幼馴染に論文を譲れ?私が落第するのですが!?
婚約したのは五年前だった。まだ冬の気配が残る春先のこと。寒さがまだあり、強く悴んだ手が冷たくて、早く終わればいいのにとそればかりティロープは思った。その気持ちさえも時間の無駄だったと思い知ったのは、彼が、アイグが幼馴染の女の子の話ばかりすると気付いたとき。
やけに話題に出てくるなとは思った。憎からず想っているのだろうかと、試しに聞いてみたらそんな関係じゃない、想像して自分たちの仲を邪推して汚すなと半ば怒られるように言われた。なら、話すなと思った自分は悪くない。
ティロープたちはお互いまだ探り探りの段階で、自己のことではなく他人のことばかり話す相手に他に何を言えと?
そういうことを聞いて欲しいから話し続けていたのだと思っていたのに、友達のことしか言わない方が悪い。そこまで話すのに恋仲でもなく、両片思いでもないというのは話題の罠にかかった気分でなんだか、納得いかなかった。
邪推しないでくれと言う割には口にするので、聞いてしまいたくなるのは婚約者として当然の疑問である。それに対して気にするなと言うのも可笑しな話だ。まるで、そういうことを聞いてくれと言っていたようなものなので、こちらからすれば急にハシゴを外された心地に陥る。
口にしなければいいのに毎回毎回、話題やら口上で持ち上がる。少し話すとすぐにあの子はあの子は、あの子なら。そればかりで流石に気が滅入った。
学園に入るときに不安だった。幼馴染が入ると聞いていたから。嫌でもその子に詳しくなるのは、嫌な知識の蓄えである。どうでもいいのに余計な知識とプロフィールが、用紙にみっちり書き連ねられている感じだ。
非常に見ていて不愉快だが、彼の一方的な情報というだけで本人にはまだ会ったことはない。びっくりだが婚約者の幼馴染に会う理由もないし、会いたいとも思ったことはない。わざわざ会う利益もない人に、会いたいとさえ思わないだろう。
自分の中に婚約者の幼馴染のことばかりが蓄積されていく。でも、彼のことはあまりない。異常以外の何物でもないとわかる。親に相談したが程度を軽く捉えているのか、言葉だけではなかなか伝わらない。
彼らの中でも仲の良い友人のことを語ることはよくあることだと。でも、自分のことを教えようとするという部分を勝手に増やしている。
親も大体、人に話す時は大なり小なり、他人の話や自分の話を交ぜるはずなのだが。ティロープは彼がこちらのことは全く聞いてくれないし、知ろうともしてくれないことも説明してみた。話そうと思って話しても聞いてはくれる。
しかし、次に幼馴染はこうだった、といつの間にかすり替わっていたり比較したりしているのだ。話を聞いているはずなのに、聞いているというより、テスト問題を出して全部幼馴染なら、彼女ならばと勝手に模範解答する。
自分のことならそういう自己中心的な人なのだと終わる。が、彼よりも彼女のことに重きを置くのは聞いていて気分が良くない。ただでさえ、それは友人の枠を超えているような気がすると言いたくなる。
それより前に邪推するな、と言われた言葉が頭をくるくると回り、胃も不快さでキリキリシクシクと痛む。言うなと言われたことを二度目に言う気力を、初手で手折られたあとだから余計に言えるわけがない。
どうせまた「邪推するな」と同じ言葉を言われてこちらがモヤモヤするだけなのは、薄ら分かりきっている。彼のことは殆どわからないのに、叱られたことだけが記憶にこびり付く。生理的な嫌悪を身体が覚えてしまっている。
五年間、幼馴染や友人に会うときに、この関係は正しいのかと聞いてみたら首を振られて、可笑しいと言われる。親には理解してもらえなかったのに、世代が一つ違うだけで急に話が通じなくなるのかと、可笑しくてふふっと笑った。
笑い事ではないと困ったように叱られるが、だからと言って彼の言葉を遮ったりもうやめて欲しいと言っても通じないのだ。話自体をやめて欲しいのにやめてくれない。どうして通じないのだと迷惑に感じても、こちらの感じている不愉快を不愉快として処理してくれない。何度も、その話はもういいと、言ったのだ。
「やめてください」
「調子が悪いのか」
「健康は損なってません。あなたの幼馴染の方の話をやめてほしいのです」
「どうしてだ」
「理由なんてありません」
「理由もなく彼女の話を聞きたくないだなんて、おれの話を聞きたくないというのか」
「彼女の話をやめてほしいと言ってるだけです」
「話の中でしかいない女に、まさか嫉妬しているのか」
「違います」
「広い心を持て。そうすればこの話も聞きたくなる」
「そういうことを言いたいのではないので。兎に角、やめてください。違う話をお願いします」
「違う話を?」
彼は漸く、こちらの言いたいことの片鱗を掴んだのか目を向けてきた。
「私の行くショップの話をしたいので、それについて聞かせてください」
「どんな店だ?」
「可愛らしいパステルな色味の」
「あいつはその色を好まないから、聞いても意味がない」
「意味がないというのではなく、話題なのですが」
こんな感じでいつの間にか、メインが彼女を軸にして始まり終わる。何を話してもあいつはああ言う、あいつはアレが好き、あいつならそれじゃない。これでどう会話が成り立つと言うのか。
彼の中では成り立っているつもりなのだ。なんせ、彼は幼馴染の話ができて満足そうにしているので。こちらはそうはいかない。しかし、だ。もう慣れた代わりに、話を成立させるのは諦めた。
婚約をして一年になる前に。一年以上もしも続けられる人がいるのなら、その人は多分暇なのか、幼馴染本人くらいだろう。自身としては何を話しても幼馴染はと変換される言葉に、付き合いきれないと匙をバッと投げた。
幼馴染と婚約者と自身が学園に入って卒業が視野に入っていた時、卒業に必要な本格的な論文を提出する期限が迫る中でクラスメイトたちは、汗汗と慌てる者もいれば終わらせて余裕を持たせている者もいる。
婚約者のアイグもちゃんと終わらせているので、安心して生活を送れていた。昔から仲が良い幼馴染のコモリニカと今後の話を話していると、別クラスの婚約者に教室内の廊下から呼ばれて話していた相手の方を見てから、廊下へ向かう。
「なんでしょう」
幼馴染を側に侍らせた彼を見てももう何も感じなくなった。いつものように淡々と問いかけると話題のメインであるエルマルが、苦笑してこちらを見た。馴れ馴れしい態度だが、友人ではない。
こちらは友人と思ってないのに、エルマルという女子はこちらを友人枠にいつの間にか入れていた。入れなくていいとやんわり断っているのに、だ。
いい加減にして欲しい。忘れ物をしたら、こちらのクラスに来て貸して欲しいと言われる回数も、ウンザリである。断ると、次の休憩時間に婚約者が貸してやらなかったのは何故か、といった説教をしにくるのも。
「悪いんだが、こいつがな」
「うん。ごめんね」
彼の幼馴染がたまに男なのではと思うエピソードがあったが、性別は女という前提を何度か聞き直すことがあるくらい幼馴染エルマルの話し方は男っぽかった。
だからといって見た目は女性だ。髪型も女性。話し方とアイグへの距離感の高さだけは男だった。ティロープからすると都合がいいので男女の距離感を使い分けるどこにでもいる、あざとい女としか思えなかった。
「なんでしょう?」
男兄弟みたいなものというのが婚約者アイグの言い分である。
「こいつ、論文がなかなか通らなくてさ」
「はぁ」
「ティロープの論文をこいつに譲ってやってくれないか?」
「……はい?」
首をごく自然に、反射的に曲げると二人はまだ苦笑し合ってヘラヘラした顔でこちらを見る。
「人のものを譲らせるなんてダメだって止めたんだけど、聞いてくれなくて」
エルマルがさも、庇っているように言っているが一つも庇えていない。
「ティロープは賢いから今から別のものでも論文書けるだろ?だから、このままだとこいつ、論文間に合わないって泣きついてきて」
ティロープはさらにわからなくなった。彼はこちらに既に提出しているものを取り消せと、言っているのだ。そんな馬鹿な話があるものか。
「無理です」
「ほーら。無理だって言ったでしょ?」
エルマルの当たり前みたいな言い方が気に障る。イラッと眉間に皺が寄るのが止められない。
「いや、平気だって。おれたちも手伝うから。そうしたらあっという間に論文が出来上がるし」
論文を通せない人間を加えたところで、論文の出来が上がるわけがない。それに、この時期にもう一度最初からなんて、そんなことをすれば。
「間に合わなかったら、私の卒業は認められませんよ」
「ああ、もしも仮にそうなっても大丈夫だ」
アイグはさらりと機嫌良く、ティロープの肩に手を置く。振り払っても許されるだろうか?
「卒業できなくても、途中退学したところでおれが嫁に貰うから問題なんてないだろ?」
「……は?」
ぽかん。
「は?卒業できなかった場合、婚家のところや親戚、貴族社会で不出来だと一生馬鹿にされることをわかっていて言ってます?」
理解でき無さすぎて、クラクラしてきた。
「それも大丈夫だ。こいつは一応女だから、お前の盾になるって。な?」
「うん。任せてよ!」
元気よく頷かれるが、卒業できない頭の人間に庇われても回避など無理に決まっていた。やり込められてボコボコにされて、這う這うの体で逃げ帰るのが目に見えている。
「任せてよ……?」
婚約者の不埒な手を外させながら後ろに下がる。クラスは話し声もなくこちらの会話に全て耳を立てていたらしく、不自然な静けさへと変化していた。
「お断りします」
「え?」
「いや、だから、おれたちも手伝うからすぐ終わるだろ?」
「あなたがその方に教えて、卒論を仕上げてあげればいいのでは」
「それは……テーマが違うから、ちょっと勝手がわからなくて」
気まずげに目を逸らす男。結局、ダメだったのだ。なら、この男と幼馴染が二人協力したところで、論文など到底間に合わない。
「私の時も手伝ったところで力になれないのに、出来上がらないですよね」
「お前は賢いから」
「私一人がなぜそこまで頑張らないといけないんですか?そもそも、なぜ、私があなたの幼馴染に論文を譲らないといけないんですか?あなたの論文を彼女に渡せばいいのではないのですか?」
前提がおかしい。男兄弟のように育ってきたのなら、譲るべきは彼である。
「何言ってるんだ!おれは次期当主なんだぞ?卒業できなくなるじゃないか」
「私も貴族の令嬢として卒業できなくなるので、落第と一生蔑まれて生きていくことになりますね」
話が進まない。頭が痛いと気を揉む。
「ちょっといいか」
埒が明かないところを見てか、コモリニカがこちらへ分け入ってくる。だが、怒りと焦りで心が狭くなっているらしきアイグがキッと男を睨む。
「邪魔するな。おれとティロープの話だ」
「何を言ってるんだ?第三者がすでににそこにいる時点で二人だけじゃないだろ?さらに言うと、お前の義親になる人たちだって、無関係じゃない。娘の貴族人生を左右することを投げかけておいて、婚約者の問題にすり替えるな」
「なっ、何を言い出すんだ?論文について言ってるだけだ」
「いや、貴族としての進退について、めちゃくちゃにしようとしているようにしか聞こえないが」
酷く真っ当な指摘である。けれども、アイグには届かない。
「どこがめちゃくちゃなんだ?うちの家に入るんだから、将来は安泰だ。なにをもったいぶっているのか知らないが」
「次期当主になるお前は譲ったら困ることになると言ったよな?なら、貴族令嬢で、お前の妻になる相手も卒業できなかったり中退したら不味いとなぜ、そこで思考が止まる?自分に当てはめた途端に無理だと断ったくせに、婚約者だから譲れというのはあまりにも横暴だ。それに、論文の強要は厳しく禁止されている」
腕を組み出すコモリニカに、アイグはグッと詰まったように顎を引く。正論である。見事な打ち返しに教室の中が、音のない拍手に打たれているかのように空気が明るくなった。皆も言いたいことを言った幼馴染を、よくやったと賛美しているのだろう。
「それは……ただ、渡してくれればいいんだ。やはり納得できないと」
「納得できないのはティロープの方だが?とにかく、お前のを譲れ。婚約者はお前の私物じゃない。ティロープはまだ親の庇護下にある。他家の令嬢の権利を、何の権利もない他家の令息が自由に動かしていい理由にならない」
「ぐ……」
幼馴染だとか、友人であると言う穴のある言い分とは違って、強力な理由付けになるところだけを使用してコモリニカはそつなく打ち返してくれた。
「ご、ごめんね!ティロープさん。その、もういいから、行こうアイグ」
エルマルがアイグの服を引っ張って元のクラス、本来のクラスへと戻ろうとする。それをクラスメイト共々、冷ややかな瞳で見送ると後ろを向いて、観客たちにお騒がせしたことを詫びた。
「なんなの、論文を譲れって」
「貴族を何だと思ってるんだ?」
「嫁に貰うんだから卒業できなくてもいいだろうって……怖いわね」
クラスメイトたちはそれぞれの感想を語り合う。明日以降には皆の親たちや、出入りする貴族たちにも伝わっているだろう、と感じるほどだ。エルマルのことも、アイグのことも。全てが余すことなく。
「ありがとうコモリニカ」
「いや、流石に友人の立場でとかより、あり得なすぎてな。口に出したり間に入ったりするつもりはなかった」
「いえいえ、大変助かりました」
幼馴染で気安い会話に、二人は苦笑しながら向こうのクラスを見た。あの二人は今何を話しているのだろう。心が狭い婚約者?幼馴染がでしゃばってきた?
どちらにせよ、どんな会話をしていても、それは全てあの二人に帰ってくるだろう。
そこからは大騒ぎだった。クラスメイトたちに広まる前に、教師と学園の方にティロープが論文を譲るように強要されたことを報告したのだ。他にも生徒たちが報告したらしく、問題視され学園にアイグとエルマルが呼び出されて、二人の親も呼び出された。
「な、なんてことをっ」
「は、恥ずかしい真似を!」
「論文を譲れだと!?」
「貴族を何だと思ってる?」
親たちは激怒して、それぞれ叱責したのだとか。
「ひっ」
「聞いてください!違うんです」
「黙れ」
親に散々怒られた二人はさらに、自クラスの生徒たちにも冷えた目でとんでもない人間だと避けられる。それだけではなく、友人もいなくなっていく頃。
「うちとの婚約はなかったということで」
「……はい。愚息がすみませんでした」
ティロープの家からも、アイグとエルマルの家に抗議の文を送った。ティロープとアイグは婚約白紙となり、なかったことになったが論文の件が悪質とあちらの義親たちはこれ以上の亀裂を入れないためにか、慰謝料を払ってくる。
恥ずかしくて頭を上げられないと、貴族らしい姿であった。アイグもその時連れてきて頭を下げさせたが、本人は気落ちしているらしい。が、納得しているようには見えなかった。
睨みつけられることはなかったものの「お前が大袈裟に騒いだからだ」といった視線を感じる。まだわかってないとは、本当に恐れ入った。反省はしないだろうとなんとなく思っていたから、思った通りの態度にティロープはにっこりとした笑みを返しておく。
元婚約者になった男の顔は永遠に、いや、やっぱり一ヶ月後くらいには思い出すこともしないだろう。口をはくはくとさせて顔を赤くさせていた、なんて。始めから下に見ていたのだろう。
妻に貰ってやるなどと、婚約者に述べるのがそもそも可笑しいのだから。婚約者なのだからいずれ結婚する相手に、わざわざ貰ってやる精神を口にする。契約の中に入っていることを、まるで褒美のように出したのだ。
周りの生徒たちは初めて聞いた時「当たり前のことを光栄に思えと、上から目線で言うなんてどういうことだ?」と思ったことだろう。既に決められていることを、してあげる側で言い放つ異常さ。
呆気と恐ろしさに満ちた噂という真実は、あっという間に学園を飛び越えて貴族たちに、血液のように回った。子供から語られるそれは面白可笑しく茶会や夜会、パーティの一種の余興として大人たちを楽しませた。
「そういえば」
ティロープとの婚約白紙を思い留まらせる気力を、義親になる予定だった彼らはとっくに失っていた。ティロープが気になったので最後になる彼への問いかけを投げかけて見る。
「エルマルさんに論文は渡してあげたのですか?」
誰も問いかけに答えなかった。それが全ての答えである。心が狭いのは彼だったみたいだ。男兄弟とあんなに人目を憚らず、距離が近く毎回一緒に居たのに。なんと薄情な男だろうか。
婚約白紙となった後、すぐにコモリニカが婚約者に名乗りをあげて驚きながらも親から好きにしなさいと言われて、婚約を受けた。話し合うと、婚約したと聞いてから自分の恋心に気付き後悔したと聞かされる。ティロープは聞き終わると嬉しさに目を和らげた。
譲れと言われた時、ふと浮かんだのだ。子供を産んだ後、または妊娠している時、またはエルマルに子供ができないという話を元婚約者が聞いたら、子供を譲れといわれる日が来るかもしれない、と。人生を左右する論文だって、大したことがないといった感情が透けて見えたのだから、あながち外れてはいないと思う。
譲れと言うより、ティロープのものだと言ってくれた彼となら、奪われる恐怖に怯えなくていいのだ。いつ奪われるか、何を奪われるかを考える人生など絶対に嫌だ。
「私でいいの?」
「ああ。代わりなんていない」
胸がいっぱいになるこちらを見る目はしっかりと、一人の女性であり伴侶を見守る温もりをしていた。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。二人は何も考えていない思いつきなので何が悪いのかわかっていません




