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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

君の想い

インターホンを押すと、よく知った男が整った顔を複雑そうに歪めて出てくる。


「泊めて?」

「自宅はまた?」

「うん。彼女が来るからどこか泊まってって言われた」

「おまえは彼氏だろ」

「かな」


どう見ても呆れてる。毎回のことだけど、それでも部屋に上げてくれる幼馴染は本当に優しい。


「ありがとう……。いつもごめんね、芳貴(よしき)


たぶん誰よりも馬鹿な俺を見限らないでいてくれて、俺はつい甘えてしまう。悪いなと思うのに、こいつ以外に頼れるところがない。




来る途中のコンビニで買ってきたお酒とおつまみをローテーブルに出していると、その横で芳貴が二本の缶ビールのプルタブを上げる。一本を俺に差し出し、一本を自分の手元に置く。こういうところ、ずっと変わらない。


燈路(ひろ)さぁ……」

「はは」

「いや、わかってるんだけど」

「はは」

「……はぁ」


ため息を吐く芳貴は、心の底から俺を心配してくれている。ごめんね、ともう一回言うと、またため息を吐かれた。


「彼女、ふたりになったんだよ」


ビールを飲んでから言うと、芳貴がぽかんとしている。あ、ため息吐くな、と思ったら芳貴はやっぱりため息を吐いた。


「別れないのか」


おつまみのするめ足を引っ張りながら芳貴が聞くので、首を小さく横に振る。


「……琉太(りゅうた)を好きでいないと、自分がわからなくなりそうだから」

「だから彼氏を好きでいるのか?」

「そう」

「……はぁ」


盛大なため息を吐かれた。これでため息何回目かな。

こんなの間違っているんだろう。でも、俺にはこれしかない。琉太を好きでいない自分がわからないから好きでいる。それが正しい“好き”ではないことはわかっている。




ひとつ上の琉太とは、大学のときに琉太の友達が仲介してくれて付き合い始めた。「きみのことが気になっている奴がいるから話してみてよ」と。最初はなんの冗談かと思った。人気者で目立つ琉太が、こんな地味な俺を選ぶ理由がわからなかったから。……もしかしたらその時点で、誰かに必要とされたいという強い気持ちを見抜かれていたのかもしれない。琉太は俺を特別に必要としてくれた。


別に家族から蔑ろにされて育ったわけではない。でも、いつも自分の価値がわからなくて、誰かに求められたかった。


琉太の大学卒業と同時に同棲を始めて、同じ時期に琉太にひとりめの彼女ができた。

最初は当然ショックだったけれど、琉太は変わらず俺を好きだと言ってくれるし、求めてくれる。必要としてくれる。必要とされることの心地よさに溺れ、琉太とそのまま付き合い続けた。


「彼女が来るからどこかに泊まってくれる?」と言われることがあり、そのたびに電車で二駅行ったところに住んでいる芳貴のところに泊まりに行くようになった。芳貴は小中高と同じ学校で、大学は別だった。それでも連絡はとっていたし、ずっと仲良くしてくれていた。

琉太は俺がどこに泊まったかなど聞かないので、特に興味がない様子。俺が言わないことは聞かないタイプのよう。

そして二週間前、ふたりめの彼女ができた。特にショックもなかった。


好きだと言ってくれる。琉太を好き、だと思う。だって必要としてくれるから。


新しい缶ビールのプルタブを上げながら芳貴を見る。いつも複雑な表情で俺を迎えてくれるけれど、迷惑そうな顔はしない。


「そういえば芳貴、二年くらい彼女いないね」


ふと思いついた話題を振ると、芳貴は黙ってしまった。なんとなく、触れてはいけないことだったかも、と思い、別の話を探そうと視線を彷徨わせる。暫し気まずい沈黙が続いた後、ビールを呷った芳貴が口を開いた。


「……好きな奴を忘れるために、好きじゃない相手と付き合ってただけだから」


初めて聞いた話だ。好きじゃない相手と付き合っていたなんてこと聞いたことがない。付き合っていた人が好きな人なんだと思っていた。


「それほど好きな人がいたの?」


小さく頷く芳貴。


「……今も好きだ」

「付き合ってた人達は好きじゃなかったってこと?」

「好きになろうと努力はしたけど、だめだった」


苦しそうに、呻くように言葉を紡ぐ芳貴は今までに見たことがない表情をしている。いつも芳貴がしてくれるみたいに缶ビールのプルタブを上げて渡す。


「そんなに好きな人がいるなんて、聞いたことない」

「言ったことないからな」

「それでなんで忘れようとしたの?」


ビールを一口飲んで芳貴が手の甲で唇を拭う。切なげに歪んだ顔が、その想いの強さを表しているように見える。


「……そいつに恋人ができたから」


もう一口ビールを飲む芳貴。


「それでそいつを忘れるために、告白してくれた子と付き合って、好きになる努力したけど……全然好きになれなかった。そいつじゃないとだめなんだ……」


くしゃくしゃに表情を歪める芳貴が苦しそうで、なにを言ったらいいかわからない。俺もビールを一口飲む。でも、そこまで必要とされるのはすごい。芳貴がそれだけ求めるんだから、とても素敵な人なんだろう。


「……そんなに想われるなんて、その人はすごく幸せ者だね」


少し羨ましい気持ちで言うと、芳貴が寂しそうな瞳で俺を見つめる。なんでそんな目をするんだろう。


「そう思うなら、おまえ自身にそう言ってやってくれ」


――――え?


芳貴のまっすぐな視線が、突き刺すように俺に向けられていた。




芳貴の言葉が頭の中に回る。俺の寝る布団のすぐ横にあるベッドで眠る芳貴を見る。

芳貴の好きな相手は――俺?

まったく知らなかった事実に驚きしかない。だって芳貴は幼馴染で、いつでも助けてくれて、俺は迷惑ばかりかけていて……。

いつからだろう? 芳貴はずっとそばにいてくれた。信頼できる大切な存在。その芳貴がずっと俺を好きだった……。


「……」


これ以上甘えられない。布団から出ようとしたら、「燈路」と名前を呼ばれてぎくりとする。


「帰れないだろ」

「……」


また掛け布団を肩まで掛ける。

確かに、今頃自宅のベッドは琉太と彼女が使っている。だから帰れない。でも芳貴のところにいていいのか。


「……ずっと気づかなくてごめん」

「気づかれないようにしてたんだよ」

「どうして?」

「そばにいられるだけで幸せだから」


そんな幸せがあるなんて知らない。見てもらえないのに幸せなんてあるんだろうか。


「……俺は燈路を必要としてるけど、俺のところに来る気はないか?」


仰向けで横になっていた芳貴がこちらを向き、目が合ってどきりとしてしまう。


「俺のところに来てくれたら、燈路ひとりを心の底から愛すると誓うよ」






二日酔いでもないのに頭がぐらぐらする状態で帰宅すると、彼女は帰っていて琉太だけがリビングにいた。どこに泊まっていたかはいつものように聞かれない。これが俺の普通。でも琉太は必要としてくれる。


「おかえり、燈路」


琉太といながら、芳貴のことが頭に浮かぶ。


それから仕事中もなにをしていても芳貴のことばかり考えてしまう日が続いた。


「燈路、最近様子がおかしいけどなにかあった?」

「……」


なにも答えられない。俺が答えたところできっと琉太はなにも言わないだろう。もしかしたら相談に乗ってくれるかもしれない。でも答えられない。芳貴の気持ちがあまりにまっすぐで澄んでいて、誰にも聞かせたくない。


「ああ、そうだ。今日彼女が来るからどこかに泊まってくれる?」

「あ、うん。わかった……」


頷いて、どこかってどこだ、と考えながら自宅を出る。芳貴の部屋には行けない。芳貴の想いを知って好意に甘え続けるのは残酷だから。


「ここでいっか……」


自宅近くの公園のベンチに腰掛ける。ここで夜を過ごそう。明日までだし、まだ真冬じゃないから一晩くらい大丈夫だ。

芳貴の想いは切なすぎて、触れてはいけない気がする。あまりに純粋で、俺にはもったいない。

ひとつ息を吐くのと同時にスマホが鳴った。画面を見ると芳貴から着信。


「はい」

『今どこだ』


正直に言うわけにはいかない。


「自宅だよ。どうしたの?」

『嘘吐くな』


俺の言葉を嘘だとわかりきっている声で芳貴が言う。


『彼女来てるんだろ』


続いた言葉にぎくりとする。なんで知ってるんだろう……。でもなんとかごまかそう。これ以上迷惑をかけたくない。


「ううん。来てな――」

『今どこだ』


強い言葉に、まっすぐな視線を思い出した。




公園の入り口から俺のいるベンチに駆け寄る影に息を吐く。それがため息なのか安堵の息なのかはわからない。


「……ごめん」

「ほんとにな」


呆れられてしまった。

あの後、位置情報を送れ、そこを一歩も動くな、と言われた。そして芳貴が迎えに来てくれて結局迷惑をかけている。


「どうして彼女が来てるってわかったの?」


芳貴の部屋に移動しながら、不思議に思っていたことを聞く。芳貴と琉太は繋がりがないから、琉太から聞いたということはないはず。まさか彼女から聞いたということもないだろう。


「今日は四がつく日だから」

「四?」


四ってなんだろう。


「毎月、四と九がつく日は彼女が来てる」

「……気づかなかった」

「気づけよ」


また呆れられてしまった。芳貴の部屋に着いて、玄関の鍵を開けるところを見つめる。


「……いいの?」


問いかけに、二秒ほど俺を見て、それからすぐに視線を足元に落とす芳貴。


「そばにいられるだけで幸せだって言っただろ」


それが苦しい。そんな切ない想いに触れていいんだろうか……。そう思いながら、先に部屋に入った芳貴に向かって声をかける。


「なんでそれが幸せなの?」


暗がりで振り返った芳貴の瞳が妙に鮮明に見えて、どきりとする。


「知りたいか?」


逆に聞き返されて、俺は迷わず頷く。知りたい。


「だったら俺のところに来い。そばにいられるだけで幸せだけど、辛い思いしてるおまえのそばにいるのは全然幸せじゃない」


芳貴が俺の手を取った。






芳貴に握られた手の温もりと感覚が忘れられない。ずっとそばにいて、信頼していて、それなのに知っているようで知らなかった温もり。

自宅にいても琉太との距離の取り方がわからず、なんとなく外出することが多くなった。少し離れたところにあるコンビニまで行ったり、ひとりで外食したり。仕事から帰ってもすぐに自室にこもってさっさと寝てしまう日もある。会話も減っていった。

どこにいてもなにをしていても、芳貴のことが頭に浮かぶ。こんなのはおかしい。今まで芳貴をこんな風に意識したことはなかった。芳貴は大切な幼馴染だったはずなのに……。






小嶋(こじま)さん、これもお願いしていいですか?」

「はい。わかりました」


頼まれることは嫌いじゃない。必要とされていることがわかるから。便利に使われていることも知っている。それでもいい。


「……」


パソコンモニターに芳貴の影が過る。なんと表現したらいいのかわからない。グレーな状態と言ったらいいのか……。芳貴が俺を必要としてくれている。琉太も俺を必要としてくれている。俺が付き合っているのは琉太で、でも心を占めているのは芳貴……。






そんな日々が続いたある日、仕事から帰ると琉太がリビングにいた。どうしようかと思うけれど避けるのもな、と少し悩んでいると、琉太が複雑な表情で見つめてくる。


「燈路はもう俺を必要としてない?」


なにを言われているのかわからなくて、首を傾げて今の問いかけを頭の中で繰り返す。


「俺が琉太に必要とされてるんじゃないの?」


俺が聞き返すと、琉太が不可思議なものを見るような顔で俺を見る。その意味がわからず、頭の中が疑問符だらけになる。


「俺は燈路に必要とされていると思ってたよ?」


……あれ?


「俺、は……琉太が俺を必要としてるんだと……」


なにこれ……どういうこと?


たぶん、お互いにお互いがわからないという顔をして見つめ合っている。首を傾げて、空間を見て、また相手を見て、首を傾げて。


……お互い、相手が自分を必要としてくれていると思っていたから、そばにいた……?


「え……琉太? どういうこと?」

「燈路こそ……」


顔を見合わせて、合点がいく。

そうだ。琉太を必要としたこと、必要だと思ったことはなかった。求められたいとは思ったけど、求めたことはない。必要としてくれるからそばにいたけど、そうじゃなければ――。


「……別れようか」


琉太の言葉に頷く。


そうか……求めないといけないんだ。

突然わかった。必要とされることばかりに目がいっていて、誰かを必要とすること、誰かを本当に求めることがわからなかった。


それから少しだけ話をして、荷物のことや部屋のことなどはまた詳しく話をしようということで俺は部屋を出る。メッセージアプリを開いて、芳貴に『今から行く』とメッセージを送った。




芳貴の部屋のインターホンを押すのはもう数えきれない。でも、こんなに緊張するのは初めてだ。出てきた芳貴はメッセージを送っておいたにも関わらず、驚いた顔をしたまま俺を部屋に上げてくれた。俺の顔を見て、カレンダーを見ている。


「そうじゃないよ」


俺の言葉に更に不思議そうな顔をする。そうだな……、俺は都合のいいように芳貴を利用してばかりだったのかもしれない。それでも、ここに来ながら考えた。芳貴はずっとそばにいてくれた、信頼できる大切な幼馴染……芳貴のことを必要としている。あんなに近くにいた琉太を必要とすることはできなかったのに、芳貴のことは自然と求めていた。誰かを必要とすることができるだろうかと考えたけれど、もうしていたじゃないか。


「琉太と別れた」


芳貴が動きを止める。


「……それでうちに来たのはなんで?」


感情を押し殺した静かな声だけれど、芳貴の瞳には期待の色が交じっているのが見て取れる。


「なんでかな」


ずるい答え方をしてしまう。首を小さく横に振ってからまた芳貴を見る。


「芳貴のところに行ったら、大切な人のそばにいられるだけで幸せな理由を教えてもらえるんでしょ?」

「そうだな」

「誰かを好きでいないと自分がわからなくなるから好きでいるとか、必要としてくれるから好きとか、そういうのじゃなくて……ただ相手を求めたり、大切だと思いたい」


芳貴が苦々しい顔になり、それから顔を背ける。


「……本当に俺でいいのか?」


自信のなさそうな言葉にどきりとする。あの日、俺の手を取った芳貴と同一人物とは思えない声が切なくて、心臓がぎゅっとなり抱き締めたいと思う。愛しいとはこういうことなんだろうか。


「だって俺、もうずっと芳貴が必要だし、大切だから……芳貴じゃないとだめだよ」


恐る恐る芳貴の手に触れてみると、少し震えている。その手を軽く握って芳貴の顔を見る。


「必要とされたいってそればかりだった。でもこれからは必要としたい。だけど、俺にはもう必要な人がいる」

「それが……俺?」

「そう。芳貴だよ」


俺が握る手をじっと見た芳貴が、ゆっくり頬に触れてくる。壊れ物を確かめるように、そっと。


「彼氏は、ふたりの彼女とこれからも続くのか?」

「うん……。たぶん、そう。琉太も、自分を特別に必要としてくれる人ならよかったみたいだから」

「似た者同士でくっついてたわけか」

「みたい」


あの後、琉太と少しこれからの話などをしたけれど、やっぱり琉太にとっては自分を必要としてくれる存在が好きな人らしい。俺は誰かを必要としたいと言ったら、「燈路は先を行くんだね」と寂しそうに笑っていた。きっともう、俺達の道は交わらない。


「ずっとそばにいてくれてありがとう。芳貴の想い、受け取る」

「……受け取ってどうするんだ?」

「俺はそれ以上に返す。芳貴が俺を大切にしてくれる以上に、俺は芳貴を大切に――わっ」


いきなり抱き締められてしまい、頬が熱くなる。どきどきするのに落ち着く。抱き締める腕にぎゅっと力がこもり、俺も芳貴の背に腕を回してみる。


「もう充分すぎるくらい……そう思ってくれただけでほんとに充分なくらい、嬉しい」

「うん……。でも充分なんて思わないで。もっと大切にしたい……これからは、もっと芳貴のそばで」

「あー……泣きそう」


俺のほうこそ泣きそうだ。芳貴が可愛く感じて、背中をとんとんと軽く叩いてあげると、笑われた。


「泣くからやめろ」

「泣いていいよ」

「せっかくだから格好つけさせろ」


髪を梳くように撫でられ、とても懐かしくて落ち着く。温もりはいつもそばにあった。

いつでも俺を、見ていてくれた。




END

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