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ショッキングな描写があります。苦手な方は読まないでください。

 絵見はゴミ捨てに出たところを近所に住む女子大生に捕まっていた。

「それで今度明美山に友達と登ろうと思ってるんです〜!お参りもしようと思って、永世さん何度も行ってるんですよね?ご利益とかどうでした?」

「お参りはあんまりしてないからわからないかな…」

 彼女の名前は高良清江。今年からこの近所に引っ越してきた大学一年生だ。叶多と一緒に彼が飼っている犬のワトソンの散歩をしていたところ、急に親しげに話しかけられたことがきっかけで出会った。当時はなんだこのコミュ力おばけは、と思っていたが実は犬が大好きでホームシックになりかけていたときに実家にいる犬と同じ大型犬を見かけて思わず口が止まらなくなってしまった、と知ってから孫を見ている感覚になっている。結婚もしていないのによくもまあ、と叶多に言われたが彼はこの気持ちがわからないらしい。思わず頭を撫でてよしよししたくなる感覚なのに。

 そんな高良が密かに叶多と絵見が早くくっつかないかとやきもきしていることを、絵見は知らない。縁結びのお土産買ってきますね!という高良に対し、大学でのいい御縁がほしいのかなと思う絵見からもそのすれ違いようは見て取れる。

 楽しんできてね、と言って別れるとまた違う人から話しかけられた。阿部さん家のお母さんだ。ここでは阿部ママと言おう。

「絵見ちゃん!昨日うちの娘見てない?」

「真奈ちゃんですか?」

 阿部さん家の一人娘で今年小学校にあがった阿部真奈。入学式の日には真新しいランドセルを見せてはにかんでいた。とてもかわいらしい少女だ。

 昨日は叶多と共に一日中アトリエの掃除をしており家から一歩も出ていなかった。今日ゴミ捨ての道中でも見かけていない。その旨を話すとあからさまに肩を落とした。阿部ママにはいつも美味しいものをいただいており、恩義がある。どうしたのか尋ねるとおずおずと話しだした。

「昨日から帰ってないのよ、真奈」

 いつも夕方四時頃には家に帰ってくるのに、時間になっても帰ってこなかったため学校に問い合わせをしたところ集団下校済みとの返答だった。一緒の班の親御さんに確認したところ、その家の子供はとうに時間通りに帰っていた。真奈といつ別れたのか聞いてもいつもと同じ場所で別れたよ、と言われるのみ。真奈はいつも班の皆と近くの公園で別れて帰路につく。真奈だけ家が他の者より少し離れた別方向の場所にあるからだ。

 考えられるのは公園で班と別れたときに何かが起こったこと。迷子になるような場所でもない。考えられることは一つ、誘拐されたか。

「警察に捜索願は出したのだけれど、自分でも何かしたくて…。そういえば絵見ちゃんって特殊なことができるっていってたわよね!それでなにかできないかしら?」

「それは…難しいですね」

 娘さんが亡くなっていたらできますよ、なんてこと口が裂けても言えない。あまりにも不謹慎なことはわかる。絵見は言葉を濁して目を泳がせた。

 そうよね、ありがとう。といって背中を丸めて阿部ママは去っていった。きっとこれから他の場所を探しに行くのだろう。その背中姿が妙に頭から離れなくて、アトリエに戻った絵見は朝食の準備をしている叶多に事情を話した。

「そっか。それで絵見はどうしたいの?」

「え?」

 子供が行方不明になって不安に押しつぶされそうな阿部ママの姿を誰かと重ねていた。ただ自分の気持ちは吐露せず、世間話をするみたいにあくまで軽く聞こえるように話したはずなのに、叶多は深いところに切り込みを入れた。

 自分が何故このような形容しがたい感情を抱いているかわからなかった。探すのを手伝いたいのか、ただ不安だねと共有したいのか、悲しみたいのかもわからない。真奈ともそこまで親しいわけではない。

 暫く叶多はじっと絵見を見つめていた。口を開くのを待っているのだ。自分の言葉で話すのを待ってくれている。だが絵見は口をもごもごさせて意味のない母音を紡ぐのみ。

「ならお手伝いしようか」

 叶多は真剣な眼差しをさっと引っ込めて笑顔で言った。ぽかんと口を開けていると腹が減っては戦はできぬ!と言って絵見を食卓につかせて目の前に朝食を用意した。叶多も向かいの席に座り合掌してもくもくと食べ始める。慌てて絵見も食事を口に運んだ。

 恐らく絵見は叶多が言うように真奈を探したかったのだろう。自分の特殊な力が使えなくても、何かしたいと思ったのだ。彼はいつも自分の心を大切にしてくれている。自覚していない部分も含めて。じわりと胸の中に生暖かい感覚が湧き上がって、食事の味も分からなかった。

 二人は食事を終えた後、ワトソンを連れて真奈の帰路を実際に歩いてみることにした。ワトソンはゴールデンレトリバーで訓練されており賢く聡明だ。何か手がかりを見つけるかもしれない。また絵見も道中霊がいれば力を使って何かわかるかもしれない。

 まず真奈が通う小学校までやってきてそこから下校の道を歩いていく。いつ借りたのか知らないが、叶多が阿部ママから真奈の私物を借りたためそれをワトソンに嗅がせて探させている。警察犬よろしく本当に人を探すことができるのかは不明だが、試すのはタダである。

 歩いているとわかるが、ここ一帯は閑静な住宅街である。日中は仕事に出ている人も多いためか人通りは少ない。それでも民家は所狭しと建っているため、何か不審な人物や声が聞こえれば気づきそうなものだが。

 下校班と別れたという公園までやってきた。ここまでの道のりでワトソンはぴくりともしなかった。未だ手がかりはない、ということだ。また霊は一体もいなかったため絵見にできることも何もない。

 この公園は木と生け垣に囲まれて中が外からではよく見えない作りになっている。公園の中には遊具や砂場、ベンチにトイレもあった。子供たちの遊び場である。しかし時間帯もあってか、今は人っ子一人いない。

 公園の周囲の道路は車通りも激しくなく、駐車していても何も言われないだろう。二人は公園の中を散策して手がかりを探した。そのときふと悪寒がして振り返るとベンチと生け垣の間に幼い少女の霊がいた。少女は絵見と目があったことに驚き、体を震わせてベンチの影に隠れる。

 敵意が感じられなかったため、恐る恐る少女に近づいて傍でしゃがみこんだ。この少女は何をそんなに怖がっているのだろう。

「ねえ、聞きたいことがあるの」

 柔らかく羽で包み込むみたいに優しい声音で聞く。ゆるりと顔をあげた少女の瞳は水面のように揺れていた。

 絵見が虚空に話しかけたところを見て、叶多がさっとスマホを操作する。絵見の行動を見ただけで今何をしようとしているか、彼は理解しているのだ。叶多から受け取ったスマホの画面を少女に見せた。

「この子が昨日、ここに来なかった?」

 それは入学式の真奈の写真だった。阿部ママから写真を送ってもらったのである。昨日も写真と同じく髪を二つに縛っていたらしい。

 少女は目を細めてじっくり観察したあと、首肯する。よし、手がかりがみつかった。すっと伸ばそうとした手を叶多に絡め取られた。

「待った。危険すぎない?知らない子だよ?」

「大丈夫。スケッチブックも持ってるし」

 そういう問題じゃないんだけど、と頭をがしがし搔いてから大きなため息をついた。

「体を乗っ取られる可能性があるんだから、冷静にならないと。その霊が仮に真奈ちゃんを見かけたとしても、どこに行ったかはわからないでしょ」

 ぐうの音も出ない。叶多のいうことはいつも正しい。どうすればいいかわからなくて俯く。

 叶多も絵見の隣にしゃがみこんで、先程絵見が見ていた虚空に向かって話しかける。

「今からいくつか質問するから、はいなら首を縦に振っていいえなら横に振ってくれる?」

 叶多が優しく微笑むと少女は頬を染めて勢いよく首を縦に振った。解せぬ。何故私にはあんなに怯えていたのだ。

「わかったって」

「なら一つ目。写真の子は誰かと一緒だった?」

 首を縦に振った。

「その人は大人だった?」

 また首を縦に振った。少女はだんだん顔を青褪める。

「顔は見えた?」

 今度は横に振った。少女は何かに怯えるようにガタガタ震えだした。何に恐れているのか、絵見にはわからない。霊と話ができるほどの霊感があればよかったのに、と強く思った。

「ありがとう。顔が見えなかったなら絵を描く意味もない。憑依する必要はないよ」

 わかったことは真奈は大人と一緒にどこかへ行ったということ。その大人に連れ去られた可能性が高いということ。だが新しい手がかりはなくなってしまった。公園の周囲で聞き込みをする以外に他にできることはないだろう。

 せめて方角がわかればな、と叶多が愚痴を零すと少女が斜め右方向、北東を指さした。

「そっちに歩いていったってこと?」

 首を横に振る。

「車で行ったってこと?」

 首を縦に振った。車で移動したとなると本当に手詰まりになる。どこにいったか皆目見当もつかない。絵見は肩を落とした。叶多がぽんとその肩に手を置いた。

「もう僕たちにできることはないよ。周りを歩いてから帰ろう」

 絵見も渋々頷き立ち上がる。少女にお礼を言ってその場を後にした。

 ワトソンが地面の匂いを嗅ぎながら公園を一周して帰ったが何も収穫はなかった。昼前にアトリエについたものの、何も描く気が起きず椅子に座ってぼうっと宙を眺めていた。

 ふと公園の少女は何故あそこにいたのか考えた。通常霊は心残りがあったり、亡くなった場所に留まる傾向がある。彼女は公園で亡くなったか、公園に強い思い入れ等があるということになる。そして質問中どんどん青褪めていく少女の顔が頭から離れなかった。恐怖を抱く理由が質問の中にあったのだ。

 再び少女に会いに行けば叶多は心配するだろう。気づかれずに行くしかない。絵見は叶多が寝静まった深夜に向かうことにした。



 夜も更けた頃、絵見はこっそりアトリエを抜け出した。夕食も普段通りに食べたし何も疑われていないはずだ。

「こんばんわ」

 絵見は再び公園の少女のところまでやってきた。少女は目を丸くさせている。

「あなたの辛い記憶、私が描いてもいい?」

 そうすればきっとここからも解放される。そのときの感情を無くすのだから。

 少女は悩んだ末に絵見の中へ入っていった。彼女ももう辛い思いを抱いてここに居続けたくはないのだろう。

 少女が入ってきた瞬間、強烈な悲しみと痛みと恐怖が襲ってきた。急いでベンチに座りスケッチブックに鉛筆で殴り描く。

 彼女はその姿形の年に飼っていた猫を亡くした。事故ではない。何者かに殺されたのである。無惨な姿になった猫は今いる公園でみつかった。最近動物の死体が多くて怖いね、と話をしていたときのことだった。まさか、と思った。まさか自分の家の猫が被害に合うなんて。そこで彼女は公園に張り込んだ。犯人は現場に戻るというだろう。公園の生け垣に隠れているときに背後から殴られて殺されたのだ。意識が朦朧としているときに見た人影は男のものだった。だからこの公園にまだいて、真奈を連れて行った者のことを聞いたとき青褪めたのだろう。

 足りない…

 スケッチブックには鉛筆で無惨な姿になった猫の絵が描かれていた。それは少女がここに残り続けた理由。ただ赤色が足りなかった。この絵はその一筆で完成する。ただ絵見は鉛筆とスケッチブック以外を持ってきていなかった。

 赤、赤、何か変わりになるもの…と探してふと手のひらを見た。あるではないか、ここに。

 絵見は親指を口元に持っていこうとして何者かに腕を掴まれて止められた。誰だ、こんなことをする奴は。振り返ろうとしたとき、視界に携帯用の水彩絵の具と水筆が入り込んできた。あった、赤だ。絵見は絵の具と筆を奪い取り最後の仕上げをする。完成だ。

 絵が仕上がると少女は成仏したのかどこかへ消えてしまっていた。意識がだんだん戻ってきて、そういえば誰がパレットを持ってきてくれたのだろう。と振り返ると眉を釣り上げた叶多が仁王立ちしていた。これは怒られる。

「何一人で出かけてるの!危ないだろ!」

 ああ、やっぱり。だが自分がいけないのでお叱りは甘んじて受け入れる。叶多はアトリエを出たときからずっと後をつけていて様子を見ていたらしい。指を噛み切ろうとしたところでこれはいけないと止めに入ったのだという。最初から止めなかったのは叶多にも思うところがあったからだろう。

 犯人はわからなかったが、少女は無事に成仏できた。彼女はきっと真奈を連れて行った大人と自分を殺した男を重ねていたのだろう。あんなに幼い子がずっと公園に留まり続けているのもよくない。これは正しい選択だったのだ。

 ごめんなさい、と深々と頭を下げると溜飲が下がったのだろう。帰ろう、と叶多が手を差し出した。先程の怒りは見当たらない。まだ眉は下がったままだったが。

 手を繋いで帰っているとぽつり、と叶多が喋り始めた。

「絶対一人でこんなことしちゃだめだよ。反対はするかもしれないけど、僕も傍にいるから」

「うん」

「それから夜中に一人で出歩くのもだめ。世の中物騒なんだよ」

「うん、お母さん」

 誰がお母さんだ!とぎゅっと手を握りしめられた。絵見は肩を揺らして笑い声をあげた。涙も出てきた。口を曲げている叶多がなんだかかわいくて笑いを抑えて体を震わせていると、彼が星を見つめながら呟いた。

「…でもよかったね」

「…うん」

 叶多はいつも絵見のやりたいことを見守ってくれている。本当だったら霊なんて見えないものは恐ろしいはずなのに、寄り添ってくれている。見えないなりに考えてくれている。それは何よりも得難いものなのだ。

 ふと視界に鮮烈な赤色が入り込んだ。

 空き地に真っ赤なランドセルがある。緑色の雑草が生い茂る中の赤はインパクトがあった。立ち止まって一点を見つめている絵見を訝しんで叶多も視線を合わせた。

「不法投棄かな。ゴミ袋にも入れてない」

 ふと入学式の日に会った真奈の姿が過る。彼女も確か赤いランドセルを背負っていた。昔とは違い最近は色とりどりのランドセルがある。だが真奈は赤いランドセルだったため印象に残っていた。私が小学生のときも赤いランドセルだったんだよ、お揃いだね。なんて話をしたことも覚えている。

 嫌な予感がした。心臓が早鐘を打つ。喉が乾いて舌がひりつく。叶多の手を振りほどき、恐る恐るランドセルに近づいた。この予感が外れていればいい、と思いながら震える足を踏み出す。遠目からでは気づかなかったが、傷があまりついていない新しめなランドセルだった。六年も使っていればボロボロになるというのにあまりにも不自然だ。高価であるしそんなにすぐ捨てるようなものではない。

 絵見?と背後から呼ばれる声を無視してランドセルを開けた。

 そこには切断されて二個の穴と三本の切り傷がついている子供の左腕が入っていた。

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