第10話 王食む影
静かな空間に、ひとつだけ明るく光る液晶。
涙の跡を袖で雑に拭いながら、俺は震える指でその通知を見つめた。
──この学園を、影から支配しろ。
《王になれ──この地獄を、逆から支配しろ》
――覚えておけ。
この場所で「正しさ」を求めた者は皆、踏みにじられてきた。
この場所で「誠実さ」を掲げた者は皆、嗤われてきた。
ここは努力の価値を奪われ、真実がねじ曲げられ、
“決定”だけがすべてを塗り潰す牢獄だ。
だから抗うな。泣き叫ぶな。
お前に残された道は、ただ一つ。
――影となり、牙を研げ。
――毒を呑み、毒を撒け。
――敵を利用し、敵を踏み台にしろ。
生き延びろ。奪われたすべてを取り返せ。
……そして、お前の手で終わらせろ。
この学園を。
この地獄を。
そのための“鍵”が、ここにある。
最後にURLだけが残る。
《END ORDER》
画面に浮かぶ《END ORDER》。
震える親指が、ゆっくりと液晶に触れる。
──タップ。
──その瞬間。
ゴッ──!
スマホが、かすかに震えた。
一拍置いて、画面全体がブラックアウトする。
「……え?」
再起動のような挙動。
だが、違う。
LIMEのアプリとは別の領域──
それは明らかに“通常のUI”とは異なる、異質な空間だった。
画面中央に、唐突に現れたシステムメッセージ。
《特殊アプリケーション:END ORDER》
強制インストール中……
※ユーザー操作によるキャンセルはできません。
「……勝手に、インストール……?」
指も効かない。
戻るボタンも、電源ボタンすら無効化されている。
表示されたアイコンは、黒い“歯車”のようなエンブレム。
そこに続けて、もうひとつのメッセージが表示される。
《対象者認証:真城レイ》──条件一致
アプリケーション、起動を許可します。
まるで俺が選ばれることを、“最初から決まっていた”かのように。
(……このアプリ、何なんだよ……)
そう思う間もなく──画面が、静かに変わっていく。
黒基調の冷たいUI。
LIMEとはまったく別の世界。
それはまるで、「この学園の裏側」に足を踏み入れるための、“鍵”だった。
END ORDER ──起動完了
《登録者名簿》《弱みファイル》《映像資料》《閲覧レベル》
選択してください。
一文字ずつ、冷たく無機質な音で表示されていく。
その表示のひとつひとつが、俺の背筋を冷やしていく。
(……これが、“鍵”……?)
画面をスクロールするたび、思考が追いつかなくなる。
データの量が、尋常ではない。
まるで──学園全体の裏側が、そのままここに封じ込められているような。
まず俺は、画面上部にあった《登録者名簿》を選択した。
──カチッ。
次の瞬間、信じられない光景が広がった。
1年Dクラス
1年Cクラス
1年Bクラス
閲覧可能
1年Aクラス
1年Sクラス
現在のレベルでは閲覧不可
2年、3年も同様にロック状態。
けれど、今表示されている“下層クラス”の一覧だけでも、十分すぎる内容だった。
一覧には生徒の顔写真、氏名、クラス、寮番号、通話ログ、行動記録、購買履歴──
それだけではなかった。
《裏アカウント》《裏バイト》《盗撮映像》《隠しチャット》《非公開の弱みログ》
通常では絶対に知り得ない情報が、すべて──ここに集約されている。
(……これ、ほんとに全部……?)
思わず息が漏れた。
この情報の“破壊力”が、直感でわかってしまったからだ。
普通なら、これ一件だけで誰かの人生が簡単に終わる。
だがそれが──ここにある。
「これが……“支配の武器”……?」
ゾクッ、と背筋を何かが撫でていった。
呼吸が浅くなる。思考が加速する。
(いや、違う。これは“記録”じゃない。……“制裁”の道具だ)
そして、その横にひときわ目を引くファイルがあった。
映像資料:
《皇城 瑠――生徒会長演説映像(閲覧用)》
「……っ!」
思わずスマホを持つ手に、力がこもる。
──皇城 瑠。
あの“裁判”のような空間で、俺をEクラスに叩き落とした張本人。
あのときの姿が、フラッシュバックのように脳裏をよぎる。
全員がひざまずき、ただその声に従った。
あれはもはや“生徒”ではない。“王”だった。
選択する。ためらわずに。
なぜなら、それが俺にとって「敵の弱み」になり得ると、本能が叫んでいたから。
──再生開始。
画面が切り替わる。
壇上には皇城 瑠 立っていた。
「久遠黎明学園へようこそ。新入生諸君」
その声は低く、澄んでいた。
けれどその響きは、どこか人の声とは思えないほど冷たい。
「これから君たちは、この学園の“本質”を知ることになる」
「我が学園には、明確な階級制度が存在する」
静まり返る講堂の空気に、言葉が淡々と落ちていく。
「Sランク──“王族”」
「Aランク──“貴族”」
「Bランク──“兵士”」
「Cランク──“平民”」
「Dランク──“奴隷”」
「そして、Eランク──“存在しない者”」
ざわっ、と会場がざわめいた。
そして──怒声が飛ぶ。
「……っ、な、なんだよそれ……!」
Dクラスの腕章を巻いた生徒が、立ち上がる。
「“奴隷”? ふざけんなよ……俺たち、なんだっていうんだよ!」
他のDクラス生たちも同調し、騒ぎは瞬く間に広がった。
──だが。
壇下の両脇から、複数の上級生が現れた。
全員、Sクラスの腕章を巻いている。
静かに、だが躊躇なく、騒ぎの中心に向かって歩いていく。
「え、ちょ、なんだよお前ら──」
ドガッ! バキィッ!! ドスンッ!
悲鳴とも呻き声ともつかぬ音が響く。
生徒の身体が床に崩れ落ちる。
周囲の空気が、凍りついた。
他の生徒たちも黙るしかなかった。
誰も止めようとしない。
誰も声を上げない。
Sクラスが動いた。それだけで──全員が黙った。
壇上の男、皇城 瑠は、そんな光景を一瞥し──
淡々と口を開いた。
「……理解できたようだな」
静かに、確実に。感情を込めることなく言葉を落とす。
「これが、久遠黎明学園の“仕組み”だ」
「規則や正義ではない。階級がすべてを決める」
「上に立つ者は、命令し、罰し、支配する権利を持つ」
「下に者には、反論も許されない。……その価値すら、ないのだから」
会場に、沈黙が落ちる。
それは恐怖ではない。
──服従だった。
「以上だ。各自、自分の“立ち位置”を間違えるな」
映像は、そこで終わった。
スマホの画面が、ゆっくりと暗転していく。
映像は終わった。
けれど──俺の中では、何かが今まさに始まろうとしていた。
ずっと感じていた。最初から。
この学園には、言葉にできないような異常さがあった。
校門をくぐったときのあの空気。
寮の構造、割り振られた部屋の違和感。
通貨、通信、アプリ、全てが統制されていた日常。
誰もが笑っていた。けれど、どこか無表情だった。
誰もが従順だった。けれど、どこか思考を止めていた。
自分だけが浮いているような、そんな感覚。
でも──今ならはっきりわかる。
「……そーゆうことだったのか」
ようやく腑に落ちた。
この世界は、“そういう仕組み”で最初から動いていた。
初日、階段から突き落とされた。
あれが偶然なんかじゃない。
俺がBクラスで、あいつらがAクラス。
つまり俺が“兵士”で、あいつらが“貴族”。
「階級が違えば、殴ってもいい。──それがこの学園のルールってわけかよ」
俺の中で、何かがひっくり返る音がした。
そして──ミオの件。
「……あいつも、俺を陥れようとしたんだ」
低く呟いた声に、思考が冷たく研ぎ澄まされていく。
あのフェイク動画──俺がミオを襲ったとされる、あまりにも出来すぎた映像。
編集された角度、音声、演出──あれは“作られた”ものだ。
狙い撃ちだ。最初から、俺を潰すために仕組まれていた。
「……ミオも、その裏にいるやつも、絶対に許さない」
吐き捨てるように呟いた。
(あれも、この制度の“延長線”にある)
力のある者が、情報を握り、真実を塗り替える世界。
正しさは評価されず、演出だけが真実として定着する。
誰かが意図的に俺を“処理”するために、あの映像を作った──そうとしか思えなかった。
「……くそが。最初から全部、そういう風に組まれてたってわけだ、異常じゃねぇか……こんな学園、まともじゃねぇ……!」
これはただの学園じゃない。
──構築された地獄だ。
支配者が決めた階級の中で、踏みつける者と、踏まれる者が明確に仕分けられた世界。
正義は死に、真実は嘲笑される。
そこに残るのは、“決定”だけ。
「そうかよ、皇城 瑠……お前が、この地獄の“王”ってわけだ」
目の奥に、熱が宿る。
だが、それは怒りではない。
もっと静かで、もっと冷たいもの。
「……影として生きる」
「地獄の裏から、王を喰う」
俺は、存在を消されたEクラス。
この学園では“いない者”として扱われている。
だが、それは裏を返せば──
どんなルールにも、どんな支配にも縛られない“自由な存在”ということだ。
支配者の目をかいくぐるには、透明であることが最強だ。
そして今、俺の手には《END ORDER》がある。
この学園の裏側、すべてを暴く“目”と“牙”。
だったら、やることはひとつしかない。
「この地獄に、終止符を打つ。俺が──この学園の王になって」
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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