第4話 伝染病
姉のルイーザが婚約破棄された。わが家マゼッティ男爵家は大混乱にいたった。仲の悪い姉だったので内心ほくそ笑んでいた私に、父は元婚約者の実家ライネーリ伯爵邸に潜入しろと命令した。
「悪事の証拠を見つけて来るまで帰ってくるな!」と。
何で姉の婚約破棄に妹の私を巻き込むのよ!
「嫌なら結婚させる」と脅迫された。しかも相手は老人だ。ひどいわ、それでも父親なの。
そんなわけで私フィオレはライネーリ伯爵邸に侍女として潜入することになったわけ。わがまま放題やりたい放題に育った私に侍女なんて務まるのかしら。しかもめったに一族以外の人間と会わない引きこもりなのにね。そんな私の顛末をお楽しみください。
深夜、私はベッドから抜け出して部屋を出た。足音を忍ばして屋敷中央の大階段を上がった。二階は伯爵一家の住居だ。この前まで私は二階に上がらせてもらえなかった。新入りの侍女は一階の下働きと庭師の手伝いと決まっていたのだ。半年たってようやく二階の掃除を許された。
伯爵家の人々それぞれの部屋と書斎を把握出来た。もうためらうことはなかった。伯爵の“悪事”を暴いてやる。
書斎の鍵はナーディアさんの部屋で見つけて粘土で型を取った。それを町の鍛冶屋で複製を作らせた。
──ガチャ。
合鍵で書斎の中に入った。
正面の出窓から満月が見えた。月明かりで部屋の中は照らされていた。持って来たランプは必要なかった。
私の心臓が高鳴った。見つかったらどうなるのかしら。ただじゃすまされないわね。どう言い訳したらいいのやら。
あちこち探したけど財務関係の帳簿は見つからなかった。おそらく寝室の金庫におさまってるのだろう。黒檀の机の引き出しには村人からの陳情と感謝の手紙がたくさんあった。開封された手紙をいくつか読んだ。
《──伝染病によってアルカ村は壊滅的な打撃を受けましたが、ライネーリ伯爵様の手厚い援助により助かりました。心からお礼申し上げます》
伝染病?
いつのだ。
よく見ればずいぶん黄ばんだ封筒だった。私が小さい頃にルキウス王国で伝染病が発生して貴族や村人たちが大勢亡くなったことは知ってる。
高熱はいったん治まっても再び高い熱が出た。身体中に発疹と口内に白い粒状の斑点が出た。その苦しさといったら……
えっ、私なんでこんなこと知ってるのかしら?
手紙の下の書類を探ったら、表紙に【マゼッテイ男爵家調査報告】と書かれた大きめの封筒が見つかった。
調査報告書?
もしや姉のルイーザの婚約破棄はこれのせいか……
──ゴクリ。
私は唾を飲みんだ。
便箋は10枚あった。左上に開けた穴を紐で閉じてあった。最初のページはマゼッテイ男爵家の家族についての記述だ。
《ヴァレンテ・マゼッテイ男爵は町の貸金業の取り立てから身を起こして独立した。その後の成功で手広く一般の人々から貴族にまで融資を行い“国の財布”と言われる程の財力を有している。しかし、妻ジルダのあいだに生まれた3人の子どものうち2人に不幸があった。長男フランコ22歳は3年前の国境紛争に出兵して行方不明。次女フィオレは13年前に伝染病に──》
そうだ思い出した。私は子ども頃に伝染病にかかったんだ。ぼんやりと姉が額の汗を拭ってくれたのを覚えている。
兄フランコが行方不明なのは今も心苦しいけど、そのうち顔を見せると信じてるわ。きっと生きてるわよ。
部屋中くまなく探したけどめぼしいものは見つからなかった。月明かりが雲に隠れたのでここらが潮時だ。こっそり部屋を出た。
自室に戻ってランプに火を付けた。机におかっぱの黒髪カツラを置いた。束ねたブロンドの髪が広がった。侍女服を脱いでハンガー掛けにぶら下げて寝間着に着替えた。
私はベッドに腰を降ろして書斎での出来事をあれこれ考えた。子猫のルーが私の膝の上に乗って喉を鳴らした。私が部屋を出て行っても大人しくしていたみたい。子猫だけど精神年齢は私より上かもね。
ニャァァァオ──
「よしよし」
私はルーの背中を撫ぜた。ほんと可愛いわね。ルーは私の指を甘噛みした。
ルーと一緒にベッドに入ったら一瞬で爆睡した。
私が姉の髪の毛をハサミでバッサリ切った数日後、姉はカツラを被った。黒髪のおかっぱ頭に変身した。町の仕立て屋が用意した金髪のウィッグではなく黒髪おかっぱのカツラを被ったので驚いた。
おしゃまな女の子だった姉がそんな地味なカツラを選ぶのが不思議だった。
「どう似合ってる?」
「似合ってない」
私は正直に答えた。姉は苦笑した。
「被ってみる?」
翌朝、朝礼のあと侍女長のナーディアさんが私に話があるから残ってるように言われた。もしかして書斎に侵入したことバレたのかしら? 私は言い訳をあれこれ考えて頭を巡らせた。
「ちょっとこれでオシャレな服をいくつか買いなさい」
手渡されたのは銀貨2枚だった。私の給金より多いじゃない。泡食った私の顔を見てナーディアさんは笑った。
「またルーちゃんを連れて来てね」
猫好きのナーディアさんの部屋に何度かルーを連れて行ったことがあった。その可愛がりようでこの人の猫好きは本物だと思った。でもちょっと貰いすぎだ……
「いいのよ。この半年間あなたは実家に帰らないで仕事に精を出してくれたわ。それと給金を貯めて実家に仕送りしてるのでしょ? 私も同じ立場だったから気持ちはわかるわ」
ナーディアさんのお母様は脚が不自由だそうだ。だから仕送りは欠かせないのだと。
「……ありがとうございます」
侍女長のナーディアさんは私の生い立ちが貧乏な家だと信じ込んでいた。もしかして私って貧相に見えるのかしら……
半年経ってただの雑用の下働きだった私に新たな仕事が舞い込んだ。
ライネーリ家の双子の娘の世話を言いつけられた。ルチアとミーア。やっとこさ下働きから解放されたけど、この5歳児たちは厄介だ。とにかくいつもいなくなるので目を離せない。庭に出たら植え込みに隠れて見つかったらキャッキャッとはしゃぐ。
かくれんぼの相手に選ばれただけか。でも何だか気晴らしになった。私は本気で双子を捕まえて、いたずらが酷いときは叱責した。
私と姉は仲悪いけどこの双子はとても仲がいい。いつも悪巧みしてる。何だか羨ましく思った。
私の仕事は遊び相手だけではない。先生役も仰せつかった。商家の娘だという経歴だから適任だと思われたのね。父は商人あがりで男爵の称号をいただいたからまんざら嘘ではないけど。
私が双子の勉強を見ていると、ライネーリ伯爵家の長男ジェラルドが部屋に入って来た。
「へー、本当に大人しく勉強してるんだ」
ジェラルドは姉ルイーザの元婚約者だ。私は戸惑ったけど顔には出さなかった。机に向かっていた双子が振り返った。
「モニカの教え方が上手いのよ」
どれどれとジェラルドが覗き込んだ。私が教えていたのは算術だ。足し算引き算は頭のいい双子は卒業して、今では掛け算割り算を教えている。
「うーん、女の子に算術は必要ないと思うけど」
「裁縫はこの子たち得意じゃないんです。いずれ複式簿記を覚えた方が役に立つと思います」
「複式簿記? 商人に嫁ぐのならありだけど……」
「貴族が没落する原因は領地内の放漫経営です。それを正すには算術の基礎を学ぶことが必須だと思います」
ジェラルドが驚いた顔をした。そして私の顔をじっと見つめた。視線は首筋で止まった。
あっ、ここあざになってた。今朝起きて気づいたけど、たぶん痒くて無意識に掻いた痕だ。恥ずかしい。
思わずあざを手のひらで隠した。
「あっ、ごめん。モニカ? だったよね」
「はい」
「いづれまた」
そう言ってジェラルドは部屋から出ていった。
私は冷や汗をかいた。もしや姉ルイーザの妹だとばれるのではないかとドギマギした。
「モニカ、顔が赤いよ」
「ほんとだ。熱があるんじゃない」
双子が言った。ニヤニヤ笑ってる。
からかってる。ほんとに貴族の子どもって耳年増なんだから。こうなったら、めいっぱい勉強でしごいてやる。覚悟しなさい!
昼食を終えて厨房にルーの餌を取りに行った。まかないを食べ終えたウーゴが待ってた。
「ありがとう」
「いいってことよ」
私が鍋を受け取った。ルーは昼間は庭で遊ばしているので餌場で待った。
ニャーオー
ルーが尻尾を立ててやって来た。いつものように鍋に顔を突っ込んでガツガツ食べてる。
食べ終えたルーは私の足に体を擦り付けた。抱っこして欲しいのね。いいわ。だいぶ大きくなったわね。
「まるで赤ちゃんをあやしてるみたい」
マリエッタがやって来た。私の隣に腰を下ろした。
「ルーが羨ましい。モニカを独り占めできるなんてずるいわ」
「マリエッタもルーと同じくらい好きよ」
「モニカを独り占めしたいけど、仕方ないわね」
私の肩にマリエッタが頭を乗せた。おいおい、こんなとこ見られたらやばいじゃない。普段からマリエッタと一緒にいることが多いので仲の良さは屋敷中に知られているけど……
「私、ルーちゃんに妬いてるみたい。猫に生まれたらよかったな。そうしたらモニカに撫でてもらえるし」
「撫でてほしい?」
「あら、モニカってときおり首筋にうっすらあざができるわね」
「うん、たぶん虫に刺されて掻いたんだ」
「うーん、虫になりたい。モニカの血は美味でしょうね。それじゃ」
マリエッタは立ち上がって雑木林に向かった。このところ義眼の痛みが激しいらしい。川辺の水で患部を冷やす頻度が多くなった。私はマリエッタの後ろ姿を見つめた。
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