「僕の世界」から。
小綺麗なアパートだった。こんな治安の悪い町に全く似つかわない。
綺麗な植木がしてあって、建物名が書かれている表札は洒落っ気のあるオレンジ色のライトに照らされている。
エントランスは家の鍵を持ってないと入れないオートロック式のものになっていた。
「ほらほら、遠慮なく上がって上がって」
「じ、じゃあお邪魔します」
恐る恐る彼女の家の足を踏み入れる。
ドアを開けた瞬間、女の子の部屋特有の甘い香りがして、改めて彼女が住んでる部屋なのだと思うと息を吸うのが大変だった。
僕がたじろいでいると、彼女はささっと部屋に入って行って客用のスリッパを持ってきた。
はい、と笑顔で足元に置いてくれて、僕は顔を背けながら履いた。
「よく友達とか遊びに来るの?」
と尋ねると、彼女は一瞬時間が止まったように固まって、その後はすぐに我に返って答えた。
「あぁ、そうそう。あたし見た目通り友達が多いからね」
「いや、君あれだろ?男からは人気あるけど同性からは妬まれて案外友だち少ないタイプだろ」
「痛いとこ付くなぁ」
「てか、そういうのって女の子のよくある悩みのトップ5に入るやつなんだから、それを言っちゃうと本気で傷付く子けっこう多いと思うからやめた方がいいよ」
だからモテないんだよ、馬鹿にしたような笑いをしながら説教された。
うるせぇ、と悪態をつきながらも、彼女の言ったことは的を射ているし、確かに軽率だったなと思うので素直に反省した。
「はいはーい。あたしもこんなお通夜みたいな雰囲気作りたくないんだから、そんな重く受け止めないでよ」
お気遣いどうも、と心の中で呟きながら彼女の優しさに感謝した。
「察しの悪いキミでも流石に気付いてたけど、美味しいお店ってあたしの家のことだよ」
「おいおい、まじで店出してるのか?」
「んなわけないじゃん」
今日何度か分からない呆れ顔をして、スタスタと部屋の奥の方に入って行った。
俺も後に続いて、奥のリビングに入った。
部屋の内装は思ったよりシンプルだった。
もちろんスッキリとしていて綺麗なのだが、彼女のことだからもっと女の子らしいというか、てっきりインテリアにけっこう力を注いでいると思っていたのだ。
「部屋、さっぱりし過ぎって思ってる?キミも引っ越したら分かると思うけど、家具揃えるのってめちゃくちゃ大変なんだよ。まだ引っ越してきて三ヶ月くらいってのもあるかな。次来てもらう時にはもっと華やかにしておくから楽しみに待っててよ」
「わかった。楽しみにしておくよ」
ん?あれ?
確かに僕はずっと実家暮らしで一人暮らしの準備の大変さは微塵も知らないはずだ。
しかし、なぜか心の底から共感できた。
そして気付いたら、床に置いてある飾り気が全くないグレーのクッションに腰掛けて、テレビを付けていた。
さっきまであんなに緊張していたのに、何でこんなに図々しい態度を取っているんだろう。
そんなことに対して一切気にした様子もなく、
「和食と洋食どっちの気分?」
と、ドヤ顔をしながら訊いてきた。
何でも作れますから、と言わんばかりの。
「じゃあ、洋食で」
「オッケー。ちなみにご飯の気分、麺の気分?」
「んー、そうだな。どっちかというと麺の気分かな?」
「結局パスタなんだ、本当に食べたかったんだね〜。意地悪言って悪かったよ」
酷いかもしれないけど正直何でも良かった。何だかんだ僕はまだ緊張していて、あまり食べれそうになかったから一番胃に入りそうなものを頼んだだけだ。
そして、この後気付くのだ。
本当に何を頼んでも良かったことに。
三〇分後、この世から──。
いや、違うな。
三〇分後、彼女は「僕の世界」からいなくなってしまうのだから。
次回が最終回です。