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第5話 消える足跡

校門をくぐった瞬間、ざらりとした空気が肌をなでた。


目を疑うような光景が広がっていた。



人が、人を乗せている。


最初は理解が追いつかなかった。

けれど、見間違いではない。


Aクラスの腕章を巻いた生徒が、Dクラスの腕章を巻いた生徒の背中に跨がっていた。

さらに視線を移すと、似たような“騎乗ペア”が周囲にいくつも存在している。



彼らは汗まみれで息を切らしながら、無言で歩いていた。


(……これ、本気で……)


喉の奥が、じわりと苦くなる。


(まるで、“奴隷”じゃないか)


そんな単語が脳裏に浮かんだ瞬間、全身に冷たいものが走った。


だが、それよりも衝撃的だったのは、

乗られているDクラス生たちが、どこか“慣れている”ように見えたことだ。


痛みに耐えるでも、怒るでもなく。

ただ、黙々と従うように、その役割を“こなしている”。


「おい、もっとまっすぐ歩けって! なーに揺れてんだよ、ポンコツ」


「Dクラスってマジで筋力ねぇよな〜。先週の子のほうがクッション効いてたぞ?」


Aクラスの生徒たちは笑いながら、足でDクラス生の腹を軽く蹴ったり、髪を引っ張ったりしていた。

まるでそれが“遊び”でもあるかのように。


その光景に、俺は動けなかった。

目を逸らすべきだと、頭ではわかっていた。


けれど、逸らせなかった。


背筋が凍る。

まるで悪い冗談でも見ているかのような……そんな感覚だった。



(……これが、“普通”なのか?)


すれ違ったAクラス生のひとりが、すれ違いざまにDクラス生の頭をはたきながら通っていく。

近くの生徒たちは、止めるどころか笑っていた。


「見てよ、あの子めっちゃ情けない顔してる〜」

「ねえねえ、写メ撮っとこ」


スマホのシャッター音が何度も響く。

そのどれもが、誰かの尊厳を切り取って、面白おかしく消費していく。


俺が入院していた、このたった一週間のあいだに

何が起きたんだ? いつから、これが“当たり前”みたいに受け入れられてるんだ?


誰も止めない。

誰も疑問を口にしない。

むしろ笑って、写真まで撮っている。


(これは、いじめじゃないのか……?)


どう見ても侮辱で、屈辱で、暴力だ。

それなのに、誰も“そう”とは思っていない。


(これが、この学園の“普通”だというなら──)


俺は、心底ゾッとした。


けれど、それでも

俺は、何もできなかった。


正義感を振りかざす勇気なんて、最初からなかった。

怒鳴ることも、止めることも、見て見ぬふりをやめることすら

その場では、できなかった。


喉の奥がひどく渇いて、声が出なかった。

ただ、目を逸らして、その場から足早に立ち去ることしか、できなかった。


(……そんな自分にも、嫌気が差した)


足早にその場を離れたものの、視界の端に焼き付いた光景は頭から離れない。

石畳を踏みしめる足音の合間に、さっきの笑い声がよみがえる。


「もっとまっすぐ歩けよ!」

「ポンコツが」


耳の奥で、何度も繰り返される。

通りすがりの生徒の談笑すら、あの場の笑いと重なって、胸の奥がざらつく。


(……なんなんだ、あれは)


気づけば校舎の玄関を抜け、Bクラスのある教室へ向かっていた。



Bクラス教室前。


登校初日の騒がしさが、扉越しに伝わってくる。

誰かの笑い声、机を引く音、開閉するロッカーの音、全部、ひどく懐かしく感じた。


(……一週間ぶり、か)


俺は深呼吸ひとつしてから、教室のドアを開けた。


教室のドアを開けた。


ガラガラ……


その音が、胸の奥に溜まったざらつきをかき回すように響いた。


その瞬間、ざわついていた空気がふっと静まり、次の瞬間


「真城だ!」

「おー、久しぶり!」

「マジで大丈夫だったのかよ!」


数人の男子が、わっと寄ってくる。

中には軽く手を振ってくれる女子もいた。空気は、思ったよりずっと柔らかかった。


(……意外と、みんな普通だな)


「真城くん!」


弾けるような声とともに、七瀬ミオがこちらに駆け寄ってきた。


「良かった……!ちゃんと学校、来られたんだね」


「……ああ。心配かけてごめん」


「ううん、いいの。でも、無理はしないでね?」


ミオは心底ほっとしたように微笑む。

その表情に、どこか少しだけ引っかかる違和感を覚えたが、すぐにタクトの声が割って入った。


「おーいレイ!退院おめでとう!」


蒼井タクトが、両手を広げて笑顔で近づいてくる。


「退院祝いにさ、今日なんかうまいもん食いに行こうぜ。肉とか!肉!」


「……いきなりガッツリいくな」


「一週間も病院食だったんだろ? 反動ってやつだよ」


「いや、普通の食事は出てたけどな」


「じゃあなおさら! 腹いっぱい食って現実に戻ろうぜ」



ふと頭に浮かんだあの光景。


「なあ、タクト。今朝、見たんだ。Aクラスのやつらが、Dクラスの生徒を“馬”にして……他にも、酷い言葉を浴びせてた」


「……あれって、いじめじゃないのか? 先生に言わなくていいのか?」


タクトは笑顔を保ったまま、一瞬だけ視線を逸らす。


「……あー、それか」


「病院でも、“まあ、いろいろある”って言ってただろ? ……それって、あのことなのか?」


タクトは数秒、何かを考えるように目を伏せ


「……レイ、悪いけど……今ここじゃ話せない」


「……?」


「昼休み、屋上で話せるか?」


その言い方が、ただ事じゃないことを示していた。


「……わかった。昼休み、屋上な」


タクトはうなずき、何も言わずに自分の席へ戻っていった。


(……“話せない”って、どういうことだ)




* * *


昼休み。


屋上のドアを開けると、風がふっと吹き抜けた。

青空が広がり、遠くの訓練棟のドーム屋根が陽光を反射している。


「こっち、誰も来ないからさ」


タクトが柵の近くに腰をかける。俺も、その隣に立った。

屋上は人気がなく、遠くに小さく他の生徒の声が響く程度だった。


「それで、なんだよ。今朝のアレって、やっぱおかしいよな?」


「……ああ」


「……なあ、あれ、先生に言ったほうがいいんじゃないか? いじめってレベルじゃない」


俺がそう言うと、タクトはわずかに苦い顔をした。


「レイ……実はさ、あれ、俺も最初は驚いたんだよ」


「最初は?」


「レイ、お前……この学園の“制度”って、ちゃんと聞いてないだろ?」


「……制度?」


その時だった。


背後から、硬質な足音がひとつ。

それは、今まで誰もいなかった空間に、突然“現れた”ような音だった。


思わず振り向くと──そこに、金色の腕章を巻いた男子生徒が立っていた。


(……いつの間に? 気配すらなかった)


「……何を話してたのかな?」


その声は柔らかかったが、どこかぞっとするような低温を帯びていた。


横を見ると、タクトの目がわずかに見開かれ、すぐに背筋を正して立った。

喉仏が上下し、額にわずかな汗が滲んでいる。


「……皇城さん……っ」


珍しくタクトが“敬語”を使った。その時点で、俺の胸に奇妙な違和感が走る。


「昼休みに、わざわざここを選んで、ふたりきりで屋上……仲が良いね」


男は、不敵な笑みを浮かべながら俺たちの距離を詰めてくる。


「真城レイ、だよね?」


背筋に冷たいものが走る。


「退院、おめでとう。屋上でのんびりするのも悪くないけど──内容には、気をつけたほうがいいよ」


腕章が太陽を反射し、目に刺さる。


「僕は1年Sクラスの皇城リク。よろしくね。」


その名前と存在感だけで、空気が支配された。


リクはそれ以上何も言わず、扉の向こうへ消えていった。



足音が遠ざかり、屋上には風の音だけが残る。

吹き抜ける風が制服の裾を揺らし、空の青さがやけに遠く感じられた。


胸の奥にひりつく違和感が残る。


「それで制度って、結局──なんなんだよ?」


俺の問いに、タクトは視線を逸らした。

目は落ち着かず泳ぎ、呼吸が浅くなる。


「……っ、悪い。俺、先行くわ!」


タクトは逃げるように踵を返し、扉を押し開けて消えた。


屋上に残されたのは、俺ひとり。


吹き抜ける風が、やけに冷たく感じた。

空は晴れているのに、やけに遠い。


俺だけが、別の場所に取り残されているような気がした。



午後の授業は、何一つ頭に入らなかった。

机に向かっていても、浮かぶのは屋上での会話の断片ばかりだ。


タクトが言いかけた「制度」。

そして、1年Sクラスの皇城リクが現れた瞬間の、あの反応。


(……やっぱり、俺に何か隠してる)

(この学校はいったい、何なんだ)


そんなことを延々考えているうちに、いつの間にかチャイムが鳴っていた。

気づけば、午後の授業はすべて終わっていた。


(……タクトに、もう一度聞こう)


そう思って顔を上げるが、教室のどこにもタクトの姿はない。

近くにいた男子に声をかけた。


「なあ、タクトは?」


「ん? ああ、タクトなら……昼休みに具合悪くなったって言って、先に帰ったぞ」


(……帰った?)


胸の奥が、さらにざらついた。

まるで、わざと俺から距離を置いているみたいに。



その感覚を振り払うように、鞄を掴んで立ち上がる。


(……いい、直接聞きに行く)


チャイムが鳴り終わると同時に、俺はBクラス寮へ向かって歩き出した。

同じ棟だから、部屋の場所は覚えている。



寄り道もせず、まっすぐBクラス寮へ向かう。

同じ棟だから、部屋の場所はなんとなく覚えていた。


廊下を進み、突き当たり手前──たしか、この扉だ。


「……ここだったよな」


軽くノックをする。

しかし、返事はない。


(……まだ帰ってないのか?)


ちょうどそこへ、寮の管理人が通りかかった。

年配の男で、片手にチェック表を持っている。


「あの……すみません。蒼井タクトって、部屋にいますか?」


「タクト?」

男は眉をひそめ、表をざっと見てから言った。


「もう、ここの寮にはいないぞ」


「……え?」


思わず聞き返す。

そんなバカな──昼休みまで同じ教室にいたんだぞ。


「……なんでですか?」


「そんなこと、俺が知るわけないだろ」


その声音は冷たく、会話を打ち切るようだった。

男はチェック表に視線を戻すと、そのまま無言で去っていく。


廊下には、俺一人だけが取り残された。


(……どういうことだ)


昼休みまでは、確かにBクラスの一員だったはずのタクトが

放課後には、もうここから“消えて”いた。


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