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三日連絡がなくなれば、連絡を取ること自体に迷いが生まれ、やがて一日ごとにその想いは肥大し、最終的には「あの告白は嘘だったのではないのか」という自己完結を迎えてしまった。
小学校は同じだったけれど、中学校は別だったことも原因の一つだろう。自らの意思を持って、
『今日放課後空いてる?』
なんて、メッセージを取らなければ、繋がりなんてあっという間に霧散してしまう。
付き合おうと言ってくれた中学二年の冬。気づけば俺は中学三年の五月を迎え、付き合うという言葉に対して、確信が持てなくなっていた。
付き合う前は頻繁に取り合っていた他愛のない連絡も、あの日を境に「恋人」という甘い言葉が邪魔をして、大した用事もないのに連絡取っていいのかと悩むようになったのもダメだった。
付き合う前までは「眠れない」と言う理由だけで、匠をメッセージで起こす事に躊躇はなかったのに、付き合ってからそれが何となくできなくなっていた。ただ、恥ずかしかった、その理由一つで、俺は身動きが取れなくなっていた。
二か月、三か月、半年、一年……。
季節は受験ということもあり、あっという間に流れ過ぎ去り、それとともに、匠も俺の視界から流れ消え去ってしまった。
――匠、どこの高校行ったんだろう。
クラス表を見上げながら、俺は電車の窓の外を流れるように消えてしまった、元恋人を思い出していた。
付き合いたての時は、絶対一緒の高校に行こうと約束していたけれど、そんなのはもう無効だ。元々勉強のできる匠のことだから、レベルの高いところに進学したに違いない。
桜の樹の下に貼りだされた一年生のクラス表の前には、自分と同じ真新しい制服に身を包んだ一年生が固まり、賑やかにクラス表に一喜一憂している。
「うっそ、同じクラスじゃーん!」
「え、アタシ一人なんだけどー!」
そんな賑やかな会話をぼんやりと聞きながら、一年三組の列を眺める。
佐々木、清水、瀬尾、高岡。あった。
高岡凜、という自分の名前を見つけて、俺は更にその下も流れで辿っていく。
中野、沼田、野口、御子柴……。
俺は同じ列に並ぶ名前に、一瞬呼吸を奪われるような心臓のどくん、という高鳴りを感じた。大きく胸を打つ名前に、心臓が早鐘を打ち始める。
御子柴、匠。
その名前に辿り着き、何度もそこから視線を外しては、再度その名前を確認して、その字に視線を這わせる。――御子柴匠。
俺は中二の冬を思い出した。
握った柔らかな手の平、俺をしっかりと見つめる温かな夕陽の滲む眼差し。俺を好きだと言った、あの唇。
生まれて初めて、誰かとキスをしたいと思ったあの瞬間と、叶わなかった記憶。
俺は掲示板の前から昇降口へと急ぎ、下駄箱を探して上履きに履き替えると、殆ど投げるように新しくまだ固い革靴を靴箱に押し込んだ。
一年生のクラスは二階のフロアにあるので、全校生徒で賑わう階段を駆け上がり、一年三組を目指す。
心臓がどくんどくんと、自分とはまるで別の生き物であるかのように、胸の内側で騒いでいる。走って息が上がっているのか、それともあの名前に驚いて気持ちが追い付かず、身体の中が乱れてしまっているのか、どちらかなんてわからない。むしろ、そんな事などどちらでもいい。
明るい廊下を急いで渡り、一組、二組と連なるプラスチックプレートを通り過ぎる。廊下の窓から春らしい温かなクリーム色の光りが、世界のすべてをやんわりと包み込んでいる。
一年三組。
そのプラスチックプレートを見上げて、開けっ放しになっている教室のスライド式の出入り口を潜れば、ちらほら集まり始めているクラスメイトの視線がこちらへと一気に矢の如く飛んでくる。
俺は振り向かれた顔に視線を這わせた。すぐに興味を失くしたように離れていく顔の一つ一つを丁寧に観察し――誰もが俺から視線を解いていく中、じっとこちらを見つめる眼差しに、俺が気付かないわけない。
彼は俺をじっと見据えたまま、一人きりの机の前から立ち上がった。それだけで隣の女子が彼を見上げて、その顔をじっと見つめる。その眼差しは異質なものを怪訝に眺めるものではない、明らかに好意的で、自分の視線に気づいて欲しいという願いが込められている。
「凜、おはよ。久し振り」
彼は俺の前に来ると、少しだけぎこちない微笑みを浮かべた。何度も練習したような筋肉の動きが不自然で――でも、そのいじらしさが滲んでいる、健気な笑顔。
俺は彼の右手を見た。
ふっくらとしていたはずの指は、ほっそりとしなやかで、手の甲には筋が浮かんでいた。視線をゆっくりと上げれば、二重顎だった首元はすっきりとしていて、鎖骨がはっきりと目立ち、その上にある顔は理想的な逆三角形型で、窪んでいた眼差しは形よく収まり、肌のおうとつもなく滑らかで、黒く伸ばしっぱなしの髪は明るい栗色に染め上げられ、癖っ毛の毛先は愛らしく彼の額の上で遊んでいる。
「……分かる? 御子柴匠、だけど」
なんの反応も示さない俺に、痺れを切らしたのか、彼はそう自ら名乗り出る。
俺はいよいよ過去の恋人の面影がびしりとガラスのような亀裂と共に、がらがらと目の前で崩れ去っていくのを感じた。あの姿が好みだったというわけではないけれど、俺が好きだと思った彼の面影が何一つ今は残っていないという喪失感が、胸に去来する。悲しみのような、あの過去をなかったかのようにする彼の風貌に、一抹の寂しさが、胸の奥で渦巻く。
「だ、だれですか……」
俺はなんて言っていいのか分からず、口が動くままにそんな問いを、彼に放っていた。