願い
炎託は、月を見上げていた。
あの夜も月は出ていた。しかし、月は人型を取って、龍と共に攻め入って来た。龍は己の妃を取り戻し、一族を根絶やしにするため。月は、己の妃を取り返すため…。
炎翔はやり方を間違ったと、炎託は思っていた。あのようにあからさまにしては、こちらを討ってくださいと言っておるようなもの。それに、龍王の記憶が400年しか封じられなかった時点で、力不足を認め、今一度作戦を練り直すべきであったのだ。
炎託は、あの時、攻め入って来る龍王を見て、宮は滅ぶと直感した。王である炎翔は逃れられない…であるが、400年前の記憶しかない龍王が、300歳の我が生まれていることを知らぬ可能性は、ある。我なら、逃げ切れる。
炎託は決心した。ここで、皆と共に滅ぶことは出来ぬ。あの龍王に一矢報いる…いや、その命をもらい受けるなら、我が生き延びてやらねば!
炎託は傍の軍神、長明とその部下を連れ、宮を抜け出した。そしてそれは、思った通り気取られることはなかった。
それから炎託は、残った軍神9名と共に、策を考えた。慌てて持ち出した巻物は二巻。この中に書いてある仙術で、龍王を倒すことは出来ないか。
身の内から崩して行く。炎翔が目指した、その方向性は間違っていなかったはずだ。まともにやり合って勝てる相手でないことは、誰もが知っていた。なので、9人は身をやつして、様々な宮へと出入りし、その侍女達や召し使い達と気安くなり、雑談を持ちかけては龍王の身辺を探った。龍の宮に出入りできなくとも、近隣の宮は解放されているので気軽に出入り出来る。そこから、たくさんの噂話を仕入れては、その真偽を皆で協議し、隙を見つけるべく探りを入れ続けた。
そんな最中、偶然に鷹の宮を見つけた。
鷹の宮は隠されて森深くにあり、そして、鷹族自体を知る者が少なかったので、炎託も詳しくは知らなかった。
だが、鷹族は鳥から分化した種族で、昔は王同士、それは仲が良かったのだという。だが、勢力争いなどに巻き込まれるのを嫌い、力を持ちながら神の世に関わらなくなった。ゆえに、その姿を知る者自体が少なかった。
炎託は微かな希望をこめて、そこの王へ会いに行った。
王は、金色の目金色の髪の、若い姿の王だった。その気は強大で、父王・炎嘉に勝るとも劣らないと思えた。だが、その王はこう言った。
「よう来たと言いたいところだが、我は世間との関わりを絶って1000年以上になる。今更にそのような争いに関与するつもりもない。主もせっかく生き延びたのなら、これからは己の為に生きるがよい。誇りだ
なんだと言ったところで、結局無駄死にしているヤツのほうが多いのよ。炎嘉のように寿命で死にたいであろう?我はそのほうが良いと思うぞ。」
炎託は驚いた。この王は、昔からずっと生きているのか…父王や、龍王のように。世間から隠れて、こんな所でじっと…。
「箔炎殿、我は一族の死んで行くのを目の当たりにし申した。あの折り、我があの場を逃げたのは、ひとえにこのためでありまする。そうでなければ…おそらく、あの場で死んでおった命であります。」
箔炎はじっと炎託を見ていたが、頷いた。
「我は止めたぞ。維心がどんなやつか知っておるゆえの。」
炎託はそれを後目に、鷹の宮を去った。
やはり、軍隊としての人数を揃えることは叶わぬ。ゆえに、小さな事からコツコツと調べ上げ、崩していくよりない。それも、一方向ではなく、何通りかのルートを使って。
幸い、龍王の昔のある噂も知った。そして龍王の弱点である、龍王妃、陰の月…。
これらを駆使すれば、必ず道は開けるはず。刺し違えても、その命、もらう。
「真託様?」
炎託はハッとした。そうだ、これは今の自分の名乗っている名…。
「お呼びですか、貴子殿。」
炎託は機嫌よく微笑んだ。その気は全く違う色をしていて、姿はまるで龍のように濃い色の髪、そして目だった。
「何かを考え込んでいらしたようなので…私は、うまくやれるのでしょうか。」
炎託は答えた。
「大丈夫でございまするよ。きっと、あちらへ行って龍王は貴子様に感謝されることでしょう。やっと、この楔から逃れられるのですからな。」
「どちらにしてもこれが最期…私の体はあと三日しか持ちませぬもの…。なんとしても、共にお連れ出来るように致しまする。」
炎託は微笑みながら、そうでなければ困ると思っていた。仕損じたら、我らが討ちかかるしかない。そして、別働隊の動きがうまく行けば、きっと、願いは成就する。
明日は、七夕であった。
七夕の朝は騒がしかった。維心は相変わらず奥の間に引きこもっていたが、王として式典には出なければならない。
召し使い達に着物を準備されながら、思いの外それが大きめなのに気がついた。そうか、自分が小さくなっているのだ。維心はそれに気付いて苦笑した。ほんの数日の間に、このような事になろうとは。いっそこのまま、消えて無くなればいいものを…。
維心は死ねぬなら、早く将維に譲位して、思い出を糧に一人静かに生きて行きたいものと思った。
一方十六夜は、気配を消して維月の住む房の近くへと降り立っていた。今日は七夕で将維も義心も昼間からここへは来ない。話しをするには、この日をおいて他になかったのだ。
教えられた房は、森の中に隠れるようにあった。そしてそれは、陰の月の結界が小さく張られてあった…間違いなく、維月の力だ。その房の近くに佇みながら、十六夜は迷った。あんなところを維月に見られ、そして維月はオレへの信頼を失った。何よりも大切に思っていたその信頼関係が、あの一瞬で崩れ落ちた。なのに、まだオレはすがり着こうとしている。きっと無様に見えるだろう。だが、これからまだ何年生きなければならないかわからない中で、このまま別れたくない。せめて、オレがどういう気持ちでいるのかだけでも、わかってもらえたら…。
十六夜は、意を決して房へと足を踏み出した。
維月は、そこで縫物をしていた。宮に居た頃は、侍女達が全てやってくれたものだが、慣れなくても、自分でやって慣れて行かなければならない。チクチクと針を進めていると、戸口に気配がした。
維月は手を止めて、顔を上げた。今日は七夕だと将維が言っていた。なのでこんな時間にここに来れる者など居ないはずなのに。でも、私の結界に掛からなかった…。
維月は、ようとして読めないその気に不安を感じながら、少し戸を開けた。
「どなた?」
維月はハッと息を飲んだ。十六夜が、そこに立っていたからだ。
「…維月。」
十六夜は、震える声でそう言った。維月はびっくりして手が震えた。なぜ、ここへ来たの?蒼…蒼が言ったの…?
維月は慌てて背を向けた。
「ここへ来てはいけないわ。気を悪くするかたがいらっしゃるでしょう。」
後ろ手に戸を閉めようとすると、十六夜が戸を押した。
「話しを聞いてくれ。オレはお前に話したいことがあるんだ。許せないのはわかっているが、せめて、話を聞いてくれないか。」
維月は目を閉じた。何を話そうと言うのかしら。今、ツクヨミと幸せにしていると言いたいのかしら…そんな報告なんて、聞きたくないのに。
「そんな、気を使ってくれなくてもいいのよ。私は忘れるようにするわ。だから、帰って。」
十六夜は手を離さなかった。
「頼むから、聞いてくれ。お願いだ。維月…部屋の中へ入れてくれないか。」
維月は、迷った。十六夜の話を聞いて笑っていられる自信がない…。振り返ると、十六夜は必死な顔でこちらを見ている。維月はため息をついて、手を離した。
「…どうぞ。入って。」
十六夜はホッとしたような顔をすると、戸を開けて入って来た。維月は縫物をしていた後を片付けだした。
「着物を縫ってたのか。」
十六夜が言うと、維月は頷いた。
「そうなの。でも、私は昔から家庭科が苦手だったでしょう?指を突いてばかりなのよ。」
十六夜は微笑んだ。
「確かにそうだ。雑巾を縫うんだとミシンを出して来た時には、オレがどれだけハラハラしたことか…糸を掛けるのはすぐに覚えたのによ。」
維月は寂しげに微笑んだ。全てを知っていて、覚えていてくれる十六夜。いつも一緒に居て、話したい時に話せて当然だったのに…。
「座って。」維月はテーブルにある椅子を示した。「話しって、なあに?」
維月は努めて明るく振舞おうとした。十六夜は促された椅子に座ると、真剣な顔で言った。
「維月、オレはツクヨミを愛しちゃいねぇ。その証拠に、あれからまったく会ってもいねぇ…ずっと月に居る。気配があそこにあるから、お前にもわかっただろう?」
維月は視線を落とした。また、十六夜は気を使っているの…。
「…そんなに気を使わないで。私は一人でも生きて行けるし、一人が嫌なら嫁にって言ってくれる人も、これでもまだ居るのよ。だから、いいの。私が一人になるとか、そんなこと考えなくていいのよ。」
十六夜は首を振った。
「違う、誤解なんだ。ツクヨミは…確かに会いたいと思っていたが、謝りたかったからだ。オレが殺しちまったと思っていたから…。あいつにオレを想ってたと言われて罪悪感から、乞われても拒絶出来なかった。本当に、あの一回きりだ。オレは、もうツクヨミに会うつもりはねぇ。」
維月は横を向いた。それでも…やっぱりあのかたを想っていることには変わりないのでは…。
「私を気遣って、もう会わないなんて思っているんでしょ?私は気にしないわ。心変わりしても仕方ない…男女の仲なんて、そんなものだと思うから…。」
十六夜は激しく首を振った。
「気なんて遣ってねぇ!オレがそんな性格じゃねぇことは、知ってるだろうが!」維月がビックリしていると、十六夜は慌てて下を向いた。「…オレは心変わりはしねぇ。忘れられないんだよ…一回愛してしちまったら。ツクヨミのことは愛したことはねぇ。オレはお前に会うまで、性別を意識したことはなかった。男女どっちでもいいと思ってたからな。何しろ、自分のことは何も知らなかったからよ…。」
維月は思い出した。そう言えば十六夜は、性別すら教えてもらうことなく生きて来たんだ。最近になって、実体化して、親に会って、真実を知って来たけど…。それなら、異性を愛するなんてことは、確かに知らなかったはずだ。維月は十六夜を見た。
「じゃあ…本当にあれは、十六夜がしたことじゃないの?好きだからした訳でなく?」
十六夜は頷いた。
「オレからしたんじゃねぇ。だが、きちんと拒絶出来なかったのは、オレのせいだ。愛してもないのに、同情で受けたって、ツクヨミにとってもいいことじゃないのはわかってたのに。」とため息をついた。「オレは…維月を愛してる。あんなことにしたって、維月だからしたし、維月だから努力して覚えた。愛情表現なんて、オレにわかるはずない。だが、維月が教えてくれたから、オレは知ってるだけだ。愛してるなら人はそうするんだって、蒼も維月も教えてくれたから…。」
維月は涙が出た。十六夜は嘘はつかない。では、私は勘違いで十六夜を拒絶し続けていたというの…?
維月が黙って十六夜を見て涙を流しているので、十六夜は立ち上がって維月の方へ回り込んだ。
「維月…?どうしたんだ?オレは、また怒らせたのか?」
その心配そうな瞳に、維月は微笑んで首を振った。
「いいえ。ごめんなさい、私ったらいつも勘違いして一人さっさと決めちゃって…もっときちんと話せば良かったのに。わかってたはずなの…十六夜は月から降りるまで、何も知らなかったんだもの。あなたの記憶の中で、誰かに愛してるなんて言ってる所、見たことなかったのに。私…ごめんなさい。」
維月は顔を手で覆って泣いた。十六夜は、自分も涙がこみ上げて来るのを感じた。
「許してくれるのか。オレはお前を悲しませたのに。」
維月は頷いて微笑んだ。そして十六夜に向かって手を伸ばすと、言った。
「…もう、紛らわしい事はしないでよ?私だって、苦しかったんだから…。」
十六夜は泣きながら笑って維月を抱き締めた。暖かい気…愛おしい維月の気…。そして自分を抱き締める維月の腕が、こんなにも心地よかったなんて。
十六夜は維月を抱き上げた。自分は人でも神でもない。だが、愛する気持ちは同じだ。そしてそれを表現する方法があるなら、オレはそれを維月に向けて表現するんだ。
二人はそのまま、深く愛し合った。




