第12話 血塗られた選択
─田所を睨みつけるように、校門前に立っていたのは
Aクラス・黒澤 蓮。
190を超える異様な体格。無駄のない肉体に、整えられた制服。
だが、その笑みだけが、獣のように歪んでいた。
まるで、“逃げたペット”を捕まえた飼い主のように──。
田所の足が、止まる。
「……おせぇんだよ、田所」
抑えた声。だが、殺意と嗤いが滲んでいた。
「どこをほっつき歩いてた? 朝の迎えはどうした? ……忘れたのか、お前の役目を」
歩み寄るたび、黒澤の靴音がコンクリを踏み鳴らす。
その音が、田所の頭蓋を、心を、過去を、えぐり返す。
「まさか──逃げようとでも思ったのか?」
その一言が、決壊のトリガーになった。
田所の肩が震える。
「……うるせぇ……」
蚊の鳴くような声。
「は?」
「──うるせぇって言ってんだよッ!!!」
絶叫だった。喉を裂いて、魂ごとぶちまけるような。
「俺はもう、犬じゃねぇッ!! お前に命令される日々なんて、もう──いらねぇ!!」
カバンに手が潜る。
光が反射する。
その瞬間、誰かの喉が、ヒュッと鳴った。
─ザシュッ
濁った音とともに、銀のハサミが肉を裂いた。
赤黒い血が、黒澤の制服に咲き乱れる。
「ぐ、あ……ッ!」
叫び、崩れ落ちるAクラスの男。
田所の手は止まらない。
──ズブリ
──ザクッ
──メリッ
「やっとだ……ッ、やっと、やってやった……!」
噛み締めるように、田所が言う。
「何度も何度も、殴られて……蹴られて……命令されて……!」
「俺は、お前の“犬”じゃねぇって……ずっと、ずっと思ってたんだよ……ッ!!」
叫びと共に、刃が肉を砕く。
骨を断ち、悲鳴を引き裂き、血が弧を描く。
黒澤の顔面は既に血で濡れ、意識を手放していた。
それでも、田所の腕は止まらない。
「返せよ……ッ! 俺の人生を返せよぉぉッ!!」
咆哮。
通行人が逃げ惑い、警報が鳴り響く。
血の匂いが漂い、校門前は“修羅場”と化していた。
──だが、俺はその光景を、ただ黙って見下ろしていた。
校門の斜め上、旧校舎の影。
そこから一部始終を、冷たい目で──観察するように。
「……やったな」
声にならない声が、喉から漏れる。
「ほんとに……やったんだ」
唇が震える。喉が熱い。
胸の奥が、ぞわぞわと軋みだす。
(──復讐、成功)
あの黒澤蓮が。
俺の顔を踏みつけ、笑っていた“あのクズ”が──
今、田所の手で、血まみれになって、倒れてる。
(ざまあみろ……)
「ハハ……あは、ははっ……!!」
口元が吊り上がる。
笑いが、止まらない。
「殺されたか? どうした、“黒澤”……?」
「立ってみろよ。命令してみろよ。ほら、“飼い主様”なんだろ?」
「ハハ……アハハハハハハハハハ!!」
嗤いながら、レイの目には涙が浮かんでいた。
これは歓喜でも悲しみでもない。
復讐の“熱”に焼かれた、生きている実感──それだけだった。
だが──
その高揚が、ピークを越えた瞬間。
笑いはぴたりと止まった。
静寂が、心を支配する。
(……いや)
一拍、冷却の思考が走る。
(これは……ただの“衝動”だ)
その場に田所がいたから成功した。
タイミングも、心理状態も、すべてが偶然だった。
(──あれだけの怒りを持ちながらも、田所はこれまで“何もしなかった”)
(俺が、ただ“最後の一押し”をしただけ)
(……なら)
指先がスマホを握りしめる。
(もし俺が干渉しなかったら?)
(田所は一生、耐えたままだった。何も壊さず、何も主張せず、消えていく側だった)
(だとすれば──)
レイの脳が、急激に冷えていく。
快楽が引き、計算が戻る。
(《END ORDER》は、“衝動の引き金”じゃない)
(──これは、“選択肢”の付与だ)
今まで目の前に“無かった行動”を、たったひとつ追加するだけ。
それだけで、抑圧された人間は──爆発する。
(つまり……)
(干渉とは、“破壊の命令”ではない)
(“選択の肯定”だ)
静かに息を吐く。
(俺は、“田所が既に抱えていた怒り”を拾ったに過ぎない)
(押したのは、扉のノブだけだ。──開けるかどうかは、奴自身が決めた)
(……なら)
(このシステムは、“支配”に転用できる)
レイの表情に、ゆっくりと狂気とは異なる光が戻っていく。
(奴らに、自分で選ばせる──と“思い込ませる”)
(でも実際には、俺が提示した選択肢の中からしか、選べない)
(その制約の中で、奴らは満足し、納得し、従属していく)
(──そして最後には、俺に依存する)
レイの瞳が、スマホに映る。
《心理干渉ログ:成功》
その画面は、もはや“狂気”の道具ではなかった。
──それは、王のための筆記具だった。
(俺が、物語を“書く”)
(そして、駒たちに“演じさせる”)
(これは破壊の装置じゃない)
(──これは、“演出装置”だ)
レイの唇が、ゆっくりと吊り上がる。
(ありがとう、田所)
(お前のおかげで、俺はこの力の意味を──“理解”できた)
風が吹く。
だが、誰もこの地獄の“脚本家”が、上から見ていたとは気づかない。
俺は静かに背を向ける。
影へと戻る、“王”のように。
(この学園は──もう、俺の舞台だ)
それから──数日が経った。
黒澤蓮の消息は、完全に消えた。
あの朝、田所が刺した場面は、校内で“事故”として処理されたらしい。
だが、それ以上の情報は一切、出回っていない。
(……田所は?)
END ORDERを開いて、Dクラスの名簿を確認する。
──いない。
《田所 優》という名前は、どこにもなかった。
(消された……?)
そのとき、不意に《記録映像》という項目が点滅した。
試しにタップすると、一覧の中に、未視聴の動画がひとつ表示されていた。
自動的に再生が始まった。
──映像の舞台は、あの講堂だった。
俺も立った、あの異様な空間。
壇上には、皇城 瑠。
その隣に、Sクラスの生徒たちと、複数の教師。
そして中央に──
「……田所……」
ボロボロの制服。
虚ろな目。
魂の抜けたような立ち姿。
それが、田所優の“今”だった。
「お前は、この学園の歴史上──最も愚かで、最も危険な存在と認定された」
皇城の声が響く。
「自らの立場をわきまえず、上位者に反逆した」
「その罪、万死に値する」
田所は何も答えない。
口元がわずかに動いていたが、もう言葉にはなっていなかった。
「──処分は決まっている」
「本日をもって、貴様を“処刑”とする」
「銃を持ってこい」
即座に、教師のひとりが銀色の拳銃を差し出した。
(……何やってんだ……)
レイが、画面越しに呟く。
その瞬間、銃声が──
──バン!
──バンッ!
血が散った。
田所が、前のめりに崩れ落ちる。
その身体から、何の音も感情も、もう生まれることはなかった。
「死体は処理しておけ」
皇城はそれだけを言い残し、椅子に深く座った。
映像が、終わる。
静かな部屋に、冷たい沈黙だけが残された。
レイは、ただその画面を睨み続けた。
握りしめたスマホが、軋むほど強く歪む。
「……これが、処分……?」
「ふざけんなよ……」
声が震えていた。
「この学園……」
──「狂ってる」
(……でも、これは俺の責任だ)
画面越しに田所が崩れ落ちた瞬間から、ずっと胸の奥に鈍い痛みが残っていた。
──あれは、“俺が仕向けた”未来だ。
黒澤に反抗するよう心理を誘導し、抑圧された怒りを解放させた。
そして、あいつは──本当に殴った。刺した。暴れた。
その果てが「処刑」だとわかっていながら。
(もし、俺が干渉しなければ──あいつはまだ、生きていた)
この学園は、狂っている。
暴力も、処刑も、都合よく“記録”にして保存され、
誰ひとり疑問も抱かない。
法律など適用されない。
警察は動かず、教師は黙認し、生徒会が“裁き”をくだす。
(……この学園では、“正しさ”なんて意味を成さない)
だからこそ、俺は動いた。
田所を殺したのは──黒澤蓮であり、皇城瑠であり、そして──俺だ。
だが、後悔は──ない。
(田所は、“俺が王になるための犠牲”だった)
優しさでは何も救えない。
正論では、誰も従わない。
──だから俺は、支配する。
この世界を変えるために、手を汚す。
(誰よりも冷酷に、誰よりも合理的に)
END ORDERの画面をそっと閉じ、レイは立ち上がった。
「……次の駒を探す」
「俺だけの“王国”を作るために」
その声は低く、決して揺れなかった。