣の焼失は難しかったであろうし…考える所よな。」
炎嘉はため息をついた。
「主の言いたいことはわかる。だが、我の息子はおそらく、生きておる限り主を狙ろうて来るだろうて。我の血をひいておるゆえのう…今の我の血でないのが惜しいほどよ。」
維心は炎託を見た。
「…やはり、全て忘れて転生するのが良いのかの。本人のためにも。」
炎嘉は炎託を見た。
「分からぬ」炎嘉は首を振った。「今からこやつが参るのは、おそらく厳しい門の中であろう。しかし、このまま生きて贖罪の道を歩めば、その道は変わる。我はそれに賭けたいという気持ちも持っておるのだ。」
炎託は炎嘉を見上げた。一度は門をくぐり、あの世へ逝った父。そして記憶を保ったまま帰って来て転生した父…。
「…父上。我は何もかも忘れて、そのようなことは出来ませぬ。殺された宮の一族の中には、何の罪もない女子供も居った。その恨みを晴らすまでは、おそらく生きて居ても贖罪など出来ませぬ。我は…あの恨み、忘れることは出来ませぬ。」
炎嘉は頷いた。わかっていると言った風だ。
「主から見ればそうであろうて。しかしあれはの、王の判断の誤りから起こってしまった事態よ。炎翔が賢ければ、維心に謀反など考えはしなかったろうて。その判断のせいで、たくさんの者が命を落とす嵌めになってしもうた。維心は地を平定して平和を保とうとしていた。それを炎翔は己の権力欲で壊そうとした。維心は挙兵し、炎翔は勝てなかった。それは少し考えればわかったことであるのに。わかっておろう?少しでも残せば、こうして主のように向かって来るヤツが居る。子供は大人になる。女には男に媚びる力がある…その男が女の無念を晴らそうと挙兵するかもしれぬ。結局は一族根絶やしにするほうが、同じ地に住む他の神達にとって、平和な世を保つことが出来る。ゆえに維心は地の王として、己が手を汚したのだ。主にはそれがわからぬかの…まだ若いゆえ、多くは求めることは出来ぬか。」
父は、そう言ってため息を付いた。炎託がじっと黙って見上げているので、炎嘉は維心に頷き掛けた。
「…仕方がないわ。まだ、そこまで成長しておらぬ。こやつはまだ300歳ほどであるからの。血の気も多いし、まだ思慮深くもないのであろう。理解を求めるのが、無理であったかもしれぬ。」と背を向けた。「主に任せる。我はこれ以上は口出しせぬ。」
維心はしばし黙って炎託を睨んでいたが、少し顎を上げて義心は合図した。
「四人を始末せよ。」
義心は頭を下げて、軍神達に命じて炎託以外の四人を引っ立てて行った。炎託は維心を見た。
確かに自分は父の言うように若いかもしれない。しかし、父が言ったようなことは、薄々感じていた。兄王炎翔は確かに短慮だった。近くで見ていた自分が言うのだからそうだ。
だからあの折り、炎翔を守る事より、自分が生き延びて仕切り直し、自らの計画の元に事を進めようと咄嗟に思ったのだ…思えばその時点で、炎翔を王として敬う気持ちなどとうになかったのだろう。ただ兄として、自分はついて行っていただけなのだ。
炎託は黙って頭を垂れた。龍王が我を始末するのであろう。まともにやり合って勝てる見込みなど全くない。炎託はその瞬間を、目を閉じて待った。
「炎託の処刑は、1ヶ月後、軍訓練場にて執り行う。」
維心は言った。回りの軍神達が頭を下げる。
「は!」
炎託は驚いて頭を上げた。1ヶ月後だって?
「龍王そんな時間は…、」
炎託が言うのを遮るように無視して、維心は言った。
「将維!」
維心そっくりの若い龍が進み出た。
「御前に、父上。」
「それまで、主が管理せよ。」維心は言った。「…と申しても炎嘉の息子の中でも優秀であったらしい。なので炎嘉が惜しんだのだからの。主が傍に置き、共に行動して逃がさぬように致せ。やむを得ない場合は主が処分しても良い。」
将維は怪訝な表情をしたが、頭を下げて答えた。
「おっしゃる通りに、父上。」
義心が入って来た。
「王、鳥の墓所に運ばせる手配を致しました。」
維心は頷いた。
「ご苦労だった。」と背を向けて歩き出した。「我は戻る。」
去って行くその後ろ姿を、炎託はただ茫然と見ていた。将維が言った。
「炎託。我について参れ。まずは訓練場へ参ろうぞ。」
炎託は回りを見た。軍神達はただ黙ってそれを見ている。
ここで抗ってもどうにもなるまい。炎託は仕方なく、将維について裁きの間を出た。
それを次の間から見ていた、炎嘉は言う。
「…どうするつもりであるのだ、維心よ。我はもう、あれをどうこう考えてはおらぬぞ。」
隣で維心はふふんと笑った。
「あれに会わせろと言いに来たのはどこのどいつだ。」維心は炎嘉を見た。「我の良いようにしろと申したではないか。あれは一か月後には我がこの手で始末してやるゆえ。安心せよ。」
炎嘉は顔をしかめた。
「そのような…ではなぜに地下牢へ戻さず、将維に管理させよった。主の考えはわからぬ。」
維心は歩き出しながら言った。
「見た通りよ、炎嘉。我は心底、あやつに腹を立てておるのでな。維月とあのようなことになったのも、元はと言えばあれのせいであろうが…まあ、それに乗った我も悪いのであるがな。」
炎嘉は維心と並んで歩きながら言った。
「あれは…炎翔より遅れること200年で生まれおってな。もう我は長男である炎翔を跡継ぎに決めておったし、変える訳にも行かなんだからそのままであったが、本来ならヤツを王にしたかった。炎覚を参謀にしての。鳥が滅んだのは、思えば我の責であるのよ。死した身ゆえ、どうにも出来なんだがな。」
維心はそんな炎嘉を見て、少し眉をひそめて立ち止まった。
「のう炎嘉。もう前世のことはあまり考えぬほうがよい。主は龍、鳥は関係ないのだ。その記憶があるゆえ苦しいやもしれぬが、龍として鳥を見よ。鳥には鳥の行く末があろう…まだ鷹が残っておるしの。」
炎嘉は顔をしかめた。
「あのな維心。鳥と鷹は違うのだぞ。同じ種族から分化はしたが、あやつらは龍と同じくどんな種族と交わろうと鷹を生ませることが出来る。龍と鷹なら龍が強いであろうが…我らとは違う種族よ。ゆえに箔炎は、あのように宮に女を置かずとも、ああやって鷹族を繋げていくことが出来ておる。女が生まれても宮には入れぬ。男だけ受け入れておるのだからな。ほんに奴は変わり者よの。」
維心はため息をついて、また歩き出した。
「そう言えば、主はあれから箔炎と飲んだのではないのか。あれはまた引きこもるつもりでおるのか?」
炎嘉は、立ち止まって、腰に手を当ててため息を付いて維心を見た。
「…維心、主にはわかるのではないか?同じようにほぼ引きこもりな王であったくせに。宮から出てこなんだであろうが。」
維心は眉を寄せて立ち止まり、炎嘉を振り返った。
「我は世に関わって来たぞ。」
「そうではない。」炎嘉は維心に一歩近づいた。「あれはな、主以上に女を寄せ付けなんだ。それこそ徹底しておった…侍女の一人も宮に居らぬ。なりたくて王になったのでもない。あれの父王が、あれの母にそれは執心であってな…それをいいことに、あれの母は父王に乞うたのよ。息子以外の皇子を廃し、息子を跡継ぎにすることを。」
維心は目を見開いた。それは初めて聞く。
「…それはまた、大した妃であるな。」
炎嘉は頷いた。
「主だとて維月に乞われれば何でもするであろうが。だが、維月はそんな女ではない。なのでここはうまく行っておるのだ。」
維心は視線を下へ向けた。確かにそうだ…我は維月が願うなら、なんでも叶えるだろう。それだけの力もある。だが、維月は全く何も願わないのだ。それどころか、我が維月の着物をたくさん作らせようとしても、宝玉で飾り立てようとしても、そのようなものよりもと諌めるのだ。それが愛おしくもあるのだが…。
「…たまには願って欲しいものよ。」
維心は小さくつぶやいた。炎嘉はフンと鼻を鳴らした。
「…まあ普通はそうは行かぬ。王の力が言うままになるのだからな。しかも鷹族ほど力のある種族の王ぞ。その妃はしたい三昧であったらしい。箔炎は、そんな母に嫌悪感を持っていたのだそうだ。幸い箔炎はどの皇子より力があったため、臣下達の反対もなく、父の死後王座についた。」炎嘉はそこで深く息をついた。「即位したその日、箔炎は母を殺し、全ての女を宮より追放した…やつが女を見下して寄せ付けぬのは、そのせいであるのよ。」
維心は息を飲んだ。箔炎は母を殺しておるのか。
炎嘉は維心のその様子を見て、そこから見える庭を顎で示した。維心はその意味を知り、頷いて共に庭へ出た。
晴れていて、昨夜までの気の乱れは嘘のように穏やかだ。自分が父を殺したのも、こんな日だった。炎嘉は言った。
「我も、昨夜酒を飲みながら初めて聞いた。女など、自分の欲求を処理する道具であると思うておったらしい。なのでたまに気が向くと近隣の宮でそこいらの女を相手にし、またふらりと帰って来るような生活をしておったらしいからの。父王のような無様な王にはならぬと思うておったのだと。」
維心は頷いた。箔炎の女嫌いが、そこまで筋金入りだったとは。我よりも根が深い気がする。炎嘉はしばらく歩いて、岩の一つに腰掛けた。
「なあ維心…だからの、維月には箔炎も戸惑っておるのよ。一目で魅せられた気と、美しい姿、それにあの強い性質。正しいと思ったことは臆せず述べる…もしかしたら人には珍しい事ではないのかもしれぬが、我もそうだが箔炎は、初めてあんな女を知って、どうしたらいいのか分からぬのだ。しかもそれは、龍王妃であるのだから。」と維心と目を合わせた。「主は幸運よの。我らの中で、一番先に維月に出逢って手に入れた。そしてその心をものにしておるのだから。しかしの、昨夜少し、我らにも希望が生まれたのよ…なぜだかわかるか?」
維心はじっと炎嘉の目を見返した。何を言っている?
「…主らに希望などないであろうが。」
炎嘉は首を振った。
「維月の言ったことを聞かなんだのか?相手は自分が選ぶ。今維心を愛しているから維心が自分の夫。」維心は嫌な予感がした。炎嘉は続けた。「つまり、我らを愛してもらえばそれで済むのよ。維月に選んでもらえばよい。」
維心は炎嘉を睨み付けた。
「そのようなことはさせぬ!」
炎嘉は維心の怒りを遮るように、笑いながら両手を前に上げた。
「なんだ維心、主だって同じことをしたのではないか。でなければ、今頃は維月は月の宮におる。あれは最初月の妃であろうが。」
維心は黙った。確かにそうだ…十六夜が許さなければ、今はない。それは、維月が我を愛したから…。ならば、他の男を愛したら、変わるのか?我から維月が離れて、今度は十六夜と、箔炎の妃になるとか、十六夜と、炎嘉の妃になるとか、そういうことが起こりうるということなのか。
「…そうはさせぬ。」
維心は言った。炎嘉は立ち上がった。
「それは維月が決めることよ。我らも寿命は長いゆえ、ゆっくり努力するつもりよ。慌てても良いことはないゆえの。急に何かする訳ではない。安堵せよ。」と維心が黙ったまま立っているので、足を戸口に向けた。「我は帰る。ではな、維心。我らは友人でもあり、好敵手でもある。昔からそうではないか。」
炎嘉は去った。維心は居ても立っても居られず、庭から居間へと急いだ。




