旅をはじめていつかのある日。
「むぅ……」
腰掛けた椅子の上で腕を組み、じっと目の前のテーブル――正しくはその上に乗った銅貨数枚と効果袋――を凝視しながらヴァンが唸る。その際に蒼く長い髪がはらりと頬を撫でた。
「ヴァン? どうしたの?」
そんな唸り声に反応したのはベッドの上で仰向けになりつつ本を読んでいるアリアだ。枕のほうに足を投げ、頭をベッドの外に垂らしながら聞いてくる。行儀が悪いといつも言うのだが、直す気配すら感じられない。
「いや……たいしたことじゃないんだが」
顔を上げてアリアを見れば、寝そべる金色の魔女と同じベッドに腰掛けるリシャも首をかしげている。きょとんとした表情が彼女の雰囲気とあいまって小動物を連想させた。
「思うように金が入らんと思ってな」
言いながらまたテーブルの上に視線を落とす。
三人で旅に出て早一ヶ月。現在貯まったお金は銀貨五枚と銅貨三十四枚。目的である魔術学園に入学するためには、曖昧だが入学金だけで金貨二枚が必要だったはず。三人合わせて六枚だ。
しかもそのあとの学費や、入学後はどうせ寮暮らしになるだろうから寮費、さらに勉強道具に専用魔道具の分も考えなければならない。
もっと言えば、記憶が確かなら魔術学園は六級生から一級生まで六年間通う必要がある。
「……だから魔術師が少ないのか」
意外なところで意外な発見をした。単純に金が足りないということか。
「そうねぇ、確かにお金はまだまだ足りないわよねぇ」
「……でも、仕方ない、と思う、よ?」
二人には今の呟きが聞こえなかったのか、金欠への同意の声をもらった。
そう、リシャの言う通り、仕方ないのだ。冒険者である自分たちがお金を貯めることができるのは、ギルドからの依頼のみになるのだが、その頼みの綱のギルドは登録された冒険者をランク分けしランクにあった依頼しか斡旋してくれない。
内容としては最下級のFランクから最上級のSランクまでがあり、ヴァンは元はもうすぐでAランクとなれるBランクであったのだが……過去色々あって現在は最下級一つ上のEランク。無論、行動を共にしているアリアもEであるし、最近登録したばかりのリシャはFランク。
つまり、ヴァンたちはギルドでのランクが低いので、受けられる依頼も同じく報酬の低い低ランクのものということ。よって、報酬のほとんどは生活費に回され、貯めることができるのはほんの一部なのだ。
「今出来ることは、こうやってこつこつギルドランクをあげることだけ……か」
後頭部に両手を重ねて、椅子の背もたれに体重を預ける。見上げた天井はあまり綺麗とはいえないものだった。
節約のためとはいえ、たった一部屋、しかもベッドが一つしかない部屋しか借りられないのは情けない。
これまた過去色々あって二十年間近く男だったヴァンにとっては問題……なくはないのだが、共に旅をする二人の少女はもっと清潔なところに泊まりたいと思っているはずだろう。
「そうねぇ。まぁほら、私たちの手にかかればギルドのランクなんてあっという間にあがるでしょうし、気長にやってもいいんじゃないかしら」
そんな心境を知ってか知らずか、アリアが本に目を走らせながら声だけを投げてくる。リシャも同じ気持ちらしく、弱弱しい笑みを浮かべて頷いていた。
「でもなぁ……出来れば二人にはもっと良い部屋で休んで欲しいんだよなぁ」
ぽつりと漏らした独り言に、何故か返事が即座に返ってくる。
「なにヴァン、そんなこと気にしてたの?」
「……わたしたち、は、別に、へいき、だよ?」
アリアが呆れた顔でうつ伏せの体勢に移り、指で挟んだ本を床に掠めさせた。リシャは未だきょとんとした表情で首をかしげている。
「そんなことって……俺はほら、おと」
「一時だけ男」
「……一時だけ男で、今は女だが? だけどな、少しはまだ男の時の気持ちが残っていてだな……」
反論を試みるも、正直訂正された時点で諦念が心中に渦巻いた。
「あのねヴァン、いい加減に身も心も女になったら? ついでに私を受け入れたら?」
「お前が言うと妙にいやらしく聞こえるな。というか、それを付け加えた時点ですでにいやらしいな」
「受け入れる、かどうか、はおいとい、て。ヴァンは、結局女の子、だったんだよ、ね?」
「……まぁ、そうなんだが。かといって、二十年の男だった時の俺が消えるわけじゃないしな」
「私としてはリシャが何気なく私の欲望を隅に置いたのが気になるわ」
確かにヴァンは最初から女だった。二十年近く男として生きてきたつもりで、アリアに女にされた時も、自分は元男だと頑なだった……はずだ。
しかし、それは間違いで、元から女で――これまた色々あり――男にされていたのだ。つまり今の女としてのヴァンが本当の姿ということになるのだが。
それでもヴァンは、男だった時の心を考えを変える気はなかった。
何故、と問われても分からない。とにかく、アリアの言うように心も女になるのは避けたいのだ。もし、心まで女になったら――――『変わって』しまうかもしれない。
「まぁ、いいんだけどね。ヴァンはどんなになってもヴァンだし」
「そう、だね。ヴァンはヴァン、だね」
「そうそう。かなり恥ずかしがり屋で」
「とっても、おひと、よし、で」
「甘いものが大好きで」
「たまに、おっちょこ、ちょい、で」
「自分のことより他人のことを優先して」
「それで、自分が、傷つくも、気にしない……」
「そうやって私たちを心配させる天才が」
「ヴァン、だね」
「…………一つだけ言わせてもらえば、何故俺への攻撃になってるんだ?」
げんなりと可憐な顔を歪ませるも否定できないヴァンに、少女二人はくすくす笑う。
「そんなヴァンにはお仕置きが必要よね」
「う、ん。さん、せい」
「は?」
言ってアリアが起き上がりヴァンに近寄る。リシャはベッドの傍に置かれていた小さく奇妙な袋を手に取った。
あの袋はここに居ない大切な仲間の一人から譲り受けたもので、名前は『テッタラ袋』。ああみえて秘宝と呼ばれる強力な魔道具の一種で生物や食物でなければどんなものでも収納可能という優れものだ。
そういえば、アリアとリシャが服を色々入れていた気がするなぁ。などと、現実逃避をしている場合ではなかった。
「お仕置きって、な、なにを? というか、なんで俺がお仕置きされないといけないんだ?」
「まぁまぁ。はい、立って。もうすぐ日も落ちるし、晩御飯の前にお風呂、行きましょうか」
ヴァンは弾かれるように立ち上がる。その際椅子を蹴飛ばしてしまい、細い足に軽い痛みが走るがそんなことを気にしている余裕などない。
いざ、この部屋の出口である扉目指して駆け……ようとして、アリアに左腕を掴まれてしまった。
無駄だとは分かっていても、大声を出さずにはいられない。
「い、いい加減俺と一緒に風呂に入ろうとするな!」
「なんで?」
「な、なんで、だと?」
あっさりと聞き返されてヴァンは愕然とする。今まで散々言ってきたにも関わらず、この腕を掴む魔女はこれっぽっちも分かってなかったというのか。妙な絶望感を味わう。
「……ヴァン、わたしたち、と、一緒に、入るの、嫌なの?」
「う……い、嫌、というわけ……じゃ」
しかも今回は、罪悪感というおまけつきなのだから、心は音を立てるまもなく折れるというものだ。
ヴァンは思う。この小動物のような弱弱しい雰囲気を持つ少女の、涙目の上目遣いという行為に対し、非情になれる人間が居るのであればつれて来い、と。もし居たら自分が人の道を説いてやる。
もちろん、これも現実逃避であるからに。
「ふふふ、さぁヴァン、リシャ、一緒に気持ちよくなりましょうねー」
「う、ん」
「アリア一応確認しておくがそれは風呂に入るのが気持ちいいって意味だよな!? な!?」
二人の少女に両腕を引っ張られ、引きずられるようにして風呂場へと連行されるヴァンの呟きには、何故か答えが返ってくることは無かった。
読んでいただきありがとうございます。
旅をはじめていつかのある日。楽しんでいただけたでしょうか?
今作はこのように、何気ない日常や騒動などを短めの短編的なノリで投稿していきたいと思っております。といいつつ早速学園物じゃないじゃんっていうのはほら、ご愛嬌ということで一つ…。
でもまぁ別に全部バラバラってわけじゃないんですけどね。ちゃんと繋がってはいるはずです。きっと。多分。恐らく。…だといいなぁ。
…こほん。
えー、とまぁこんな感じでスタートしだした第二部ですが、お付き合いくだされば幸いでございます。
ではまた自戒!!