【第3話】
大変な目に遭った。
「つ、疲れた……」
ショウは1人で伽藍とした薄暗い廊下を歩く。
誕生日パーティーはユフィーリアが計画しただけあって、非常に楽しくて驚きの連続だった。豪勢な料理も唐突に味が変わったり色が変わったり、大人たちは最終的に酒杯を掲げてどんちゃん騒ぎである。今頃、大食堂は屍の山が積み上がっていることだろう。
リタは料理を堪能してから早い時間帯に学生寮へ帰ってしまい、ハルアとリリアンティアは眠気が天元突破して床で丸まって寝息を立てている。他の参加者は大半が大人組なので、八雲夕凪が持ち込んだ酒樽に頭を突っ込まない勢いで大量の酒を浴びるように飲んでいた。もうしっちゃかめっちゃかだ。
それでも、こんな賑やかな誕生日は初めてである。元の世界では、誰にもお祝いをされてこなかった期間が長かったから。
「わあ、月が綺麗だ」
中庭に差し掛かると、空に浮かぶ青白い満月と白銀の星々がとても綺麗に見えた。
夜の気配に導かれて、ショウは中庭に足を踏み入れる。頬を撫でる夜風が冷たくて、誕生日パーティーで騒ぎに騒いだ熱気を冷ましてくれているようだ。
中庭と大食堂は距離があるので、大食堂の喧騒は聞こえてこない。風の音と自分の息遣いだけが近くにあった。
「…………?」
どこからか足音が聞こえてくる。
ふと顔を上げれば、中庭に顔を出したのはユフィーリアだった。ショウの姿を見つけると「今日の主役が会場からいなくなるなんて寂しいじゃねえか」と言いながら、缶に入った飲み物を差し出してくる。缶は魔法で温められていたのか、受け取ると程よく温かかった。
誕生日パーティーの会場に、今日の主役であるショウがいないことに気づいて追いかけてきてくれたのか。それはちょっと申し訳ないことをした。彼女だってまだパーティーを楽しんでいたかっただろうに。
「戻るか?」
「いや、いい。話したいこともあったし」
「話したいこと?」
ショウが首を傾げると、ユフィーリアは口の端を吊り上げて笑った。
「ショウ坊、今日は楽しかったか?」
「ああ、最高の1日だった」
今までもこの世界にやってきて、最悪と呼べる日はなかった。
ユフィーリアたちと毎日のように『面白いこと』を探して、実行して、見たことのない異世界の文化に触れて、驚いて、毎日がショウにとっての最高の日である。叔父夫婦から受けていた虐待の爪痕など、もう残っていない。
全部、隣にいてくれる銀髪碧眼の魔女が魔法のように消し去ってしまった。感謝してもしきれないぐらいだ。
「ありがとう、ユフィーリア。俺の誕生日をお祝いしてくれて」
「いや、まだだろ」
ユフィーリアはひらひらと手を振って、
「アタシはまだ誕生日プレゼントを渡してねえぞ」
「あ、そっか」
ショウはすでにたくさんの誕生日プレゼントを貰っていた。
エドワードからマフラー、ハルアからお気に入りの店から発売された新作の運動靴、アイゼルネから手袋などショウにはもったいないぐらいに高価なものばかりだ。世界最高峰の魔女・魔法使いと呼ばれる七魔法王からも恐れ多くも誕生日プレゼントを貰ったが、八雲夕凪が渡してきた酒樽だけはユフィーリアとエドワードに横流しさせてもらった。まだ未成年なので飲めない。
だけど、ユフィーリアからまだ誕生日プレゼントを貰っていないのだ。てっきり昼間のデートが誕生日プレゼントだとばかり思っていた。
「なあ、ショウ坊」
ユフィーリアはショウの顔を覗き込むと、
「アタシのこと、どれぐらい好き?」
「え?」
「どれぐらい好き?」
意外な質問だった。ユフィーリアはいつも余裕がある大人なので、ショウの好意に不安を覚えるとは予想外である。
「俺は、貴女のことを世界で1番愛してる」
「アタシが世界中の敵になったとしても?」
「その時は貴女と一緒に、俺も世界の敵になろう。世界が貴女の死を望むなら、俺も貴女を追いかけて一緒に死のう」
ショウにはそれぐらいの覚悟があった。
七魔法王が第七席【世界終焉】――いつか世界に終わりを告げる顔のない死神。その正体が、目の前にいるユフィーリアだ。
あらゆる人から恐れられ、世界を終わらせる存在として恨まれたとしても、ショウは彼女の味方でいたい。世界が終わるその時まで、いいや世界が終わったとしてもユフィーリアだけを愛していたいのだ。
ユフィーリアは「そっか」と頷き、
「お前はそんな奴だと思ったよ」
「ユフィーリアこそ、珍しいことを聞いてきたな」
「別にお前の深い愛情を疑ってる訳じゃねえよ。ショウ坊が真っ直ぐにアタシのことを好きでいてくれるから、アタシも迷わずにいられた」
ユフィーリアはショウへ向き直ると、
「ショウ坊、アタシのことを愛してくれてありがとう。聡明で献身的で、ちょっと嫉妬深いところを含めてお前のことを愛している」
そう言って、彼女は懐から手のひらに収まる程度の小さな箱を取り出した。
「だからこれからも、どうか、アタシの隣にいてほしい」
ユフィーリアが開いた箱の中身は、
「アズマ・ショウさん、アタシと結婚してください」
天鵞絨が張られた台座に、大事そうに守られる銀色の綺麗な指輪。繊細な雪の結晶の装飾が飾る宝石は、まるで深海を閉じ込めたかの如き深い深い青色をしていた。表面に浮かぶ気泡が揺れ、水をそのまま宝石に加工したかのように美しい。
ユフィーリアと初めてデートに行った際、宝石店で見せてもらった宝石だ。『深海の青玉』と呼ばれる珍しい宝石だったと記憶している。
そんな高価な指輪を差し出されたショウは、思考回路が停止した。
「――――」
言葉が出ない。
何と返せばいいのか分からない。
だって、その言葉はずっと待ち望んでいたものだから。
「ユフィーリア……そんな……」
込み上げる嬉しさが涙となって溢れてくるショウは、やや冷めてしまった缶の飲み物を足元に落としてしまう。
「そんなの、はい以外の答えがある訳ないだろう……!!」
ボロボロと絶え間なく溢れてくる涙を拭うショウの手を取ったユフィーリアは、少しだけ冷たくなった薬指に『深海の青玉』を使った綺麗な指輪を重ねてくる。
ショウの指には、すでに雪の結晶が刻印された魔女の従僕契約を結んだ時に出現した指輪がある。今回の指輪は契約印と重ね付けすることになるが、それでもなお簡素な意匠の指輪だからとてもよく合っている。
2つの指輪が重ねられた指先に唇を落としたユフィーリアは、
「今回は婚約だけど、18歳になったら絶対にお嫁さんになってもらうから」
「ああ、ユフィーリア」
ショウはユフィーリアの小柄な身体を抱き締めると、
「貴女のお嫁さんになる日が楽しみだ」
その時である。
「「「「「結婚おめでとーう!!」」」」」
「どああッ!?」
「びゃッ!?」
中庭に響き渡るズドンという砲声。
いつのまに待機していたのか、パーティー会場でどんちゃん騒ぎをしていたはずの先輩用務員たちや七魔法王の面々が揃っていたのだ。ショウを最初に驚かせたお祝い用の大砲まで再装備して、ユフィーリアとショウをまとめて祝福する。
さすがにユフィーリアもこの展開は想定外だったようで、目を白黒させていた。
「お前ら!?」
「ユフィーリア、君は恋愛に対してはクソ真面目だね。普段の問題児っぷりが嘘のようだよ」
ニヤニヤとした笑顔を浮かべるグローリアは、
「でも最後の最後で弱腰になっちゃったのはいただけないね。君は肝心なところで及び腰になるからダメなんだよ」
「引っ叩くぞ」
「あははは、そんな脅しは今の僕に通用しないもんね」
低い声で唸るユフィーリアとは対照的に、グローリアは陽気だった。酒精のせいで多少は気も大きくなっているのか、いつもならぎゃあぎゃあと騒がしいはずなのに今日は別の意味で騒がしかった。
グローリアは咳払いをすると、軽く指を弾いて羊皮紙を手元に転送させた。年季の入った羊皮紙は丁寧に真っ赤なリボンまでかけられており、重要そうな雰囲気が漂う。
その羊皮紙を、彼は軽い調子で「はい」とショウに手渡してきた。それまでユフィーリアと軽口の応酬を交わしていた時のニヤニヤした笑顔ではなく、どこか慈愛に満ちた眼差しでショウを見据えている。
「さすがに法律を変えることは出来なかったけど、でも世界に強い影響力を持つ七魔法王が証人になってあげる。これは僕たちからの結婚祝いさ、ぜひ受け取ってほしい」
ショウは羊皮紙を留める真っ赤なリボンを解き、紙面に目を通す。
「結婚、許可証?」
「これって……」
ユフィーリアにも書類を見せるのだが、聡明な彼女でも身に覚えのない書類らしい。怪訝な表情で首を傾げている。
「君たちの夫婦関係を認める書類さ。婚約者だなんて水臭いこと言ってないで、正式に結婚して夫婦になりなよ。2年も待つなんて、こっちがもどかしいね」
グローリアはそう言って、ショウの頭から透明な布を被せる。
それは、花嫁が身につけるヴェールだった。雪の結晶まで刺繍されており、ヴェールは引きずるほど長い。上等な素材で作られているのか、とても手触りがよかった。
瞳を瞬かせるショウに、グローリアはいつもの朗らかな笑顔を見せた。
「ね、ショウ・エイクトベル君?」
「ッ!!」
呼び名まで変わった。
弾かれたようにユフィーリアを見やれば、彼女はやれやれと肩を竦める。それからショウを軽々と抱き上げた。
さすが普段から問題行動で身体を鍛えているだけあって、お姫様抱っこは非常に安定感がある。間近に迫るユフィーリアの美貌に心臓が高鳴り、幸せすぎて死んでしまいそうだった。
優しげな笑みを見せる最愛の旦那様は、
「ショウ坊、愛してる」
「――俺も、貴女を愛してる。ユフィーリア」
永遠の愛を誓うと同時に、ユフィーリアはショウの唇に自分のものを重ねてきた。
万雷の喝采で祝福されたのは、もちろん言うまでもない。
☆
お祭り騒ぎになる中庭の片隅で、幸せそうに笑う息子の姿を眺めるキクガは感慨深げに呟く。
「見ているかね、小百合。君が命懸けで産んでくれた息子は今日、嫁に行った訳だが。とても優しくて面倒見のいい旦那様に恵まれた」
その独り言へ応じるように、
――ええ、菊牙さん。貴方によく似て、とても優しい子に育ったもの。素敵な旦那様に巡り会えたことを、どうか祝福してあげてくださいな。
キクガにとって聞き覚えのある、優しい声が耳朶に触れる。
「ッ!!」
弾かれたように振り返るが、そこには誰もいない。
それでも、確かに聞こえたのは亡き妻の優しげな声だった。
幻聴かもしれないが、キクガにとって忘れてはならない大切な人の言葉である。
夜空に輝く月を見上げ、キクガは小さく笑った。
「…………ああ、そうだな」
最愛の息子と、そんな彼を心より愛してくれる義娘に幸あれと、キクガは密かに願うのだった。
《登場人物》
【ショウ】最愛の旦那様から指輪を贈られて幸せ。今日が人生で1番素敵な誕生日である。
【ユフィーリア】パーティーの側で指輪の作成もしていた魔女。魔法で指の大きさも測ったので大きさはバッチリ。宝石はショウが好きな青色の宝石を使った。
【エドワード】誕生日にマフラーをあげた。もちろん手編みである。編み物も意外と出来る男である。
【ハルア】ショウと一緒に走り回りたいから自分がよくお世話になっている靴屋で新作の運動靴を買った。お揃い!
【アイゼルネ】誕生日に手袋をあげた。毛糸で編んでもよかったのだが、ユフィーリアに教えてもらって裁縫魔法で革製の手袋を作成した。手首のところにファーがついているお洒落な奴。
【グローリア】結婚許可証とは別に、ショウにはアルバムをあげた。中身は空っぽ。ユフィーリアの写真でも貼ればいいよ。
【スカイ】誕生日には望遠レンズがついた記録用魔法兵器(またの名を一眼レフカメラ)をあげた。頑張って設計・開発した。
【ルージュ】高級ホテルレストランの招待券をあげた。旦那様とのデートに使うといいですの。
【キクガ】少し高価なブランドの財布をあげた。この前見た時にハルアのお下がりを使っている様子だったので、払う場面はないだろうが旦那様に見せられないだろう?
【八雲夕凪】酒樽を提供しようとしたら怒られたので、樟葉に持たされた高級な筆とすずりをあげた。「書道が得意だ」と言っていたのじゃ。
【リリアンティア】綺麗な便箋と万年筆、インク瓶のお手紙セットをあげた。旦那様とお手紙のやり取りをしてください。
【小百合】キクガの亡き妻にしてショウの母親。息子の誕生日に急きょ出演。