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近辺で立て続けに起こる殺人事件。犯人は未だ捕まらず、住民たちは怯えていた。被害者の共通点は見当たらず、手がかりもないため捜査は難航している。
絵見自身もすごく仲が良いというわけではないが、世間話をする仲だった知り合いが亡くなって滅入っていた。阿部真奈から始まったこの事件はまだ続きがあるように思えてならない。次は自分ではないのか、と各々が思っている。
絵見も叶多もなるべく一人で出歩かないように心がけていた。アリバイを証明することもできるし犯人に狙われるリスクも少なくなる。今は気分転換に二人でワトソンの散歩をしている。
道を歩いていても人はあまり歩いていなかった。車通りは普段通りのため、やはり皆自身を守るために家に籠もっているのかもしれない。
明美山に行ってからずっと雨続きだったため、久しぶりの晴天にワトソンも尻尾をぶんぶん揺らしている。ワトソンも二人の陰鬱な雰囲気に影響を受けて最近は尻尾を下げていたためよかったと心から思った。今日は河川敷の方へ行こうと川に沿って歩いているとお婆ちゃんが橋のところで突っ立っているのが見えた。
「ずっと川を見てる。何かあるのかな?」
「?どこ?」
あそこ、と指を指した場所を叶多はよくよく見る。
「誰もいないよ」
霊みたいだね、と肩を竦めた。そっか、と呟き二人はまた前を向いて歩き始めた。お婆ちゃんが何を見ていたのか気になったが、あまり気にしないように頭を振った。不必要に霊に関わるべきではないのだ、お婆ちゃんには申し訳ないが。
下降付近にくると川の流れも随分緩やかになってくる。昨日は雨が強かったため川には木の枝等様々なものが浮いており水かさも増していた。前方に人集りができており、絵見は眉を寄せる。
目を凝らしてみるとどうやら複数人の警官が何かをしているらしい。迂回しようか、という叶多の提案にのり、道を曲がろうとしたところその集団から一人抜け出してこちらに走ってくる人影が見えた。
蓮だ。
「叶多!なんでこんな離れたところまで来てるんだ?」
「ちょっと長めの散歩だよ。それより何かあった?」
蓮の後方を覗き見る。肩を竦めて蓮は説明した。
「殺人事件だよ。犯人はきっと同一人物なんだろうな」
つまり遺体の一部に穴と線の切り傷があったのだろう。昨晩の川に流されてこの下流の土手にあがっているところを散歩していた者が見つけたらしい。衣服はびしょ濡れで直接の死因は溺死らしい。つまり生きたまま体に傷をつけられて川に突き落とされたのだ。あまりに惨い仕打ちに足が竦んだ。
「諸岡文子さんっていうご老体なんだけど知ってる?」
叶多は顎に手を当て唸り、写真はある?と聞いた。蓮が懐から該当のものを出すと知っている!と手を叩いた。写真の女性は白髪混じりの笑顔で皺がいくつもできている明るそうなお婆ちゃんだった。
「知り合い?」
「絵見も会ったことあるよ!ご近所さんでよくワトソンの散歩中に会ってたよ!」
「?」
「猫の散歩してる…」
ああ、と合点がいく。確かに猫をリードに繋げて歩いているお婆さんがいた。絵見も何度か会って話をしているし、人懐っこい猫のため触らせてもらうこともしばしばあった。猫のことしか覚えていなかったため飼い主の顔と名前はうろ覚えだった。
「この人、さっきの橋の上にいた…」
橋をじっと眺めて突っ立っていたお婆ちゃんその人だった。ばっと振り返った二人の視線を浴びて思わず固まってしまう。びっくりするじゃない。
蓮が真剣な眼差しで言った。
「そこ連れて行ってくれます?」
蓮の依頼通り、来た道を戻ってお婆ちゃんがいる橋のところまで来た。ここ、と彼女を指差す。
「永世さん、いつものあれ、やってくれますか?」
蓮が筆を動かすポーズをした。他にもっとよい言いようがあるだろう。
気を取り直してじっと川を見つめるお婆ちゃんの前に出て手を差し出す。
「お婆さん、あなたが最後に見たものを、犯人を、教えてくれませんか」
今やっと絵見たちの存在に気付いたとでも言うように目を丸くさせた。その後あたふたしている。何か言いたそうな雰囲気があった。ごめんね、言葉で聞いてあげられなくて。
「諸岡さん、どうしたの?」
「…何かいいたそうにしてる」
「猫が心配なのかもしれないよ」
叶多の言葉を聞いて諸岡は彼を指さした。当たりらしい。
「猫は私達が責任をもって世話をします。だから教えてください」
ちらりと叶多を見たが、彼も力強く頷いてくれた。亡くなって一番に気にしていることが愛猫とは、よほど大切なんだな、と思った。彼女以外に世話をしてくれる者がいないのかもしれない。彼女の未練なのだろう。
諸岡はほっと息をつき、安心したように穏やかに微笑んだ。そしてそっと絵見の手に自身の手を重ねた。
ぐんっと絵見の中に諸岡が入ってくる。その場に腰をおろしスケッチブックを広げて鉛筆で描き始めた。
絵見がカリカリと描いてる中、そういえばと蓮が声をあげる。
「諸岡さんの自宅も調べたけど、彼女は一人暮らしで動物も誰もいなかったらしい。だから猫もどこかに行ってしまったのかも」
「脱走か…」
叶多は天を仰いだ。世話云々の前に捜索しなければならなくなった。
三十分ほどして絵が完成した。いつもよりうんと早く終わったため叶多も目を丸くさせている。
絵を覗き込むとその理由も納得だった。輪郭がなくぼんやりと人の形が描かれているのみだったからだ。諸岡は目が悪かった。普段は眼鏡をしているが、死の間際に彼女は眼鏡をしていなかったのだろう。絵見が描けるのは憑依したものの感情や見たものだけだ。つまり目が悪い諸岡がぼんやり見たものをそのまま描いたのである。
「これじゃあ資料にはならないな…特徴もなんもあったもんじゃない」
蓮が苦そうな顔つきで頭をぽりぽり掻く。絵からは髪が短くて肩幅も広そうだからなんとなく男だろうな、ということしかわからない。顔の仔細などわからなかったが犯人の後ろから雨風が吹き荒んでいることがわかり、彼女が昨晩の大雨の最中に屋外で殺されたことは明白だった。
絵見から抜け出た諸岡はまだ橋の上に留まっていた。猫の無事を確認するまで彼女が成仏できることはないのだろう。
「私達は諸岡さん家の猫を探します。春原さん、この絵はどうしますか?」
「一応預かっておくよ。協力感謝します」
スケッチブックから絵を切り離して蓮に渡す。彼はまた現場に戻っていった。
絵見と叶多は早速猫の捜索を始める。叶多が散歩中に会った場所や諸岡の自宅付近を探したが該当の猫は見当たらなかった。昨日は大雨であったし、いつから脱走したのかはわからないがきっとお腹を空かせていることだろう。無事だといいのだが。
「こういうときはここらへんの親分猫にお願いするのがいいんだよ」
「親分猫?」
叶多はスーパーで猫用のパウチを買って使い捨ての皿に入れるときょろきょろとその親分猫を探し始めた。
親分猫というのは野良猫のボスのようなものでその地域を牛耳っている存在らしい。その猫にお願いすると迷子猫がいつの間にか帰ってくるとSNSで見かけたそうだ。
本当にそんなことで見つかるのかと胡散臭そうな目で見ていたが、暫くすると顔が厳つい猫がのそのそと物陰から出てきた。絵見たちから一定の距離をとり座り込む。図体が大きくて目もキリッとしていてボスと言われると確かに、と頷ける貫禄があった。
「迷子になっているみぃちゃんを見つけてください。真っ白な毛並みの女の子です」
叶多が地面に皿を置き、距離を取りつつお願いする。親分猫は暫く様子を見てからのっそりと皿に近づき、パウチを完食してそそくさとどこかへ行ってしまった。食い逃げではないか?
「もう遅いし、僕たちも帰ろう。ワトソンもお腹が空いたよね」
猫がいる間も吠えることなく大人しくしていたワトソンが嬉しそうに吠えた。尻尾ははちきれんばかりに揺れている。ご飯が楽しみらしい。
渋々家に帰った次の日、諸岡の猫みぃちゃんはアトリエのすぐ近くに現れた。人馴れしており顔見知りだったこともありあっさりと捕獲される。あんなに探して見つからなかったのに、こうもあっさり来てくれるとは親分猫の噂も真実であったようだ。ありがとう、親分…と合掌して天に拝んだ。今度またご飯を用意するね、と。
それからご飯をあげてみぃちゃんの体の汚れを落としてから叶多の家にあった小さなゲージに入れて、諸岡が留まっている橋までやってきた。ゲージの中を見るとほっとしたように頬を緩めて彼女は消えていなくなった。安心して成仏できたのだ。
二人はさっそく猫を飼う準備をするために帰路についた。一旦みぃちゃんを家に置き、猫のトイレやご飯などを買って帰る途中にばったりと蓮に出会う。蓮は二人が手に下げている荷物を見て訳知り顔になりお茶でもしないか?と二人を近くにあった喫茶店に誘った。
「猫見つかったんだな。こっちは何もできなくて悪かったな」
「そっちも仕事してたんだろう。気にするなよ。早く犯人捕まえてくれればそれでいいよ」
仲がよい蓮と叶多の会話に入れず、絵見はちまちまコーヒーを口にしていた。とても気まずくて私は鉢植え…と思うことにした。
「それが尻尾を全然掴ませてくれないんだよ。それなのに遺体にはメッセージまがいのことをしているし、この犯人は何をしたいのかさっぱり」
捜査の内容に関することをぺらぺら話して構わないのか、と半目になる。しかしふと気になることができて手をあげた。
「メッセージって?」
「体に傷がついてただろう?あれがどうやら文字を表しているらしくて」
「モールス信号か」
叶多がぽんと手を叩くと蓮が正解といった。当初穴や線が引いてある遺体の傷はそういった趣向なのだと思っていた。楽しむために傷つけている、というような。だが違ったらしい。
阿部真奈の腕:・ーーー・
高良清江の腕:・ー・
池永佳保の足:ー・ーーー
諸岡文子の足:・ー・・・・
それぞれ『せ』『な』『え』『が』の文字を示している。
「ただそのまま殺害順に読んでも言葉にならないし、移動させてもならないし、まだ文字が出揃ってないって可能性もあるし、意味なんてないって場合もあるし、ほんと…」
蓮は頭をわしゃわしゃ搔いて机に突っ伏してしまう。叶多は四文字を様々な組み合わせにしてみたり、違う文字を追加して言葉にならないか模索している。
絵見は空っぽになったコーヒーカップをいつまでも傾けていた。違うことに気がついて、飲み終わったことに気づいていなかった。手がうまく動かせなくて、冷や汗が止まらない。しかしその気付いたことを口に出す気にはなれなかった。
一文字足したら『ながせえみ』にならないか?