第11話 影の王令
──久遠黎明学園、Sクラス専用寮
最上階、最奥の一室。王族と並ぶ者しか入ることを許されないこの部屋で、一人の少年がソファにもたれかかっていた。
「……来ましたね」
落ち着いた声でそう告げるのは、1年Sクラスの“頂点”に君臨する男──皇城リク。
彼の前に姿を現したのは、長い黒髪を結んだ少女だった。
「七瀬ミオです。お呼びとのことでしたので」
深く頭を下げる彼女に、リクは穏やかに微笑む。
「今回はご苦労でしたね。君のおかげで、真城レイを“簡単に”落とすことができた」
テーブルの上に、封筒が置かれる。
「これは今回の報酬、5万黎です」
ミオは何も言わずに封筒を手に取る。
「これからも、僕のために働いてください。君の手際の良さは……本当に助かる」
「……恐縮です、皇城様」
「下がっていいですよ」
ミオは静かに部屋を後にした。
──その目元には、淡い影が落ちていた。
扉が閉まった瞬間、彼女の表情がほんのわずかに揺らぐ。
それが“後悔”なのか“演技の一部”なのかは、誰にもわからない。
「全部、僕のシナリオ通りだ」
リクは独り言のように語り始める。
「真城レイに制度のことを黙っておくように、一学年全員に“口止め”させた」
「もし話したら──“王族権限”でクラスを落とすと、脅してでも」
「蒼井タクトと真城レイが仲がいいことは分かっていた」
「だから必ず、タクトが“制度のこと”を話そうとするのは分かっていた」
「案の定、その通りになった」
「その後、タクトをDクラスに落とせば、真城レイは“制度のことを知らないまま”A組に奴隷にされたタクトを目撃する」
「そして──必ず“助ける”と、俺は確信してた」
「そこから先は簡単だった。絶望させて、七瀬ミオが“救い”だと思わせるようにして──」
「“フェイク動画”を拡散し、信用を全て剥ぎ取って、終わりだ」
そこへ、もう一人のSクラス生が入ってくる。
──鷹宮レオン。
長身で、鋭い目を持つ男。彼は壁にもたれかかると、やや呆れた表情で口を開いた。
「……なぁリク。入試トップの座を取られたぐらいで、そこまでする必要があったのか?」
その言葉が引き金だった。
静かに立ち上がったリクの表情が──一瞬で変わった。
「取られたぐらい……?」
リクの声が低く、鋭くなる。
「“ぐらい”だと? ふざけるなよ……!」
「……!」
「皇城の名を持つ以上、“頂点”以外に価値はない。
敗北は──“恥”であり、“処分”対象だ」
その目は、怒りと焦燥に染まっていた。
「真城レイは、“俺の全てを否定した存在”だ。
許されるはずがない……生きていちゃ、いけない」
レオンは黙したまま、壁にもたれていた。
「俺の“直感”が言ってる。あいつは潰しておかないとヤバい。──真城レイ、あいつは……この学園の歯車を壊す存在だ」
そしてリクは、端末を見つめながら、冷ややかに言い放った。
「だからこそ、俺は奴を“Eクラス”に落とした。
“もう戻れない場所”に突き落としたんだ」
「……今年の黎明祭から、“クラス対抗戦”制度が導入される」
「勝てば上がれる。敗ければ落ちる。
王族が奴隷になる可能性すらある──“運命を賭けた戦い”だ」
「それを作ったのは、兄貴──生徒会長、皇城 瑠」
「奴はこの制度を“遊び”として面白がってる。
あいつは、俺以上に……残酷だからな」
「──ただ一つ、Eクラスだけは“参加資格”がない」
「Eクラスは、存在しない者。
黎明祭に挑むことすら許されない、“ENDクラス”なんだ」
最後に、リクは冷ややかな声で締めくくる。
「だから落とした。二度と這い上がれない場所へ」
「……真城レイは、もう終わったんだよ」
* * *
静寂の中、俺は液晶を見つめていた。
終わったばかりの決意が、体の芯に残ったまま、まだ冷めていない。
(……この《END ORDER》が、本当に“使えるもの”なのか)
──《登録者名簿》
一覧に並ぶのは、D、C、Bクラスの生徒たち。
1年Aクラス、Sクラス──そして2年、3年はすべて「閲覧不可」の表示。
(まずは……実験だ)
手が勝手に動くように、Dクラスの欄を開いた。
指が滑るまま、画面をスクロールする。
適当な生徒の顔を──見覚えもない、ひとりの少年をタップしようとしたそのとき、
ある名前に、なぜか視線が止まった。
《田所 優》
背は低く、猫背気味。
写真からは、暗く、内向的な雰囲気が伝わってくる。
だが、彼の名前の横には《心理状態:不安定(軽度暴力傾向)》という赤文字のタグが添えられていた。
(……こいつにするか)
そう決めると同時に、詳細ウィンドウが展開された。
名前、所属クラス、寮部屋、購買履歴、裏アカウント、通話ログ──
どれも信じがたい内容ばかりだったが、今はそこじゃない。
画面の右上に、ひとつだけ別の項目が表示されている。
──《心理干渉モード:起動可能》
(……心理干渉?)
タップする。
警告文が浮かぶ。
《対象者の心理状態に干渉するコマンドを入力してください》
※本機能は対象の思考傾向・状況に応じて変化します
※入力内容は必ずしも“絶対的”な命令として作用しません
(……つまり、“操る”ってわけじゃない。誘導、か)
ふっと息が漏れた。
でも、怖れも、迷いも、もう残ってなかった。
画面に、黒く冷たい入力欄が点滅していた。
(……命令じゃない。“誘導”だ。なら──)
レイは、言葉を選びながらゆっくりと文字を打ち込んでいく。
⸻
《心理干渉入力:田所 優》
内容入力欄(60文字以内):
──あいつはまたお前を馬扱いする。
また踏みつけて、笑う。
またお前は、何も言えずに従うつもりか?
でも、お前は知ってる。
あいつより優れてる部分も、本当はあるって。
あの日だって、抑えた。
殴りたかった。でも、我慢した。
全部、呑み込んできた。
“優しいやつ”でいればいいと思ってた。
──でも、そろそろ限界だよな?
だったら、“自分の人生”を取り返そうぜ。
⸻
最後の一文を入力し終えた瞬間、画面に灰色の演算リングが現れ、無音のまま回転を始める。
《干渉演算中──》
数秒ののち、画面に文字が浮かび上がる。
《心理干渉:完了》
──対象者の感情傾向に干渉が適用されました。
(……通った)
レイの喉が、かすかに動いた。
(あとは……あいつが、どう動くか)
──けれど、レイの心にはすでに確信があった。
これは、単なる暴力の誘発ではない。
田所の内面にある「自尊」「悔しさ」「耐えきれない矛盾」──それを、ほんの少しだけ、正当化してやった。
引き金を引いたのは本人だ。
だが、その指を“握らせた”のは、このEND ORDERだ。
(誘導は成立した。今後は──“蓄積”だ)
彼の中で、いくつもの感情が同時に動いていた。
優越感。罪悪感。期待。不快。熱。
だが──そのどれにも蓋をし、レイは静かに画面を閉じた。
明日。
田所が“どうなるか”を、見届けるだけだ。
この実験が「成功」ならば──
次は、もっと精密に“崩す”こともできる。
自信を喪失させ、依存させ、信仰に近い“従属”へと落とすことも──
(このアプリの本質は、破壊じゃない)
(──構築だ)
(この学園に、新たな“王”を築くための)
レイの口元に、微かに笑みが浮かんだ。
* * *
─Dクラス専用寮
レイはフードを深くかぶり、人気のない影に身を潜めていた。
視線の先には、今にも崩れそうな古びた建物。
(……これが、Dクラスの寮)
外壁はひび割れ、窓はほとんど割れている。
ドアには番号札が打ち付けられているが、その多くは半分剥がれかけていた。
(まるで……本当に“奴隷”が住んでる牢獄みたいだ)
足音がひとつ、軋んだ扉の奥から響いた。
──田所 優。
ぐしゃぐしゃの髪に、だらしなく着崩した制服。
目は落ち着かず、ぶつぶつと独り言を呟いている。
「……いや、俺は悪くない……わかってる……でもあいつが、あいつが……」
感情が渦巻いているのが、遠目からでも伝わる。
(干渉の効果、出てるな)
レイは、わずかに目を細めた。
田所はそのまま、ふらつくような足取りで寮を出て、登校ルートに入る。
Aクラス──黒澤。
190を超える体格に、整えられた制服。
だが、その顔に刻まれた薄笑いは、レイの記憶に深く焼き付いていた。
(……黒澤)
俺を何度も殴り、押し倒し、笑いながら踏みつけてきた男。
「Bクラスのくせに逆らうな」と言って、トイレで便器に顔を押し付けたきたクズ野郎だ。
思い出しただけでも殺意しか出てこない。
そして。
(田所は、“黒澤の奴隷”だったな)
《END ORDER》で確認した、明確な支配関係。
あいつは日常的に命令を受け、使い捨ての駒のように扱われていた。
今、田所が黒澤と再び相対することで──あの“干渉”がどう作用するか、確かめられる。
(これは……実験だ)
けれど、それだけじゃない。
(そして──復讐だ)
田所の背中を、レイは冷静に見つめ続けた。
(……もう、揃ってる)
怒りも、悔しさも、踏み潰されてきた記憶も。
すべてが、あいつの中に“蓄積”されている。
ここであと一つ、背中を押せば──崩れる。
レイはポケットからスマホを取り出すと、静かに《END ORDER》を起動した。
選択──《登録者名簿》
対象──《田所 優》
表示──《心理干渉モード:起動可能》
無音の入力欄が、黒く冷たい背景に点滅している。
レイは、迷いなく文字を打ち込んだ。
⸻
⸻
《心理干渉入力:田所 優》
内容入力欄(60文字以内):
──あいつを、終わらせろ。
ずっと踏みつけてきた“支配者”を。
今度は、お前が上に立て。
⸻
《心理干渉:完了》
──対象者の感情傾向に干渉が適用されました。
(……通った)
レイの目が細くなる。
(殺せとは言っていない。だが、“終わらせろ”と伝えた)
どう動くかは、田所次第だ。
けれど、あいつの感情はもう──止まらない。
この心理干渉が“正しく届いていれば”。
──この瞬間から、物語は“歪み”始める。
その予感を抱えながら、レイはスマホをゆっくりとポケットに戻した。