第13話 最初の駒
─俺に従順な“駒”が必要だ。
田所優の一件は成功だった。
けれど、ただ1人ずつ心理に干渉して、衝動的な暴発を誘導するだけでは──何も変えられない。
あいつは犠牲となり、処分された。
この学園の制度に触れることすらなく、ただ“いなかったこと”にされた。
(……意味がない)
俺が本当にこの学園を壊すなら、必要なのは暴力でも正義でもない。
“従う者たち”──俺だけの組織だ。
だから、今は情報を集める。
この《END ORDER》が見せてくれた裏側に、俺の“王国”の基盤が眠っている。
──閲覧ファイル:《階級従属制度》
ファイルを開いた瞬間、冷たい光とともに、その異常な制度の全容が表示された。
それは──Dクラスの生徒に適用されている、奴隷制度の現実だった。
(……冗談だろ)
レイは画面を見つめ、しばし硬直した。
そこに記されていたのは、これまで抱いていた“違和感”すべてに、最悪の言葉で蓋をするような内容だった。
Dクラスの生徒は、“商品”だった。
等級をつけられ、価値を判定され、金で“所有”されていた。
“従属制度”──そう名づけられたこの仕組みは、学園にとってあまりに都合のいい“支配の形”だった。
■取引は《第七別館 地下フロア》。
■通貨は《黎》、使用権はオークション形式。
■購入者は、AクラスとSクラスのみ。
■買われた者は、売却も転売も不可。“壊れる”まで、使い潰されるだけ。
■反抗すれば“処分申請”が可能。
「何をさせるか」は、すべて所有者の自由。
(……吐き気がする)
だが、同時に思った。
(──使える)
この制度の本質は、「所有」ではない。
**“無力な者の心を折り、支配の構造を刷り込む”**ことだ。
ならば、逆に利用すればいい。
この“歪んだ秩序”を──俺だけの支配装置に変える。
END ORDERで、Dクラスの弱者を一人ずつ“誘導”する。
自尊心を擦り減らし、選択肢を奪い、救いの顔をして、手を差し伸べる。
──その手に、鎖を巻きつけながら。
そしていつか、この制度の頂点にいる者を、下から喰い破る。
(俺が創る。新たな“支配構造”を)
(俺に服従する──もうひとつの“王国”を)
* * *
─レイは、高所の死角から、その全貌を静かに見下ろしていた。
第七別館──その地下フロアに広がる、異様な空間。
人工照明が脈打つように明滅し、会場は仄暗く、それでも整然としていた。
まるで“何度もこの儀式が繰り返されてきた”ことを物語るような、完成された異常。
列をなすのは、ガラスで仕切られたブース。
その中には、制服姿のまま──生徒たちが“陳列”されていた。
無表情で立つ者。泣き崩れる者。希望をなくし、ただうずくまる者。
(……これが“制度”か)
怒りでも、驚きでもない。
ただ、ひとつの答え合わせだった。
学園の下層、Dクラスに適用された“階級従属制度”。
──生徒の人格を奪い、“商品”として扱い、“階級”によって取引する。
(ここに陳列される者は、何もかもを失った“存在未満”)
(そしてそれを買い漁る側は、“頂点の者たち”──)
その瞬間つ──ざわめきが走った。
一つのブースが、緩やかに開く。
(……来たか)
《表示名:朝比奈 柚木》《Dクラス》《開始価格:5000黎》
ガラスの中から現れたのは、黒髪の少女。
服は破れ、髪は乱れ、表情はまるで抜け殻。
(──柚木)
あの子は、たしか──体育館裏で誰にも見つからぬように、そっとハンカチを差し出してきたあの少女。
誰にも見つからぬように、そっとハンカチを差し出してきたあの少女。
名乗りもせず、言葉も交わさなかった。
けれど、あの目だけは──俺を真正面から見ていた。
怯えでも、哀れみでもない。
壊れていると、自覚している者の目だった。
(……最初から、同じだったんだ。
俺もあいつも、“すでに終わっていた”)
買い手として現れたのは、Sクラスの男子生徒だった。
(……誰だ、あいつ)
瞬間、会場のざわめきが変わった。
「……え、マジかよ。あいつが来てたのか……」
「なんでこんなとこに……獅堂レグルスって、あの……?」
「やば、また“女”だけ買ってくのか……」
─Sクラス。
その腕に刻まれたSの腕章が、まるで“王族の証”のように光る。
《1年Sクラス:獅堂レグルス(しどう・れぐるす)》
“女しか奴隷にしない”という悪評を持ち、
その嗜虐的な買い方で、Aクラスすら怯えるほどの──異常者。
(……よりにもよって、あんなやつの“モノ”にされるのか)
レグルスが提示したタブレットに──**【落札価格:8300黎】**の表示。
緑の確認マークが灯り、
──落札、成立。
係員がガラスを開き、柚木の腕を無言で取る。
抵抗も、拒絶もない。
まるでそれが、決められた運命であるかのように、彼女は立ち上がった。
そして──足元を引きずるように、一歩を踏み出す。
その顔には何の表情もなかった。
恐怖も、諦めも、期待すらない。ただ、空っぽの器のような目。
誰に手を引かれても、どこに連れていかれてもいい。
そんな心の底からの“諦め”が、全身から滲み出ていた。
係員が無言で彼女の肩に触れると──柚木は抵抗もなく、ただ、黙って従った。
まるで自分の意思を、もうどこかに置いてきたかのように。
その背中を見て、レイは無意識に拳を握っていた。
(──決めた)
あいつを、俺の“最初の駒”にする。
* * *
オークション会場を離れ、レイは静かな歩いていた。
俺の中で、“感情”はすっかり消えていた。
代わりに満ちていたのは、冷たい熱だ。
(……さて)
今の俺は、何も持っていない。
通貨《黎》はゼロ。
END ORDERのレベルも、Sクラスにはまだ届かない。
正面から奪う力も、地位も、今はない。
だが──
(奪い取る方法は、ある)
正義を語っても、この制度は揺るがない。
ましてや、正面から挑めば、即処分されるだけ。
必要なのは、“救い”を装った鎖。
あいつに信じさせるんだ。
「この世界に、俺だけは違う」と。
「信じていいのは、俺だけだ」と──
(そのために、まず“壊される”必要がある)
──柚木、お前は今、“処分”を待つだけの存在になった。
だが、それでいい。
そこまで落ちたお前だからこそ、“手を差し伸べる者”に心が向く。
その“役”を、俺が演じる。
完璧な舞台装置と、偶然を装った出会い。
そして、“感情調律”という名の心理干渉──
(そう、“騙す”んだ)
助けるんじゃない。
“助けられたと信じ込ませる”んだ。
誰よりも、俺に忠誠を誓う“駒”を創るために──
──王国の礎となる、最初の従者を。
(さあ、始めようか)
“作戦名:《鎖ノ福音》”
* * *
─Sクラス生専用寮
柚木は無言のまま、扉の前に立たされていた。
カチリ、と電子ロックが解除され、係員が無感情に告げる。
「入れ。以後、所有者以外の命令には従う必要はない。……生きている限り、彼だけが“主”だ」
扉が開いた。
まるで異国の王宮のようだった。
壁は黒と金を基調とした重厚な装飾。絨毯は深紅で、調度品はどれも芸術品のように磨き抜かれている。けれど、どこか“静けさ”とは無縁の空気があった。
それは、空気そのものが従属を強要してくるような、支配の匂いだった。
「──おぉ。やっと来た?」
窓際のソファに腰かけていた少年が、軽く手を振った。
獅堂レグルス。
1年Sクラスにして、“女しか買わない”と噂される異常者。
その金色の目が、嘲笑を含んでこちらを見ていた。
「はじめまして、柚木さん。って呼べばいいのかな? いや……」
立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
「これからは、“モノ”だっけ?」
無理やり笑っているような口調。
けれど、その声の奥には、狂気にも似た“支配欲”が垣間見える。
柚木は返事をしなかった。
うつむき、肩を落とし、ただその場に立ち尽くす。
レグルスは彼女の目を覗き込むように顔を寄せ──その耳元で囁いた。
「……名前。言ってみてよ。誰に買われたか、わかってるよね?」
しばらくの沈黙の後、小さな声が漏れる。
「……しどう……レグルス、様」
「よし、合格」
パチンと指を鳴らす。
「じゃ、次──脱いで」
柚木の肩が、ピクリと震えた。
「服。脱いでって言ったんだよ? 命令、わかんない?」
レグルスの声色は、柔らかくさえあった。
けれどその微笑みの奥には、完全なる“服従の確認”が潜んでいた。
柚木は黙ったまま、制服のボタンに手をかける──。
その姿を眺めながら、レグルスはただ飄々と呟いた。
「……ようこそ。俺だけの、おもちゃ箱へ」