第10話
場違い感。この言葉をこれほど考えたことはない。人生においてここまで胃が痛くなったことはないだろう。
「帰りたい」
グーグルマップで何度も場所はあってることを確認したし、地図上にアップロードされている玄関の写真とも合っている。
合ってしまっているのだ。
なんで陰キャがここにいるんだ。そう言われたって仕方がない。服装も合ってないし。
アッシュに呼ばれなきゃこんなとこ来ない。
「やっぱり帰りたい」
ライブハウスという普通縁が無い場所に入るのは勇気がいる。ちょうど目の前を歩く人間が入ったので、その後ろに付いていった。
「ナギサちゃん、こんな所で演奏してるんだ」
「かっこいいね」
目の前にいる人は、やっぱり友達がやるのを聞きに来たんだ。僕とは違う。やっぱりここは陽キャハウスなんだ。周りは友達と来ている人ばかり、きっとボッチの中学生は僕だけなんだ。
「ドリンクは?」
受付の怖いお姉さんにチケットを渡したら、いきなりそんなことを言われ身体が硬直する。もしかしてまた何も話を聞いてなかったか?
「うちはチケットにドリンクがついてくるから」
つまり何か頼めってことか?
「め、メロンソーダで」
メロンソーダを待っている間、何か話しかけられるかもと身構えていたのだが、何事もなかった。
「初ライブ楽しんでね~」
ニッコリと手を振られた。
「......」
そんなこと言われるなんて思っていなくて無視してしまった。そんなに初心者感でてるのかな? もっと玄人感出すべきか? いや、どう出すか知らないけど。ていうか、あのお姉さん笑って接客とかしないかと思ってた。びっくりした~。
「よっ」
———死んだ。
これが噂に聞く陽キャ。やっぱりライブハウスは、陰キャが存在していい場所ではない。見ず知らずの人に声かけるなんて頭がおかしい。これはカツアゲだ。飛んだってお金は出てこないぞ。
「おい、固まるなよ。何か悪いことしたみたいだろ」
いや、私に話しかけるのは、悪だろ。
「って、アッシュ」
話し掛けて来たのが、アッシュだと気付くのにしばらく掛かった。ただ、あれだけ喧嘩したのに、話しかけられるんだとも思った。何だか話しかけづらいと思っていたのは僕だけみたいだ。
「ねえ———、やっぱやめとく」
「なんだよ」
そう言って苦笑した。でも、いつもみたいに小突いてはこなかった。
「それよりももう卒業式終わって冬休みか? 平日だから来れなくてもしょうがないと思ってたけど」
「卒業式はバックレちゃった」
そう言うとアッシュはグリグリと頭を雑に撫でた。
「⋯痛いよ」
でも、少し嬉しくもあった。マゾ的な意味ではなく、じゃれあい的な意味だ。
「卒業式よりもこっちのライブが良いか?」
そう言って笑う。
「そう⋯かも」
本当は全面的にYesなんだけど、少し気恥ずかしい。
「ちなみに高校は⋯いや、辛いことがあったら言わないでもいい」
「行けたよ! なんで卒業式出ないことより気を使われてるんだ!」
「なんだ。夏休み超えても全然勉強進んでないから諦めたのかと思ってたぞ」
「頑張ったの!」
誤魔化す様に頭をまたグリグリとやる。
さっきからそれはなんだ。
「本当にあの後、頑張ったの」
「「⋯⋯」」
別に強調するつもりはなかったが「あの後」と言った後、僕もアッシュも黙ってしまった。
気まずいんだけど、アッシュも同じで嬉しくなってしまった。
だって何も気にしてないみたいに話しかけられたから、本当にどうでもいいのかと思ってしまった。
本当はさっき僕達ってどんな関係? って聞こうとした。
何かキモイかなって思ってやめた。
多分、少なくとも今は「こういう」関係だ。
「アッシュは———」
「あの後」どうしてたのって? とは聞けなかった。
何でか分かんないけど、触れなかった。
「楽器上手いの?」
「馬鹿上手いぞ」
バカみたいな質問にバカみたいな自信を持って返された。
「どれくらい?」
「まあ、東洋のティム・ヘンソンを自称している」
誰だか分かんないよ。
「流石に来ないかと思ってた」
「もしかしたら行かなかったかも」
今日が卒業式で、お母さんが僕から隠してなかったら行かなかったかも。
「でも、まあ、俺も気遣いが足りなかったな」
そうだよ。ボッチをこんな場所に呼び出すなんて。
「友達の分までチケットを渡すべきだったよな」
「それはやめて」
何で? みたいな顔すんのムカつく。それをやられたら最後、僕は引きこもりになっていた自信がある。
「アッシュ、バンドはいいの?」
「まだ大丈夫だよ。俺らこの次だし」
そうか、アッシュ達のバンドだけじゃないんだ。そうだと思い出したかのようにアッシュは僕は見て言った。
「バンドを楽しむために良いこと教えてやる」
「な、何」
やっぱり楽しむために準備がいるの?
「ライブは最前列で見ろ。腕組むな。以上」
その言葉は僕のちっぽけな自尊心とライブに対する抵抗感を見事に表したような言葉だった。
「まあ、考えとく」
「別にライブなんてどう楽しんでも良いんだけどさ。そっちの方が楽しいよ。お前、アイリに似てるから、一歩踏み出すの躊躇するんだろうけど」
アイリさんに似ているは、流石にアッシュの見る目が無いなと思う。あの人は何処にでも入っていけるだろ。小動物みたいで可愛らしくて、どんな隙間でも入り込めそうだ。
「お前さ。ライブ見るの初めてか?」
「初めてだよ」
ライブ映像はいっぱい見たことあるけどこうやってライブイベントに参加するのは初めてだった。
「じゃあ、これだけは言っておく」
勿体ぶってアッシュは言った。
「どんな生のライブもいつも聞くより2、3倍おもろいけど、生のバンドは1億倍おもろいから」
流石に言い過ぎだろうと思ったけど、この後この言葉の意味を知ることになる。
そうこう雑談しているともう始まりそうな時間だった。
「じゃあ、俺そろそろ行くから。ちゃんと最後まで残ってろよ」
「え?」
あっという間に行ってしまった。
呆然としている間に演奏が始まる。正直言えば、音楽のことなんて一ミリもわからない。目の前の演ってる人が上手いのかどうかもわからない。でも、この音に圧倒されていた。今の時代サブスクやユーチューブのお陰で誰も知らない音楽が聞ける。クラスメイトが知らない音楽だって悦に浸れる。何処に居てもいろんな音楽が楽しめる。それは、素晴らしいことだった。そう考えるとライブハウスって場所で、バンドの曲しか楽しめないのに行く意味があるんだろうか? 正直言えば、そう思っていた。でも、違う。イヤホンを使って聴くのとは全く違う、身体全体で感じている。アッシュが言っていることはわかる。わかるけどまだ過言だ。まだ2、3倍だろう。でも、それと同時にもう一つ言っていたことが引っかかる。最前列で見ろ。腕組むな。その助言とは反対に、後ろの方で腕組みながら見ている。後ろの方で値踏みしている僕とは違い、前にいる人達は思い思いに手を振っている。あれが一億倍楽しむコツ? 馬鹿馬鹿しい。そう思ってしまう。ごめんね、アッシュ。僕ってこういう人間だから。アッシュの言うことは守れないよ。
こんな捻くれていた僕でも、ライブは楽しかった。あっという間に前にやっていたバンドの人は終わってしまった。次がアッシュの番らしいけど、アッシュってどれくらい上手いんだろう? 下手だったら何か気まずいな。僕って嘘下手だし。
「ナギサちゃん!!」
最前列付近にいる人が、いきなり叫んでびっくりする。ドラムの女の人が、手を振る。あの人が陽キャか。
「どうもヴァン、アイリ、ナギサの三人です。できたてホヤホヤなんで名前はまだちゃんと決まっていませんが、Vlind(仮)です」
アッシュの自己紹介にワッと疎らに笑いが出る。
「ちょっとだけお願いがあります。できるだけ前に来てください」
この言葉は僕に向けられた言葉だって直ぐにわかった。
「そこの人ももう一歩、あと三歩来てください」
その言葉に従い、みんな少しずつ前に出てくる。
アッシュと目が合った。
「そこの人も前へ」
僕も釣られて前に出てしまった。まだみんな隣の人と喋ったり、衣擦れの音が聞こえた。そんな中でギターの一音が降り注いだ。その時はアッシュがみんなを黙らせた。勝手なイメージだけどバンドってドラムのスティックを鳴らす音から始まると思っていた。日本人ってやっぱり行儀が良いから空気を呼んで静かになるものではあるんだけど、たった一音で場の空気を自分のものにしていた。
一音一音丁寧に引かれるアルペジオは、まるで雨音みたいに染み込んでくる。何度だって言うけど、音楽のことなんて全く知らない。でも、アッシュのギターは上手かった。ギターが一弦ごとに弾かれ、身体に染みわたる前に次の音が身体に届く。そして身体の中で音楽が生成される。ギターが弾かれる時点では、一つ一つの音なのに、身体の中で和音が作られるみたいで気持ちがいい。そして弦を弾く速度が段々と上がる。速度が上がってもアッシュのギターの一粒一粒は、綺麗で、儚い。そしてその儚さが余韻を残す様に音を弾き伸ばす。その余韻を叩き潰すかのようにドラムとベースが入ってきた。FOOOOという歓声に混ざって、はっという呼吸音が観客席から聞こえた。わかるよ。わかる。呼吸忘れてたんだろ。僕もだよ。
ドラムに合わせてみんな身体を揺らす、手を挙げる。でも、この場の誰もがこのギターを聴いていた。ギターの音に耳を澄ませる。ギターという楽器の性質上、王様みたいに目立ちやすい。でも、きっとそれだけが理由じゃない。アッシュはまるで生まれながらの王かのようにギターを演奏している。そうじゃなかったら、こんなにギターが上手いはずがない。ていうかギターってこんなにも多彩な楽曲なんだ。鋭くて、優しくて、心をこんなにも直接揺らしてくる。こないだまで僕の横でダラダラとしていた人があんな遠い場所にいる。それは余りにも遠すぎた。一歩、一歩と前に進み、アッシュに手を伸ばした。
気づけば、あっという間だった。20分くらいの楽曲は直ぐに終わってしまった。
「アンコール、アンコール」
最初は小さな声だったのに、徐々に大きな声になっていった。舞台袖に下がるアッシュ達がしばらくして戻ってきたが、ドラムの人は、戻ってこなかった。
「アンコールに応えます。と言いたいところなんですけど」
うぉおと歓声なんだが、合いの手なんだかよく分からないものが流れる。
「実はドラムのナギサは最近ウチに入ったばかりで、もう曲がありません。やれなくはないんだけど、プライドが許さないそうなので、今回は見送らせてください。なのでギターとベース二人でやらせて貰います」
うぉおおおおおと今度こそは歓声が上がった。
バレたら怒られるかもしれないけど、アイリのことなんて忘れていた。アッシュのことを見て、アッシュのギターを感じていた。言ってしまえば、アッシュのギター以外眼中になかった。それでもドラムは存在感がある。王様の壮厳さを表すようにしっかりと存在感があった。しかし、ベースの音というのは、よく分からなかった。何でかわからないけど、上手く認識できていなかった。
でも、今この舞台にいるアイリは全然違った。自信があった。ドラムがいないこの曲はさっきまでの曲より圧倒的に寂しい筈だ。寂しい筈なのに、アイリはきちんとアッシュの隣に立っていた。さっきまでの曲はアッシュが上手かった。でも、これは二人が上手い。ベースが作り出すリズムの海にアッシュが潜り込む。広大な海の広さを表すようにアッシュのギターの音色も繊細かつ大胆だ。そしてアイリはアッシュの息継ぎをカバーする様に支える。アッシュがいるからこそ、海の深さがわかる。アイリがいないと海は浅いままだ。ドラムがいないにも関わらず音が厚い。下手したらさっきよりも広く深い。二人の練習量が、二人の関係値が、二人が積み重ねた年月が見えてくる。
ずっと、ずっと今まで二人でやってきたんだ。
アイリを見ると何故か目があった。本当は気のせいかもしれないけど、アイリと相対した気がした。今はただアイリがいるのがただ羨ましい。いつかアッシュの隣に立ちたい。今ここでそう思った。まだ全然遠いけど、いつか隣に立ってやる。
そう心の中で思った。方法は全然分からないけど。
アッシュが好きになっちゃった。それに気づいてしまった。
それがバンドのアッシュを好きになったのか、元から好きだったのかはわからない。でも、あそこにいるアッシュが、どうしようも無く欲しい。あそこに一緒に立ちたいと思ってしまった。そんなの高望みのしすぎだってわかっているのに。
ズルい。
二人が積み上げてきたはずだからズルい訳がないのに。ズルいという言葉が出てくる。ズルいのは、僕のほうだろ。何もしてないのに。アッシュの隣に立ったつもりになってる。僕は暗い人間だ。ウジウジと考えて結局何もしない。その癖、人を羨む。僕って最低な人間だ。
その時、心臓に何かが穿いた。それは突き刺さって離れない。それが、アッシュのギターから生まれたワンフレーズだと気付くのに、しばらくかかった。まるで僕の心臓に弦が直接くっついているんじゃないかと思うくらいに心を揺さぶる。あの大きな手で優しく触れられる。僕のウジウジとした思考をアッシュのギターが塗り潰す。
「ズルい」
本当にズルい。ギターが巧すぎて笑っちゃう。暗く最低な気分に浸ろうとしているのにアッシュが凄すぎて笑っちゃう。
皆は身体を真っ二つにされたことはある?
僕はある。じゃあ、音楽に身体が切り裂かれたことは? あの気持ちいいギターが耳に残ったことは?
ない? それは絶対に人生を損してる。
稚拙な言葉を言えば、音楽が心を打った。打ったどころじゃない。ナイフで滅多刺しだ。
一度切られたものは決して元に戻らない。
どれだけ修復して見た目を元通りにしようとも、傷痕が、無理矢理くっつけた跡が残る。
それと同じだ。
音楽が僕の心をグチャグチャにして、もう元に戻らなくなった。
ギターの弦を押し付けられたかように僕の身体に跡が残る。
その傷は深く深く刻まれる。傷口からずっと何かが溢れている。なのに身体の奥底からずっと温かいものが溢れていた。
観客の声がまるで遠くから聞こえる様だった。カラフルなスポットライトがアッシュ達を照らす。アッシュがこっちを見た。その時僕は目眩がする程に絶望した。ステージは高く、僕はずっとアッシュを見上げるばかりなのだから。観客とステージの間には鉄の柵があって、観客はそれを乗り越えられない。でも、それが僕達の距離感だった。手を伸ばせば届きそうなのに宇宙みたいに遠い。
その事実が僕を打ち砕いてしまった。さっきまでどうやったらアッシュの隣に立てるか考えていた。だけど、それは都合のいい夢想に過ぎなかった。楽曲が止むと同時に都合の良い夢から覚めてしまった。
観客の熱冷めやらぬ前にそこから出た。もうアッシュとは会わない様にするべきだ。僕達の距離は最初から遠かったんだ。人とか吸血鬼とかそんな枠組みより遠い。僕はずっとアッシュを見上げていただけだった。最初っからずっとそうだった。
外に出ると冷たい風が僕が熱を持っていることに気づかせてくれた。
できることならこの灯火を家まで持ち帰りたかった。
でも、そんな資格はない。
駅に着くと丁度電車がやって来た。電車に乗り込むと頭を抱え込んだ。
感情がざわめき、ざわつき、ぐしゃぐしゃだ。自分でも何でこんな悶え苦しみでいるかわからない。こんなことなら忘れ去ってしまいたい。なのにあのギターの鋭さが僕を突き刺し、痛みを思い出させる。ずっと傷痕が熱い。熱を持って僕を苦しめる
いつもは電車なんて退屈でずっとスマホを弄っているのに、弄る気すら起きない。ただ車窓から風景を眺めるだけだ。
こんなにも人生で心をかき乱されたのは、初めてだ。どうしてこんなにもかき乱されたのかわからない。
電車に乗っている他の乗客は僕の痛みに気付かない。僕の傷口からずっと血が溢れ続け、その血で電車いっぱいになっていることに気付かない。
気づけば最寄りの駅までたどり着いた。ドアが開いていて、今すぐ立たないとそのまま電車が進んでしまう。
なのに、足は一向に動かなかった。




