幕間
叶多と蓮のお話です。
「それ彼女?」
春原蓮と会ったのは叶多が高校一年のときだった。同じクラスの男子で、あまり親しい友人がいなかった―正しく言えば作らなかった叶多のスマホを無遠慮に覗き込んできたのである。
「見ないでくれるかな」
にっこりと笑ってスマホの画面を暗くする。絵見と撮った写真が減ってしまうじゃないか。
絵見は両親を亡くしてから画家の祖父に育てられた。絵見の祖父は叶多の祖父お抱えの画家であり、別宅の敷地内にアトリエがある。叶多はうまく両親を丸め込み、別宅の近くにある私立の高校に通っている。偏差値が高く、進学率もいい学校だった。それも全て絵見の傍にいるためだ。叶多は絵見を好いていたのだ。
絵見は金銭的面もあって公立の高校に通っている。つまり平日は二人が顔を会わせることが滅多にない。だからこれは足りない分を写真で摂取しているだけだ。不埒なことは決してしていない。
蓮がずいっと顔を近づけて耳元で呟く。
「顔が緩んでたぞ」
口元をさっと手で隠してジト目で蓮を見る。ニヤニヤとこちらを見てくる男はこちらの事情を話さないと帰ってくれなさそうだ。大きなため息をつき、仕方なく口を開いた。
「まだ彼女じゃない」
「ふ~ん、惚れてる子か」
返事をしない叶多。無言を肯定ととり蓮は空いていた前の席に座って頬杖をついた。
「他校の子?」
「なんでそんなこと聞きたいんだ」
「お前、知らないかもしれないけどモテるんだぞ?彼女いるかわかったらお嬢様たちからお菓子もらえるんだよ」
つまり叶多はいい小遣い稼ぎのようなものということか。教室のドアを横目で見ると女子生徒が何名もちらちらとこちらを覗き見していることがわかった。眉をくいっとあげて思案する。
自分の容姿が整っていて頭がよくモテてる自覚はあった。だが本当に好きな相手は自分の気持ちに全然気づいていないのだ。自分の気持ちを押し付けるつもりもなかった。そして絵見以外を選ぶつもりもない。
「ならそのお嬢様方に伝えるといい。僕はずっと一人の女性に思いを寄せているってね」
それがわかれば煩わしい告白等も無くなるだろう。蓮はひゅーと口笛を吹いて茶化してきた。
「一途だねぇ。女子がまたキャーキャー言うな」
誤った判断をしたか、と思ったが後の祭りだ。また大きな溜息をついた。
「イケメンが溜息をつく姿もサマになってるよな。悩み事か?言ってみろよ」
確かに叶多には今悩み事がある。この男は言動の割によく人を観察しているのかもしれない。一見軽そうに見えるがちらりと賢さも見受けられる。話すかどうか少し悩んで、他者の意見を聞いてみることにした。
「気分転換に出かけるならどこがいいか悩んでた」
「彼女とか」
正確には彼女ではないが、再度否定するのも居た堪れないので口を閉じていた。絵に向かっている絵見を見ることも好きではあるが、今の彼女は何かに囚われているように思えてならなかった。だから気晴らしをさせてあげたかったのだ。
蓮はスマホを弄りながら顎を擦り唸っている。
「山」
「行ったことある」
「海」
「行ったことある」
「美術館」
「今開催中のは以前行った」
「映画」
「そういうタイプじゃない」
絵見はあまりドラマ等を見ないタイプだった。読書はするが、映像を見ていることはあまりない。無論一切見ないわけではないが、自分の頭の中で想像して思い描くほうが数倍楽しい、というのが理由らしい。
およそデートスポットらしきものを列挙したもののどれもヒットせず、蓮は頭を抱えた。
「彼女の好みなんかはないのか?」
「どちらかといえば自然が好きだと思う」
彼女はよく風景画を描いていた。それ以外だと自分の感情を込めた抽象画。絵見の祖父が見ているときは風景画を描き、それ以外は感情を込めた絵を描いていた。叶多も彼女の特殊な能力を知っており、絵見の祖父からよろしく頼むとお願いされたこともあり、よく絵を描いているところを見に行ったものだった。
叶多が来ても絵見は感情をぶつけることをやめなかった。苦言を呈しても、だ。知っているのだ。叶多が彼女を止めることなんてできないということを。
「最近できたバラ園は?自然豊かで綺麗だって聞くけど」
絵見がバラを好きだったかわからないが、花は嫌いではないはずだ。最近できたということは彼女も恐らくまだ行ってないはず。素早く頭を回転させて結論を出す。
「そこに行ってみるよ。ありがとう」
「いいって!友達だろ!」
初耳だが?と目を細めると蓮は明らかに肩を落として嘘泣きをしている。涙が溢れてないことなんてお見通しだ。無視しているとぱっと顔を覆っていた手を机につき、不敵な笑みを浮かべた。
「結果は教えろよ」
そこでちょうど予鈴が鳴り、叶多はしっしと手を振って蓮を追い払った。絶対だぞ!といってニヤニヤしながら席に着くまで見届けて黒板のほうを向く。
やぶ蛇を突付いた気分だ。
結局相談をした一ヶ月後のテスト明けに、叶多は絵見をバラ園へ連れて行った。最初はなんでわざわざ…と眉間に皺を寄せていた彼女もその圧巻の光景を見たら目を輝かせていた。
ちょうど見頃のときに来たらしい。色とりどりの満開のバラは童話のような、不思議な世界に入り込んだような高揚感がある。自分がちょっとだけ特別になったような気持ち。例えるならば姫の手を取る王子のような、そんな特別感だ。出来たばかりだったため人も多かったが、それが気にならないほどの質量感だ。
先導してずんずん歩く絵見を見て叶多は安堵した。最近は何かに囚われているように絵を描いては、ふとした瞬間に抜け殻みたいに無表情でぼうっとしていることが多かったから、彼女の明るい顔を見たくて連れ出したのだ。
よかった。
安堵して心の中で蓮にこっそり感謝する。嫌そうな顔をしていたが記念に絵見と写真も撮った。これもいい記念になるだろう。
それから叶多が蓮に対する態度を軟化させた。賢く、叶多と絵見とも少し異なる感性を持つ彼はいい刺激でもあったし、友達になってもいいかもしれないと思ったのだ。
まさか高校を卒業しても連絡を取り合うような長い付き合いになるとは思わなかったが。それもまたいいことなのだろう。
「聞いてるか?」
「聞いてる聞いてる」
阿部真奈が殺害されたとされる死亡推定時刻に叶多は蓮と電話をしていたのだ。その証明をしてくれて容疑が晴れたことを連絡してくれている最中だった。
それでもまだ嫌な予感は拭えていない。何かよくないことが起こりそうな気がしてならなかった。
「それで、愛しの絵見ちゃんの様子はどうなんだ?」
気安く呼ぶな、といいたいところだが反論すると蓮が喜ぶためスルーする。
「精神的には負荷になっているみたいだけど、昔みたいに忘れようとしないだけいい、かな…」
昔のままだったらきっとすぐ絵に辛い気持ちをぶつけていたことだろう。それに耐えているということは彼女も成長した、ということだ。
「そっか。まだ犯人も捕まってないし、気をつけろよ。何かあったら連絡してくれ」
それじゃあ、と電話が切れる。真っ暗になった画面を暫し見つめると、暗い表情の自分がいた。
絵見が身近な者の死に触れたのはこれが初めてではない。両親、祖父、三人とも彼女に大きな影響を与えた。彼女の人間味を損なう原因でもあった。
普通ならば人は大切な者の死を受け入れて生きていくものだが、絵見はそれを別の場所に移すことを選んだ。可能だったから、という理由で。だから絵見は酷く軽くなっている。他者との触れ合いで自分の人となりに重みが増すと叶多は思っている。つまり彼女はその分軽いのだ。
この事件が早く解決し、自分たちに関係がないことを祈るばかりである。
この時はまだ事件が、自分たちをターゲットにしているものとは露ほどにも思っていなかった。