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ランドセルから腕が見つかって一週間が経った。発見後すぐに警察に連絡をして事情聴取を受けた。一週間の間に他の身体の部位も公園からおよそ二キロの辺りにばらばらに放置されていた。頭部だけは見つけることができなかったが、DNA鑑定をして阿部真奈であることが判明した。彼女は体をばらばらに切断されていたのである。ただどれからも犯人の証拠になるものは発見できず、放置されていた場所も人通りが少ない防犯カメラがない場所だったために犯人特定には到っていない。第一発見者ということで真奈が殺害されたと推定される日、真奈が帰ってこなかった日のことを聞かれたが絵見はアトリエで掃除をして籠もっていたばかりにアリバイは成立しなかった。容疑者として疑いの目を向けられているものの、証拠不十分で当日はそのまま帰宅したのである。
阿部ママはそれから暫く顔を見かけなかった。娘を亡くしたのだ。傷心しているに違いがない。ただなんと言えばいいかもわからなくて、絵見は話しかけに行けずにいた。お悔やみ申し上げます。私が真奈ちゃんを見つけました。この度は非常に残念なことに…
どれも紙に書いた薄っぺらな言葉な気がした。彼女に寄り添う心を今の絵見は持ち合わせていない。
筆ものらなくてずっとキャンパスの前に座っているだけしかしていない。頭の中が様々な色を様々な道具で塗りたくったみたいにぐちゃぐちゃで、描きたいものが纏まらなかった。この感情を絵にぶつけてしまえばいいのかもしれないが、まだ今はしてはいけないと思った。まだ解決はしていないのだ。以前の二の舞にしてはいけない。今はその感情に耐えられるだけ成長しているのだから。
ノックの音が聞こえて返事をすると叶多が入ってきた。顔は笑っているが内側はささくれ立っているようだ、決して顔には出さないが。
「どうしたの?」
「絵見に会いたいっていってる人がいるんだ」
今玄関にいる、と渋々いう。本当は会わせたくないのにそうも言っていられない状況なのだろう。絵見は頷いて立ち上がった。
「前に警察の友人の話をしたよね。そいつが来てる」
警察ということは阿部真奈に関することだろうか、と考えを巡らせていると玄関についていた。眼の前には人の良さそうなスーツを着た青年が立っている。確かに叶多の友人だな、と感じた。人当たりが良さそうだが裏で色々考えているタイプだ。恐らく頭もかなりいいのだろう。
彼は警察手帳を見せて自己紹介をしてくれた。名前は春原蓮。叶多とは高校からの友人で今も連絡を取り合う仲らしい。
「前置きはいいので単刀直入に要件をお願いしますか?」
「今回は阿部真奈のことではないのだけれど、ちょっと混み合っててね。座ってゆっくり話を聞いてもいいですか?」
叶多の友人だとしてもあまり気分の良いものではない。だが仕方なくリビングに通してお茶を出した。一口お茶を含むと蓮はゆっくり話し始めた。
「あなたの近所の女子大生、高良清江さんが山で何者かに殺害されて亡くなりました」
ひゅっと息を吸い込んだ。彼女とは最近世間話をしたばかりではなかったか?
「高良さんの周りの人たちに事情聴取はしていたのですが、通常なら近所というだけであなたに話を聞きには来なかったでしょう。何故あなたに聞きに来たかと言うと、連続殺人事件の可能性が高いからです。まだマスコミ等も知らない情報なので外部に漏らさないでいただきたいのですが、高良さんの死体にも阿部さんと同じ奇妙な傷跡があったんです」
二つの穴と一本の線の切り傷が腕に。そのため阿部真奈と高良清江を殺害した犯人は同一人物というセンで捜査をしている。
ただここでまだ問題があった。
「一緒に登山に出かけた池永佳保さんがまだ見つかっていないんです」
高良と池永は阿部真奈の遺体が発見された三日後に明美山に行って帰ってこなかったそうだ。高良は一人暮らしだったが池永は実家暮らしだったためなかなか帰ってこない娘を心配した母親が捜索願を出そうか、と考え始めた翌日の朝、高良が死体で見つかった。登山客が茂みから覗く横たわった足を見つけて覗き込むと喉元を切り裂かれて腕に跡をつけられた遺体があったのだ。だが近くに池永の荷物も痕跡もなく、彼女は未だ行方不明。高良を殺害した犯人の手に落ちたかどうかさえわからない。
「そこであなたの力をお借りしたい!」
ぱん!っと両手を叩いてお願いされる。ちらりと叶多を見ると頷くだけで何も言わなかった。蓮も絵見の力を知っている、ということだ。
「だけど私は容疑者ですよね。捜査に関わるようなこと、していいんですか?」
「本当はだめだね!」
あっけらかんと言った。あまりの潔さにずっこけそうになった。
「でもあなたが犯人じゃないことは叶多が当日一緒にいたことから明白だし、責任は俺が取ればいいから。今は犯人を見つけることに専念しないとね」
彼は叶多のことを相当信頼しているらしい。絵見は知らなかったが阿部真奈が殺害されたとされる日時に叶多はリモートで誰かと通話をしていたそうだ。その記録が残っており、彼はそうそうに容疑者から除外され、同じく一緒の家にいた絵見も容疑者から外されていたのだ。そういうことは早く教えてほしい。
「…私に何をさせたいんですか?」
ぎゅっと手を握りしめて毅然とした態度で前を見据える。
「明美山で高良さんの霊がいないか見てほしい」
そして運がよければ犯人の手がかりを掴み、池永の居場所も突き止めたい。
一行は明美山に来ていた。蓮が運転する車で高速に乗り向かったため十四時頃には山の麓に到着した。蓮が先を歩き、二人は後ろからついていく。山は捜査のために封鎖されていた。テレビでよく見る黄色いテープが張られており、それをくぐって山へと入る。
絵見は霊がいないか辺りを見回しながら進んだ。山の中腹に差し掛かったとき、前方を歩いている蓮が止まったため視線を前へと向ける。
ここか…
「ここが高良さんの遺体が見つかった場所だ」
茂みに佇んでいる高良がいた。彼女はずっと斜め上の方を見つめていた。
「います、彼女が」
蓮が驚いた表情をしたのを横目に捉えつつ、高良に近づく。高良ちゃん、と呼ぶと彼女ははっとしてこちらを向いた。視線が交わり、だんだんと顔がしわくちゃになる。その声は残念ながら聞こえないのだけれど。
それ以上話しかけない絵見を訝しんだ蓮が肩に触れようとするのを叶多が制する。本当に察しのいい男だ。絵見は高良が落ち着くのを待っているのだ。声が聞こえなくても見えるから。気づいてもらえたということが彼女にとってどれだけ重要かわかるから、絵見はただ待った。
ようやく落ち着いてきた高良にすっと手を差し伸べる。
「高良ちゃんが見たものを、教えてくれる?」
そのことをあなたは忘れてしまうけれど。
高良には以前自分の能力について話したことがあった。きっかけは確か友人のペットが亡くなって悲しんでいるという話を聞いたときだったか。その人の感情を込めて描いたら生き生きとしたペットの絵は出来上がるだろうが、ペットを愛していた感情は無くなってしまう。それは本末転倒だろう、といった話をした。
だから彼女はわかっている。絵見の手を取るということがどういうことか。それでも高良は意を決したように手を合わせた。
すぅと高良が内側に入ってくる。脳裏には彼女が見た景色が浮かんでいる。地べたに腰を降ろしてスケッチブックと携帯用の水彩絵の具を取り出し、鉛筆を動かし始める。
「本当に入っているんだな」
「そうだよ、ちょっかいだすなよ」
蓮は傍で腕を組み、眉をひょいっとあげた。一心不乱に鉛筆を動かしている様は他者から見たら異様な光景だった。取り憑かれていると知らなければ気が狂ったと思われていたかもしれない。まぁ芸術家なんて変人が多いものだが。
鉛筆を仕舞い、今度は水筆で着色を始めていた。迷いのない筆使いに蓮も感嘆する。
ぴたりと筆が止まり、何度か筆を見る。その姿を見てじっと眺めていた叶多が近づいた。筆を借りて中の水を補充する。動きが止まったのは水切れが原因だったのだ。叶多から筆を受け取り再び筆を動かし始めた。この僅かな時間も絵見はスケッチブックから視線を動かさなかった。
「まるで召使いみたいだな」
また一歩下がった叶多をにやりと見て蓮が言った。叶多は肩を竦めて絵見だけだよ、と呟く。
暫くして絵見が筆を片し始めた。絵が完成したのだ。
「終わったよ」
高良も体からいなくなり、どこかへ消えてしまった。絵見は二人にスケッチブックを見せた。
それは山から見たどこかの風景だった。絵からは怒りや憎しみは感じられない。ただ少し淋しげではあった。哀愁を感じる絵は思らずほろりと涙が零れそうだった。木々が生い茂る風景はどこか見覚えがあり叶多は眉を顰める。これが高良が見たものだというのか。
「高良ちゃんは犯人の顔を見てないみたい。その代わり見たもの、と言ったところこの景色を選んだ。つまり…」
「死ぬ間際に見た景色、ということか」
死体があったこの場所から周囲を見ても同じ構図にはならない。つまり死体があった場所と殺害現場は異なるということになる。
「でもこの景色は恐らく明美山のものだと思う。どこかで見た気がするもの」
「…立ち入り禁止」
絵見が顎に手を当てて唸っていると、ずっと黙っていた叶多がぼそりと零した。
「立ち入り禁止の看板があったところの景色に似ていない?」
三人は叶多が指摘した場所まで登った。遺体発見現場からはそう離れた位置ではなく、五分ほど歩いたら到着した。
スケッチブックを片手に掲げてぐるりと見回す。あった。ぴったりと当てはまる構図。立入禁止の看板の少し内側から見た景色だ。
蓮が地面の落ち葉を掻き分けると血の付着した草がみつかった。ここで高良は殺害されたのだ。だが彼女が何故最後に見たもの、でここを示したか分からなかった。喉を裂かれても意識が落ちるまでは時間があるだろう。その中で犯人の足元でも見なかったのか。現場から移動された間に少しでも息が残っていて見たものはなかったのか。
「この崖下を探して欲しかったんじゃないかな」
叶多がまたも指摘する。近くの木に手を置いて崖下を覗き込むと草の中に不自然に盛り上がっている部分があった。変と言われなければわからないほどの僅かな違和感。だけれど指摘されれば確かに自然に落葉したとは思えない不自然さがあった。
絵見たちはそこでお役御免となった。スケッチブックの絵は捜査資料として提出したがそのうち返してくれるらしい。蓮が連絡した増員と入れ替わりに二人は下山した。恐らく崖下を捜索するのだろう。様々な道具を担いで歩いている様子が観察できた。
確かにもう絵見たちにできることは何もない。それでもやるせなさがあった。この二回の殺人事件では犯人の手がかりは能力を使ったのに何一つ得られていない。無力感が絵見の心を重くした。
次の日、蓮から叶多へ連絡があった。崖下に池永佳保の遺体が見つかったこと。その遺体の足に一つの穴と四本の線の傷があったことを。