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策謀

貴子(きし)にとって、龍神は全てだった。

だが、その愛は受け入れられることはなく、他の男に嫁ぐことが決まったその夜、自ら命を絶った。

その後あの世へ行って穏やかにしていても、心の底には常に龍神が居た…いつかこちらへ来たのなら、必ず想いを遂げるのだと。

それなのに、龍神は一向に来る気配はない。なぜかと不思議に思っていたら、それは重い責務を負わされているからなのだと聞いた。

貴子は心を痛めた…そんなお辛い思いをなさっているなんて。

毎日気になって、生者の世ばかりを気にしていたある日、そこに術を使って生者の世から話し掛ける者が居た。

《龍神に縁の、貴子殿か?》

貴子はびっくりした。だが、龍神に縁と言われたことが嬉しかった。

《はい…確かに貴子でございます。あなたは?》

相手は答えた。

《我は、龍神様を憂いる者。世に縛り付けられ、逝きたくても逝けぬと常嘆いていらっしゃる龍神様を、少しでも楽にして差し上げられないかと…。》

貴子は飛び付いた。

《それは私も望む所でございます。》

相手は嬉しそうに言った。

《おお!さすがはかつての想い人であられる。》だが、声は力なく言った。《ですが、他の者に知られると、己が楽になりたいばかりに阻止されまする。それにお一人でこちらへ来られるのもまた、お気の毒であられまするし…。》

貴子はすがった。

《そのような…何か手はございませぬか。何とかお楽にさせて差し上げられる方法は…。》

相手は、思い付いたように言った。

《そうよ!貴子殿なら龍神様のお側へ行くことも可能でありましょう。お側へ上がって、そして共にあの世へ戻れば良いのです。》

貴子は驚いたが、首を振った。

《私はこちらから出られませぬ…そのようなこと、無理ですわ。》

相手はさらに言った。

《我は仙術を使うのですぞ?新しい生は無理でありますが、一時こちらへ戻ることは可能です。貴子殿、しかしあなたはそれがお出来になりまするか?》

貴子は悩んだ。龍神様にお会いしたい…そして、楽にして差し上げたい。貴子は頷いた。

《もちろんですわ。龍神様をそのように縛るもの達を謀ることに、何のためらいがありましょう。さあ、あなた達の策を聞かせてくださいませ。》

相手は、貴子に詳しく話した。回りは皆、龍神様が勝手に世を去らないように見張っているもの達ばかり。その妃ですらそうで、安らぐ場所がないとのこと。なので、皆の前では、芝居をしなければならない。

貴子には短剣を渡すので、それでほんの少し傷を付ければ龍神様は楽になれる。貴子の体は一週間しかもたないので、すぐに後を追える。

貴子は、覚悟をしてこちらへと戻って来たのだった。

そして、すぐには龍神には会わず、しばらく男達と龍神を楽にする話を打ち合せた。

実行の日、予め準備してあった穴に皆で倒れ、龍神達を待ち構えた…。

すぐに、お側へ置いてもらえると思っていた。

なのに、龍神様は会おうともしてくれない。それが、回りの者の策謀なのだと、男達からは聞かされた。

そして、体は一週間しかもたないのに、日にちばかりが過ぎて行く。貴子はどうすればいいのかわからぬまま、男達が必死で段取りをして来た作戦を聞かされ、それが最後のチャンスだと頷き合ったのだった。


「…面倒なことになったものよ。」

定からの報告を聞いていた箔炎は言った。宮の玉座に座り、片手は組み、片手はそれに肘を置くようについて、額を乗せている。

そして、ため息をついて定を見た。

「それで、代わって現れた気はないのか。」

定は首を振った。

「代わって現れたのか、新しく誕生したのか、それがわかりませぬ。無数に生まれる神の子に混じって、気を変換したようなので…どれがその、変えた気なのかがわからないのです。」

箔炎は考え込んだ。

ずっと、ここへ手助けの願いに来てから、箔炎は炎託達の気を覚え、それを常に追っていた。なので、どこに居ようとわかった…仮に、龍の宮へ近付こうものなら、維心に警告出来るからだ。

なのに、その気がハタと消えた。おそらく仙術を使ったものと思われるが、違う気を纏って別人になりすましている。変わった後の気を探ろうにも、その際に生まれた他の無数の命も混ざって、どれが変わった新しい気なのか読み取れない。完全に、見失った状態だった。

「…危惧しておったのにの。まさかこう来るとは。」箔炎は立ち上がった。「とにかく、我が宮へ来る者は少ないゆえ、知らぬ気を纏う者は排除するは簡単なれど、龍の宮や月の宮となるとそうは行くまい。まあ、維心の守りは強いゆえに大丈夫であろうが、最近の結界はどうもぬるい気がするのよ…まさかもう内へ入り込んでいるなどということはないとは思うが…わからぬゆえ。二つの宮へ警告せよ。」

定は頭を下げた。

「は!」

箔炎はまた座り、この騒ぎを片付けぬことには、平穏な生活は戻って来ぬのだろうと、ため息を付いていた。それにしても、数日前に感じた、大きな仙術を使った気配が気に掛かる。あの日の夕焼けは、確かに大きく血のように赤かった。何か異質のものが、この世に紛れ込んだのではないのか…。


一方、月鈴は嬉々としていた。

事は数時間前に遡る。その来客があった時、いつものことだと月鈴は気乗りがしなかった。そんなことより、月に話し掛けていたかったからだ。

だが、話を進めて行くにつれ、その来客が龍の宮から招待を受けていることがわかった。茶会の誘いなどというものではなかったが、恒例の七夕の祭りが行なわれるのだとのこと。毎年のことであるので、来客は決まっていて、他の者はなかなか行けなかったが、王妃の茶会に呼ばれたことのある者も、望めば行くことが出来るのだという。その客人も行ったことがあり、望んで招待状をもらえたので、月鈴もどうかと誘ってくれたのだ。なんでも自分も小さな宮の出なので、一人で行くのはとても心細いらしい。その気持ちは、月鈴にもわかった。

もしかしたら、月に会えるかもしれない。

月鈴は二つ返事で承諾し、宮へその旨を知らせた。七夕に行くから、降りて居てと言っても、月はきっと答えてくれないのだろうな…。

今も苦しい思いをしているであろう月を、月鈴は解放させてあげたかった。大丈夫、私が居るから。

ツクヨミとしての記憶は、月への慕わしさをさらに募らせた。


龍の宮では、またも奥から居間へと呼び出された維心が、不機嫌に座っていた。洪は頭を下げて言った。

「貴子様の事でございまするが…七夕の祭りの日、そのあとにこちらを辞して結界外へ出て参るとのご連絡がございました。」と洪は顔を上げた。「王、本当にそれでよろしいのでしょうか?」

維心は洪と目を合わさず言った。

「出るのなら良い。いつまでも居っては、あらぬ噂が立とうほどに。」

洪は維心を見た。

「ですが王…今はお一人であられるのですから、宮へ置かれてもなんの支障もないのではありませぬか。」

維心を気遣っているような様子だ。維心は眉を寄せた。

「我があれを望んでおると思うてか。そのようなつもりは毛頭ないわ。主、よもやあらぬ噂など吹聴して回っておるのではあるまいな。」

維心の鋭い目に、洪は震えあがった。

「まさかそのようなことは!宮にはそのようなことを申すものは、断じて!」

維心はフイと横を向いた。

「祭りが終わり次第、すぐに放り出せ。」維心は言って、奥の間へ帰ろうと立ち上がった。「下がって良い。」

頭を下げながら、洪はその後ろ姿をちらりと見た。明らかにやつれた王は、今も維月様を想っていらっしゃる。務めを果たせないと、妃をご辞退なされた維月様…。

洪は、居間を出て歩きながら、月に思った。どうか、お帰りくださいませ。王のために、宮のために。王は決して、裏切ってなどおられませぬ。そしてこれからも、裏切るおつもりなどございませぬ。


月は、無言で洪を見返しているようだった。


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