思惑
炎託は、周到な準備をしていた。
自分達だけでは心もとないと見た炎託は、長明と別れて別々に行動することで、二方面から月と龍を攻めようと考えた。ゆえに短剣も二本必要と考え、唯一その術を知っていた、長明に術を掛けさせ作らせた。
噂を仕入れる一方で噂を流し、それが目当ての女の耳に自然に入ることを目指した。
箔炎に支援を頼みに行った後、その姿がたまに近隣の宮で目にされるようになり、どうも身分を隠して王族達に会い、何かを画策してるように思えた炎託は、自分が術で前世の記憶を取り戻させる方向へ持って行っていた女、月鈴に会わせることを考えた。
そのためには、箔炎に気取られずに、その耳にこちらが作った情報を流すこと。炎託は長明に命じ、月鈴の友であった近隣の宮の姫、晃花になりすまさせた。その際、晃花はやむを得ず殺害した…この時、あの短剣を試すことが出来たので、それの威力は確認できた。
こうしてまんまと晃花を殺害して、晃花として過ごしていた長明は、箔炎か、その部下が来るのをじっと待った。晃花の姿で月鈴に会いに行って、噂を囁いても良かったが、あの短剣の一つは箔炎の部下に奪われていた…それを自然に月鈴に渡すよう仕向けるには、箔炎と月鈴を知り合いにしておくのが一番だったからだ。
案の定、晃花に会いに来た箔炎に、長明はおしゃべりな女のフリをして、炎託から言われていた事柄を話しまくった。そして、女は不思議なことが好きなのだとか、とにかく箔炎が月鈴に会いに行き、また話をするような状況へ持って行こうと心を砕いた。
その甲斐あって、箔炎はまんまと月鈴に会いに行き、炎託が望んでいたことほぼ完ぺきに話してくれた。おまけに短剣まで月鈴に与えた…炎託はこちらの準備は整ったとほくそ笑んだ。
そして、思った通り元人の龍王妃は月と王の不義理に宮を去り、龍王は思った以上に憔悴して気力を無くし、機は熟した。
決行は七夕と決めた。
長明は機会があれば確かに月鈴が月を刺すように、折々に月鈴の元を訪れては、晃花のふりをして噂話を吹き込んだ。そして、一番月の出現の確率の高い龍の宮に、共に行けるよう、会話から持って行くことに成功した。
当日、晃花に扮した長明は月鈴と共に龍の宮へ行き、黄泉から戻ったが、術で自分が作った為1週間しか持たない体の貴子を伴って姿を変えた炎託とその軍神達が宮へ上がり、皆久しぶりに一か所に揃った。
一同は目で挨拶した。今日が、その日。龍王を消し、あわよくば現れた月を消し…目的は達せられる。
宴席で、炎託は機を見て貴子を焚き付けた。
「ついに龍王が自由になられる時が参りました。ご覧ください、あのおやつれようを。さあさあ、お傍へ行って、共にあの地で過ごされるのです。」
貴子は頷いて立ち上がった。その目は夢見るようで、自分がそう思わせたとはいえ、女の思い込みに炎託は一瞬ゾッとした。自分なら、こんな女に殺されたくはない。そう思ってその背を見送っていると、晃花の姿の長明が近付いて来た。
「…月の気が感じられます。恐らく近くまで来ている由…こちらは月鈴に殺らせるので良いにしても、そちらは早く済ませてしまっておかねば、面倒なことになりそうですぞ。炎嘉様と箔炎の気も感じるゆえ。」
小さな声でそう言い置くと、長明はまた優雅に歩いて行った。
炎託は貴子だけに行かせたのはまずかったかと少し後悔した。しかし、男の自分が行けば、尚の事警戒されるのではないかと恐れたのだ。
貴子が今にも短剣を突き刺すかと思われたその時、龍王妃が宙を舞って飛び込んで来た。龍王はそちらにばかり気を取られておるにも関わらず、貴子は一向に龍王に傷を付けることが出来ない。そのうちに、もみ合いになった。
会場が騒然とする。ここまで周到に準備して来たこと、何としても傷は負わせなければ!炎託がそちらへ向かおうとした時、月がその腕を掴んだ。
「…お前、鳥か?気が漏れてるぞ。」
炎託がしまった、と逃走しようとした時、龍王が目の前で貴子を斬り捨てた。もう駄目だと一時撤退を決断した炎託が他の軍神に合図したが、龍の軍神達に取り囲まれ、捕えられた。長明は晃花の姿で口を押えて女のふりをしている。炎託は思った…長明が残る。奴なら月ぐらいは仕留めるはず!
炎託は軍神達に引き立てられて行った。
…そこで、炎託達の記憶は途切れた。この後は地下牢でのことぐらいだった。
つまり、長明はこの後月鈴を焚き付け、まんまと十六夜を刺させたことになる。そして、晃花の姿で逃げおおせたのだ。
維心は、イライラと気を読んでいた。義心達はまだ、長明達を見つけてはいない。このままでは、間に合わなくなる…術者を殺して、短剣を消失させればよいだけものを!
「維心!」炎嘉の声が居間に響いた。「聞いたぞ。それで急ぎ参った。炎の力は我らの方が強いのではないか。それを焼き消さねばならぬのだろう…焼いて蒸発させるとなれば、かなりの温度が必要ぞ。鳥に任せよ。」
維心は眉を寄せた。
「主も今は龍であろうが。水の力の方が強いはず。」
「わかっておる」炎嘉は拗ねたように言った。「箔炎よ。こやつにさせよ。」
箔炎は前に出て、手を差し出した。
「朝飯前よ。消すか?」
維心は首を振った。
「駄目なのだ。術者が死んで居らねばならぬ。今、義心に長明を討たせに行かせておるゆえ、しばし待て。」
箔炎と炎嘉はそばの椅子にどっかと座った。
「こんなに行ったり来たり、ほんに何百年ぶりのことであるか。我は疲れた。早よう終わらせたい。」
箔炎は完全に横になるような形でソファに座っている。
「年よのう」炎嘉が笑った。「我はまだ生まれたばかりであるぞ。羨ましいか。」
箔炎は眉を寄せて炎嘉を見た。
「こんな老けた赤ん坊は見たこともないわ。子供なら、子供らしゅうせい。維月を嫁になど、二百年早いわ。成人してから言え。」
炎嘉はプンプン怒って言った。
「何を言う。お前こそ今頃出て来て片腹痛いわ。我は主のように、孫ほどの妃を迎えると言うておるのではないしの。主にとって、維月などまだ子供ではないか。」
箔炎は聞き捨てならぬという顔をした。
「我は維心より300年は若いぞ。1500歳だからな。」
「ふん、維月はまだ100歳に二年ほど足らぬほどぞ。我のほうが年は近い。」
「あのな、炎嘉…」
「うるさい!」維心が怒鳴った。「今の状況を分かっておるのか。その維月は死にかけておるのだぞ。それに、あれは我の正妃。なぜに主らにやらねばならん。1700年、年が離れて居ようと関係ない。我のものだ!誰にもやらん!」
二人はグッと黙った。維心はただでさえイライラしているのにさらに腹を立てて、二人に背を向けて維月の横に座り、手を握って義心の連絡を待った。
長明は、月の宮近くに来ていた。
報告の通り、月の宮の結界は完全に消失し、宮の麓の村々まで完全に見渡せる。月は上空で赤黒く光り、尚一層気は乱れていた。
炎託は、龍王に捕えられた。もう命は無いものと思わなくてはならない。長明は、あの時炎託達が引き立てられていくのを見た後の、自分を思い出していた。
長明はそれを見て、なんとしても月だけは始末しなければと思った。そして、傍の月鈴に怯えたような声で話し掛けた。
「…月鈴様、なんてことなのでしょう。早くこちらを退室しなければ、我らもどうなることか…」と、今気付いたようなふりをして言った。「まあ、月が。月鈴様のおっしゃっておられた月がいらっしゃいまする。今ならただお一人ですわ…お話し出来るのではありません?」
月鈴はハッとしたように月を見た。そしてにっこりと微笑むと、回りに隠すことなく短剣を抜いて持ち、月の背後から飛び込んで行った。
長明はほくそ笑んだ…ようやった、小娘。
そして、従者のフリをして付いて来ていた他の軍神達に頷き掛け、その場を急ぎ後にした。
…そして、ここまで逃げて来たのだ。
なんとか誰にも気取られることなくここまで来たが、このあとどうすればいいのか…。月のこの様子では、自分達ももう長くはないかもしれない。しかし、地上が滅びるなら、それもまた一興だ…。
そんなことを考えていたら、急に辺りが明るくなった。
上空を見ると、膜のようなものが空に平たく広域に伸び、辺りを照らし出している。その大きな明るい膜からは、龍王の気がした…これは、龍王の追手?!
長明は、遠く覚えのある気がこちらへ向かって来るのを感じ取った。あれは…義心。龍の宮の筆頭軍神。我が立ち合いで何としても勝てなかった、絶対的な力を持つ龍の軍神…。
長明は他の4人を見た。
「主らは、月の宮へ行け。今なら易々と入り込める…ほとぼりが冷めるまで、そこに潜んでいよ。」
四人は顔を見合わせた。
「…しかし、長明殿はどうなさるのですか。共に参りましょう。今ならきっと見つからぬはず。」
長明は首を振った。
「義心が来る。我は義心と決着を付けたいのだ…この命を懸けての。生涯に一度ぐらい、龍に勝ちたい。」
相手は考え込んでいたが、頷いて、月の宮の方へ足を向けた。
「ご武運を、長明殿。」
長明は姿を、久方ぶりに元の姿へ戻した。
「ああ。すぐに追いつくゆえ。」
4人は走り去って行く。長明はそれを見送り、そこで義心を待った。
一方、義心はその気を感じていた。
相手は逃げも隠れもしていない。おそらく、自分が近付いて来ることを知って、待っているのだ。長明らしいと義心は思った。
そこへ到着すると、維心の気でまるで昼間のように明るい中、長明が軍神の姿でこちらを見上げて立っていた。確か、逃げたのは複数居たはず…あと4人。義心は他の軍神に言った。
「おそらく、月の宮ぞ。追え。相手は4人。」
義心以外の軍神は、月の宮へと飛んで行った。義心は長明を見た。
「主らしくもないの、女に扮しておったとは」と、義心は刀を抜いた。「やはりその姿こそが主よ。さあ、手早く済ませようぞ。我は命を背負っておるのだ…どうしても死なせてはならぬかたのな。」
長明はフンと鼻を鳴らした。
「手早くなど済ませられぬぞ。我はそこいらの神とは違う。主も知っておるであろうが。」
義心は首を振った。
「…我はいつなり、立ち合いで本気で戦こうた事はない。我が王以外とはの。」刀を構える。「すまぬが、一瞬で済ませる。あのかたが危ないのでな。」
義心の目が、一瞬にしてカッ!と光った。長明は怯んだ…来る。抑えられない。
義心はものすごい速さでその闘気と共に降下して来た。上から…左からか!
「う…。」
一瞬のことだった。軌道は読んでいた。受ける方向へ刀を構えても居た。だが、義心の刀は、左からその強い闘気と共に長明の刀を貫き、体をも貫いて、その言葉通り一瞬で勝敗は決した。
長明は膝から崩れ落ちた。
「…我が甘かったか。」
長明は自嘲気味に笑った。義心は言った。
「我に真正面から向かって来るとはよい根性よ。だいたいは恐れて我の寝首をかこうとしよるものよな。」と止めを刺す為刀を振り上げた。「…ではな。いつかあちらで会おうぞ。」
長明は頷いて目を閉じた。義心はその心臓を貫き、維心に念を送った。
《王!只今長明の息の根を止めました!お早く短剣を処理ください!》
そして、赤黒い月を見つめて、祈った…どうか維月様が戻られまするよう…。




