クローン誕生
いよいよクローンが生まれる。培養槽に浮いているのは、染みひとつない美しい身体の女だ。黒髪で俺の好みに調整した体型は完璧なバランスを誇る。
「どうすればいい?」
「オーナーらしく堂々としていればよろしいかと。細かい作業は機械にお任せを」
「よし、最終作業開始してくれ」
「了解」
培養槽から水と光が抜けていく。クローンが怪我をしないようにゆっくりと、機械アームが彼女を優しく支え、自然に座り込むように丁寧に処理されていった。開いた瞬間、俺はすかさずバスタオルを手に取り、彼女の体を覆う。
「呼吸正常。心拍数乱れなし。じきに目を覚まします」
クローンの重みを感じながら、少しだけ安心する。やがてゆっくりと目が開いた。黒曜石のような瞳が俺を見つめる。少々戸惑いを感じた。
「う……ううん……」
「大丈夫か?」
俺はなるべく優しく、でも落ち着いて声をかける。
「わ、わたく……しは……」
初めて声を出すからだろう、少し絞り出すような声だ。
「ゆっくりでいい。落ち着け。言葉はわかるか?」
俺は彼女の肩に手を置いて、軽く励ます。培養槽から出てきたばかりで、安定しているのか目視ではわからない。ひとまず安心させたい。
「はい、ここが、わたくしの生まれた場所。私の家」
「そうだ。痛いところはないか?」
「平気です。まだ体の動かし方に慣れている途中なだけですわ」
彼女は美しく上品な声でそう言った。優しさと気高さが同居した完璧な声だ。
「そうか。まあ拭いてからソファーに座れ。服は用意してあるから、体に慣れたら着てくれ」
「ありがとうございます。着方はわかります。ご心配なく」
彼女はバスタオルを握り、軽く微笑む。どこか無垢で純粋な魅力がある。
「オーナー、彼女の神経接続は順調です。記憶や知識のインストールも完了済みです。常識も持ち合わせているはずです」
「ナイスだ、ノイジー。まずはひと安心だな」
俺はソファーに腰を下ろし、クローンを見ながら考える。ここから彼女を楽園の一員として扱い、接していく。そのために必要なことを考えておこう。
「あの、ハヤテ様」
「どうした?」
彼女がタオルで体を拭きながら、俺をじっと見つめる。黒い瞳に好奇心と、ほんの少しの期待が混じる。まるで、俺の言葉を待っているようだ。
「私はなんと名乗れば……?」
「そうだな。お前はこれから俺と一緒にエゴ・サンクチュアリで暮らす。ソフィアとは別人だ。新しい名前で、新しい人生を始めるんだ。名前が必要だ」
これは色々と考えていた。気品と優しさのあるお嬢様のような存在だ。それに相応しい名前をつけたい。
「ソフィアのクローンだから真逆の和名にしたい。アオイ、ユカリ、シオン、サクラとか。気に入ったらそれでいい」
「シオン……素敵な名前です。ありがとうございます、ハヤテ様。わたくしはこれからシオンを名乗ります」
服を着終えて、ゆっくりと微笑む。その仕草は、まるで生まれながらの貴族のようだ。だがどこか純粋で、俺の望む「まっさらな存在」そのものだった。
「よし、シオン。これからよろしくな。お前は俺の楽園の最初の住人だ。俺と一緒にこの世界を自由に楽しむ。それでいいか?」
「はい、ハヤテ様。シオンは、あなたと共にこの楽園を生きることを誓います。どうぞ、よろしくお願いいたします」
シオンは立ち上がり、身なりを整えながら一礼する。その姿勢は優雅で、彼女の言葉には、俺に対する純粋な信頼が込められている。人間には絶対に感じられない、クリアな感情だ。
「素晴らしい命名センスです。シオンのデータも登録完了。彼女の学習プログラムは、楽園での生活に最適化されています」
「よし、シオン。コロニーの案内でもしてやる。エゴ・サンクチュアリは、俺とお前だけの遊び場だ。気に入るはずだ」
俺は立ち上がり、シオンに手を差し出す。彼女は一瞬だけ驚いたような顔をするが、すぐに柔らかい笑顔で応える。
「楽しみです。どんな未来が待っているのでしょう」
シオンを連れて部屋を出る。まずは本人の部屋だな。廊下を歩きながら、俺はシオンの横に並ぶ。彼女はまだ新しい身体に慣れていないのか、歩くたびに少しだけ慎重に足を運んでいる。それでも背筋は伸び、黒髪が揺れるたびに気品が漂う。まるで生まれながらの貴族のようなのに、どこか無垢な雰囲気が混じる。柔らかさと芯の強さが同居した魅力だ。
「よしここだ。欲しい家具や好みの色があれば、ノイジーに言ってくれ。カタログもある」
オーナールームよりひと回り狭いが、それでも超一流ホテルのロイヤルスイートより広く快適に作られている。広々とした空間に、シンプルだが高級感のある家具が配置されている。白を基調とした壁と、柔らかな光を放つ間接照明が設置されていた。まだ最低限の家具しかないが、これは本人の好みに合わせるためだ。
「ノイジー、シオンの部屋の準備状況はどうだ?」
「シオンの部屋は基本設備を整え済みです。ベッド、ソファ、テーブル、クローゼットは標準仕様で配置済み。カスタマイズはシオンの好みに合わせて随時可能です。カタログデータは彼女の個人端末に送信済みです」
「りょーかい。シオン、自分の好みに合わせて変えていいぞ」
「ありがとうございます、ハヤテ様。自分の部屋……少し不思議な気持ちです。どんな風に飾ろうかしら。色は落ち着いたパステルが好きです。淡い緑とか、柔らかな青とか」
趣味も上品にまとまっているようだ。なんとなくお嬢様の部屋ってそんなイメージだな。
「いいセンスだ。ノイジー、緑と青のインテリアカタログを優先でピックアップしてくれ」
「ふふ、ありがとうございます。少しずつ、私らしい場所にしていきたいですわ。まずは、カーテンを変えて、クッションを置きたいですね」
はしゃいでいるのに気品があって可愛らしさもある。クローンは今のところ大成功だ。初回でこれはノイジーと博士に感謝だな。
「ノイジー、シオンのリクエストを記録」
「了解。シオンのリクエストを反映し、明日までにサンプルを部屋に設置します」
シオンは部屋の中央に立ち、くるりと一回転する。バスタオルから着替えたシンプルな白いドレスが、彼女の動きに合わせて軽やかに揺れる。その仕草は、まるで舞台の上で踊るように優雅だ。
「さて、シオン。そろそろ腹減ったな。晩飯にしようぜ。今日は消化にいいものを用意した。いきなりは体に負担があるかもしれないからな」
「かしこまりました。ハヤテ様、食事ってどんな味がするのか、楽しみです!」
「クローン技術は完璧です。胃に負担はかかりませんが。食べ過ぎには注意です」
オーナーズルームには、すでにシンプルだが彩り豊かな食事が並んでいる。スープ、サラダ、柔らかく火を通した魚料理、そして香りの良いハーブティー。シオンの初食事に合わせて、消化に優しく、かつ味覚を刺激するメニューを選んだ。
「座ってくれ。初めての食事だ、ゆっくり味わおう」
シオンはテーブルの前に立ち、目を輝かせながら料理を見つめる。
「ふふ、なんて素敵な香りでしょう。ハヤテ様、これが食事……初めてなのに、なぜか心が弾みます」
彼女は椅子に腰を下ろし、フォークを手に取る。動きは少し慎重だが、知識インストールのおかげか、道具の使い方は完璧だ。スープをひと口含むと、シオンの瞳がさらに輝いた。
「まあ! このスープ、温かくて優しい味ですわ」
俺もスープを口に運びながら、シオンを観察する。彼女はサラダを丁寧にフォークで刺し、口に運ぶたびに小さく微笑む。新しい感覚に感動している様子が、なんとも新鮮だな。
「ゆっくりでいいからな」
「はい、紅茶も素敵な香りです」
こうしてお気に入りを増やしていこう。シオンに苦労はさせない。好きなものや楽しいものを見せてやるさ。
「食後は軽い運動でもいかがです? クローンの体を慣らしましょう」
「いいわねノイジー。ハヤテ様もご一緒しませんか?」
「たまには運動もいいだろう」
そんなわけで運動着に着替えてトレーニングルームへ。
「まずは軽くストレッチから始めましょう。マットの上に座ってください」
本当に軽い運動だ。シオンを気にしながら進めていく。
「ふふ、体が自由に動くというのは面白いですね」
「慎重にな。無茶して怪我しないように」
「ありがとうございます。ゆっくりやっていきますわ」
「オーナーは心配性ですね」
「そうか? 心配したこともされたこともほぼ無くてな。加減がわからん」
「ではゆっくり覚えていきましょう」
不思議な気分だ。こういう提案自体をされたことがない。豪華な設備以外でも、別世界に来た実感というのはあるものだな。
「俺の運動不足が露呈していくな」
ルームランナーで歩き続けるが、シオンより先に俺が疲れてきた。若さの差もあるが、純粋に運動不足だ。
「シオンの身体に異常なし。運動による検査完了です。お好きなタイミングで終了してください」
「お疲れ様です」
「おつかれ……汗は拭いておけよ」
「水分と糖分の補給をどうぞ」
紅茶のフローズンドリンクが出てきた。すっきりした味はフルーツのようで、花のようでもある。清涼感が爽やかさを後押ししていた。砂糖じゃなくシロップなのも甘さを変えてくれている。素晴らしい。
「おいしい! 甘くて冷たくて、素晴らしいですわ!」
「こいつはうまいな。いい仕事だぞノイジー」
「恐縮です」
2人で座って星の光を眺める。いい景色だ。無限に広がる宇宙は、ただそれだけで見るに値する。シオンがそっと俺の肩に寄りかかってきた。
「ハヤテ様、これからよろしくお願いいたします」
「ああ、よろしくな。シオン」
こうして俺の野望は加速していくのだった。