結局、僕は。
結局、僕は彼女の下着姿を拝むことすらできなかった。
「いやー、なんと言いますか……」
と、僕は明後日の方を見ながら、歯切れ悪く言葉を吐き出す。
このホテル街はまだ夕飯時だというのに閑散としていて、耳に入ってくるのはニヤニヤした声でその場凌ぎの世間話をする中年の男に適当な相槌を打ちながら歩いている若い女の声と、何の言葉も交わさずゆっくりと歩くカップルの足音、あとは撫でるような優しい秋の夜風がセンスのない旗を揺らす音くらいだった。
「安く済んだね……」
引き攣った笑いをしながら、恐る恐る彼女の方を見た。
「そうだね〜。ラーメン屋の炒飯セットみたいな価格だったね」
「例えがだいぶとリアルだな……」
「でも、キミが恥ずかしがって逃げ出すところすごーく良かったよ。写真撮っておけば良かったや」
そう。僕は恥ずかしくなって逃げ出したのだ。
「人生で一番可愛いと思った女の子に情熱的なキスをされてそのままエッチする流れになっていたのに、下着姿さえ見れず逃げ出してしまったのは大損じゃないの?」
「い、一番なんて言ったっけ……?」
「えー、じゃあ私は可愛くないの?」
「うるさいなぁ……。そうとは言ってないだろ」
「じゃあやっぱり可愛いんだ」
相変わらずニヤニヤと意地の悪い顔をしながら追い詰めてくる。完全に彼女のペースだった。
「そういえば晩御飯まだ食べてないね」
何食べたい、と僕の顔を覗き込むようにして訊いてきた。
「空腹って感じじゃないから、パスタとか軽いものがいいかなと」
「どこか良いお店知ってるの」
「確かあのビルの何階かに夜景の綺麗なお店があったような気がする」
それを言うと、彼女は歩みを止めた。
恐る恐る彼女の方を見てみると、はぁ、と漫画みたいに綺麗に目を窄めて口をあんぐりとした呆れ顔をして僕の顔を見ていた。
「見え張ってお洒落な提案しようとしてるでしょ。キミどうせサイゼリアとかガストとかしか知らないんだから無理しなくていいよ」
バレていた。
ぐうの音も出ない。
「それだったら素直に知ってるお店を言えばいいのに。私、店選びとかそんな小さなことで男の子を評価したりしないよ」
と黒革で作られた小さな鞄を、両手を背にして持ちながらゆっくりと歩みを進めた。
僕は恥辱に溢れた気持ちを隠すように、彼女の少し後方を歩きながら付いていく。
何も会話がないのは気まずいので、沈黙を破るために話を進めた。
「軽いものがいいってのは本当なんだよ、ハンバーガーとか揚げ物は少し苦しいかもしれない」
「あれれ、もしかして私に攻められて欲が満たされたってのでお腹が空いてないのかな?」
「……違うよ」
図星だ。
ホテルで彼女に覆いかぶさられたときに嗅いだ甘い香りと、濃厚なキスでお腹がいっぱいになっていた。
正直言うと、何も食べなくてもいいくらいに食欲がなかった。まだ口には彼女の舌の感触と、官能的な唾液の風味が残っている。
いま何を食べても味がしないような気がする。
味がしないと分かっているものを口にしようとは思わないのだ。
「キミがそうでも私はお腹空いたし」
んー、と顎に手を当てながら考えている。
彼女の場合、どこに行けばいいのか分からないのではなくて、どこに行けばより僕をからかえるか、という視点で考えているような気がした。
その証拠に、彼女は勝ちを確信して相手のいたぶり方を考えている軍の司令官みたいな性格の悪い顔をしている。
あと3話です。