七の話 呪術師は手品を披露する
ファージール王国はメイガルテン大陸西部に位置する内陸の小国家である。
隣国には近隣諸国に覇を成す大帝国セルバランカ、商業による隆盛を迎える商業国コルナップを抱え、それらからの主権独立を守るための暗闘は、小国の宿痾とも言えた。
そして、東の国境の先には、数十キロに渡る『荒廃地帯』と呼ばれる無秩序地帯があった。
千年前の魔王侵攻により朽ち果てた大地であり、降り注いだ血と呪術の障気によって人の住めぬ地と化していた。
人間は貪欲である。千年もあればかつての禍根などは切り捨て新天地へと進出しそうなものではあるが、ことメイガルテンの人々においては、それは叶わぬ夢であった。
荒廃地帯の東の果てには、『霊峰』として謳われる天嶮・ラケルタ山が存在する。
そこまでは、入念な装備を固めた戦力を投入すれば、生きて帰れる保証はあった。
しかし、その先が問題だった。
霊峰の先に広がる、大陸奥部の未踏破地域。
まともな人間ならば足を踏み入れた途端に死に絶えると恐れられた、死の世界が広がっている。
それこそが魔族・魔獣の住処であり、全人類に恐怖をもたらす魔王の座す地───『魔界』である。
……と言うのがコウヤの教え聞いた知識である。
王都を発った彼らが向かっている当面の目的地こそ、国内東端、荒廃地帯への国境である。
そして、出発より二日目、勇者一行は早くも国境へと到達していた。
王都と国境がこうも近いのは防衛上に問題がありそうなものであるが、これは千年の内の情勢変化が根本となる問題で、ここでは割愛する。
ともかく、コウヤ達は国境へとたどり着いた……のだが。
「なぁメル」
「どうかなさいまして?」
コウヤの想像していたのは、城門のような堅牢な関所に、武装した哨戒達が詰めているという、一般的なイメージだった。
しかし、彼らを出迎えたのは、人の影すら見えない無人の砦であった。
いや、無人ではないようだが、目につくような場所に人員はいない。つまり、物凄く手薄に見えている。
コウヤの問い掛けに、メルティーアは得意気に胸を張り、指を一つたてて答えて見せた。
「それはですね、現在は国境線を更に東部へと押し上げているのですわ!」
「東に?それって、荒廃地帯に入ってるんじゃないのか?」
「正解ですわ。霊峰を越えてくる魔獣共を国内に入れるわけには行きませんもの。近頃は従来よりも国境警備隊を強化し、国境直前の水際で食い止めているんですの」
成る程と、コウヤは理解した。だが、それにしたって、従来の国境が寒々しいのは如何なものかと、彼は疑問を抱く。
「はは、大丈夫ですよ。この砦の警備主任は前近衛隊長です。私もよく知る御方で、相当の武人だ。彼ならば、前線を抜ける程度の魔獣の処理はわけもない」
「ヴァロンさん!」
馬車を車置き場に停めてきたヴァロンが、背後から近づいてきた。
世辞をあまり言わない彼が言うならば、その人物は信頼に足るのだろう。コウヤは、内心を見透かされたことも驚いたが、それ以上に安堵した。
「じゃあ、まずはその人に挨拶しとこう。通してもらうんだしな」
よし、行こうか。号令を発する様は、勇者としての責任感からか、すこし様になっていた。
ちなみに、フィオレは先程から口を開くことなく三人のすぐ側を歩いており、ルクリューはその更に後ろをのたのたと付いてきていた。
呪術師と例の二人の関係は最悪なままで、一晩たった今は、おおよそ無視による小康状態である。呪術師を居ないものとして扱えば、馬車内の息苦しさもすこしましになったという、イジメのような事態であった。
から回るコウヤに、無視を決め込むヴァロンとメルティーア、頼りのフィオレは積極的には動かず、ルクリューに至ってはそれすらも楽しんでいる有り様。
依然、チームワークの芽生える余地は無かった。
「ようこそいらした勇者殿!さぁ、こちらへどうぞ!」
砦内の長官室で彼らを待っていたのは、大柄な壮年の騎士であった。赤い髪が日に焼けた肌に映える、豪快な男である。髪と同じ色の口髭が、年季を感じさせた。
「あ、ども、初めまして、勇者のツワブキ・コウヤです」
「うむ、城より通達は聞いておりましたぞ!国境警備隊長のラッケンです。よろしく!」
ラッケンと名乗った騎士は、勢いに押されたコウヤの手を握りブンブン振ると、その隣のヴァロンに気付き、そちらへと向き直る。
「おおライナー君!久し振りだな。また騎士ぶりが上がったな!」
「こちらこそ、お久し振りですラッケン殿。此度は栄えある魔王打破の大任により、勇者殿のお力になるべく随行しております」
「“あれ”以来三年ぶりかね……いや、息災そうでなにより!」
旧知の仲らしく、二人の会話は弾んでいた。そのまま女性二人が紹介を済ませ、最後のルクリューの番となる。
そこで、ラッケンの視線が違う色を帯びた。
「よぉ、大将。俺が呪術師だ」
「ほぅ、貴殿がかの名高き!!」
勿論高いのは悪名であり、それを踏まえての言葉であった。
不遜なルクリューの物言いにヴァロンの雰囲気が険しくなるが、ラッケンは気にした風もなく頷いていた。
「成る程、随分と悪そうな風貌ですな!特にその鎖の禍々しさと言ったら」
「分かってるじゃねぇか。だが、一つ言うがな、この鎖は俺の趣味じゃねえ。嬢ちゃんのさ」
「なっ!?」
ジャラリと揺らしてルクリューが指す先で、フィオレはいかにも心外な風に眉を寄せた。
「ほほぅ、賢者殿はなかなか激しいご趣味ですな」
「ち、違います。これは封印式の一部ですから。あと私が作った式でもありませんから!」
和気藹々、なのだが、呪術師が話題に関わると若干二名の機嫌が悪くなるため、コウヤは話題をそらそうとラッケンに詰めよった。
「ラ、ラッケンさん!着いてすぐであれなんですけど、俺達は先へ向かいます。一刻も早く、魔王を倒さないと……!!」
熱い意志のこもった言葉に、ラッケンは顔を引き締めた。
皆も、コウヤに同意するようにラッケンを見る。
……否、メルティーアはうっとりとうるんだ瞳でコウヤの顔を見ており、ルクリューはどこから出したのか紙の切れ端のようなものを片手で弄っていた。
ラッケンはコウヤの熱い視線に応じ、一寸後に歯を見せて笑った。口髭が、くしゃりと動く。
「いやはや、まだ若いというのに、素晴らしき気炎だ。貴方が勇者殿として選ばれたのも、納得ですな」
若者の義心を眩しく見る老兵のように、ラッケンは目を細めた。しかし、それはすぐに厳めしく吊り上げられる。
ラッケンは声色を固くし、言った。
「しかし、この先は低級と言えど魔獣の蔓延る地。魔界に近づけば近づくほど、奴らはより凶悪になり、それだけ死との距離も濃密になってゆく。それでも、行くのですな……?」
試されているのか、コウヤには分からなかった。しかし、今更の問いであった。
逃げ出すならば、この一週間の内に逃げ出していただろう。剣を持ち力を求めた時から、コウヤの腹は決まっていた。
それは本当の恐怖を知らない無知の愚か、或いは若さ故の蛮勇かもしれないが、コウヤにとっては本心からの決意だった。
「ああ、俺は行く。守るべきものを守るために、行かなくちゃいけないんだ!」
曲がりの無い言葉は、強く響いた。それが通じたか、ラッケンは満足そうに微笑んだ。
「見事。ならばこのラッケンに勇者殿をお止めすることはできませんな────御武運を」
「ああ、ありがとう」
「ライナー君、騎士の誇りを貫きたまえよ」
「はっ、ヴァロン・ライナー。全力を以て全う致します!」
名指しの激励に、騎士団の最敬礼をもってヴァロンは応えた。
頭を下げたラッケンに礼を残し、コウヤ達は砦を後にした。
人の減った室内は、打って変わって静寂に包まれていた。
ラッケンは一人だけとなった長官室の窓から、去り行く一台の馬車を見送っていた。
荒廃地帯へと足を進めた彼らは、前途ある若者達だ。
死んでほしくはない。そう、心から彼らの旅路の無事を祈った。
やがて、馬車は地平へと消えて行く。
彼らが現在の防衛線に到達するのはおよそ半日後。そこで、彼らは最初の戦闘を迎えることだろう。
そう、勇者達は、これまでに魔獣との戦いを知らないのだ。
国境警備隊の善戦もあってか、今現在で国内を魔物に荒らされる事態は免れている。
霊峰ラケルタはそれ自身が魔界との境界となって、強大な魔物の侵攻を防いでいた。
山頂には千年前の英雄が造り上げた聖堂があり、そこから発せられる聖なる結界が巨大な魔獣に対する防壁となっている。
しかし、どうしても網目は存在し、低級な魔物は霊峰を越えてしまう。
低級といえどその力は無力な市民にとっては脅威に違いなく、軍人でもなければ相手には出来ない。
勇者の風貌を、ラッケンは思い出した。まず受けた印象は、とても英雄たる者とは思えなかった。しかし、守りたいと訴えた彼の覇気は、なるほど勇者の素質に満ち溢れていた。
だが、彼は『守る』ことの難しさをまだ知らない。
ラッケンは、初陣で酷い状態に陥る新兵をいやと言うほど見てきた。そのため、あの勇敢な少年の未来を案じてしまう。
「……いや、これは老婆心だな。私には、彼等を信じることしかできん」
閉じていた目を開くと、彼は頭を振った。
そして、思い直す。若者を信じるのは、年寄りの役目だ。
勇者はもとより、ヴァロン・ライナーというかつての部下を、ラッケンは信じている。
あの若武者は戦いを知っている。それは、勇者にとっての支えとなるだろう、と。
ラッケンは執務席に腰かけると、一つ息をついた。
これで、役目は終わりだ。
あとは今まで通り、国境線を護る者としての日常に戻る───筈だった。
『いやぁ、洟垂れのくせに抜かしやがるよなぁ。そう思わねぇか、大将』
あり得ない筈の、声がした。
「……貴殿、去ったのではなかったのかね?」
『行ったぜ?だが、此処にも居る。よくあるこった、ンなコタァどうでもいい。さして重要でもねぇ』
長官室の片隅に置かれた簡素なソファー。そこにどかりと腰を落としていたのは、黒ずくめの男だった。
去ったはずの呪術師は、支離滅裂なことを口にしながら、何事もなかったかのようにそこに居た。
その奇怪さ、底知れ無さに、歴戦の騎士たるラッケンをして背筋にうすら寒いものが走る。
しかし、それを表に出すことなく、老騎士はルクリューとの対話を選んだ。
「……ふむ、先の言葉ではあるが、確かに若さ故の焦燥とも感じられましたな。しかし、それは可能性を秘めているのと同義では?我等はそれを承知で希望を託したのです。信じずして、何ができましょうぞ」
『アンタ、こんな場所に居りゃあ詳しいんだろう。嬢ちゃんから聞いたんだがよ、ここいらの国ァちょいと面白いことになってるそうじゃネェか』
ラッケンの言を無視し、ルクリューは好き勝手に語りだした。
そしてその内容は、ラッケンを困惑させるに十分だった。
「何のことですかな?」
『どいつもこいつも、時代が変わっても馬鹿の考えるこたぁ変わんネェって話さ。いやはや、勇者サマの件と言い、人間ってのは罪深ェな』
「……貴殿も、元はその人間でしょう」
『そうさ、だから俺は人一倍罪背負ってる悪党なのさ』
的を射ない応酬に、しかしルクリューは愉しそうにゲラゲラと笑う。
ラッケンには、その真意など到底読みきれなかった。
「何故、このような真似を」
『アァ?そりゃあ、暇だったからさ。俺ァ暇ってのに飽き飽きしてんのさ。一生分味わったからなぁ。なんせ千年分だ』
「それは、お気の毒ですな」
『だろぅ?これでも知性派でね。会話に餓えてんのさ。今の環境じゃ、ちょいとでも喋りゃあギャンギャンうるせェ餓鬼共がいて嫌んなるぜ』
鎖に拘束されながらも器用に肩を竦めるルクリューに、ラッケンは思わず呆れた。
彼の言い分は、ラッケンにとってそれこそどうでもよかった。
しかし、真に恐ろしきは『その程度のこと』でラッケンの常識の及ばない行動を起こす呪術師の思考であった。
「成る程。それで、私との会話はお気に召しましたかな?」
『まぁまぁだな。まともに話せるだけで及第点ってなぁ、何とも世知辛いもんだぜ。ヒャッヒャッヒャッ』
「しかし、どのようにして此処に……?やはり、それが呪術というやつで?」
『おぅ、当たりだ。及第点に免じて教えてやらァ。つっても、大した術でもねぇ。餓鬼の遊びみたいなもんさ』
ヒラヒラと手を振りながら、ルクリューは空中に円をなぞった。
次の瞬間、呪術師の手には禍々しい緋色の目玉が握られていた。大粒のルビーの様なそれは、下手な宝石などよりも至玉の輝きを放っていた。
「ッ!?それは……」
『ほれ、手品みたいなもんさ。こんなもん隠し芸にしかなりゃしねェ』
飄々と嘯くルクリューがもう一度円を描けば、彼の手には何もなくなっていた。
ラッケンは近衛騎士であったため、魔法に造詣がある。
無詠唱での物質転移など、尋常の技ではない。
危険だと、ラッケンは感じた。
伝承に違わぬ無軌道ぶりに、何より“封印されていて尚自由に振る舞っている”という事実を、皆は知っているのかと、危惧した。
『さて、そろそろお暇するかねェ。まぁた縁がありゃあ、暇潰しにお邪魔させて貰うかもしんねぇがよ』
「お帰りで?」
『ああ。あばよ、大将』
そう言った途端、黒ずくめの大男は一瞬にして消え去った。
音も無く、空間を切り取ったように呪術師は消失していた。
ただ、彼の座っていた筈の場所に、小さな紙切れがポツリと残されていただけだった。
「ッ……よもや、あれほどとは……」
ラッケンはどっと体の力が抜けたように、背凭れに寄り掛かった。皺の刻まれた額を、一筋の汗が伝う。
辛うじて体を起こすと、疲労の消せない眼差しで窓の外を見詰めた。
そこには、得たいの知れない存在に対する、原初の恐怖があった。
「……アレを、御すだと?とんでもない……アレは、本当に解放して良かったのか……?」
勇者一行の呪術師に対する振る舞いは、その危険性を理解しているとは思えなかった。
いつなんどきあの悪党が牙を剥くのではないか。
そう考えてしまえば、ラッケンには勇者達を案じずにはいられなかった。
tobecontinued……
慢心せずして何が勇者か!