ポテトサラダのように
一発逆転。
そうしたいと思った。小説で。
俺は氷河期世代の非正規労働者だった。非正規雇用を転々とし、今は地元の配送センターで荷物のスキャンやコンテナの処理などを延々と繰り返していた。
派遣社員としてこんな仕事をやっていたわけだが、希望がない。スキルも何もつかない仕事。仕事をしていると闇しかない小さな箱に閉じ込められているよう。まさに奴隷。
そんな折、深夜アニメの原作経由でライトノベルやweb投稿小説を知った。これぐらいだったら、俺でも書けるかも?
もしかしたら作家として一発逆転できるかも。この暗闇から脱出できるか。出エジプトできるか。そんな動機の元、手探りで小説を書き始めていた。
「佐々木さん、スマフォで何やってるの? なんか書いてるの?」
職場の社員食堂。昼飯を食べた後も、スマフォのメモ帳に小説を書いていた。その時、隣に同僚の窪塚玲那が座った。俺と同じ歳ぐらいのアタフォー女。昔は美人だったと思われる容姿だが、訳アリな雰囲気がただよう。根本が黒くなった茶色い髪は少し痛んでいたが、なぜか爪はバッチリと派手。作業業姿も妙に板についている。
ここは禁煙だったが、タバコも似合いそうな女。上司にもバンバン意見を言っていて、気も強い。コミュ障の俺は玲那は苦手なタイプだ。もちろん、小説を書いていたなんて言えるわけもない。
「っていうか、窪塚さん。弁当?」
玲那は弁当を持って来ていた。といっても食パンにポテトサラダ、カップスープという手抜き弁当。ポテトサラダはタッパーに入り、貧乏くさい。この爪で料理していると思うと、良いイメージもないが。
「はは、今手抜き弁当だって思ったでしょ?」
「いや、まあ」
なぜか玲那は俺の気持ちを見抜いてきた。
「なんでわかった?」
「なんとなくね。人の気持ちってなんとなく外に透けて見えるよ」
「そうかなあ」
「うん。でも私は人が好きだよ。この人、何考えて生きているんだろうとか考えると、面白くない? 人それぞれその人しかない物語があるから。きっと生きてる人全員が主人公なんだよ」
人懐っこい笑顔を見せてきた。自分にはない綺麗な笑顔に見えた。
「そうかな」
「そうだよ。なんか話さない? 最近どう?」
他愛もない話をした。上司への愚痴とか、テレビドラマの展開とか実にくだらない話題。それにポテトサラダについても。
「ポテトサラダって作るの案外難しいんだよね。めんどい」
「そうは見えないけどな。脇役って感じ」
「実際、自分で作ってみなよ。大変だから。あ、もう行くね!」
何か用があるのか、玲那は社員食堂のとなにある売店の方へ行ってしまった。
一人残された俺は、ため息をつく。正直、コミュ障の俺は、女と会話するなんて苦手だ。
再び小説を書く。これだったら、一人で出来るし。やっぱり作家になって一発逆転狙ってみるか。そんな事を考えながら、筆を進めていた。
ただ、書いていると主人公のキャラの思い入れが出て来てしまった。なんの変哲もない青春ラブコメを書いていたはずなのに、なんとかしてヒロインと結ばれ、幸せになって欲しいという願いが出てきた。
一発逆転狙いだったのに。
書いているうちに、主人公が子供のように見えてきた。自分には子供どころか、親も友達も親戚も誰もいない。孤独だ。だからこそ、自分で作ったキャラクターに思い入れが深くなってしまった。
ゴールはハッピーエンドと決めている。そこに至るまでのヒロインの気持ちがわからない。上手く描写できずに悔しい。苦しい。
いつのまにか一発逆転とか忘れていた。ただただ主人公を幸せにしたい。良いものを書きたいという気持ちばかり。書きながらヒロインの気持ちがわからず、悔しくて涙が出てくる。
そして気づく。
小説は見た目ほど簡単に出来るものでは無い事に。
玲那が食べていたポテトサラダも思い出す。具が多めで、じゃがいもの食感が感じられそうな見た目だった。食卓では脇役みたいなポテトサラダだが、実際レシピを見ると超めんどくさい料理だった。じゃがいもの皮を剥く事からして面倒。実際作ってみたが、完成した時はぐったりと疲れた。見た目は脇役みたいな顔をしているのに、手間は主役級だった。
小説と同じかもしれない。見た目と実際の過程は全く違う。他の小説を見ながら自分でも簡単に出来そうと思った事を深く恥じた。
一発逆転しようとしていた事も恥ずかしい。作家になれば人付き合いしなくて良いと思っていたのも間違いだった。今まで女とろくに付き合った事もないので、ヒロインの気持ちがわからず、涙が出るぐらい悔しいのに。初めて経験する産みの苦しみだった。
自分の作品に向き合えば向き合うほど、今まで嫌な事から逃げてきたとにも気づいてしまった。
確かに氷河期世代だった。良い時代ではなかったが、小説も一発逆転や逃げに使おうとしていたのも事実。人付き合いからも逃げてきた。こうして孤独になってしまったのは、全部自分が悪かったと気づいた。
自分が書いた小説の主人公にも、こんな作者で申し訳ない。このままでは、主人公を幸せにしてあげる事など出来ないから。
だったら、どうする?
自分が変わるしかない。もう苦手な人付き合いから逃げるのは、辞める事にした。コミュ障も辞める。嫌な事、やりたくない事、面倒な事から逃げない。今は勇気を出す時だ。
「窪塚さん、実は頼みがあるんだ……」
ある昼休み、いつもの社員食堂。俺は玲那に話しかけていた。これだけでも勇気を出し、指先がプルプルと震えていた。
「は? 何?」
玲那は弁当を広げていた。前と似たような食パンにポテトサラダの弁当だった。
「実は……」
小説を書いていると告白するなんてめちゃくちゃ恥ずかしい。その上、ヒロインの気持ちがわからないので、女性心理を教えて欲しいと頭を下げるなんて、我ながらどうかしていると思ったが、何かに突き動かされていた。
主人公を幸せにしたい。いい作品を書きたい。
もうおじさんなのに、自分の中こんな情熱があるとは思わなかったが。
勇気が出ていた。今まで生きている中で一回も出せなかった勇気が。
「本当? 面白いじゃん!」
玲那は決して俺の事を馬鹿にしてこなかった。むしろ、好奇心いっぱいの目で受け入れてくれた。
「私もなろうの小説大好きだし」
「本当?」
「うん。いい作品の為だったら、協力するよ!」
安堵のため息が溢れていた。
勇気を出してよかった。少なくとも玲那には受け入れてくれたから。
今は心が高鳴っている。
この感情はなんだ?
何か始まりそうな予感がる。もしかして自分の物語か?
玲那の笑顔を見ながら、俺も自然と笑顔になっていた。
俺のような人間でも何回でもやり直しはきく。少しでも勇気があれば、きっと捨てたもんじゃないはずだ。