表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

第8話

 真冬の朝はいつも張り詰めている気がする。湿気が無く、乾いているせいなのか、それとも寒くて気が落ち込むのか、それとも今日緊張しているだけなのか。アッシュが僕の目の前から消えてから半年が経った。あれから何の代り映えのない日々を送り、いや、受験のために日々勉強のための日々を送っていた。そして気づけば受験日当日の朝を迎えていた。受験日当日の朝はきっと僕よりも母の方が緊張していた。僕はテーブルに出された朝食を見つめていた。

「お母さん、朝からカツ丼は食べられないよ」

元々食が細い方なのだ。

「でも⋯、そう、そうね」

「消化に悪いもの食べる方が駄目なんだって。いつも通りご飯と味噌汁でいいよ」

気持ちはわからないでもないけど、食べられないものは食べられない。母の気持ちより今は受験の方が大事だ。ゲン担ぎよりも僕の胃腸の調子の方が大事だ。

「⋯ないならコンビニで買ってくるけど」

「いや、ご飯も味噌汁もあるよ。用意するね」

母は過剰なくらい僕に気を遣ってくる。いつもこんな感じではない。そういう時期なのだ。

「⋯うん」


 朝食を食べ終わると直ぐに歯磨きを行った。

「⋯⋯」

八重歯なんて生えてない普通の歯。昔矯正をしていたから歯並びは良いほうだ。歯磨きもそこそこにして受験票の確認をする。昨日読んだ内容と変わらない。今日が受験日で、今日が最後の試験だ。

「迷わない様に地図調べた? 時刻表は? ハンカチは? チョコ持っていって休憩時間に食べてね。頭が活性化するから」

「今、全部スマホで調べられるから」

僕がいつもだらしないのはわかるけど、ここまで心配されるとは。これでは受験会場に行くまでに疲れてしまいそうだ。

「本当に大丈夫?」

「大丈夫だから」

お母さんの手の熱で溶けてしまいそうなチョコを受け取った。

「あっ」

「どうしたの?」

「ううん。何でもない。行ってきます」

そう言って玄関に手を掛ける。

「いってらっしゃい」

「お母さん⋯」

「なに?」

別にこれはアイツが言ったことを真似したわけじゃない。

「⋯ありがと」

それだけ行って家から出た。

これは僕がそうしたかったからそうしただけだ。


 塾の先生が言っていた。

受験当日に特別なことは起こらない。どれだけ準備不足じゃなかったかが問われる。運で当たったと思うようなことも、不運で当たったと思う様なことも、結局は準備できたか、できてないかの違いでしかない。

 その言葉通り僕はトラブルもなく、試験が終わった。逆に心配なくらいに何事もなく終わった。


 試験が終わると既に外は暗かった。試験のことはどうだったって?

わかんない。

滅茶苦茶できた気もするし、全然駄目だった気もする。まあ、結果が発表されるまでどうなるかわからないのだ。今気にしてもどうしようもない。それよりも喜ぶことは試験が終わったことだろう。これで全ての娯楽が解禁された。僕は自由になった。試験勉強は長かった。ユーチューブもXもインスタ(やってない)、ティックトック(やってない)、ビーリアル(誰がやるかボケ)も全て封じた。5つもSNSを封じてしまうなんて、なんて僕は勤勉な人間なんだろう。

 もうここからは勤勉な人間を卒業する。ここからは悪逆の限りを尽くし、勉強もしない。久しぶりにゲームがしたい。スイッチ2ってもう買えるかな?

 受験した高校から駅までは少し歩いた。僕の前後に歩いている制服の人達がいるが、誰も彼も同じ受験者だろう。俯いている人もいれば、楽しげに談笑する人もいる。同じ様にボッチの人も多いので、誰か周りで話していても気にならない。


 帰りの電車で座れると僕は直ぐにアンインストールしていたXをダウンロードして、ログインした。受験が終わった直後にすることがそれでいいのかって? 

いいのだ。

しばらく使ってないと凍結されると聞いていたけど、大丈夫みたいだ。

しばらくぶりのXは何ら変わりなかった。もっと何か素晴らしいことがあるかと思っていたが、何にもない。いや、むしろこんなにもXって面白くなかっただろうか。コールドスリープから目覚めたくらいの変化を期待していたが、特段変化はない。わかることは、ただ知らない情報の波が押し寄せ、そして、僕がその波に乗れてないという事実だけだ。

 タイムラインの内容が良くないかもしれない。僕のことを陰キャだと思っている人達は、僕のタイムラインをアニメとゲームしかないと思っているかもしれないけど、意外にも硬派なタイムラインだ。主に洋楽や洋画がメインで流れてくる。そりゃあたまにはアニメの情報も流れてくるけど、目に付くから見てるだけで、別にメインで見ている訳じゃない。偶然目に付くだけだ。ほら、こういう記事を見る方が多いぞ。対して中身も見ず、音楽関係の記事を発信するアカウントを開いた。

「え?」

電車の中でXを見て声を出すなんて馬鹿みたいだ。

でも、驚かずにはいられなかった。

『新進気鋭のスリーピースバンド「———」が3月15日渋谷に参戦』

別に記事のタイトルに惹かれた訳じゃない。ちゃんと見ていなかったから、バンド名すら覚えていない。ただ開いた記事の写真には見覚えのある顔が写っていた。

「———アッシュ」

記事の写真に載っていたのは、アッシュだ。どう見てもアッシュだ。

それにアイリもいる。

確か前に話した時、ベースがどうこう言っていた。

———バンドやってたんだ。

そんなことも知らなかったという気持ちとそれを知ったから何なんだという気持ちで一瞬グチャグチャになった。じゃあ、なんで好きなアーティストを教えてくれなかったんだ。その思いが脳みそをチラついては、黒板消しで消すように消した。

「⋯⋯ない」

関係ない。

ただ知り合いが記事に載っていたというだけだ。犯罪で載っていた訳じゃないんだからいいだろう。びっくりしたけどびっくりしただけだ。その記事を閉じると他の記事を探す。何か意味がある行為ではなかった。何か誤魔化す様に画面をスクロールさせた。


 家に帰るとリビングから笑い声が聴こえてきた。どうやらお父さんも早く帰ってきているみたいだ。

「アキラがこんなに勉強に熱心になるとはな」

お父さんがこんなにも上機嫌なのはお酒を呑んでいる時だけだ。こういう時のお父さんは大抵ウザイ。まあ、流石に娘の受験に変なことは言わないだろう。

「あなた、何であの娘が勉強する様になったか知らないの?」

「何? 普通に受験を頑張ったんだろ」

「違う、違うの。あの娘失恋したの」

「え!? そもそも彼氏がいたの!?」

「なんで知らないのよ。よく家に来てたでしょ」

「知らないよ〜」

そうじゃない!

アッシュは。

「違うよ!」

リビングに入るとお父さんとお母さんがいた。食卓にはローストチキンが乗っていた。

「あなた、帰ってきたらただいまくらい———」

「アッシュは彼氏じゃない!」

自分でも何が言いたいかわからなかった。でも、言わないといけなかった。

「勉強頑張ったのは、焦ったからだし、失恋というか付き合ってすらいない」

こんなに否定したって意味がない。ただ気まずく、お父さんとお母さんが笑うだけだ。

「まあ、座りなさいよ」

「寝る」

「え?」

「疲れたから寝る!」

そう言って部屋に戻るとそのままベッドに横になった。時計を見ると7時くらいだ。妹もまだ帰ってきてない。

 受験が終わって何もかも解放された気になった。世界を滅ぼしたって許されるくらい自由を得た気になっていた。でも、現実はそんなことはない。馬鹿みたいだ。

 ずっと。

ずっと何処に行っても、アッシュの影が見えてくる。まるで自分の影みたいに逃げても追ってくる。受験勉強の間は見ないように必死に覆い隠した。ちょうど見ない様にするには都合が良かった。でも、今は何も隠せない。裸になったみたいに見られたくない物を見られ、見たくないものを見ている。

「⋯なんでだよ」

目頭が熱くなる。

心の中に突き刺さった楔が周りに当たってつっかえる。つっかえる度にアッシュの存在を思い出して痛い。忘れてしまうには存在が大き過ぎる。


「お姉ちゃん!」

妹がドタドタと音を立てながら、部屋の前まで来た。小学六年生になる妹が私の部屋に来るのは大抵文句を言いに来る時だ。

もう、こっちは自分の感情で忙しいんだよ。

「お姉ちゃんさあ。お母さんが折角ご飯作ってくれたのに、食べないって何なの!」

さっきまであの部屋にいなかった癖になんだよ!

あーもう!

「煩い! 黙ってて!」

「受験終わったら、終わったらって誤魔化してたけど終わったでしょ! ちゃんとしてよ!」

「黙ってろって言ったよね!」

「〜〜〜〜ッ!」

キーキー騒いで何言ってるかわかんねえよ!

妹は扉越しにしか言ってこない。部屋には入ってこないので無視を決め込んでいるとお母さんがやって来る音がした。

「アキラ、ごめんね」

「なんでお母さんが謝るの!」

妹が癇癪を起こしたのをお母さんが宥めた。

「お母さんがさっきアキラを怒らせちゃったの。アキラ、後で良いから温めて食べてね」

妹がお母さんに何かを言ったのが聞こえたが、何を言っているかまではわからなかった。

「⋯⋯」

妹に言われなくたってわかっている。どう考えたって僕が悪い。怒ったとしてもご飯だけでも食べれば良かった。

腹の虫が鳴った。

何なら家に帰った時点でお腹が空いていた。今日は受験で頑張ったし、ローストチキンが食べたかった。お母さんは僕のことをよくわかっている。

でも、気まずいからまだ食べない。

眠くはないけど、目を瞑った。

空腹も怒りもアッシュも今はまだ考えたくなかった。


 目が覚めると寝ていたことに気付いた。時計を見ると一時を既に回っていた。

「ヤバッ」

寝ようと思ったが寝るつもりはなかった。ベッドから飛び降りて部屋から出た。

 リビングに降りると食卓にローストチキンが置いてあった。ラップで包まれて切り分けられている。飲み物を取ろうと冷蔵庫を開けた。ケーキがあった。僕が好きなチョコケーキだ。きっと今日受験が終わったからってことなんだろうけど。

「⋯⋯クリスマスかよ。まだ受験が終わってないよ」

結局試験結果が出るまでは何も終わりじゃない。

「⋯⋯」

チキンを温めながら、何で怒ってしまったかを考えていた。今更になって妹の正論が染み入る。

「お母さんが折角ご飯作ってくれたのに、食べないって何なの!」

本当にそう思うよ。

でも、お母さんの過剰な褒める行為は好きじゃない。周りと比べてもそうだけど、多分妹と比べても自分は『できない子』なんだと思う。四歳も離れた妹と比べてだ。だからお母さんは何処か僕のことを諦めている。でも、それを隠そうとして過剰に褒めたり、祝ったりする。それが悪いことだとは思わないし、普段から怒られるよりは良い。

ああ、これは怒ったことと関係ないな。

怒ったのはアッシュを引き合いに出されたからだ。勉強頑張ったのも、僕がやる気を出したからでアッシュの為に頑張った訳じゃない。僕は僕の為に頑張った。なのに、それが否定されたみたいに思ってしまったのだ。アッシュがいなくたって僕は頑張れる。そう思って頑張って来たのに、アッシュがいなくなったから頑張ったなんて言われては僕の感情の置き所がない。

 いや、事実そうだ。

僕は自分のやる気のなさを知っていた。受験勉強は確かに頑張っていたけど、今は空気が抜けたみたいに立ち上がる気が起きない。その受験勉強だってアッシュがいなくても、頑張れるんだぞって見せたかっただけなのだ。

ちっぽけな意地だとは自分でも思う。

ただ、また会った時に情けない姿を見せたくなかった。

 でも、それって結局アッシュの為に頑張ったのと何ら変わらない。

「受験期間に気付かなくてよかったな」

こればかりは自分の馬鹿さが役に立った。


 アッシュは、アッシュは僕のことを叱ってくれた。お前は人間関係のここが下手って言ってくれた。人と喋る時はイヤホン外せって。スマホを見るなって。挨拶をしろって。ありがとうと言え、ごめんなさいを言えって教えてくれた。『普通の人』だったら教えて貰う必要もない。ちっぽけなこと。僕が出来なくても笑って何度も教えてくれた。僕は反発したけど。吸血も何度も噛んで飲めるか試させてくれた。諦めて最初から口移しさせてくれても良かったのに。アッシュはずっと我慢してくれてた。


ああ、そうか。

気づくと既にチンが終わって、何度もタイマーが鳴る電子レンジを置いて、夜に駆け出した。外の空気は突き刺す様に寒い。こんな薄着で出るべきじゃない。それでも家から引き返さなかった。足は一切止まらず、ある場所に突き進んでいた。

あの時の夜の公園は、まだそこにあった。

昼間に何度か前を通ったが、あの時の公園ではなかった。

「アッシュ」

あの時、あの場所に立つ。時間も同じくらい、今この場所はあの時の公園だ。だけど役者が足りない。アッシュはここにはいない。居なくなってしまった。

ここに立って何でアッシュに怒ったのかわかった。

裏切られたと思っていた。

だからあの時裏切られた気になったんだ。

吸血鬼から人間に戻されたから怒っていたわけじゃない。アッシュが何の相談もなく、人間に戻したのが、途中で諦められたみたいに思ったんだ。

いつも僕を見てくれていたのに、ついに諦められたと思った。

勿論吸血鬼に成れたら人と違うものに成れると思っていた。怪力で、自由に生きて、超能力だって使える。でもそれはちっぽけな願望だ。本当の理由じゃない。

僕が本当に吸血鬼になりたかった理由。

それは———


アッシュの隣にただ居たかっただけだ。


そう言葉にした時、やっと言葉にできたと思った。

こんなちっぽけで単純なことなのに、それがわからなかった。

僕が何か間違えたら怒って欲しかった。

吸血鬼から人間に戻されたのだって、何か僕がしたから怒ったのだと最初は思っていた。

だから僕はいつも通り反発した。

アッシュに甘えて、アッシュがそれでも何とかしてくれると思って。

我儘を言えば何とかなると思っていたのだ。


僕は馬鹿だ。

それさえ言えれば喧嘩なんてしなくても良かった。吸血鬼になることはできなかっただろうけど、アッシュが今頃隣にいたかもしれない。

「絶交」とすら言わなかったら、仲直りできたかもしれないのに。


「アッシュ———」

必死になって『X』を開いてアッシュが写っていた記事探した。二十分は探した。でも、見つからない。

「アッシュ」

履歴を探した。

ない。

グーグルの検索エンジンに思いつく言葉を入れても見つからない。なんてバンド名かも思い出せない。

「———会いたいよ」

5ヶ月前までは顔が見たくなくても会うことができた。

でも、今はどれだけ電子の海を彷徨うとも見つからない。

どれだけ一目見たくても見ることさえ叶わない。

「僕もバンドが好きなんだ」

アッシュに言いたい。

「吸血鬼はロックなんて聞かないと思ってた」

膝から崩れ落ちた。

「ごめんなさいって、ありがとうって言いたいよ」

どれだけ伝わって欲しくても夜月が全て吸ってしまった。月面の荒野はずっと荒れている。大気がないから宇宙からの飛来物を全面に受けてしまう。大気がないってことは音が鳴らないということだ。だから月には音は届かない。月にアッシュがいる訳ではないけど、この公園には僕と月しかいなかった。でも、その月ですら僕の戯言を聞くことは出来なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ