第3話
「獲物」を探す途中でアッシュはいきなりこんなことを言ってきた。
「お前って他人に対していつもそんな感じなの? それとも俺を警戒している?」
「———そんな感じって?」
「ぶっきらぼうというか、―――心を開いてない感じ」
自分の態度が悪いというのは自覚があったけど、こんなにもぶっきらぼうなのは、このアッシュとかいう吸血鬼だからではない。お腹が空いているからな気もしたし、元々こんな感じだった気もした。そもそも僕がどんな喋り方をするかを判断するには、人と喋る数が明らかに足りてなかった。
「いつもこんな感じだよ」
「ふーん」
こっちに興味があるんだが、ないんだかわからない。
「吸血鬼になるって言ってあんまり驚いてなかったけど、どう思っているの?」
どう思っていると聞かれても答えられない。
「別に」
なんとも思っていない。
「まあ、よくわからんか」
優しく笑いかけられるが、僕に一体どんな反応を期待しているんだ。
でも、吸血鬼だなんだはまだよくわからないけど、血を吸うという行為に対して、期待をしていたのは確かだった。もちろん喉の渇きを感じていたからというのはある。でも、それだけじゃない。
「でも、吸血は少し興味あるかも」
「吸血? なんで?」
僕にはまずそれに疑問を持たれるというのが、よくわからなかった。まだ、吸血鬼になった実感は湧かないけど、吸血をすれば吸血鬼になったという実感が湧くだろうと思った。それにトラックに引かれて異世界に行くとか、そんな妄想よりも現実的で非現実的な日常の「始まり」という感じがした。きっと僕は吸血をしてから吸血鬼の仲間入りを果たすのだろう。
それを話すとあまり興味なさげに「ふーん」と言った。
「なに?」
なんだか馬鹿にされているみたいに感じた。
「いやいや、馬鹿にしてないよ。でも、人間だって食べ物の素材の良し悪しについて話すことはあっても、噛んだり、飲んだりすることに興味ありますって言われたら、少し奇妙な感じがするだろ」
確かにそれはそうだ。
「まあ、でも最初だとそういう感情になるのかなって」
なんだか初心者が浮かれているみたいだ。でも、君だって初心者だったときはあるだろ。
「アッシュは吸血鬼は誰にしてもらったの?」
「誰にしてもらったも何も、生まれてからずっと吸血鬼だ」
なかったみたいだ。
「そっか、そういうものもあるんだ」
なんかの漫画かなんかだと真祖と言う奴だ。生まれた時からの吸血鬼。対して僕は吸血鬼にしてもらった吸血鬼。
じゃあ、僕のこの高揚感をアッシュは理解することはないのだろう。
あれ? そう言えばなんで僕を吸血鬼にしたんだろう?
たまたま死にかけていたから?
確かにそれが理由としては正しい気がしていたけど、本当にそうなのだろうか? このアッシュという人が優しいか優しくないかで言えば優しい。しかし、優しいから吸血鬼にするのだろうか? そこに疑問を持ってしまう。
目の前にいるから聞けばいいんじゃないか?
「ん? どうした?」
「———いや、なんでもない」
なんでかわからないけど、聞かなかった。
聞けなかったわけではない。
それにもしかしたら吸血鬼って気軽に仲間を増やすのかもと思ったし。
まあ、また機会があれば聞けばいいか。
「ああ、あれでいいや」
いい感じの獲物を吟味していたのかと思ったが、まるでなんでもいいかのように適当に選んだように見えた。お腹が空いて適当な店に入るみたいな気軽さだった。50メートル先にいるスーツ姿の女の人が何故か突っ立っていた。その人に向かって歩くのだが、一つ疑問が浮かぶ。なんで身動きもせずに立っているのかと。スマホを弄って待っているわけでもなく、ただ直立不動で糸に吊るされた人形の様に立っていた。その理由は近づくとすぐにわかった。その人は立ったまま意識を失っていたのだ。口を大きく開き、よだれを垂らしながら立つ姿はどこか人間味が感じられない。おそらくこのアッシュとかいう吸血鬼が何かをやったのだろう。
「いいぞ。吸って」
僕は唖然とした。そんなのわかるはずがない。料理をしたことがない人間が素材そのものを前に、何もできないように、僕だって生の人間を目の前にされたってわからない。齧り付けとでも言うのか?
いや、言いそうだなと思ってそれを言うのは止める。
「わかんないよ」
「何がだよ」
「いや、どうやって吸うんだよ」
アッシュはまるで僕が我儘を言ったかの様にため息を吐いた。
「仕方がないな」
「いや、僕悪くないでしょ」
アッシュは女性のシャツのボタンを一つ一つ外していった。何かイケナイことをしているみたいで、止めようと手を出したものの、それが血を吸うために肌を露出させているのだとわかってしまった。ワイシャツを肌けさせるとブラジャーの紐が見える。同じ女性として文句でも言うべきなんだろうが、何も思いつかない。僕のためにこの女の人を肌けさせたのだから。
「そんなに飲みたいのか」
静止させようと出した手を軽く握られる。どうやら早く飲みたくて手を伸ばしたんだと思われた。
「そんなわけないでしょ」
手を弾いて女の人に近寄る。後は歯の尖った部分で吸えばいいんだろう。と意気込んだものの。
「ふんっ、ふ~ん」
つま先立ちでも女の人の肩に届かない。背伸びしてやっと鼻の位置に肩が来る。口の位置よりも肩の方が高く、嚙めそうにない。後ろでクククと笑う声が聞こえる。
「う、うるさいなあ。笑わないでよ。ねえ、この人———」
座らせてと頼もうと振り向いたら、急に視界が高くなった。子供みたいに脇を持たれて上げられたのだ。
「いや、この人をしゃがませてくれればいいから」
中学3年生でこんな抱っこをしてもらうのは流石に恥ずかしい。
「こっちの方が手間がかからないから」
ニヤニヤと笑っていて、人が恥ずかしがっているのを楽しんでいる。どう考えてもそうだ。多少暴れたが、脇を抱える手があまりにも僕をがっしりと固定しているので、暴れてもびくともしない。それにどうやらこの状況を楽しんでいて、降ろしてくれるとは思わなかった。
早く吸ってしまおう。
そう思って肌に牙を立てるのだが、上手くいかない。ただ首元が唾液でいっぱいになるだけ。想像では、2つの八重歯の先端を肌に突き立てれば、綺麗な穴が空くと思っていた。力が足りない? でも、本気で噛んだら痛いよな。
「不器用だねえ」
笑っているのか。馬鹿にしているのか。抱えられているので、顔も見れない。
「お前は綺麗にできるの?」
反骨心が湧いて、少し強気に言った。
それを受けて、僕を抱えながら女の人に噛みつくと綺麗に首元に真っ赤な赤い点を2つ開けた。ちょうど僕の想像みたいに綺麗な2つの穴だ。流石に上手かった。ここで文句を言うほど馬鹿じゃない。言うなればストローの封を開けてもらい、飲み物にストローを挿してもらったところだ。これ以上何を間違えるのか。後は吸うだけだ。
そして2つの真っ赤な点に口を付けた。
あれこれってどうやって飲むんだ。ストローみたいに飲めると思ってたけど、犬歯を穴に挿したところで飲めなくないか?
試行錯誤をしてどうにか飲もうとしていたところ肩から引き剥がされた。
「あっ、いや飲んでるから」
飲み終わったと勘違いしたから、僕を抱えるのを止めて降ろしたのだと思った。しかし、実際には違った。あまりにも集中していたので気づかなかったが、アッシュは腹を抱えて笑っていた。自分の顔がみるみると赤くなるのがわかる。
「馬鹿にしないでよ」
「何? ストローでうまく飲めない赤ちゃんですか?」
ネットに毒されている僕にとって「何?wスwトwロwーwでwうwまwくw飲wめwなwいw赤wちゃwんwでwすwか?w」と聞こえてイラついてしょうがない。
彼の言っていることのイメージが簡単についてしまって顔が真っ赤になる。
「うるさい」
強がって怒ってみるが、笑いこけている人にはまるで意味がない。どんどん泥沼に足を突っ込んで抜け出そうとすればするほど、深く嵌まってしまうかのように、弁解すればするほど恥ずかしさ増すばかりだ。
「あー、笑った」
「うるさい」
恥ずかしい思いをしたからなのか急にお腹が空いたのを感じた。どちらかと言うと空腹よりは飢餓という感じが強く、何か食べなければ倒れてしまいそうだった。だが、生命の危機より恥ずかしさの方が勝った。飢餓を感じる癖して、あの真っ赤で美味しそうな血液は飲めないし、欲望に従って口を付けようものならまた笑われるに決まっている。
「もういい」
笑われるくらいなら飲まないほうがましだ。
「怒るなって」
「怒ってない!」
「しょうがないな」
そう言って女の人の首に口を付けた。僕の前で吸うなんて性格悪いだろこいつ。ホームレスの前で焼き肉食う並に最低。いや、人の失敗を笑う時点で最低なやつだった。
アッシュが女の人から牙を外すとまるで見せつけるようにこちらを向いた。
「あのさ———」
文句を言ってやりたくて言葉を発しようとするのだが、それを阻むように、顔を大きな手で包むように固定された。
最初に感じたのは味覚だった。今までに味わったことのないような濃厚な血の味。もしかしたらワインってこういう味がするんだろうか。甘く、口の中で絡みつく。その香りは、口の中から鼻へと向けて流れ、その味を鮮明にさせる。ゴクリと気づけば、喉が鳴っていた。僕はそれが「血液」だと知覚する前に飲み干していた。ああ、ついにこの液体を体に入れてしまったのだ。喉を通り、胃の中をそれが潤す。まるでそれは全身に駆け巡るような酩酊感を感じさせる。そしてそれは、まだ終わらない。気づけば求めるようにそれを吸っていた。
しかし、これはどこから来ているもの?
それを考えると咄嗟にアッシュの手を引き離そうとする。それは顔に引っ付いているかのように離れず、そしてアッシュの「唇」もまた「唇」を離さなかった。
「んん~」
理性はアッシュを引き離そうとする。しかし、その血液を甘美と感じる体はそれとは反対に血を飲み干そうとしていた。体が酸欠になって幕が下がるように意識が途絶えようとしているのにアッシュは外さない。涙目になるのも構わず、アッシュからの血液が止まるまで僕は吸い続けた。
「ぷはっ」
体に足りない酸素を大きく取り込む。目尻から一滴涙が落ちた。
「まさかお前が飲み干すまで外さないとはねえ」
「外さなかったのは、君でしょ」
「俺の口に残る血液まで舐め取ろうとしたのはどっちだよ」
僕の記憶ではそんなこと覚えていなかったが、確かに最後に舌に残る感触は歯の感触だった。自分の歯の感触とは少し違っていた。
しかし、どっちが悪いかなんてはっきりしている。アッシュが絶対的に悪いはずだ。
「あ、あんなやり方で、コップに入れるとかあったでしょ」
「馬鹿。酸素にできるだけ触れないようにしてるんだよ。血が飲めない子供にやる伝統的な方法だよ」
伝統的という言葉が何を意味しているのか分からなかったが、正しいことを言っている気がして何も言い返せない。
「馬鹿、アホ、最低クズ」
言い返せないからって、言い返さない理由にはなりえない。
目からまた一滴雫が落ちる。
「これは」
これは涙じゃない。この涙はきっと酸欠によって苦しいからでた涙だ。そう、言い訳———じゃなくて説明しようとしたときだった。
フラッと体が揺れた。
「おっと」
さっきまで前にいたはずのアッシュは後ろにいて、体を支えてくれた。
「初めての血液で体が興奮しすぎたのか、それとも——だ」
声が出ないながらに小さな声で反射的に「違う」と言った。
「わかった。わかった。後片付けは俺がしておくからお前は眠れ」
さっきまであんなに眠っていたのに、また睡魔が襲ってくる。体がフワッと浮く。抱えられた?そんな気がするが、確認するよりも先にまぶたが落ちる。
「お腹いっぱいで眠くなっちゃうのは、本当に赤ちゃんみたいだね」
アッシュが笑うが、反論する気がないくらいに、眠気が勝った。彼が鼻歌で子守唄を歌う。聞いたことのある曲の気がしたが、分からなかった。
そのまま吸い込まれるように意識を手放した。




