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第2話 馴染む音

篠塚が退室すると、教室にはふっと緊張が解けたような空気が広がった。


 誰かが席を立ち、誰かがスマホをいじり、少しずつ日常の喧噪が戻ってくる。

 その中で、自然と《LIME》の交換が始まった。


「なあなあ、ライム交換しようぜ!」

「IDどこで見るんだっけ?」

「うわ、通知音うるさっ……設定どこ……あった」


 あっという間に、複数のグループができていく。

 画面を見ながら名前を呼び合い、笑い合い、まるでそれが当然のように。


(……さっきまで、不安がってたくせに)


 レイは椅子に腰掛けたまま、ただ周囲を見ていた。


理由にもならない理由で、レイはその輪に加わらなかった。


 《LIME》の画面は、確かに誰にも監視されないって言ってた。

 プライバシーも守られてるって。

 でも、それが「本当かどうか」は誰にもわからない。

 “本当だ”って、信じてるだけだ。


 まるで昨日までの現実を、一晩で全部切り替えたかのように。


 学校の外とは遮断され、専用通貨で生活し、唯一使える連絡アプリすら“自動で”端末に入れられる。

 そんな異常な環境を、「まあそんなもんか」で受け入れられるこの空気に


(……すごいな、みんな)


 皮肉でもなんでもなく、本心だった。

 この順応力、柔軟性。

 そういうものが、俺にはない。



(……いや、考えすぎなのか?)



右隣では、女子ふたりがスマホを突き合わせて笑っている。

左の後列では、男子グループがIDを叫び合いながら通知を飛ばしていた。

その輪の中に──七瀬ミオの姿があった。


ミオは、次々に話しかけられながらも、ひとりひとりに丁寧に応じていた。

相手の名前を呼び、笑い、時折照れたように髪をかき上げる。

その所作ひとつひとつが、どこか周囲の空気を柔らかくしていくようで──



(……俺も、交換したいな)



ふと、そんな考えがよぎる。


さっきまで、違和感だらけの環境に身を置いていることに、神経を尖らせていたはずなのに。

外との繋がりを遮断され、連絡アプリすら自由に選べないこの状況に、

“異常”という言葉すら思い浮かべていたのに。


今はただ、あの輪の中に入りたくなっている。


(……やばいな。こんなふうに、俺も“馴染もうとしてる”)


気づけば、教室の空気に流されている自分がいた。


信じたわけじゃない。

納得したわけでもない。

でもこのまま、何もなかったかのように、日常へ戻ってしまいそうで。


そのときだった。



「ねえ、真城くん……だよね?」


 

顔を上げると、そこに七瀬ミオが立っていた。


 栗色の髪を肩のあたりで束ね、スカートの裾を少しだけ握りながら、彼女はにこっと笑っていた。


「……よかったら、ライム交換しない?」



一瞬、言葉が出なかった。


 教室で、いちばん最初に話しかけてくれたのが、彼女だったという事実が、胸の奥でじんわりと染みてくる。


「あ、うん……ぜひ」


 スマホを取り出し、画面を開く。手のひらが少し汗ばんでいた。


「……えっと、IDは……」


「IDじゃなくても、QR出してくれたら私が読み込むよ?」


ミオがスマホを手にしたまま、にこっと笑って言う。


「……あ、QR……どこだっけ」


戸惑いながら俺が画面をいじっていると、ミオがすっと俺の肩越しに身を寄せてきた。


「ここだよ?」


そう言って、耳元でささやくように、すっと髪を耳にかけ、指先で俺のスマホの操作をそっと示してくる。


甘い匂いが、一瞬ふわりと鼻をかすめた。


「……あ、ああ、これか」


言われた通りにQRコードを表示させると、ミオが自分のスマホで読み取る。


ピッ、と読み取り音がして


「登録、できた。……はい、送ったよ!」


数秒後、俺のスマホに通知が表示された。


《LIME:新規メッセージが届きました》


《よろしくね!》


画面の上に浮かぶ文字と、ミオの名前。


顔を上げると、彼女はほんの少し照れたように笑っていた。


「改めて、よろしくね、真城くん」


「……ああ。よろしく」


思わず、俺も笑っていた。


さっきまでこの学園に抱いていた、得体の知れない不安。

外と断絶され、決められた手段しか与えられないという圧迫感。


それらが、このやり取りだけで、ほんの少しだけ薄れていく。


ミオが去ったあと、すぐ近くから、軽い調子の声が飛んできた



「なあなあ、真城!」


呼ばれた気がして顔を上げると、こちらに手を振りながら近づいてくる男子がいた。


さっきの自己紹介で妙に元気だった、蒼井タクトだった。




「オレとも《LIME》交換しよーぜ! さっきの見てたら、なんかやっぱこういうのって、最初が大事かなーって!」


「……まあ、いいけど」


俺がそう言うと、タクトはにっと笑った。


「サンキュー! てか、レイって呼んでいい? “真城”ってなんか堅いし」


「……別にいいけど」


「やった! じゃあ俺のことも“タクト”でよろしくな!」


にかっと笑って、タクトが自分のスマホを構える。


「じゃあQR出してくれよ、読み込むから!」


画面を開いてコードを表示させると、タクトがすばやく読み込んで、通知が一件入った。


《よろしく! タクトです!》


「こちらこそ、よろしくな!タクト」


俺がそう返すと、タクトはさらに満足そうに笑った。


「でさ、レイ。これからどこ行く?」


「……寮に戻るだけ」



「同じBクラスの寮だろ? 一緒に帰ろうぜ!」


「……ああ。いいよ」


「よっしゃー! じゃ出発だ!」


 タクトが軽く拳を突き上げたその勢いに引っ張られるようにして、

 俺は立ち上がった。


教室を出て、廊下に出ると。


「おーい、真城!」


 背後から足音と声が重なる。

 振り返ると、篠塚が小走りでこちらへ駆け寄ってきた。肩で息をしている。


「悪い悪い、渡し忘れてた。これ、地図」


 そう言って手渡されたのは、二つ折りになった紙の地図だった。

 開くと、全体が見開きで印刷されていて、広げるとA3ほどの大きさになる。

 中央に学校、その周囲に放射状に並ぶ各施設が、詳細に描き込まれていた。


「学園全域のマップだ。初日は迷うやつが多いからな。寮の場所も載ってるし、目印になる建物もいくつか描いてある。」


「ありがとうございます」


 素直に頭を下げて受け取ると、隣でタクトが覗き込んできた。


「うわ、すっげ。てか、めちゃくちゃ広くね? やっぱ街じゃん、これ」


 軽く笑って肩をすくめる。


 改めて地図を見つめながら、俺はぽつりと漏らす。


「……寮は、この辺りか」


 地図の下部──南東エリアに、“Bクラス寮”と印刷されていた。


(この学園……学校が真ん中にあって、その周りを囲むように寮や購買、訓練場が配置されてるのか)



なんとなく、今日この場に来るまでの記憶を思い返す。


 校門からまっすぐ、ずっと一本道を歩いてきただけだった。

 両脇は並木とフェンス。視界を遮る木々ばかりで、こんなに施設が広がっているなんて気づきもしなかった。


「……たしかに、街みたいだな。外からじゃ分かんないわけだ」


 口に出した言葉は、驚きというより、むしろ納得だった。



* * *


「ここが……寮か」


校舎から少し歩いた先にあった


白い壁面の低層建築。

 入口の上には、はっきりと《B》の文字がプレートに刻まれていた。


(……Bクラス専用の寮、ってことか)



 建物は清潔感があり、設備も悪くなさそうだ。

 けれど、ほんの少し前、あの高層マンションのような建物が脳裏にちらつく。



(あれ……たしか“S”ってマークが入ってたよな

まさか……本当に、クラスごとに“ここまで”差があるのか))



* * *


Bクラス男子寮

カードキー式の自動ドアが静かに開き、冷んやりとした空気が足元に抜けていった。



中へ足を踏み入れると、真っ直ぐに伸びた廊下が迎えてくる。


白い壁に、グレーの床。

まっすぐ伸びた廊下の両側に、同じデザインのドアがずらりと並んでいた。

天井のLEDライトが明るく照らしていて、どこもかしこもピカピカに掃除されている。


(……めっちゃキレイだな)



「俺はこっちな。じゃーまた明日!」


タクトが軽く手を振りながら分かれていき、俺は手元の紙に記された部屋番号を頼りに歩き出す。


目的のドアの前に立ち、カードキーをかざすと



カチッ


軽い電子音と共にロックが外れ、ドアが滑るように開いた。


中は、六畳ほどの一人部屋。

ベッド、机、ロッカー、天井にはLEDの照明。

備え付けの棚に小さな冷蔵庫まであり、思っていたよりもずっと快適そうだった。


(……意外と、悪くないな)


カバンをベッドの上に置き、少しだけ深呼吸する。

一人になった空間に、じんわりと静けさが染み込んでくる。


(……ここで、俺は生活していくんだ)


制服の上着をハンガーにかけ、ロッカーの中を確認していたとき──ふと、気づく。


「……そういえば、生活用品とか買わないとな」


歯ブラシ、シャンプー、洗剤、必要最低限のものがない。

篠塚が言っていた。「必要なものは、購買街区で揃えるようにと」


窓の外を見れば、まだ日が傾いたばかり。


(今のうちに、行っておくか)



部屋を出る前、カバンの中に手を伸ばし、封筒を取り出す。

中には数枚の紙幣、《れい》と書かれた、見慣れない通貨が入っていた。


(……これが、この学園の“お金”か)


財布に移そうとした手が、ふと止まる。


特殊な紙質、馴染まないデザイン、どこか現実味のない単位。

まるで、異世界の通貨のようだった。


(……本当に使えるのか、これ)


封筒を財布にしまい、俺は上着を羽織ってドアノブに手をかけた。


そんな小さな疑問を胸に抱きながら

夕焼けに染まる廊下を、一人歩き出した。


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