職員室の窓から
提出物のチェック、活動報告の判子、授業の準備。先生の仕事は毎日ある。でも、仕事の外にあるものが、一番目に残る。
職員室の窓から、渡り廊下が見える。
五限目が終わった直後の十分休み。生徒たちが移動教室に向かう流れの中に、二つの影を見つけた。
水瀬悠真と小坂紬。二年四組。俺のクラスだ。
渡り廊下の真ん中あたりで、二人がすれ違う。水瀬は文庫本を片手に持ったまま、小坂は友人と並んで歩いている。
すれ違う瞬間、小坂の足が止まった。〇・五秒。友人に気づかれない程度の、ほんの一瞬。
水瀬の方は止まらなかった。ただ、文庫本を持つ手の親指が、ページの上を意味もなく滑った。
それだけだった。
俺――柏木遥人は、採点途中の赤ペンを机に置いた。
……今のは何だ。なぜ俺は、三十人以上の生徒が行き交う渡り廊下の中で、あの二人だけを目で追っていた。
「柏木先生、コーヒー淹れたけど飲む?」
隣の席から声がかかった。藤原彩先生。英語科。二年四組の担任で、俺の一つ上の先輩。
「いただきます」
「その顔、また提出物で悩んでるの?」
「いえ、ちょっと」
マグカップを受け取りながら、窓の外に目を戻した。渡り廊下はもう空いていた。二つの影はどちらも消えている。
「……何でもないです」
藤原先生は怪訝な顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
* * *
気づいたのは、先週のことだった。
国語の授業。教壇から教室を見渡しながら、太宰治の「走れメロス」の一節を解説していた。
「メロスは激怒した」の書き出しについて、冒頭一文で読者を掴む技法の話をしていた。生徒の大半は退屈そうだったが、窓際の水瀬だけはまっすぐ教科書を見ていた。あいつは国語だけ妙に集中力が高い。
その水瀬の、二列隣。小坂紬が、教科書ではなく水瀬の方を見ていた。
一瞬だった。本当に一瞬。俺が板書のために振り返り、もう一度教室を向いたときには、小坂の視線は教科書に戻っていた。
角度で分かる。教科書を読んでいる人間と、教科書の方向にいる人間を見ている人間は、首の傾きが違う。教壇に立つ人間は、そういうことに気づく。
気づいてしまう。
その日の放課後、提出物のノートを回収した。国語の授業ノートは毎週金曜に集めて、月曜に返す。目を通すのが副担任としての俺の仕事だ。
水瀬のノートは丁寧だった。板書を正確に写し、余白に自分の考えを小さく書き足している。国語教師としては嬉しい生徒だ。
ページをめくっていて、手が止まった。
余白の隅。消しゴムで消した跡がある。力を入れて消したらしく、紙が少し毛羽立っている。光に透かすと、うっすらと文字の痕跡が見えた。
「こさ」
二文字で消されている。
……これは見なかったことにしよう。教師が生徒のノートの消し跡を解読するのは、仕事の範囲を明らかに超えている。
だが、目は覚えてしまった。
翌週、図書委員の活動報告を確認した。月末に副担任がチェックして判子を押す、形式的な書類。普段なら三十秒で終わる作業。
当番表が目に入った。図書室の放課後当番は二人一組で、週替わり。
月曜日:水瀬悠真・小坂紬。
前月の月曜日:水瀬悠真・小坂紬。
前々月の月曜日:水瀬悠真・小坂紬。
三ヶ月連続で同じ組み合わせ。当番表を組んでいるのは図書委員長だが、委員長は三年生で、実務は二年の水瀬に任せていると聞いている。
つまり、水瀬が自分で組んだ。
……これも見なかったことにしよう。
しよう、と思うのに、口元が緩んでいる。赤ペンの先で当番表を叩きながら、判子を押した。
* * *
月末。席替えの日。
二年四組の席替えはくじ引きだ。藤原先生が担任として仕切り、俺は後ろで見ている。副担任に席替えの決定権はない。
生徒が順番にくじを引いていく。水瀬は窓際の後ろから二番目。小坂は廊下側の真ん中あたり。
離れた。
教室のほぼ対角線。これまでは二列違いだったのが、部屋の端と端になった。
水瀬は表情を変えなかった。くじの番号を確認して、席に向かっただけ。いつもと同じ無表情。
小坂も表情を変えなかった。番号を見て、少しだけ目を伏せて、新しい席に座った。
変えなかった。変えなかったのだが。
小坂がペンケースを新しい机の上に置いたとき、ファスナーを開ける手が一瞬止まった。親指と人差し指の間に力が入って、関節が白くなったのが、教室の後ろからでも見えた。
……見えてしまった。
教壇ではなく教室の後ろにいる俺からしか見えない角度だった。前に立っている藤原先生は気づいていない。
気づいているのは俺だけだ。
ここで何かをするのは教師の仕事じゃない。席替えはくじ引きの結果であり、公正だ。誰がどの席になろうと、授業に支障はない。生徒の私的な感情に配慮して席を操作するのは、教育者として不適切だ。
分かっている。完全に分かっている。
分かっていて、胸の奥が少しだけ痛んだのは、俺の問題だ。
* * *
放課後。職員室。藤原先生が自分の席でスマホを見ながら言った。
「ねえ柏木先生。水瀬くんと小坂さんって、付き合ってるの?」
「……まだだと思います」
言ってから、気づいた。
「まだ」。
なぜ「いいえ」ではなく「まだ」と言った。「まだ」は時間の問題だという前提を含んでいる。教師が生徒の恋愛関係の進捗を把握している前提で話している。
「『まだ』って言い方、面白いね」
「……失言です」
「失言じゃないでしょ。柏木先生、あの二人のこと見てるもんね」
「見てません。視界に入るだけです」
「同じだよ」
藤原先生が笑った。俺はコーヒーを啜って、返事をしなかった。
帰り道。十一月の風が冷たい。コンビニに寄って缶コーヒーを買った。ブラック。駐車場の縁石に座って、一口飲む。
空を見上げた。暗くなるのが早くなった。街灯がぽつぽつと点いている。
高校時代のことを思い出す。
隣の席の、佐伯さん。
三年間、同じクラスだった。一年のときも二年のときも三年のときも、なぜか席が近かった。話しかければよかった。「何読んでるの」でも「ノート見せて」でも、何でもよかった。
結局、卒業式の日に「連絡先、交換しませんか」とだけ言った。佐伯さんは少し驚いた顔をして、「うん」と言った。
それきりだ。八年間、一度もメッセージを送っていない。連絡先リストの一番下に名前だけが残っている。
缶コーヒーが空になった。
俺は見守るだけだ。教壇に立って、提出物を集めて、活動報告に判子を押して。生徒の日常を仕事として管理する。それ以上は踏み込まない。
……でも。
水瀬のノートの消し跡。小坂のペンケースの手。三ヶ月続く月曜日の当番表。
あの二人を見ていると、八年前の自分が、胸の底からこちらを見ている気がする。
何もできなかった俺が。何も言えなかった俺が。
「お前はまた見てるだけか」と。
缶を捨てて、車に乗った。エンジンをかける。ハンドルを握ったまま、しばらく動かなかった。
* * *
文化祭まで二週間。
職員室の机の上に、二年四組の文化祭実行委員が提出した係分担表がある。クラスの出し物は喫茶店。藤原先生が担任として承認済み。俺は副担任として予備のチェックをするだけだ。
分担表に目を通す。
会場設営:水瀬悠真。
接客:小坂紬。
設営と接客。準備期間中の活動場所が違う。設営班は体育館寄りの倉庫と教室、接客班はメニュー試作とオペレーション練習。
接点が、ない。
……なぜ俺はそこを確認している。
赤ペンを置いた。分担表に判子を押した。仕事は終わりだ。誰がどの係になろうと、文化祭が円滑に進めばいい。それが教師の関心事であるべきだ。
であるべきなのだが。
「柏木先生、また窓の外見てる」
藤原先生が自分のデスクからこちらを見ている。
「見てません」
「目が泳いでるよ」
「……分担表の件で少し考えてただけです」
「分担表に恋愛要素はないでしょ」
「ないです」
藤原先生が笑って、自分の仕事に戻った。
* * *
文化祭前日の放課後。
教室では生徒たちが装飾と設営の最終作業をしている。壁にメニュー表を貼る者、テーブルクロスをアイロンがけする者、看板の文字を塗り直す者。
俺は職員室にいるべきだ。明日の巡回スケジュールの最終確認がある。タイムテーブルの印刷もまだだ。
だが足が教室に向かっている。
巡回だ。準備の進捗確認。それだけだ。
廊下から教室を覗いた。生徒たちが忙しそうに動いている。クラスの雰囲気は良い。文化祭前日特有の、少し浮ついた活気。
窓際で、水瀬が一人で長机を運んでいた。両手で端を持ち上げ、壁際に寄せようとしている。重そうだ。周りの生徒は自分の作業に没頭していて、気づいていない。
廊下側のドアから、小坂が入ってきた。両手にペットボトルのお茶を持っている。差し入れの買い出しから戻ったらしい。
小坂の足が止まった。
ペットボトルを近くの机にそっと置いて、まっすぐ水瀬の方に歩いていく。
長机の反対側に手をかけた。
「重いから」
声が聞こえた。小さかったが、文化祭前日の教室は騒がしいのに、なぜかその一言だけ廊下まで届いた。
水瀬が顔を上げた。
「……ありがとう」
小声だった。でも水瀬にしては声量がある。普段の半分くらいの音量はあった。
二人で机を運ぶ。壁際に着地させる。小坂が手を叩いて埃を払う。水瀬がかすかに頷く。
それだけだった。
それだけのやり取りの間、二人の間にある空気が、教室の他の場所と明らかに違った。周りの生徒は大声で笑ったり走り回ったりしているのに、水瀬と小坂の半径一メートルだけ、空気の密度が違う。
俺は廊下の壁に背をつけたまま、それを見ていた。
「何してるの、柏木先生」
振り返ると、藤原先生が立っていた。
「巡回です」
「……教室の前の廊下で壁にもたれて?」
「壁の強度を確認してました」
「嘘つくの下手だね」
藤原先生が俺の隣に並んだ。教室の中をちらっと見る。
「ああ、水瀬くんと小坂さん」
「何も言ってないですけど」
「言わなくても分かるよ。柏木先生、あの二人のときだけ顔が違うもん」
「……どう違うんですか」
「お父さんみたいな顔してる」
「二十六歳に言う台詞じゃないでしょう」
藤原先生が小さく笑った。それから、少し声のトーンを落とした。
「見守ってるだけじゃ何も変わらないよ」
「……教師が生徒の恋愛に口を出すのは」
「口を出せとは言ってない。でも、見守ってるだけで満足してるなら、それは仕事を言い訳にしてるだけだと思う」
藤原先生はそれだけ言って、職員室に戻っていった。
廊下に一人残された。教室からは生徒たちの声が聞こえている。
見守ってるだけで満足してるなら、仕事を言い訳にしてるだけ。
それは、あの二人のことだけを指しているのだろうか。
* * *
文化祭当日。
二年四組の喫茶店は盛況だった。メニューはホットチョコレートと紅茶とクッキー。手作りクッキーの評判が良くて、午前中に行列ができた。
俺は他のクラスの巡回もあるので、四組には時々顔を出す程度。担任の藤原先生が現場を仕切っている。
午後。三回目の巡回で教室に戻ると、空気が変わっていた。
客が一気に増えていた。他クラスの生徒だけでなく、保護者や近隣住民も来ている。テーブルは満席。入口に待ちの列。
接客班が回りきっていない。注文を取る生徒、飲み物を運ぶ生徒、会計をする生徒。全員が小走りで動いているのに、追いつかない。
小坂が接客の中心にいた。注文伝票を片手に、テーブルとキッチンを往復している。顔が青白い。唇が一文字に結ばれている。動きがぎこちなくなってきている。
キャパを超えかけている。
俺が声をかけるべきか。教師として、生徒の体調を確認するのは仕事だ。
足を踏み出しかけたとき、教室の奥から、水瀬が現れた。
設営班の水瀬がいるはずのない場所に、水瀬がいた。エプロンもつけていない。自分の持ち場を離れてきたのが明らかだった。
水瀬は小坂の横に立った。
「手伝う」
一言だけ。
小坂が顔を上げた。目が丸くなっている。何か言おうとして、口が開いて、閉じた。
「……ありがとう」
声が小さかった。でも、さっきまでの青白さが少しだけ引いた。
水瀬が注文伝票を受け取って、テーブルに向かった。動きは不慣れだったが、落ち着いている。声は小さいが、聞き取れる程度にはっきりしていた。
二人で並んで接客している。
水瀬の「手伝う」は、接客班への応援ではない。接客班は他にも四人いる。水瀬が行ったのは、小坂の隣だ。班の仕事を手伝いに来たのではなく、小坂を手伝いに来たのだ。
入口に立ったまま、俺は小さく息を吐いた。
「……先生の仕事じゃないな、これは」
* * *
文化祭終了のアナウンスが流れた。
片付けが始まる。テーブルを拭き、椅子を重ね、装飾を外す。生徒たちの声がまだ高い。文化祭の余韻が教室に充満している。
俺は職員室に戻るタイミングを逸していた。片付けの監督は担任の仕事で、副担任は本来いなくてもいい。だが、足が動かなかった。
生徒が一人、また一人と帰っていく。「お疲れー」「また明日ー」。文化祭の後の、独特の解放感。
教室に残る人数が減っていく。十人。八人。五人。三人。
最後に残ったのは、水瀬と小坂だった。
水瀬は窓際の机を元の位置に戻していた。小坂は黒板の落書きを消している。二人とも黙々と作業している。
俺は廊下にいた。教室のドアは半分開いている。中の声は聞こえるが、俺の姿は二人からは見えない角度。
夕日が差し込んでいた。十一月の低い太陽が教室の床を橙色に染めている。
小坂が黒板消しを置いた。振り返った。
「水瀬くん」
「……ん」
「今日……ありがとう。来てくれて」
「……別に。暇だったから」
「嘘。設営班、まだ片付け残ってたでしょ」
「……」
水瀬が黙った。否定しなかった。
「なんで来てくれたの」
小坂の声が少しだけ震えていた。問い詰めているのではない。確認している。自分の推測が正しいかどうか、怖くて確認している声だ。
水瀬が窓の方を向いた。夕日が横顔を照らしている。
「……小坂の顔色が悪かったから」
「見えたの? 設営班の場所から」
「見えた」
「……遠いのに」
「見てたから」
教室が静まった。夕日の光の中で、二人だけが立っている。
小坂の耳が赤い。声が小さくなる。でも、消えない。
「私も……見てた。水瀬くんのこと。設営で机運んでるの、見えた。教室の外から」
「……」
「ずっと。最初から。ずっと見てた」
水瀬が振り返った。小坂と目が合った。
二人の距離が、半歩だけ縮まった。
……それ以上は見てはいけない。
俺は音を立てないように廊下を下がった。三歩。五歩。教室の中はもう見えない。
壁に背をつけた。天井を見上げた。蛍光灯が白く光っている。
胸の奥で、何かが温かかった。
* * *
職員室。
机の上に学級日誌が開いてある。今日の担当は水瀬だった。藤原先生が「最後の人が書いて出してね」と言っていたはずだ。
水瀬の字で、今日の記録が書いてある。
「文化祭当日。喫茶店は盛況。来客数は推定二百名。大きな問題なし」
大きな問題なし。
その下に、副担任の欄がある。俺が一言コメントを書いて判子を押す。形式的な仕事。毎日やっている。
ペンを持った。
「文化祭、無事終了。特に問題なし」
書いた。ペンが止まった。
……問題なし、か。
本当は書きたいことがある。お前たちの距離が今日、確実に縮まったこと。設営班を抜けてきた水瀬の判断が、教師としては減点対象だが人間としては百点だったこと。小坂の耳が夕日より赤かったこと。
日誌に書くことじゃない。
先生の仕事は、成績をつけて、授業をして、提出物を管理して、行事を回すこと。席替えのくじを公正に引かせること。活動報告に判子を押すこと。
生徒の恋を見守るのは、仕事じゃない。
判子を押した。日誌を閉じた。
藤原先生の席は空だった。もう帰ったらしい。机の上にメモが一枚。
「お疲れさま。今日の巡回、長かったね(笑)」
……全部ばれている。
鞄を持って、職員室を出た。
* * *
帰り道。
空が橙色と紺色の境目にいる。十一月の日没は早い。
コンビニには寄らなかった。缶コーヒーを買って縁石に座る気分じゃなかった。真っ直ぐ車に向かって、エンジンをかけて、でも発進しなかった。
ハンドルの上でスマホを開いた。
連絡先リスト。スクロールする。下の方。ずっと下の方。
佐伯。
卒業式の日に交換した連絡先。八年間、一度も使っていない。表示名すら変えていない。高校時代のまま。
三年間、隣の席だった。話しかけたかった。「何読んでるの」でも「ノート見せて」でも、何でもよかった。水瀬と小坂がやっているような、小さな口実の一つでもあればよかった。
でも、何も言えなかった。三年間。何も。
卒業式の日。最後の最後に「連絡先、交換しませんか」とだけ言った。佐伯さんは少し驚いた顔をして、それから笑って、「うん」と言った。
あの「うん」の温度を、まだ覚えている。
その一言をもらっておいて、八年間何もしなかった。
水瀬は動いた。自分の持ち場を離れて、小坂の隣に立った。「手伝う」と言った。たった一言。でも、それで十分だった。
小坂も動いた。「ずっと見てた」と言った。声は震えていた。でも消えなかった。
十七歳の二人が動けて、二十六歳の俺が動けないのは、何なんだ。
メッセージ画面を開いた。カーソルが点滅している。
何を書けばいい。八年ぶりの相手に。「元気ですか」は白々しい。「覚えてますか」は重い。「久しぶり」はカジュアルすぎる。
どれも違う。どれも足りない。でも、完璧な一文を考えていたら、また八年経つ。
水瀬のノートの隅に書きかけて消した「こさ」の二文字が、頭をよぎった。
あいつは書こうとして、消した。でも痕は残った。
俺は、痕すら残してこなかった。
指が動いた。
「お久しぶりです」
たった一行。五文字。
送信ボタンの上で親指が止まっている。心臓がうるさい。馬鹿みたいだ。二十六歳の教師が、スマホの前で高校生に戻っている。
あの二人を見ていたら、見守るだけの側にはいられなくなった。
先生の仕事じゃない。
でも。
親指が画面に触れた。
送信済み。
車内に静寂が戻った。エンジンの低い音だけが鳴っている。
スマホの画面が暗くなる。しばらく見つめていた。返信は来ない。既読もつかない。当たり前だ。八年間放置した相手からの突然のメッセージだ。
スマホをポケットにしまった。ギアを入れた。
車を出す。窓の外の空はもう紺色が勝っている。橙色は西の端にわずかに残るだけ。
信号で止まった。ポケットの中でスマホが震えた。
取り出す。画面を見る。
佐伯。
既読。そして、返信。
「久しぶり。覚えてるよ。隣の席の柏木くん」
信号が青に変わった。後ろの車がクラクションを鳴らした。
俺は少しだけ笑って、アクセルを踏んだ。
ノートの隅の消し跡。ペンケースを開く手の硬直。三ヶ月続く月曜の当番表。「手伝う」の一言。「ずっと見てた」の震え声。全部、先生の仕事の範囲外だ。でも、見守るだけの側にはもういたくなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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