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昼休みに何の前触れもなく、その事実は、突然投下された。――それはあまりにも唐突で、理不尽で、無責任な爆弾のようなものだった。
「え、これマジか?」
不意に瀬尾がスマートフォンを眺めながら、食べかけのパンから唇を離し、そう呟いた。
「これ、やばくね? プライバシーとは?」
信じられないと、まるで見たくないものを見せられた時のような反応で、スマートフォンを机に置いた。俺は弁当と箸を下げると、彼のスマートフォンを千葉と一緒に覗き込む。
そこには日常に溶け込んだSNSサイトのタイムラインが映し出されていた。日常の近況報告やニュースなどが流れる中――俺は一つの投稿に目を留めて、思わず「は?」と声に出てしまった。
『ビフォアフヤバ過ぎ』
そんなコメントと一緒に乗せられていたのは、今朝見た匠のストリートスナップ写真と、まさに俺の知っている中学二年生時期の、彼の姿だった。
心臓がずくりと嫌な音を立てて、汗がぶわりと噴き出す。
「……こ、これ消せないのか?」
思わず食い気味に瀬尾に顔を向けると、
「誰が投稿してんのか分かんねーけど……」
俺はその投稿の時刻と、いいね数とリツイート数を見た。まだそこまで拡散されていないようだが、何か間違って大きく数字が伸びてしまったら、大変なことになってしまうかもしれない。
そう思うと、頭の天辺からさあっと血の気が引いた。
匠自身過去を隠すような気持ちはないだろうけれど、この投稿は明らかに悪意がある。匠の過去を晒して、周りからどんな反応が来るかを明らかに楽しんで傍観しているのが分かって、怒りがふつふつと湧いてきた。
匠自身が気付かない内に消えれば、もしくは流れ去ってしまえればいいけれど……。
「え、これ匠なの?」
不意にそんな声が聞こえて振り返ると、一人の女の子の周りを囲うように、男女がスマートフォンを覗き込んでいる姿が見えた。
「ヤッバ、お前超デブだったのかよ!」
悪気のないような大きな声音が、嫌な響きをもって鼓膜を劈く。それは心臓のすれすれまでを貫き、こちらまでが痛みを発するような無自覚の悪意の毒が籠っていた。
そっと振り返ると、匠はスマートフォンをちらりと見ると、
「そうだけど?」
そうあっさりと認めてしまう。
別に恥じている様子もなく、ただ淡々と目の前の事実を肯定し、そしてそれにも興味ないと言わんばかりに、梅雨中の晴れ間の空へ視線を投げる。
「これはやべーって、変わりすぎだろ!」
「ちょっとショックかもー……」
「てか、すんげ―根暗っぽいじゃん、暗そー」
安井を筆頭にして、口々に無遠慮な言葉が飛び交う。友達同士だからって許されるような内容なのかと、苛立ちが募ってくる。
「この顎肉どこ行ったんだよ」
そう言いながら安井の手が、匠の今はすっと細くなった顎下に触れようとする。けれど、それを殆ど反射的な仕草で、匠はその手を苛立たし気に叩き落とした。
「触んな、キモい」
匠の素直な反応に、一瞬空気がぴりっと引き締まる。おそらくそれを感じたのは、彼等のグループだけではないだろう。何となく気配を探っていたこちらまで伝わってくるような、張り詰めた琴線だった。
「は? ちょっと揶揄っただけじゃん。ウザ」
安井の一言に沈黙が落ちる。匠はあからさまな溜息を吐き捨てると、席を立ち教室を出て行ってしまった。
思わず追いかけようと、席を立ちかけると瀬尾に制され、
「今は止めとけ」
と言われた。
「でも」
「あっちも気ィ立ってんだろ。一人にしてやれよ」
そうだ、だから一旦席を外したのだ。俺が行ったら余計にこじれた考えを持つかもしれない。
俺は椅子に腰を落ち着けると、食事を再開した。
ゆっくりと固まった空気が溶けて、循環し始める。教室の張り詰めていた空気が解け、日常がまた通常通り流れ始めると、俺はスマートフォンを取り出して、我慢できずに、
『大丈夫?』
と匠にメッセージを飛ばした。
『大丈夫、気にしないで』
返事がすぐ返ってきた事にほっと胸を撫で下ろしながら、
『迎えに行こうか?』
と追加でメッセージを飛ばす。
匠も強い心があるわけじゃない。クールに見えるのは大体が怯えて本音が言えないからであり、内心は傷付きやすく脆い。一人で教室に戻ってくるのが心細いならば、迎えに行くくらいの事をしても、問題はないだろう。
『大丈夫、ジュース買って帰る。凜は何か欲しいもんある?』
『じゃあ、リンゴジュース。紙パックの』
『了解』
短いやり取りを終えると、俺は机の上にぺたりと上体を預けて目を閉じた。
びっくりした。
けれど、とりあえずはジュースを買ってきてくれるという約束があれば、戻ってきてくれることは確実だろう。俺はその約束に、詰まっていた息をゆっくり吐き出しながら、匠を待つ。
「なあ、梅雨明けっていつ?」
「七月じゃね?」
「長過ぎんだろ。高岡、夏弱そうだよな」
不意に話を振られて、
「まあ、確かに。夏は家から出ないをモットーに生きてる」
と返した。
「それな。授業フルリモート希望」
「気温が極端な日はリモート授業とかもいいよな」
二人の間で会話が進んでいくのを、何となく聞きながら、薄い水色の空を眺める。雲一つない晴天は、昨日とは打って変わり眩しいほどに明るく、気温も高い。
外に出たくないな、なんて思っていると、
「あ」
と、どちらかの声が聞こえて、上体をゆっくりと起こす。すると、頭の天辺にひんやりと冷たいものが置かれた。
「おまたせ」
顔を上げると、匠がいた。窓から入る日差しに頬が白く、淡く発光し、優し気な湾曲を描く口元の笑みに、心底ほっとする。
「ありがと。お金ちょっと待って」
「いいよ、奢り。気にしてくれてありがとな」
そう言いながら匠は机の上に、買ってくれた紙パックのリンゴジュースを置くと、すぐに自席へと戻ってしまう。いつも彼の周りには誰かしらがいたのに、今はぽつりと一人きりなのが、何となく物悲しい。
一抹の不安に心が騒めく。
しかし、すぐに五時間目を知らせる予鈴が鳴り、英語担当の教師が入ってきたので、それもそこまでとなり、俺は机の中から教科書を取り出した。
悪い雰囲気もこれだけで終われば良いし、あの投稿もすぐに消えればいい。
そう願いながら「起立」という号令に、俺は気怠い身体のまま、立ち上がった。